太宰治のレビュー一覧
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太宰治の作品は、冒頭がいい。『人間失格』は「恥の多い生涯を送ってきました」で始まる。
この本では、「おわかれ致します。あなたは、嘘ばかりついていました」で始まる。なぜか、私が言われているような気にもなる言葉だ。
私は、19歳で、家族の反対を押し切って、売れない画家のあなたと結婚して、はや5年。25歳になった。私は、「私でなければ、お嫁に行けないような人のところへ行きたいものだと、ぼんやり考えていた」。あなたの画は、「小さい庭と日当たりのいい縁側の画で、縁側に白い座布団が一つ置かれていた」。それを見て、どうしてもあなたのところへお嫁に行かなければ、と思った。
私を必要とする男性のところに嫁ぐ。そして清貧な生活を続けたいと思っていたが、どういうわけか、あなたの画が売れて、お金が入りはじめて、窮屈な淀橋のアパートから、三鷹の家に住むようになって、変わってしまった。
死ぬまで貧乏で、わがまま勝手な画ばかりを描いて、俗世間に汚されずに過ごしていくと思っていたが、今の俗世間に汚れたあなたは、はずかしくして仕方がない。だから、別れるのです。
ふーむ。太宰治の世界の中には、恥ずかしいという言葉がよく出てくるが、お金儲けできる絵描きになって、言うことが他人を批判したり、面と向かえば、褒めたりで、全く一貫していない人格。それが恥ずかしいという。女性の視点から見る世界と世俗にまみれる画家の有り様があまりにもかけ離れた人になった。
やっぱり、別れるべきだね。でも、夫婦って一体なんだろう。利他的でありながら自分中心なんだね。夫婦の価値観は共有できにくい。画を描いて何を表現するかであり、あくまで画は手段。そこを見ないとねぇ。何を妻は支えるべきだろうか。 -
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私はこれまで、「まんがで読破」シリーズ(イースト・プレス)と「マンガでBUNGAKU」シリーズ(三栄書房)の『人間失格』を読んできました。
それらと比較してみますと、大雑把に言って、
【まんがで読破】
ストーリーとして読み応えあり。絵のタッチはやや古臭いが、古典作品の紹介には適しているかも。
【マンガでBUNGAKU】
絵のタッチが現代風だが、ストーリーとしての深みがない。
【本書】
絵のタッチは古くなく、ほかより大型ということもあって迫力もある。
ストーリーとしても深く読めるようになっている。
といった違いがあります。
私個人がお勧めするとすれば、
・「マンガでBUNGAKU」と本書なら、本書のほうがお勧め
・「まんがで読破」と本書なら、絵の好みによる
といったところです。
本商品の特長は、重要な場面の描写がとにかく優れているところです。
他方で、そんなに大した場面でない描写がやや手抜きに思えるところもあります。
きっと締め切りに追われていて細かいところまで手が回らなかったんだろうと拝察しますが、ちょっと残念でした。 -
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この年になるまで『走れメロス』以外ほとんど読んでこなかった太宰治。
そりゃあ、いつかは読もうと思っていましたよ。
でも、今まで縁がなかったのね。
この作品が太宰初心者向けなのかどうかわかりませんが、面白かったです。
今まで勝手に思っていた、ナルシストのような、ちょっと重ためのコマッタちゃんのような太宰ではなく、素直で軽やかな文章に、とても好感を抱きました。
そして、実にこの本は、今読むべき本として私の前に現れた本でした。
まず、2年前の秋に津軽地方を旅行したので、景色の描写など、割とわかりやすかったこと。
今別、竜飛岬、鰺ヶ沢、十三湖、合浦公園。
特に太宰が青森の高校に通っていた頃よくとおっていた合浦公園は、私の思い出の場所でもある。
単純に嬉しい。
それから
”「津軽」本州の東北端日本海方面の呼称。斉明天皇の御代、越の国司、阿倍比羅夫出羽方面の蝦夷地を経略して齶田(今の秋田)渟代(今の能代)津軽に到り、ついに北海道に及ぶ。これ津軽の名の初見なり。”
これ、蝦夷地の名の初見でもある。
最近北海道の歴史を勉強していて、読んだばかりの部分だったので、これもタイムリー。
ついでに津軽氏の歴史についても、高橋克彦の小説で少しわかっていたので、若いころ読むよりは、いろんな意味で理解しやすくなったと思う。
でも、この本は津軽を理解するために読むわけではない。
やっぱり太宰の文章を愉しむために読むのがよいのだろう。
とはいえ、
”家へ帰って兄に、金木の景色もなかなかいい、思いをあらたにしました、と言ったら、兄は、としをとると自分の生れて育った土地の景色が、京都よりも奈良よりも、佳くはないか、と思われてくるものです、と答えた。”
という、太宰の兄の台詞は、なんだかしみじみ好かったなあ。
太宰の文章ではないけれど。
