あらすじ
盲目で、耳が聞こえず、口も利けない少女が弘前の旧家にいるという。明治二十年、教育係として招かれた去場安は、その少女、介良れんに出会った。大きな苦難を背負った少女と、人間の可能性を信じて彼女の教育に献身する女教師、ふたりの長い闘いがはじまった――。『楽園のカンヴァス』『暗幕のゲルニカ』の著者、渾身の感動傑作!
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Posted by ブクログ
れんが成長していく過程がもっと見てみたい。普通とは違う高度な教育を受けてきた安が固定観念を打破していく過程がれんの成長が見せてくれる。読んだり、聞いたり、話したりすることがありがたいことだと思う。
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なぜ、絵画は長い年月が経とうとも生き残っているのか。一時は誰かのもの、それがまた次の手に渡り長い年月を生き続けている。新しい画家の佳作がまた生まれ、誰かの手に渡り生きていく。
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小学生の時にヘレンケラー自伝を読んで以来の、「奇跡の人」。日本版だが、明治時代の、しかも津軽地方が舞台とのことで、さらに沁み入るものがありました。安先生の情熱、れんとキワのたしかな繋がりにただただ感動。
「言葉」を教えるのだ。思考し、表現できる人へと成長させるのだ。
安先生のこの言葉こそ、教育の原点のように感じた。
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感動に尽きる
自己を見つめ直す良い機会
当たり前の事が出来る幸せを噛み締めさせられる。
原作自体も詳しくは知らないけど日本版にした原田さんの素晴らしさに改めて敬服
泣ける本のひとつです
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相変わらず、どの本を読んでも感動してしまう。素晴らしい小説だと思う 小説の良さである自分で体験できないことを疑似体験できること、疑似体験する価値のある物語 それを素晴らしい小説を使って伝えている著者の能力に感服する こういう小説を読むと他の人にもぜひ同じ感動を味わってほしいと思ってやまない
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ヘレン・ケラーとアン・サリヴァンの話をもとにしたフィクション。
津軽地方を舞台にした理由にも圧巻。
明治時代の日本社会では、障害は悪とされていた。教育を受けることはあり得なかった。ましてや、女子に。それを覆す安の教育と、れんの成長に感動した。
教育に携わる人にはぜひ読んでほしい一冊。
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明治時代の津軽で、弱視の女教師が見えない、聞こえない、話せない三重苦の少女が人間らしく生きられるよう導く物語。先生の気持ちの強さ、覚悟か凄くて、様々な困難を乗り越えるのに引き込まれていった。
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日本版ヘレン・ケラーのようなお話。
大人になって中々読書できずにいたけど、たまたまこの本を書店で買って、読書愛が再発(*ฅ́˘ฅ̀*)♡読書が楽しいことを思い出させてくれた1冊。
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良い〜〜〜〜〜!!
ヘレンケラーの話が大元になりながら、オリジナル性もあって、読みやすいしのめり込めるここ最近で1番良い本だった。
奇跡の人、奇跡を知らぬ人、奇跡を願う人、いろいろな視点があって面白かった。
Posted by ブクログ
あなたは、目が見えない、耳が聞こえない、話すこともできない三重苦で生きていくことを想像できるだろうか?
