あらすじ
原田マハ3年ぶり長編アート小説がついに単行本に!
「ワぁ、ゴッホになるッ!」
1924年、画家への憧れを胸に裸一貫で青森から上京した棟方志功。
しかし、絵を教えてくれる師もおらず、画材を買うお金もなく、弱視のせいでモデルの身体の線を捉えられない棟方は、展覧会に出品するも落選し続ける日々。
そんな彼が辿り着いたのが木版画だった。彼の「板画」は革命の引き金となり、世界を変えていくーー。
墨を磨り支え続けた妻チヤの目線から、日本が誇るアーティスト棟方志功を描く。
感涙のアート小説。
感情タグBEST3
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板状に咲くというタイトル。咲くのは棟方が妻チヤか、と読み終えてから、感じた。
棟方にもチヤにも熱いものを感じた。なるとかなる、なんとかするしかない、という気持ちは自分も持っていたい。
読み進めながら時々図版を確認する。この絵がこんな時に…と。
原田マハさんの本が好きで、読んでない本を読んでみようかな、と気軽な気持ちで手に取ったけれど、愛情とリスペクトをたくさん感じた。
20年くらい前に見て圧倒された釈迦十大弟子。
その板木がこんな運命を辿っていたとは、驚き。神戸で焼失したひまわりもそうだけど、戦争の罪深さも改めてかんじる。
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「ワぁ、ゴッホになるッ!」。1924年、画家への憧れを胸に裸一貫で上京した棟方志功。しかし、絵を教えてくれる師も、画材を買うお金も無い。その上、弱視で遠近感も表現できない…。そんな棟方志功がたどり着いた木版画。
原田マハさんははじめて読んだ。とても良かった。棟方志功は昔、テレビで版画を彫る所をみたけど、その迫力も感じられた。棟方志功もなかなかだけど、チヤもかなり凄いな。もっと2人の物語を読みたい
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Audibleで聴読
1日中夢中で聞いていた。渡辺えりさんの朗読が見事で、我慢が出来なかった。もともとこの作品を読もうと思ったのは、この朗読のサンプルがきっかけだったので、聴き放題期間が終わる前にどうぞという誘い文句に勝てなかった。
棟方志功の名は知っていたし、作品も数度見ていた。エネルギーのある作品だと思っていたけれど、刺さるところまではいかなくて、もう少し知りたいような、そうでもないような。
でも、この朗読を聴いたら、作品を見直したくてたまらない。日本のゴッホになりたいと願った棟方。
時間軸でいくと、ゴッホ→棟方志功→ゲルニカ…という流れがあって、先日『暗幕のゲルニカ』を読んだばかりだけれど、原田マハさんにとって、この流れは大事なのかもしれない。
志功のふっくりした仏様のラインは、柔和でやさしいのに、初めて作品を観た時、私はどういうわけだか『ゲルニカ』を思い出した。ちゃんと文献に当たってみれば、美学上の繋がりが、もっと明瞭に解るかもしれないが、今の私では、それを判じて解釈するには知識が乏しい。
それにこれは、あくまでも小説だし。
ただ、志功の怖そうなモノクロ写真しかイメージを持っていないと、この作品の志功の優しさ、愛情の深さに、ちょっと驚いてしまう。
彼はこんなに、情の濃い、優しい人だったのか。奥さんであるチヤさんの語りというスタイルを取った本作だが、このとおりであったなら、こんなおしどり夫婦もちょっといない。
食えなくて食えなくて、マッチ箱の絵を作る夫に、生活費はなんとかするから、ちまちました仕事をせずに、制作をしろなんて、本気で言える妻がどのくらいいるだろう。
才能という、霞か雲みたいに、ふっと消えちゃうものを信じるのは、ある程度安定していないと難しい。かと言って才能は、のんびりぬくぬくした中からは、いいものを連れてこない。ヒリヒリしてなきゃダメなのに、安定も必要で、こんなにバランスを取るのが難しいギフトもないものだ。
チヤさんには、きっと旦那様のすごさが解っていたのだろうなあ。このくらい信じ合えて、このくらい愛せたら、どんなに幸せだろう。
自分の好きなひとに、私はこのぐらい一途で献身的だったかなあ、とチリリと痛みが走る。
この作品、評伝小説としてもいいけど、ラブストーリーとしても最高だ。
今年触れた作品の中でも、この朗読は絶品で、文句無しにわたしの中で上位に食い込む。
原田マハ作品なら、読む方がいいなと思うけれど、これだけは別。Audibleにしてよかった。
渡辺えりさん、上手い役者さんだけど、ここまでとは。
作品と役者さん、両方揃っての感動。恐れ入る。
