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原田マハ3年ぶり長編アート小説がついに単行本に!
「ワぁ、ゴッホになるッ!」
1924年、画家への憧れを胸に裸一貫で青森から上京した棟方志功。
しかし、絵を教えてくれる師もおらず、画材を買うお金もなく、弱視のせいでモデルの身体の線を捉えられない棟方は、展覧会に出品するも落選し続ける日々。
そんな彼が辿り着いたのが木版画だった。彼の「板画」は革命の引き金となり、世界を変えていくーー。
墨を磨り支え続けた妻チヤの目線から、日本が誇るアーティスト棟方志功を描く。
感涙のアート小説。
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Posted by ブクログ
原田マハの板上に咲くを読んだ。
読み始めるまで、棟方志功の一生を描いた内容だとは知らなかった。
チャッピーに勧められた一冊だった。
棟方志功は、版画家ということぐらいは知っていたが、何でも鑑定団でよく偽物が出てくる巨匠というイメージぐらいだった。
作品はあまり知らなかった。
改めて、棟方志功の作品を見てみたいと思った。
本書は、棟方志功のことが描かれているが、妻のチャの目を通して描かれている。
ある意味、チヤの物語でもある。
白樺の表紙のゴッホのひまわりに衝撃を受けたというのだから、凄い
食べるものも無くそこまで没頭できるのは、やはり才能で、それを見出してくれる人と出会えるのも才能だろう。
脇道にそれるが、文中に軍歌の海ゆかばが、出てきた。
すっかり忘れていたが、今、海ゆかばを知っている人はあまり居ないだろう。
歌詞を今風に言うなら
「海へ行くなら海に沈んだ屍となり、山へ行くなら草の生い茂る中の屍となろう。天皇のお側で死ぬことになっても、それを悔やんだり後ろを振り返ったりはしない」
戦前で無ければ受け入れられない歌詞だ。
チャッピーに聞いたらもともとは
歌詞は大伴家持が『万葉集』に詠んだ歌が元になっているということだった。
ただ、元になった大伴家持の歌は、現代の戦争歌として作られたものではなく、「君主に対して忠誠を尽くし、命を惜しまない」という古代の武人・貴族の精神を詠んだもの。
それを昭和の戦時下に取り上げて、出征する兵士が国のために死ぬ覚悟を示す歌として使われたということだ。
話をもとに戻すと、本書は棟方志功の偉人伝のようでもあるが、ただ普通の偉人伝と少し違うのは、棟方志功本人だけを格好よく描いていないところでしょうね。貧乏だし、家族は大変だし、周囲から見れば「この人大丈夫か?」というところもかなりある(笑)。それを妻のチヤの側から描くことで、
「偉人が偉人になる陰では、いったい誰が支えていたのか」
という話にもなっていたと思い。
棟方志功だけの一代記だったら、もっと「天才・棟方志功物語」になってしまったでしょうが、チヤがいることで人間ドラマになっている。そこが原田マハらしい。
それにしても、あれだけ根拠なく自分を信じられるのも才能の一つだなと思いました(笑)。普通なら途中で「やっぱり無理かな」となってしまう^^;
才能そのものももちろんあるけれど、まだ誰にも評価されていない段階で、自分だけは自分を信じ切れる。これは普通の人にはなかなかできない。
しかも棟方志功の場合は、少し滑稽なくらい一直線で(笑)、周りが呆れても生活が苦しくてもやめない。その「やめられなさ」まで含めて天才なんだと思う。
天才って、出来上がった作品だけを見ると「すごい人」で終わりますが、『板上に咲く』は、その裏にある執念とか迷惑さとか、支える家族の苦労まで見せてくれたのが面白かった。
それにしても、結婚していて隣の部屋にはチヤがいるというのに、「独身です」と言ってしまうところには笑ってしまった。天才ではあるけれど、なかなか困った人でもある(笑)。
Posted by ブクログ
川上澄生の初夏の風が出てきたが、確かに棟方志功と画風が似ていると感じた。棟方志功が富山へ疎開し、奥様が板を家財にくくりつけて疎開させて救われた事は有名。実話かは不明だが気を奮い立たせる源のひまわりが空襲で焼失したシーンは居た堪れないものがあった。
強く鮮やかな色面で構成される木版画は、絵の具を塗り重ねて陰影や奥行きを作り立体感を出す油絵の手法とは、技法も表現方法もまったく異なっていた。棟方が木版画に強く惹かれた理由のひとつは、弱視の彼の目に木版画の単調な鮮やかさがくっきりと美しく映ったからだった。それは幼い頃「目に飛び込んでくるみでだ」と夢中になったねぶたや津軽凧を思い出させた。