さてさてさんのような書き出しにしてみました。
舞台は、明治20年の青森県弘前。
明治維新後、政府は岩倉使節団を派遣し、その中に将来の日本の女子教育のために、女性も派遣される。9歳だった去場安もその一人。安は弱視であったが、持ち前の明るさと探求心から13年間アメリカのホイットニー家で愛されて育つ。
日本に帰国し、安は女子教育を目指すが、なかなかその役割は回ってこなかった。
父のツテで伊藤博文公に弘前の介良家の子女の家庭教師を紹介される。
しかし、その子女は目が見えない、耳が聞こえない、喋れないの三重苦を抱えている6歳の少女で、名を介良れんという。
れんは、座敷牢に閉じ込められ、奇声をあげたり、暴れたりしていた。父や兄からは邪魔者扱いされ、世話をする女中からも親が見ていないのをいいことに、時に虐られたりし、尊厳は守られていなかった。
安は、れんの尊厳を回復するため、まずは座敷牢を掃除し、身なりを整え、食べ物は手で食べず箸を使い、寝起きは早寝早起きの規則正しい生活をさせる。次に、良いこと悪いことを分からせるため、頬に手をあて良いことをしたら縦にうんうん、悪い事をしたら横にうんうんし、意思疎通を図る。また、ものにはすべて名前があることを、指でなぞって教えたり、指でローマ字を作って教えたりと様々な工夫をしながら伝えて行く。時には、れんが癇癪を起こし、引っかかれ、血まみれになったりするが、不屈の精神で乗り気っていく。
一番の成長は、親元から離し、ボサマといわれる乞食同然の盲目の三味線弾きの少女キワと友達になってからだ。
安は、れんとキワを同じように教育していくと、れんは爆発的に能力を発揮していく。
言葉を、遊び通じてたくさん覚えていく。
昭和になり、キワが重要無形文化財になるといわれるが、なかなか受け入れないキワは、れんの前なら弾くと、数十年ぶりの再会を果たす。
匿名
見えない聞こえない喋れない。どうやって生きてゆくのだろうと絶望しか見えなかったが、安の教育は素晴らく、奇跡をずっと見ている気分でした。強くて優しくて素晴らしい人です。何度も涙が出ました。
3人とも素敵で優しい気持ちになりました。
Posted by ブクログ
1ページ目開いて2時間半で読み終わってしまいました。読み終わってからも涙が出続けるくらい感動しました。
登場人物の姿はもちろんだけど、それ以上に生きることとか感情を言葉で伝えられることのすばらしさに感動して、同時に私にとっては革命的でした。ヘレン・ケラーはもちろん知ってたけどちゃんと読んだことなかったし、書評にもあるようにそれを日本オリジナルに置き換えることで切迫感と戦慄さと、奇跡の人の意味が肌で感じられて原田マハにしか書けない文章は心つかむというより握りつぶされそうでした。
この本に出会えなかったらと思うくらい、これからの私に根付いていく気がします。おすすめしてくれた友人に心から感謝です。
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ヘレン・ケラーの話を津軽を舞台にしてオリジナルの小説にされた、その発想が凄いと思いました。緊迫感が伝わってくるマハさんならではの文章・ストーリーに引き込まれました。とてもよかったです。
Posted by ブクログ
読み上げた(読み終えた)…!そんな達成感がある。民俗学や土着の文化や信仰に少し興味のある私としては明治時代の津軽という舞台はとてもよかった。何度も出てくる“三重苦”という言葉。見えず・聞こえず・話せず、身内からも“けものの子”と呼ばれていた少女が、どのように言葉を習得していくのか?その概念をどう体得していくのか?とても興味深く読み進めていった。
ヘレンケラーの伝記は小学生の頃に読んだ。児童向けの漫画シリーズだったと思うが、サリバン先生が自らの口を触らせて発声を教えるシーンが印象的だったのを覚えている。
一対一で本気で向き合うということ、生半可ではないその覚悟は伝わるのだなと。幼少期に数ヶ月生活を共にした2人の少女のラストの展開にも感動。よかったね。
Posted by ブクログ
私はいま、インクルーシブ教育に携わっている。
今のところ正直、実地の、日々の体感として、その可能性に期待したい思いが3割、限界を感じる気持ちが7割である。それには、私自身のキャパシティと教育知識と技能と経験と、何より忍耐が足りないことが大いに影響している。
差別とかそういう意図は全くなくて、むしろみんながあるがままに生きやすい社会を望んでいるつもりだ。といいつつ、見る人によっては差別とうつるのかもしれない、と客観視もしている意見である。
気持ちが荒み、悩んでいた折にこの本を読んだ。
ここのところ、心の端に追いやられがちであった教育への熱、薄れる一方の社会への期待と自分への期待、蓋をしていた「忍耐不足で申し訳ない」という正直な気持ちを、力強く引っ張りあげてもらった。
こんなに恵まれた状況で、めげている場合ではない。私も闘い、切り開いていきたいものである。
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本書がヘレン・ケラーのオマージュなことは気がつきましたが、奇跡の人、というタイトルの意味までは考えつきませんでした。
とてもおもしろく拝読させていただきました!
