北方謙三のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
ネタバレ本文よりも、カバー裏のあらすじの方がよほど熱い。
『出師の表』も、読み上げたシーンはあるものの、そして聞いていた人たちが感動で涙を流したシーンもあるけれど、肝心の孔明が想いをこめたその文章が一行たりとも出てこない。
司馬懿は特に野心家なわけではなく、副官に三国の上に立てと徐々に洗脳されていくみたいだし、孫権は…本当に存在感がない。
そして再び孔明よ。
関羽が死んだ際、自分が敵だったらこうするという考えを伝えておけば…と後悔したはずなのに、今回もまた多くを語らなかったがゆえに馬謖を誤らせた。
細かな作戦を明かさなくても、なぜここを守ることが必要であるのかを伝えておけば、馬謖が山に登ることはなかっただろう。
兵は命令を守るだけ。考えはしない。
というのが、当時の考え方であるのならば、何事も考えてしまう性質である馬謖には、考えるべき方向性くらいは示唆すべきであったと思う。
やはり孔明は軍師ではない。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ何冊も三国志を読んでいるから、今更「衝撃の」と煽られても、思った通りにしかストーリーは進まないんだけどね。
でも、『三国志』の一番の見せ場は赤壁の戦いであり、『三国志』っていうのは、曹操対劉備率いる蜀の面々の戦いっぷりが面白いのだと思う。
呉は…周瑜のみ。
となると、関羽も曹操も張飛もそして劉備もいなくなった後の三国志は、何をモチベーションとして読み進めればいいのだろう。
もう結構前から、関羽が亡くなったころから、老人の繰り言のような描写が増えてきて、しかも何度も繰り返すので、読むのが苦痛になってきている。
魏と呉は国を作ろうとする話だが、蜀に関していえば、劉備とその仲間たちが「漢王朝の復権」という建前のもと、好き勝手に戦って、負けては逃げ、勝っては仲間を増やしていただけで、国を作ろうなんて気はなかったんだな。
部下の弔い合戦に最前線で戦う帝なんてありえないもの。
やってることは結局ヤクザの抗争なみ。
そして、陸遜と同じことを考えながら、最後まで進言しなかった孔明。
そんな軍師っている?
勝つために最善を尽くさせるのが孔明の仕事じゃないのか?
直接劉備の傍にいないから、言えなかったって…。
あと2巻、頑張れ、私。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ関羽の仇を討つ。
劉備と張飛の気持ちは同じはずだ。
国のことより個人的な敵討ちかよ、っていろんな三国志を読むたびに思いましたが、今回の三国志ほど「国より個人が優先」する漢(おとこ)としての意志に納得させられたものはありませんでした。
それなのに、張飛ったらさ。
最初の頃の張飛はとにかく乱暴で、ついてこられない歩兵はあっさりと調練の場で打ち殺していました。
それは、張飛の性格故ではなく、劉備を「徳の人」と印象付けるための、戦略的な乱暴者。
でも、それを恨む者は当然いて、張飛の隙をついて裏切り、惨殺…という流れなら納得できた。
当初の張飛のままだったらそうだったはず。
けれど張飛には、思いもよらない愛妻ができて、それが張飛の弱点となってしまった。
これが納得いかない。
愛妻を持つのはいい。
情のこわい張飛なら、さもありなんと思った。
でも、愛妻のせいで腑抜けになってはだめだ。
董香だって起こるだろう。「しっかりしてください!」って。
張飛は関羽の敵を討つどころか、その前に劉備を一人にすることにしてしまった。
関羽や劉備より、董香を取ったように見えてしまう。
それでいいのか、張飛?
そして、結局誰も孔明の意見を尊重しないので、孔明の方が劉備の気持ちに寄せるようになっていく。
蜀が大国になれなかったのは、偏にそのせいだといえる。
趙雲の出番はいつ来るの?