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版画家である棟方志功の生涯を妻チヤの視点で描いた物語。芸術に疎い自分は「棟方志功」と聞いただけではピンと来なかったが、表紙の力強さがありながらも優しさに包まれるような絵を見て、母が趣味の切り絵の題材に棟方作品をよく選んでいたことを思い出した。青森の貧乏青年がゴッホに魅せられて上京し、苦労しながら自分の目指す道を見つける過程にはたくさんの「もしも」があり、志功とチヤに自然と共感できた。志功の努力は並大抵のものではないが、志功の人柄と懸命に支えたチヤや周りの人のおかげで世界の「ムナカタ」になれたのだと思った。
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棟方志功が「世界のムナカタ」になるまでを妻チヤの目線で描いた物語。女が常に一歩下がってという時代、棟方を信じ支え続けたチヤさんの苦労は計り知れず、同時に志功にどれほど愛されていたのかも計り知れない。何度も胸を打たれる場面がありました。
原田マハさんの文章も魅力的でこれまで何作か読んだけど1番好き。他の美術系作品も読んでみたい。
〈心に残った言葉〉
”何かあったのかと気にはなっても、棟方が自分から話すまでは決して訊いたりしない。それがチヤの中の決め事だった。”
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風のマジムに続いて読んだ原田マハのアート小説.
いやこれは…参ったね.勝負にならない完敗.読まされちゃったって感じ.
主人公は棟方志功じゃなくて妻のチヤ.これがほんと効いてる.天才本人を主役にしちゃうと,頭の中を“それっぽく”再現したつもりの嘘くささが出る.でも隣にいた人の目を通すと,あの猪突猛進で純粋な志功の姿が自然に立ち上がるんだよね.各章の冒頭がチヤの様子から始まるから,舞台のト書きみたいに映像で再生される.映画にしたら絶対映えるやつだと思った.
時は度重なる戦争の時代.そのただ中を生きているのに,声高に戦争を語らない.でも静かに,確実に「戦争を拒む」空気が漂っている.語らなさすぎても嘘になるし,語りすぎれば志功の物語が消えてしまう.そのあいだを射抜く絶妙なバランス!この引き算の美学こそ,アートなんだよなぁ.
そしてやっぱり,原田マハの芯は「挑戦する人,創り出す人へのリスペクト」だと思う.風のマジムでラム造りに賭けた人々を描いたときと同じで,今回も木版画に人生をぶち込んだ芸術家を全力で讃えている.これは「何かを創る」すべての人へのエールだ.しかも,具体的に作品を創る人だけじゃない.毎日を全力で生きている僕たちみんなへのエールなんだ!
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棟方志功とその妻チヤの人生を、チヤの視点で描いた話。
とにかくチヤさんが自立した女性でかっこいい。誰かを支えることができる人にはこういう強さがあるなと思う。
そして棟方志功はどこかひょうきんで可愛らしいひとだった。
エピソードにはくすっと笑えるし、家族愛にはジーンとくる。そのバランスがちょうどいい話だった。
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これまでゴッホやピカソ(ゲルニカ)など海外のアーティストの物語ばかりだったが、ついに日本人の物語が!主人公は棟方志功。青森出身の売れない画家が、さまざまな出会い、特に当時の美術界の改革者たちとの出会いを経て大きく飛躍する。この本は、棟方の妻のチヤの目線から語られているところが新鮮。夫のために毎日墨をすり、売れない時代は幼子を抱えながら野草をつんで食事としていた。なんとも言えない感動の物語。
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世界のムナカタはもちろんすごいけれど、そばで支え続けたチヤがいてこその世界のムナカタだったのだと思いました。
日本の芸術をもっと知りたいと思うと同時に自分の目で確かめたいと思いました。
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ゴッホの「ひまわり」に心奪われ、日本のゴッホになると言い、後に世界のムナカタとなる棟方志功。その棟方という太陽を、どこまでも追いかけてゆくひまわりのチヤさん。
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弱視なのにあれほど大きな作品の全体像をどう見たのだろう?心の目というものでしょうか?
