北方謙三のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
北方謙三の作品は三国志や武帝紀は読んだが、今回の作品の前談となっている「楊家将」は読まずに、本書に挑戦。「楊家将」の続編とのことであるが、なんら苦もなく読める。話としては、宋の英雄楊業が裏切りによって死去した後の宋と、北方の遼との戦や、楊業の残された子や、遼の耶律休哥、記憶をなくした石幻果を中心に進んでいく。
それにしても、三国志や武帝紀には感じなかったが、なんというテンポのいい小説であろうか、それぞれの立場をほぼ交互に配置して、短文かつ短段落で、まさに騎馬が駆ける戦場のダイナミックさを見事に表現した文章と感じたのは自分だけでなかろう。
記憶を残し、苦悩の内に他国に生きた李陵を少し思い出したが、果たして下巻はどう展開していくのかが楽しみである。 -
Posted by ブクログ
玄翁こと胡土児は
精鋭の麾下50騎を従え西に駆けていた
思えば戦(いくさ)に憑かれた人生だった
むかし幻王という名で金国で恐れられた
梁山泊の頭領となった楊令を実父に持ち
金国の大将兀朮(うじゅ)を養父に持ち
梁山泊と金国の最後の決戦を前に
「お前を戦に出せば、俺は人間ですら無くなるのだ」と養父に言われて
泣く泣く匈奴の地を放浪した胡土児は
戦で死ぬべき場所を数十年間探していた
極限迄に強くなっても戦で勝てないことは
実父や養父の人生で教わっていた
俺はどうすればいいのか
漢はどう生きれば見事に死ねるのか
玄翁は駆けていた
タイチウト軍との決戦が
実は玄翁との決戦だと知っている
息子テムジンのもとへ
2度の戦で2度テムジンを
死の一歩間際迄に追い詰めた
その度にテムジンは大きくなり
今や互角かそれ以上だ
もう殺されても良いと思っていた
絶影⸺影を留めない程の速さで駈ける
モンゴルの草原は母のように優しく
モンゴルの天は父のように大らかだ
モンゴルの息子に玄翁は会いに行く
此の巻で吸毛剣は
テムジンに渡った
父殺しを成すのは
古来英雄の条件也
吸毛剣シリーズは
重要人物亡き後の
5巻目常に転回す
さあ物語が始まる
-
Posted by ブクログ
ネタバレねたばれ
そして楊令は、子午山へ
秦明は、公叔にプロポーズ
志に生きる男たちが居る。
志に死んでいく男たちも居る。
50才以上の人生を考える人からは、、思いもよらぬ人々が描かれている。
志に生きていくなら、どうなるか、、、、
それを考えて読むのだが、
この本の中にその結論はあるのか。
その結論は、この小説には無いのかも。
実は、
この本を読む人、読者、あなたの中にしかない。
追記
扈三娘 再登場、キターという感じで酔っ払いは興奮する
小説の良いところは、
自分の想像力のままの登場人物であることだ。
アニメテレビなどだと、他人の想像力次第だが。 -
Posted by ブクログ
「テムジンは、おまえたちの兄というだけではありませんよ」
「わかっております。草原の民の兄であり、父である、と思えればいい、と俺は思っております」
「草原の、ですね」
「母上もそう思っておられますか」
「私にとっては、掌に血塊を握りしめて生まれ出でてきた、はじめから化けもののような子ですよ。どんなふうな化けものかは、テムジンの人生しだいでしょうが」(334p)
地に草原あり
地はひとつ
天もひとつ
天に祈り、天から何かを受け取る
テムジンが次第とそう感じてきている
テムジンが化けものに変わるときが近づいている。
テムジン麾下の兵力は3500人に育った。総て少数精鋭であり、数倍の兵力に対しても、簡単には負けないまでになっている。
勢力図は3巻とは変わらない。けれども、モンゴル族内の力の差は大きく移り変わり、近隣のタタル族、メルキト族、ケイレイト王国とテムジンとの関係も変わった。幾つかの戦いのあと、兵力以上の地力を育てつつある。決戦の秋(とき)は遠雷のように近づいている。
母親だけが、将来のチンギス・カン(王)たるテムジンの真の父親を知っている。 -