Posted by ブクログ
目が見えない、耳が聞こえない、話せない、三重苦の介良れんが、去場安の献身的な教育のもと、言葉を獲得していく物語。
本編を通して響くのは、安の言葉の力強さ。れんの才能を信じ続け、この世界にはすべてのものに名前があり、感情は言葉で伝えられることをれんに知ってほしいという強い情熱が胸を打ちます。
そして、見どころは盲目の旅芸人の少女、キワとの出会い。二人がお互いを思いやり、言葉だけでなく、心も成長していく姿が微笑ましい。
さらに、二人を通して、どんな身分、境遇に置かれていようとも、子どもには等しくすばらしい能力が備わり、成長の可能性があることを改めて実感させられました。
読みながら、目頭が熱くなるシーンが何度もあり、原田マハさんの作品のなかでも特に大好きな作品となりました。
Posted by ブクログ
ー奇跡を見た。
そんな気持ちになりました。
この話の元である奇跡の人の内容は、漫画ガラスの仮面をきっかけに調べ知っているもののはずでしたが、本書が日本を題材にして語っていたためか、より一層心に沁みました。希望が輝かしく、励まされたなぁ。
Posted by ブクログ
いやあ〜いい作品なんですが、もうあと2倍くらい分量が欲しかったああ。もう一足踏み込んで深く書いてたら傑作になったのでは。かなり急に風呂敷を畳んで終焉を迎えてしまうのが少し残念でしたが、クオリティは高い一作です!
Posted by ブクログ
ヘレン・ケラー
私の尊敬する人。
彼女の傷害を現在の青森県弘前市を舞台に、
介良れん として物語が繰り広げられる。
音も光も言葉も発することができない
どう関わったらいいのかわからない
誰もが手を余してた時に、れんの教師として
迎えられた安だけは、れんと真っ向から向き合う
姿勢に芯の強さを感じた。
そして れん の初めての友人となるキワ。
盲目の彼女は、三味線奏者として全国をまわる途中で れん達と出会い れん とともにたくさんのことを覚えていくのだけれど。。。
キワをモデルにしたのは高橋竹山かな?
安が れん との関わりの中で悩んでた時にイタコが
ヒントをくれるシーンがあるけれども、このイタコの存在で、キワが高橋竹山をモデとしてるのがわかって、当時の青森の、盲目の人達の生きる姿勢に今をどう生きるか。。。を、考えさせられた。
そんな中で れん がどんな成長を遂げるのか。。。
そしてキワとの関係は。。。
時代背景と実在の人物を照らし合わせながら読むと
色んな思いになってる自分に会えた。
Posted by ブクログ
盲聾啞という三重苦の困難を乗り越え
社会福祉に身を捧げた偉人ヘレン・ケラーと
彼女の家庭教師アニー・サリヴァンの伝記は
つとに有名ですが、
それを明治期の津軽地方に舞台を移し
翻案・再構築したという本作。
介良れん(けられん)と去場安(さりばあん)
という登場人物の名前を見ただけで
すぐに原作の映画を思い浮かべるのですが、
本作では、原作には登場しない
津軽ならではの風習・文化が
重要な役目を果たします。
特に印象的なのは
三味線弾きの盲目の少女“キワ”と
“れん”との出会いです。
“キワ”が津軽じょんがら節を奏で歌う場面。
自分がかつて聞いたことのある
津軽三味線の響き(高橋竹山だったか?)が甦ってきて
心震えるような感覚になったのですが、
見えない・聞こえない・しゃべれないはずの
“れん”にも波動のようなものが伝わっている…
無性に涙が零れ落ちるのでした。
Posted by ブクログ
7歳の子を持つ者としては特に、涙なしには読めないかも。れんとキワが一緒に過ごした時間がとても短く、離れている間の時がページ上であっと言う間なのがちょっと飛躍感もあったかもしれない。でも安の芯の強さに心打たれる。
Posted by ブクログ
れんの両親が、お行儀がよくなったからそれでいい、とか、久々に会った今日くらいは少しくらいのわがままを怒らないであげてほしいなどと言っていた。私もそう思うと思う。
でも、それは、本当に、れんの為にはならない。れんがこれから自分の人生を生きていけるようにする為の、能力を引き出してあげなければならない、という安の強い信念を感じました。真の優しさを考えさせられました。
Posted by ブクログ
見えない、聞こえない、話せない三重苦を抱えてる子をどう教育するのか、わくわくしながら読んだ。
去場安の熱量がとてもかっこよかった!