曹操の死については、かな~り前から徐々に老いていく曹操を書いてきていたので、ようやく楽になれるのね、という感じだった。
志半ばの死のはずだけど、そういう無念さもなく、曹植は可愛いけどやっぱり後継は曹丕だな、と決めて亡くなる。
具体的に曹植を可愛がっているシーンが一切なかったので、重要ポジションにいる割にモブ扱いとなってしまった。
結果を知っているだけに、この先はどんどん気が重くなっていくなあ。 -
Posted by ブクログ
ネタバレストーリーはわかっているので、この先にスッキリと満足がいくような展開にはならないことも知っていた。
でも、もう少し手に汗を握らせてほしかった。
赤壁以降の曹操軍の停滞、呉も蜀も決定力がなくて、天下三分の計というよりも、三つ巴の膠着状態。
この間に水面下でいろいろ動いていることを、もう少し熱く語ってほしかったのだけど…。
例えば馬超の危機を救った張衛の顔を立てるため、馬超が劉備のもとに赴いた件。
一時的に劉備のもとで戦うことはあっても、劉備の旗下には入らないと決めていた馬超が、劉備の使者である簡雍(かんよう)と酒を酌み交わした後、劉備のもとで死ぬまで戦うと決めた。
以前なら、その際二人がどのような会話を交わしたのか、北方謙三の場合こういう時は抽象的な話に終始するのが常だけれども、それでもその二人の様子については書いていたはず。
が今回は、あっさり「そうなった」とだけ。
もう、漢(おとこ)が漢(おとこ)として戦う時代ではなくなったからだろう。
呂布ほどではないが、馬超もそれなりの傑物だったはずだが、曹操に敗けた後の馬超の目には絶望の色があったのだそうだ。
そしてそのことは、ずっと張飛ばかりを贔屓して、関羽の存在感が薄かった結果、今回は関羽の見せ場のはずが、感情を揺さぶられることはなかった。
ここにきて関羽はずっと「劉備と肩を並べて共に戦いたかった」と思っているわけです。
一人だけ離れたところに布陣させられているから。
自分の思いよりもやらねばならないことを成し遂げる関羽の姿は、ストーリーを知っているからこそ感動モノのはずなんだけどなあ。
私の感性が鈍りまくっているのだろうか。
『水滸伝』の時は、一人一人の書き分けが丁寧で、誰かが死ぬときは本当につらかったんだけど。
劉備と孫権、互いに相手を漁夫の利で領土をせしめる姑息なやつ、と思っているところが笑える。
やってることは50歩100歩じゃよ。
とりあえず作者も「姑息なやつ」と思いながら書いていることが分かって、ちょっと安心。 -
Posted by ブクログ
「タルグダイもトドエン・ギルテも十戸の遊牧民を抱えているぐらいでちょうど良かった。それが何千戸、何万戸だ。俺は、やつらの覇権は認めないぞ、テムジン。モンゴル族は、ひとつになるべきだろう。でなければ、メルキトにもタタルにも勝てない」
「俺はいま、タイチウトを見ているしかないのだよ」
「俺も、西のメルキトを見ているしかない。つまらない話だよな」
メルキト族も、ケレイト王国も強大で、西のナイマン王国は、もっと強大なのだという。さらにその西に西遼があり、この国は金国と比肩しうるかもしれない。
「俺たちは、どういう時代に生まれたのだろうな、テムジン。ただの草原なのに、いくつにも分かれ、まるで戦を好んでいるようにも見える」
「戦に勝ち抜かなければ、死ぬ。そういう時代なのだ、と俺は思う」
「そのために、毎日兵の調練をする。俺は嫌いではないのだが、兵の身になると、いささか同情したくなる」
「俺も同じだよ、ジャムカ。しかし、戦はなくならないよな」(261p)
生涯のライバル、テムジン(チンギス)とジャムカは、幸福な出会いをした。
2人の会話は、図らずも12世紀の北アジアの勢力図を表し、のちの覇者たちの平和観をも顕(あらわ)にした。
中国大陸では彼らの千七百年前から「戦はなくならない」ことが世界だった。テムジンたちの祖先、匈奴が歴史の舞台に登場する以前から、春秋戦国時代、戦争は高度に発達していた。確かに「勝ち抜かなければ、死ぬ」。そうならないために何をするべきか、という発想から始まらざるを得なかった。
日本ではそうではない、ということを、わたしは日本の考古学を通じて証明しようと思っているが、一方、日本ではない世界のことを、この小説を通じて学んでいきたい。
テムジンはやはり自前の「製鉄」にこだわっていた。まるで3世紀の日本のようだ。大同府で司馬遷『史記』を読み込んだテムジンは、また単なる戦の戦術のみではなく、戦略をも身につけたようだ。テムジンは、元吹毛剣の所持者楊令の如く超絶的な強さを持ち合わせてはいない(それで一度大怪我をする)。けれども彼には「広い視野」がある、という事が2巻目にして見えてきた。ーー北アジア、未だ混沌の底にある。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ赤壁が終わり、気の抜けた感がぬぐえない。
おかしいな。
本来ならまだ天下の情勢は定まっていないのに、なんでこんなに「終わった」感が強いのだろう。
病を抱えたまま周瑜は、孫権のために益州を奪取すべく準備をする。
が、病の周瑜、看病する幽のやり取りが煩雑で、テンポが悪い。
赤壁で大敗した曹操は、内政を充実させながらも虎視眈々と勢力拡大を狙う。
が、頭痛がはなはだしい曹操、手当てするえん京のやり取りが煩雑で、テンポが悪い。
膠着状態の間延々と続けられる一人語り、または部下に対してかます薫陶など、はっきり言って鬱陶しい。
そういうのは行動で示し、行間から読者が読み取るものだ。
さんざん大物感を煽ってきた馬超が、一瞬で敗走する。
「諜略のようなものは嫌いだ」と言い張っていたのが伏線で、結局周囲から孤立させられ、攻めては返り討ちに会い、戻っては城を乗っ取られる体たらく。
周瑜や曹操が戦っていた時、いったい何をしていたのだ?