最後の、30年ぶりに子守のたけに会いに行ったときのエピソードも実にしみじみ好いのだけど、蟹田のSさんの、激しすぎる接待ぶりには思わず笑いが込み上げてしまった。
作中ではぼかしてあるけれど、明らかに志賀直哉と思われる人物への悪口を言えば言うほど、文学ファンから引かれてしまうところも、いかにも不器用な感じで、全体的に愉快に読んだ。 -
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先日、100分de名著『太宰治 斜陽:名もなき「声」の物語』高橋源一郎 を読み、
思いの温かいうちに『散華』だけでも読もうと。
よって今回は、『ろまん燈籠』に収録された『散華』のみのレビューとする。
太宰は結局自ら死を選び逝ってしまったけれど、丸っきりこの世の全てを放棄していたわけではないように思えた。
小説家を目指す若き芽を育てていた。
太宰はそんな風に思ってはおらず、友人として接したようだけれど。
三田君が、作品を持参した日とそうでない日の、玄関の戸が開けられる音の違い。
太宰はちゃんと聞き分けて、体も心も気遣う。
まずは体を丈夫にして、それから小説でもなんでもやったらいいなんて言う。
しかも直接ではなく、三井君の親友に頼むのだ。
君から強く言ってやったらどうだろうと。
心遣いが温かく、大人の振る舞いだ。
戸石君のことも、続く三田君のことも太宰は温かな眼差しでよく見つめている。
詩の世界で芽が出た三田君のことも、
「私には、三田君を見る眼が無かったのだと思った」
「三田君が私から離れて山岸さんのところへ行ったのは、三田君のためにも、とてもいいことだったと思った」
と記している。
三井君も三田君も、年少の友人だったと太宰は言う。
自分には、いたわるとか可愛がるなど出来ないと。
ただ年齢のことなど手加減せずに尊敬の念をもって交際したかったと。
(それでも私には充分いたわって可愛がっているように感じられたが)
しかし『散華』というタイトル通り、これは単なる楽しい思い出話ではない。
三井君は病気で、三田君は出征先で、命を落としたのだ。
太宰は三田君の原隊からのお便りを4通挙げているが、"最後の一通を受け取ったときの感動を書きたかったのである"と言う。
三田君はアッツ島守備部隊にいたが、太宰自身はその守備隊については"その後の玉砕を予感できるわけは無いのであるから………格段驚きはしなかった"けれども、"三田君の葉書の文章に感動した"と。
「御元気ですか。遠い空から御伺いします。
無事、任地に着きました。
大いなる文学のために、死んで下さい。
自分も死にます、この戦争のために。」
余程心に響いたのか、この文面を太宰は『散華』の中で3度も挙げる。
私はなんだか、太宰が取り違えているような気がしてならなかった。
本人はえらく感動した風情で、これぞ詩人!と感銘を受けたようであるけれど、
三田君は、"自分は戦争なんていうよく分からぬものの為に死ぬけれども、太宰さんはそんなものの為に死ぬのではなく、もし自分で死を選ばなければならないなら、文学の為に死んで下さい"と言いたかったのではないの?
そもそも太宰が徴兵を逃れたのは、結核や自殺未遂など、心身が万全ではなかったからだよね。
戦地に赴いたこともない人間が、この戦争のために死ぬと言ってよこした便りに、"ただならぬ厳正の決意"を感じて"最高の詩のような気さえして来た"とは、呑気すぎないか。
"アッツ島玉砕の報を聞かずとも、私はこのお便りだけで、この年少の友人を心から尊敬する事が出来たのである"
確かに、素人の私でさえ、詩的で真っ直ぐな表現が並々ならぬ決意を含んで美しいとは思う。
でも、なんというか………言い方?
こういう言い方しちゃうから、太宰を嫌う作家も居たのでは?
私にはよく分からない。
三田君は"詩"のつもりで書いたのかしら?
というか、私が"詩"の概念を誤っているのかもしれないな。
心の内からポッと生まれた文章は、全て"詩"と呼べるのかもしれない。
だとしたら、酷い惨劇が起きている現場で、カメラマンが助けることより撮ることを選ぶように、
小説家であった太宰もまた、小説家として三田君からの便りを目にしたのか。
戦争を知らぬ私でも、三田君からの手紙は読んだだけでウルッとするのにな。。。
P297に自身のことを、"としとってから妙な因業爺になりかねない素質は少しあるらしいのである"と表現していて、
これを読むと年老いた自分を想像することもあったんだなと意外に思う。
Wikipediaによると『散華』の執筆時期は1943年11月上旬(推定)とあった。
『津軽』の直前かな…。
だとすると、死を意識した太宰が、故郷を見ておこうと思うに至るまでに、三田君からの便りも少なからず影響しているのだろうな。
その後、太宰は1948年に美容師の山崎富栄と心中しているが、前の年には『斜陽』のモデルの歌人である太田静子との間に子供が生まれて認知している。
きっとこの頃はもうぐちゃぐちゃだよね。
「御元気ですか。
遠い空から御伺いします。
無事、任地に着きました。
大いなる文学のために、
死んで下さい。
自分も死にます、
この戦争のために。」
太宰さん、貴方は何のために死を選んだんでしょう?