Posted by ブクログ
ネタバレようやっと最終巻までたどり着きました。
呂布亡き後の後半を、ワクワクすることなく、淡々と読み進めてきて思ったこと。
国を興すのは英雄でも、国を作っているのは名もなき庶民なんだな。
英雄は一代で終わるけど、名もなき庶民はずっとそこに居つづける。
作者が書きたかったのは英雄たちの戦いぶりなんだろうけれど、三国志とあらば国づくりも書かねばならない。
でも『水滸伝』の時のように、梁山泊のシステムを築き上げたようには、三国の国の姿を描けていたとは思えなかった。
特に呉は、周瑜亡き後の存在感がなさすぎる。
戦ではなくて暗殺で勝ちに行くし。
蜀こそが、国づくりにページを割けるポジションにあったと思うんだけど、孔明は劉備の遺志を継ぐことが最優先で、寝る間も惜しんで働いているとは書いているけど、具体的に何をしているかは見えてこない。
あんまり孔明のこと好きじゃなかったんかなあ。
馬謖といい、李厳といい、信じて任せた者に裏切られて負けを喫するわけだけど、自分でも「人を見る目がないのかもしれない」と反省してたし。
でもつまり、悪いのは自分の作戦ではなく、見る目がなくて間違えた人選で作戦を遂行してしまったことだと思ってるってことで、あんまり感じよくないよね。
しかも、五丈原でナレ死。
生ける仲達は走ったかもわからない。書いてないからな。
最後は三国志の英雄たちとかかわりながらも巻き込まれることなく己の道を進んだ馬超と爰京のシーンで、この先の未来を馬超の息子世代に託すような終わり方。
今まで読んだ『三国志』の中で、一番英雄を書くのが上手い北方謙三が、一番英雄を書かなかった。
ということをあらかじめ分かっていれば、もう少し違う読み方ができたかもしれない。
英雄を期待しちゃったんだよなあ。
呂布はかっこよかったし。
『三国志』初心者は、やっぱり吉川英治からスタートすればいいと思います。
フィクションであるけれども、無理のない範囲で史実には沿っているし、キャラ立ちしているし、有名エピソードを抑えているし。
そこから少し史実を知りたいと思ったら宮城谷昌光の『三国志』を読むべし。
いや、北方謙三の中国物が読みたいんだよ、というのであれば『水滸伝』が面白いです。
しかし、『楊令伝』『岳飛伝』と続くうちにやっぱりちょっと…。
楊令抜きの『楊令伝』は、面白いと思うんだけどね。(あくまで個人の感想です) -
Posted by ブクログ
火眼を持つテムジンは、モンゴル族キャト氏の長として力を蓄え二千人の兵士を擁していた。そんな時、敵方の傭兵として、戦人・玄翁の五十騎が現れ、2度の戦いで2度テムジンは玄翁に斬られた。不思議と生きている。長い読者の我々には、玄翁の正体は分かっているが、彼が生きる目的も、テムジンに対する想いも、今はわからない。
「殿、あれを御覧ください」
言われるまでもなく、テムジンは現れかかった時から、それを見ていた。虹である。はじめは、ぼんやり地表から立ちあがってきたが、すぐに空の中に鮮やかな弧を描いた。
なぜ、なにもない空の下、大地の上に、これほどの色が出るのか、考えたことはなかった。ただ、その虹の根もとにむかって駆けたことは、誰にでもある。駆けても駆けても、その虹が近づいてくることはなく、ある時、視界から消える。(312p)
少年の頃からの従者ボウルチェはテムジンを慕い、そのあとを追いかけていた。虹のように。テムジンの下、鉄鉱石を求める耶律圭軻も、物資の輸送を担当するバブガイも、兵士を統率するジェルメやクビライ・ノヤン、チルギダイも、虹暈(こううん‥‥虹のかさ)を追い求めている気がする。でも追いつけない。主たるテムジンが追いついていないのだから当然かもしれない。漢(おとこ)は、そうやって何かわからないものに向かってゆく。5巻目ぐらいで、それはハッキリするのだろうか。
‥‥テムジンの具足を真っ二つに断ち割って皮膚に傷さえ負わせなかった玄翁の剣は、おそらく吹毛剣なのだろうな。