出番が来るまでおもちゃ箱の中で休んでいたのか。
周瑜亡き後の呉も、一瞬で舞台から退場。
まあ、もともと呉という国は傑物がいなくて、権威の象徴はいても権力については合議制で執行されていたのだから、北条泰時亡き後の鎌倉幕府のようにつまらん。
周瑜はひとりで北条三代分の役割を担っていたのだな。
荀彧死す。
これは大方の『三国志』では、曹操に自殺するよう追い詰められたという書かれ方だった気がするけど、この作品の曹操は、荀彧が暗殺されないよう、極秘に彼を警護させていた。
それを荀彧が、「監視されている」と思い、信頼感が失われたことによる絶望からの自殺となっている。
それはそれで面白い解釈と思った。
たぶん実際にはそんなことなかったと思うけど。
龐統死す。
益州を落とせずにいるうちに、孔明が合流するということで焦ったのか、敵が立て籠っている城を見に行って流れ矢にあたる。
自殺?
孔明の内政に関しては、常々良い仕事をしていると思っていたけれど、この作品では伊籍というもともと劉表に仕えていた人物が、その大本を作り上げたことになっていて、とすると孔明の手柄って今のところ、ない。
「臥竜」(孔明)も「鳳雛」(龐統)も看板倒れやね。
一般的な『三国志』のヒーローに出番がないので、作者の思想が前面に出てきちゃって萎える。 -
Posted by ブクログ
6年待った。
長かった。その間に北方謙三著書レビューは書けないでいた。それでも、著者登録数は51冊でベストワンを保っていた。ただ、マイ本棚には何かが足りない、とずっと感じていた。今年、ベストワンの座を宮部みゆきに譲った。それも多分一瞬だ。これからは、約1年半、毎月文庫本が発刊される。また北方謙三レビューが、マイ本棚を賑わすことになる。
「なあ、ボォルチュ。俺は、自分が死ぬだろうと思っていたが、まだ生きている。天が生きよと言っているのだ。人は、死ぬ時は死ぬ。天が死ねというからだ。天の声は、聞こえはしないが、躰が感じる。いま、俺はなにも感じていない。だから、心配するな」
「テムジン様」
「俺がまだ生きて、やるべきことをやれ、と天が決めたら、俺はなにがあろうとも死なん。自分の生き死について、俺はそれ以上考えるのはやめた」(125p)
後に世界史上で第二位の国土を誇る大帝国、その礎を築く皇帝になるテムジンは、このときまだ14歳。北方に幾つもある部族の1つであるモンゴル族の1つの氏の長子である彼は、他の氏族から生命を狙われている立場である。しかし彼はひとつも恐れてはいない。ひとりからでも起つ。漢(おとこ)はこうでなければならない。
「水滸伝シリーズ」が終わり、金国と南宋と梁山泊の戦いが終結して20年後(おそらく1175年)の、アジア大陸地図が冒頭に掲げられている。金、西夏、西陵は周辺に押しやられ、南宋は姿さえ見せない。この地図がどう変わって行くのか、静観していきたい。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ官渡の戦いの敗戦から始まった袁家の崩壊。
負けても負けてもなお、袁紹のほうが曹操よりも大きな軍勢を持っていたはずなのに、員数以外にダメージが大きすぎた。
再起を図る袁紹だったが、病に倒れ、結局回復することなく死を迎える。
自分の中では後継者は三男と決めていたが、公にしなかったばかりに始まる兄弟同士の内紛。
曹操はただ、黙ってみているだけでよかった。
小競り合いはあるものの、大きく情勢が変わるような戦いのない巻だったので、多少退屈。
その中で、張飛が結婚。
やはり作者は呂布の次に張飛を書きたいと思っているのだな。
関羽なんて全然影が薄いもの。
相変わらず劉備の良さが微塵もわからんが、彼のもとに人は集まる。
曹操は、良い人材を集める。
が、作者はきっと曹操のことは好きではないような気がする。
謀略とかするようなやつは嫌いなんだよね、きっと。
曹操の右腕である荀彧(じゅんいく)なんて、「屯田」と「兵糧」の話しかしない。
実際に国を治めるとき、大事なのはそこよ。
どうやって民を喰わせていくのか、どうやって安寧な暮らしを保証するか。
日本の天皇のよって立つところもそこだから。
皇帝に対する考え方。
曹操は、血筋なんてなんぼのもんじゃい。
能力がないなら上に立つ資格なんてない、と考えている。
その割に曹操と皇帝の確執の描写が少なすぎると思うが。
劉備は、連綿と続く尊い血筋がそこにあることが、民の心のよりどころになるのだから、政は能力のあるものがやればよい、皇帝は存在するだけでよし。
劉備の考え方は、日本の天皇制と同じなんだよね。
中国は古来から、誤った政を行った皇帝は革命で追い落とされるか、禅譲で国を譲るかしかない。
天の見放した皇帝に存在価値はない、というドライなもの。
私はやっぱり曹操派なんだよね。
劉備が言っているのは、突き詰めると宗教になってしまう。
私は心のよりどころはそれぞれの人が見つければいいのであって、上から差し出されるものではないと思っている。
どの作家の劉備もそれぞれなんだけど、どの作家の劉備も私との相性は悪い気がする。