棟方志功をこれほど熱くさせるゴッホの絵も観たくなりました。
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版画家・棟方志功の妻であるチヤ目線で描かれた物語。
棟方志功は10代の頃にゴッホの「ひまわり」を見て「わぁゴッホになる」と宣言し画家を目指したというエピソードは有名。
私は津軽圏である弘前市の出身なので、棟方志功の版画は小さい頃から身近にあった。何せ弘前市民会館の舞台の幕が、棟方志功の版画の柄なのだ。
だけど彼の生涯については知らなかったから、チヤと出逢って夫婦となったあともしばらくは売れない画家のままだった棟方が、運命的な出逢いによって上り詰めていくエピソードなどは初めて知った。
棟方志功のイメージといえば、極度の近視であったため限りなく板に目を近づけた状態で彫る姿。
妻の目から見た棟方は、ゴッホや版画を愛する芸術家だったのはもちろんだけど、非常に子煩悩で愛妻家でもあったことも窺えて、とても人間らしく魅力的な人物像だった。
個人的には、弘前にかつてあったデパートで棟方とチヤが再会したシーンなどが胸熱だった。
自分よりも上の世代の人たちの間では最先端として有名で懐かしくもある「かくはデパート」
あと話中では津軽弁が盛り盛りなので、津軽圏以外の人は少し理解が難しいのかも?私は読んでいて楽しかったけれど。
原田マハさんの美術関連の小説はちょくちょく読むけれど、ほとんど史実のままに描かれている上にミステリ要素がない本作も、とても面白かった。
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棟方志功美術館がその昔、私の家の近所にあり、身近に感じていた版画家だった。美術館は閉館してしまったけれど、原田マハさんが小説にしてくれたことによって、またもや身近な人となった。
彼の人生を観ていても感じるが、天才や才能ある人はすべての「もしも」の分かれ道に最善の道を選んでいる。そして自分を見出してくれる恩人との奇跡とも言える出会いがある。
妻、ちや子との愛情溢れた家庭で育った4人のお子さん達は幸せだったことだろう。
弱視の版画家。顔を板すれすれにこすりつけ、這いつくばって、全身で板にぶつかっていく。
見る者をおのれの世界へ引きずりこむ強烈な磁力の持ち主。
版画の可能性をどこまでも広げる驚異の画家。ゴッホに憧れ、日本のゴッホになると言い続けた彼はゴッホを超えて世界の「ムナカタ」になった。
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原田マハさんというより棟方志功の奥さんが語ったような、棟方愛に溢れた内容でした。弱視の棟方志功が板木に顔が付きそうな程に前のめりで彫る生前の姿は映像として目にした事があります。制作の裏に夫人の支えが欠くことの出来ない大きな力になっていました。また民藝の錚々たるメンバーにも支えられて大きく羽ばたいていったことを知りました。偶然というよりは必然の出会いだったと感じます。素晴らしい作品が生まれるための奇跡だったのかもしれませんね。
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チエ目線 原田マハさんの美術作品が好きです。リボルバー、たゆたえども沈まず、どちらもゴッホを取り上げている作品ですが、面白く読ませてもらいました。
私はゴッホとエゴンシーレが好きで、美術展にも足を運んだことがあります。小学生の時に、俺はゴッホになると壁に絵を描いた事もあります。今考えると棟方志功の影響もあったのだと思います。
この作品は妻のチエ目線で描かれている作品で、それが返って棟方志功を間近に見ている感覚にしてくれました。真っ直ぐな人間で、芸術に版画に、そして人に愛情や熱量が伝わったのだなと思いました。
私も少し棟方志功とは縁があり、疎開先の富山県福光の鯉雨画斎の移設のテレビ取材に、カメラアシスタントとして同行していたのです。移設は大型クレーンを使い離れた場所に家ごと運ぶと言う大ががりなものでした。当時は棟方志功がどれだけすごい人なのかは勿論、なぜ古民家を移設するのかも分からず取材に同行していた事を恥ずかしく思います。この作品を読んでから取材に行っていれば、トイレの仏の落書きを見て涙を流したかもしれません。
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Audible
渡辺まりさんの朗読が、レビュー通りとても良かった。津軽弁の温かさと、棟方志功の力強さ、勢い、まっすぐさが伝わってくる。まるで、一人舞台を見ているような臨場感だった。
棟方志功の芸術、ゴッホへの憧れ、(棟方曰く)日本独自の芸術である木版画の追求、家族への愛情があまりにもまっすぐで、純粋で、一気に聞いてしまった。
また、棟方志功の妻チヤの棟方志功への愛情と、彼の芸術を支えるという使命感も、負けずにまっすぐ。
二人の純粋さとまっすぐさが、余りにも眩しく、物語として嫌だったり、進めるのが辛くなるところがない。
検索したら、棟方志功チヤ夫妻の、いかにも仲睦まじそうな素敵な笑顔があり、とても心が温かくなりました。
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マハ先生の作品はやっぱり美術モノが良い。
版画家棟方志功とその妻の生涯を描いた物語。終始津軽弁で進む会話がなんだか温かい。