木版画は油絵制作とくらべてより身体的な動きを必要とする。油絵は筆触、つまり筆先の動きが重要だが、木版画は彫刻刀で彫り込むので、腕、肩、指、上肢の動きが必要になる。
目視よりも手先、技術力よりも集中力に出来栄えが左右される。かつて浮世絵は絵師・彫師・摺り師の共同作業で作られていたが、棟方はこの三つの作業のすべてをひとりで担った。構想を練り、下絵を薄紙に描き、それを裏返して版木に貼り、彫る。多色摺りの浮世絵の場合は、描線と色面を分けて彩色して摺るので、同じ版下を複数枚作るのが通例だった。つまり多色摺りには版木と絵の具が余計に必要になる。棟方には多色摺りの木版画を創る経済的余裕がなかった。彼が自黒の木版画に絞って制作したのには、そうした理由もあった。一方で棟方は、西洋では「色」と見られていない「黒」と「白」の魅力に気づいてもいた。日本には古来水墨画が存在している。また、やまと絵の基本は墨で描き出す描線である。日本人画家にとって黒と白は基本の色であり、れっきとした色彩だ。黒と白は棟方にとって赤と青であり、金と銀だった。どんな色にも変幻する、それこそが日本の色、黒と白なのだ。
何よりも棟方が夢中になったのは、版画がもつ広がりだった。わずか三•センチ四方の板に描く世界。それなのに無限な広がりがある。この世界のすべてを板上に表現できる気がした。
Posted by ブクログ
audible☆再読
棟方志功の半生を妻チヤの目線で語られている。
1924年画家への憧れを胸に青森から上京した。生きるのもままならない時代に、何年も何年も挑戦し続けた姿にとてつもないエネルギーを感じた。
そんな棟方氏を支え、子供を4人も育てたチヤの根性とパワフルさに拍手を送る♡
たくさん心に響いた場面はあった‼︎
終章にこう書いてある
「全てのもしものわかれ道に、あの人も私も最善の道を選んでいた。そういうふうにできていた。と思われてなりません。」
誰の人生にも大なり小なりわかれ道は必ずある。なんとなく選ぶのではなく、その時最善だと思えるように考え、悩み、感じて決めたい‼︎と強く思った。
棟方氏の版画を検索して見たが、とても力強い掘り絵だった‼︎なにかに魅了される不思議な感覚がある。
Posted by ブクログ
板上ってどんな意味?って思って読み始めた。
宗像志功という人物の創作に向かう圧倒的なエネルギーとそれを献身的に支える妻チャの物語。
宗像志功は自分の作品を版画ではなく、板画と呼んでいた点が印象的だった。そこには木の板そのものの生命力を生かそうとする考え方があり、思想があるのだと感じた。
浮世絵には関心があり、これまで何度も観に行ったことがあるが、宗像志功の作品も見てみたいと思った。
(数点は観たことがあるが)
青森県立美術館
福光美術館(富山)
遠いけど行ってみたくなった。
倉敷国際ホテルも。
原田マハの「リーチ先生」を読んで民藝運動に関心を持ち、「板上に咲く」を読むと、その民藝の思想が宗像志功にも繋がっていると知った。
Posted by ブクログ
世界のムナカタ
名前は知っていたし、版画を描いた人?くらいしか知らなかった自分を恥じたい。それくらい、この作品は棟方志功の魅力が詰まっていて、生き様を有り有りと見せつけてくる。
もっともっと彼のことを知りたくなったし、今すぐにでも本物を観に行きたくなった。
それと同時に、表には出ないけど、裏でムナカタを信じ続けて、支え続けた妻のチヤの感情も丁寧に描かれていた。
決してムナカタだけを讃える作品ではなく、ムナカタを支えた人たちやムナカタに影響を与えた人たちにもちゃんとスポットライトを当てていたところがとても素敵だった。
決めたことを成し遂げるまで決してあきらめない不屈の精神、人一倍の努力を重ねたからこそ、運気を呼び寄せたんじゃないかというチヨのセリフが印象的。
「もしも」の分かれ道、振り返った時に最善の道を選んでいたと思えることってすごいことだなと思った。
自分で選んだ道を正解にする、ムナカタを世界のムナカタにするのは私。そういう強い意志があったからこそ、成し遂げられた数々の功績なのではないかと思った。
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