ヘレンケラーは読んだことなかったけど気になった!今度読んでみたい。
Posted by ブクログ
日本版ヘレンケラー、アンサリヴァン。
去場安 介良れん
青森が舞台。
安がすごすぎるし、れんもすごい。
奇跡をおこさせた人、という題名でも良いのでは?と思った。
裕福だったこと、良い人と巡り会えたこと、諦めなかったこと、
フィクションでいてノンフィクションのようなお話。
実際にヘレンケラーとサリヴァンのインタビューなどもみてみたがすごすぎてすごいしか言葉が出なかった。
人間てすごい。
Posted by ブクログ
非常に良かったのだが、最初にヘレン・ケラーとサリバン先生の物語をなぞったものと知ってしまったので、ちょっと感動が薄れてしまった。主人公達の名前も去場安(サリバアン)、介良れん(ケラレン)と寄せすぎのように思う。
ヘレン・ケラーが最初に文字を憶えた「水」はいつ来るのかと待ち構えてしまった。途中の大変な苦労も良く分かったが、何故、奇跡の人と呼ばれたかの後日談が端折られてしまったように思う。人間国宝となった瞽女の苦労ももっと知りたかった。
Posted by ブクログ
ヘレン・ケアーの知識は小学生の時に漫画を読んだくらいの知識しかないですが、信じて何度でも何度でも向き合ってくれる人がそばにいることが誰にとっても大事なのだと思わせます。
甘やかして、守ることは誰のためにもならない。そしてあくまでその子の才能を引き出したにすぎないということを忘れてはならないのだと思います。
Posted by ブクログ
見えない、聞こえない、話せないの三重苦の少女とその教師の奮闘の物語。身体的な不自由のない自分では想像もできない世界だが、人間の生きようとする意志の強さや知識を吸収して輝く素晴らしさを感じられた。知ることは全ての始まりであり、自由へのたった一つの道筋なのだと教えられた気がする。
そして本作の最も注目すべき点は「友達」の大切さだろう。人生の中で関わった時間は少なくとも、生涯忘れず思い合うその関係は、時に想像を超える反応を起こす。新年から感動を読むことができた1冊でした。
Posted by ブクログ
凄い本を読んだ。
自分が絶望の淵にいるとき是非とも読み返してみたくなる本。勇気と希望を与えてくれる本。
「教師として、私の生徒を救いたいと思たんじゃない。私が、あの子のもとへ向かったのは、もっとーーー本能のようなもの。
人間としての本能が、私をあの子に向かわせている。あの子を救いたいという気持ちを、私は容易には止められない。」
何がそこまで去場安を掻き立てるのか。そのエネルギーはどこから来るのか。
とてつもない絶望にいる人間、周囲から疎まれ、蔑まれ、獣の子と言われようが、それでも生きている。6歳の介良れんは、まったく見えない、耳が聞こえない、口がきけない。
しかし、去場安は自信に満ちている。なぜか。
「わかるんです。同じ人間だから」と答える。
これから、去場安の介良れんに対する壮絶な「授業」が始まる。
介良家は青森でも有数の富豪、れんの兄と秋田屈指の名家扶藤本家との縁談をまとめるために、介良家はれんの存在を隠す。
が、安はあろうことか偶然を装い、藤本の父にれんをさりげなく引きわせ、れんの存在を詳らかにするだけでなく、れんのもつ「天賦の才」を気づかせようと図る。
れんが生まれながらにもつ強運にかけて。
この描写、説明するより、文庫本のP182から10ページほどの箇所。この箇所を是非とも多くの人に読んでもらいたい。そして心に靡くさわやかな風を感じてほしい。と切に思う。この箇所は、原田ハマが最も得意とする、そして僕が最も好きな描写だ。
あと2か所
一つは、安とれんの「教室」を介良家の本宅から遠くはなれた別宅に移し、そこに突然、藤本家の父が訪れ、安を引き合わせる場面
もう一つは、別宅から本宅に戻ったれんが、昔に後退したところを、安が体を張って躾を思い出させ、さらに「水」という言葉を教える場面
期待を遥かに大きく上回るとても読後感のいい本。
多くの人にお奨めしたい。
Posted by ブクログ
子供の頃に伝記で読んだヘレン・ケラーが鮮やかによみがえってきました。
ヘレン・ケラーとサリヴァン先生が出会った年代はそのままに、舞台が青森県に置き換わる。2人が困難を乗り越えて駆け出すまでの物語。圧巻でした。
個人的にまだ深堀り出来そうなエピソードが残っていて、別のお披露目用にとっておいてくれているのか、「その辺りはあなたの想像にお任せますよ」というメッセージなのか悶々とします。猛勉強して大学入学する件とか、先生とお別れするところとか…想像しただけで涙になるんですけども(´;ω;`)ウッ…
『安の目には、はっきりと見えた。少女はそのとき、うっすらと、笑っていた。その無垢な輝き。かすかにめまいを覚えるほど、まぶしい少女だった。強烈な光を放つ人だった。』
2024.8