「ワぁ、ゴッホになるッ!」という想いをずっと持ち続けた志功の芸術への熱と、それを理解し支え続けたチヤさん達周りの人達の温かい眼差し。志功は人との運に恵まれた人だったのだと思う。それを理解し、人に感謝して、奢ることなく真摯に芸術に向き合う志功の姿に心を動かされた。私はチヤさんのように人を思いやり信じて進むことができるだろうか?自分のやりたいことに、こんなにもひたむきになれるのか?…と考えて自分自身を振り返る時間にもなった。
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棟方志功の力強い版画が好きでしたが彼の半生はほとんど知らず、この本で初めて妻のチヤのことも知りました。彼の生き方そのものがあの版画となって生まれ、また素直で謙虚な生き方にも心打たれました。
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良かった。原田マハさんの本はいくつも読んだが、これが一番、映像が頭に浮かんでくる。日本というのもあるし、世代的に戦前戦後の映像をたくさん見てきて刷り込まれているのもあるだろう。昭和の風景、昭和の家族、昭和の夫婦。どうしてだろうか、こういうのに引き込まれる。
読んだあと程なくして、たまたま倉敷の大原美術館で棟方志功の作品をこの目で見た。視力がほとんどなかったからだろうか、どの作品も一切の無駄がなく、見入ってしまった。
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天才と変人は紙一重…を地で行く人。その天才を開花させるのも潰すのも、環境が大きく作用する。周りの支えというか犠牲というか、全部引っくるめて受け入れる最大級の愛がなければ、やってけないわ。
マハさんの手にかかれば、棟方の実直さや不器用さ、チヤの心配性だけど度胸の強さ、2人の個性がイキイキと弾け飛んでくる。2人がとても愛おしくなる。
すごい芸術家とその妻、っていう認識なんてなく、目の前の板にだけ集中してきた人生だったんだろうなぁ。
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版画家の棟方志功と妻チヤの物語。志功の人となりや時代背景を知って、ぐんと親しみを感じるようになった。何処かで棟方志功展をやってたら、こう叫んでしまうだろう。「ワも美術館さいぐど!」
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実は2度目。
感想をかけていなかった。
芸術に熱き想いを抱き、人生の全てを捧げた男の物語。
目が見えないハンデを諸共せずに、己の美を追求した。
チヤの全力のサポートがあって、棟方が全力で自分の作品の追求を行うことができた。
なかなか帝展に入選することができず、金銭的にも、精神的にも辛い時があったが、己を信じた結果。
長い月日を経て世界のムナカタになった。
自分を信じて突き進むことの素晴らしさを目の当たりにした。
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棟方志功の妻チヤの視点から描かれている場面が多い。ゴッホのひまわりを見て、絵を描くことを志し、極貧の中で自分の描きたいものを描き、いろいろな縁から、世界の棟方志功になっていく姿を、チヤと一緒に追いかけている気持ちになった。
東京大空襲で板木が焼けてしまった時に、棟方に板木よりも大切なのは、おメだ!と言われたチヤ。この愛情があったから、大変な生活も一緒に過ごしていけたんだろうと思った。チヤは棟方志功と暮らして幸せだったのだろう。
原田マハ著「リーチ先生」で描かれた民藝運動の人々が棟方志功を支えてくれたのも興味深かった。
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数々のゴッホに関する話で本を書いているマハさん。「わだばゴッホになる」と言って青森から上京した棟方志功。あーここにもゴッホに関係する人がいたか!と言う気持ちで読んだ。
絵描きになると決心したその日から悪戦苦闘しながらその後、板画の道に進んだ棟方志功。好きな事に没頭し、沢山の人達に助けられそして支えられて作品が認められた。
現在は閉館してしまったが、3年程前青森に行った時、棟方志功記念館に足を運んだ。あの時見た作品や弱視の為、顔を板すれすれにこすりつけ、這いつくばって作業する姿は印象的だった。没後50年。世界のムナカタの作品がこれからも受け継がれていきます様に!
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久しぶりマハさんのアート小説
架空の人物が出てきてフィクションになったりするのか?!しばらく楽しみたいと思う(^^)
元はオーディブルのための小説だったらしい
冒頭にある音を意識した描写は読み上げる事を考えての事かな
題字も棟方志功らしいーと思ったら
実際に拾った文字らしく!マハさん嬉しかっただろうなぁ
ドラマチックであろう棟方志功の人生は映画になったり
本人の記録映像も見た事がある
凡人にはない集中力と唯一無二の作風
もう見たらすぐにわかるもんね
身近にパッケージや包装紙でもよく目にする
少し泥臭いような時代遅れ感を感じていたんだけど
今回生誕記念の番組で連作や超大作を見て
作品の持つ力に感動した
青森や日本民藝館に行きたくなるよ
小説ではそれらが生まれる時間が描かれていてライブ感があった戦争時代の暗い歴史も
民俗的な画風ではあるがゴッホに憧れたりするのは
意外と都会感があると感じた
木版良いかも!芹沢や柚木も好きだし!
