北海道の北にある礼文島という離島で生まれ育ち、高校の修学旅行で初めて東京に来たときに、芸能プロダクションの社長からスカウトされ、「プロのアーティスト」とか「女優」の肩書を夢見ていたのに、デビュー直後のごく短い間だけは「アイドル」と呼ばれていたものの、最初から「タレント」と呼ばれ、次に「元アイドルのタレント」、そして最近では「売れないタレント」と呼ばれているアラサータレントの芸名「丘えりか」(通称:おかえり)が主人公です。
この芸能プロダクションに所属するタレントは「おかえり」ただ一人だけで、彼女が、唯一のレギュラー番組でスポンサーの名前を間違えて連呼したことから、スポンサーの逆鱗に触れて、そのテレビの旅番組を打ち切られることになってしまいます。
しかし、仕事を失った「おかえり」は、そのテレビの旅番組を楽しみに見ていた或る女性からの依頼をきっかけに、旅行をしたくても出来ない人の代わりに旅をする旅行代行業、その名も「旅屋おかえり」として、全国を旅することになるという物語でした。
この作品では、「旅屋おかえり」の旅行代行として、ふたつの旅が描かれています。
ひとつ目は、「旅屋おかえり」としての初仕事で、或る女性の依頼による秋田県角館へ満開の桜を求めての旅です。
「おかえり」が独りで出発する日の朝、東京駅のホームには、所属事務所の社長と元セクシーアイドルの副社長が、わざわざ見送りに来て、副社長特製の手作り弁当を「おかえり」に手渡すのですが、
もちろん事務所の今後の命運をかけた新しい仕事のスタートということもありますが、それ以上に、所属する芸能プロダクションのアットホームな雰囲気がとても伝わってきました。
まあ、手作り弁当の中身は大きなタッパーにぎっしり詰め込まれた白飯と梅干しだけというのはご愛嬌でした。
さらにその出発前夜のエピソードにも感動でした。これまでのテレビ番組のロケと違って、何から何まで独りでこなさなければならないということがやはり不安で、「おかえり」は教えを乞うために、これまでお世話になったカメラマンの事務所を訪ねます。そこで待っていたのは、長年一緒に番組を制作してきたディレクターやアシスタントディレクター、ヘアメイク担当の女性とスタイリスト、打ち切りになった旅番組のファミリーみんなによるサプライズでした。
ここでもう私は危うく涙腺が崩壊するところでした。
こうして旅立った「おかえり」ですが、なかなか計画通りにはいかず、その日は田沢湖に近い小さな温泉宿に宿泊します。この小さな温泉宿の家族との交流も何だか心が「ほっこり」するもので、翌朝の出発時には、温泉宿の家族全員の見送りを受け、最後にご主人の大志さんとしっかり握手をしたとき、「一瞬、その手を離したくない気分にかられた。」という「おかえり」のセリフがありましたが、その時の「おかえり」の心情がとっても良くわかりました。
いろいろあった旅行代行を終え、カメラで撮った旅の映像を社長による渾身の編集を経て、完成した旅の「成果物」として旅行代行の依頼者の女性親子に見てもらうのですが、ここまで、旅の過程でカメラを回している様子やその情景など、すでに読んで知っていたにも関わらず、
その完成した映像は本当に感動的で、特に、同じ「おかえり」と同じ新幹線に乗り合わせたおばちゃんたち、訪れた角館の人たち、そして宿泊した小さな温泉宿の家族全員のビデオメッセージには、涙腺崩壊どころか、私はティッシュで鼻をかんでしまうほどでした。
ただ、その「成果物」である映像を旅の依頼者に届けて喜んでもらっただけでは、依頼人に代わって旅をした目的は達成していないと感じた「おかえり」は、
その最終的な目的を達成するために次の行動に出るのですが、そこは事務所の社長もしっかり理解していて、すでに対応してくれており、その社長のファインプレーに思わず拍手を送りたい気持ちでした。
秋田県角館を旅して依頼人にその感動を届けるというストーリーに並行して、父親を敬い父の願いを叶えたくても、やむを得ない理由でそれに応えられない娘の父親に対する切ない想いと、娘が置かれた現実を受け止めつつ、娘の辛い気持ちを慮って、表面的にはあえて厳しく接しながら、実際には深い愛情を注ぎ続ける父親の娘に対する優しい想いが、この小説にはしっかり描かれていて、その父と娘、親娘のすれ違っていた想いをきちんと2人に伝えること出来てようやく任務終了という、本当に感動的な結末でした。
そしてもうひとつの「旅屋おかえり」への依頼は、唯一のレギュラー番組を打ち切ったスポンサー企業の会長直々(じきじき)の依頼でした。
しかしそれは、「おかえり」が所属する芸能プロダクションの社長にとって、忘れることのできない辛い過去にも関わる依頼で、周囲がざわつくのを不思議に思いながらも、詳しい事情は知らないまま、「おかえり」は周囲の反対を振り切って、愛媛県内子町に向かいます。読者である自分としてはハッピーエンドで終わるのだろうと思ってはいても、どうして周囲がそんなに反対したのか、そしてどんな結末を迎えるのか、事情を知りたい気持ちと、まさかという不安な気持ちがよぎりました。
しかし、「おかえり」が持ち帰った成果物である袱紗を開くと・・、袱紗に包まれた和紙に書かれていたメッセージは、再びまぶたを熱くするものでした。
旅行は、旅先で美味しいものを食べて心が満たされたり、美しい風景を見たり見知らぬ人との交流によって疲れた心が癒されたり、ときには新たな発見や人間関係が生まれたりします。そうして明日からの生活への元気を取り戻しリスタートすることができる。それが旅行の楽しさであり醍醐味なのだと思います。この小説を読んで、そんなメッセージを「おかえり」さんから受け取りました。
今回初めて原田マハさんの作品を読みましたが、テンポが心地良くて、言葉の使い方や表現も面白く、そして読んでいてとても楽しい、もっと先を読みたくなる作品でした。他の作品も読んでみたいと思いました。