Posted by ブクログ
棟方志功がゴッホに憧れて、絵画の世界に足を踏み入れたことも知らなかった。弱視だったこともこの小説を読んで知った。でも、棟方志功の名前は知ってるし、世界のムナカタだということも知ってる。
志功とチヤの波乱万丈だけど明るく朗らかに過ごした人生が生き生きと描かれていて読み終わった時に清々しい気持ちになった。目黒の民芸館行って棟方志功の作品を生で見てこようと思う。
Posted by ブクログ
前半はaudibleでも聴きました。
渡辺えりさんの朗読がもう、、ほんとにもう朗読っていうよりもう完全なる演技で、、登場人物たちの津軽弁も地の文も素晴らしかった。
audibleって朗読してくれるだけのものとは思えませんね。完全にエンターテインメント。
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“〈ひまわり〉がいま、東京の美術館にある。”
損保美術館所蔵の〈ひまわり〉大好きなので、チヤが語った【序章 一九八七年(昭和六十二年)十月 東京杉並】でわくわくです。
棟方志功の没二十年後に五十八億円で日本に〈ひまわり〉がやってきたところから始まる。
弘前新聞での公開ラブレター、これフィクションかな?なんか作中のような初見で相手をぎょっとさせ気味のちょっとぶっとんだところのあるスコさなら、
本当にやりかねない!
棟方志功のルーツ
ねぶた祭り
総合芸術雑誌「白樺」柳宗悦、武者小路実篤ら
セザンヌ、ゴーギャン、ゴッホら後印象派
巴里爾(ぱりじ)が産まれてチヤが工業用ミシンを買ったところで涙腺やられたし、ちよゑが発熱したときも。
この二つのエピソードは終盤にチヤ自身が思い返すシーンがあって、それも含めて良いところ。
いわゆる《芦屋のひまわり》についての描写も
1936年(昭和11年)4月時点で
“日本のとある実業家が購入してフランスから取り寄せ、なんと日本にある。”
この時代にまだ存在しているんだよなぁ
詩人、佐藤一英が書いた「大和し美し」を題材にした
棟方志功の「大和し美し」
柳宗悦、濱田庄司に見出されて、日本民藝館ができるときの買い上げ作品にしたい…!!
1936年(昭和11年4)10月24日
東京・駒場に日本民藝館が開館
もちろん館長には柳宗悦が就任
棟方志功 新作版画〈華厳譜〉
特選を得た〈善知鳥(うとう)版画曼荼羅〉
青森市と善知鳥村、善知鳥神社
能、歌謡「善知鳥」を題材にしている
東京大空襲の前日に奇跡的に送り出せた
〈釈迦十大弟子〉の板木。
“ようやく、チヤは気がついた。自分はひまわりだ。棟方という太陽を、どこまでも追いかけてゆくひまわりなのだ。”
芦屋のひまわりが戦火で焼失した事実が、ものすごく悔しいと思えてしまったな。
Posted by ブクログ
ゴッホに恋した男に恋した、妻チヤの語る
棟方志功の物語。
前半は、棟方志功の変人ぶりがよく分かる
エピソードだった。
「わだばゴッホになる」ゴッホの絵に魅力され、
そう口にした夫を支えつづけるチヤ。
‥と書けば、ただ耐えるだけのような女性に思えるが、チヤはそんな女性ではない、行動力のある女性だ。子が生まれても、少しも自分達を呼び寄せない
夫に業を煮やし、自分から棟方の元へと向かう。
時には喧嘩になり、激しい口論を繰り広げながらも夫婦の絆は強くなっていく。
女性は強いな‥とつくづく思う。
いや、強くなければ、棟方志功という人間に
ついていくことはできなかったのかもしれない。
棟方志功は、柳沢宗悦、濱田庄司、
河井寛次郎など、人に恵まれた人だ。
彼らに巡り会えなければ、
「世界のムナカタ」とはなっていなかっただろう。
そして、妻チヤの存在。
夫の才能を信じて、版画で刷る際に使う墨を、
棟方のために摩り続けたチヤ。
棟方志功はとても幸せな人だ。