アッツ島:
その惨たらしい様は広く知られているはず。
守備隊の4倍ものアメリカ兵が上陸し、制圧下に置かれた。
日本の本営も、これ以上戦力を消耗しては…との考えから、増援部隊も送らず、アッツ島の兵士たちは孤立無援状態となった。
テレビ番組の特集を見たが、手榴弾を持ったり、または丸腰で、アメリカ軍に向かってくる様は異様だったとのこと。
守備隊は全員玉砕。
山本五十六の死、アッツ島守備隊の玉砕と続き、ここから更に日本は、一般市民もこれに続けと間違った方向へ突き進んでゆく。 -
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ネタバレいやぁ。自分は太宰治の熱心な読者というわけではないですし、自虐と自己憐憫の果てに破滅に至るような作品なのかと身構えていましたが、意外なほどの明るさと瑞々しさを湛えた青春の書じゃないですか。
まずもって、27歳の若さで世に送り出した処女作品集のタイトルが『晩年』って。人生に疲弊し切った老人の繰り言のような題です。が、内容を読むにつけ、人生にそれだけ絶望し尽くすというのもまた若さなのかも、と思わされましたね。年齢ではなく、感性において、太宰は本当に若い。逆に若者でなければ書き得ないような鋭さといいますか、斬新な感覚に満ちています。
妻の裏切りを知らされ、共産主義運動から脱落し、心中から生き残った著者が、自殺を前提に遺書のつもりで書き綴った処女作品集。
“撰ばれてあることの 恍惚と不安と 二つわれにあり”というヴェルレーヌのエピグラフで始まる『葉』以下、自己の幼・少年時代を感受性豊かに描いた『思い出』、心中事件前後の内面を前衛的手法で告白した『道化の華』など15編より成る。
1 葉/2 思い出/3 魚服記/4 列車/5 地獄図/6 猿ヶ島/7雀こ/8 道化の華/9 猿面冠者/10 逆行/11 彼は昔の彼ならず/12 ロマネスク/13 玩具/14 陰火/15 めくら草紙
所々、著者自身による前置きや脚注、解説や弁解めいた文言が挿入されるあたり、鼻につかないではないです。四の五の御託を並べるのはいいから、早く本編に行ってよ!と言いたくなる感じ。が、溢れ出る文才の絵の具をキャンバスに叩きつけたようなアオハルっぷりはたまりません。この純度・深度を他の作家で味わうことは困難ですわ。 -
Posted by ブクログ
〈乙女の本棚シリーズ〉
太宰治+今井キラ
あさ、目をさますときの気持ちは、面白い。の書き出しで始まる女生徒。
1日の出来事で感じたことを言葉にしている。
その言葉ひとつひとつが音符のようでリズムを感じる。
女生徒ならではの女に関する言葉も鋭い。
草をむしっては、形はちっとも違っていないのに、いじらしい草と、にくにくしい草と、どうしてこう、ちゃんとわかれているのだろう。
理屈はないんだ。女の好ききらいなんて、ずいぶんいい加減なものだと思う。
けさ、電車で隣り合わせた厚化粧のおばさんをも思い出す。ああ、汚い、汚い。女は、いやだ。
自分が女だけに、女の中にある不潔さが、よくわかって、歯ぎしりするほど、厭だ。
女生徒の言葉とは思えないほど辛辣である。
彼女には亡くなった父への思いがあるのだろうが、母には何も求めていないことに不穏さを感じる。
朝目覚めるとまた灰色で虚無で意地悪だと思うのだろうか。
王子さまのいないシンデレラ姫だと言うのは辛い。
儚さが絵に現れている。
色も柔らかく、溶けていきそうだ。
そっと箱を開ける手は、何かを期待しているのに…。
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ネタバレ教科書にも載ってあるとても有名な作品をまだ
読んでないことに気付き、急いで買いました。
「走れメロス」をまだ読んでいなかったとは、かなり自分でも意外でした。冒頭の有名なフレーズが「メロスは激怒した。」から始まるのですが、妹の結婚式のために、3日間のあいだ、竹馬の友であるセリヌンティウスを人質にささげ、ひたすら
走り続けるメロス、その疾走感と、セリヌンティウスとメロスの友情にも注目してほしい。
今回一番私の中で、心に響いた作品が、「富嶽百景」で、太宰治が、山梨県にある御坂峠の茶屋にて、執筆活動中の出来事を描いているのですが、その茶屋で出会う人々との交流がとても微笑ましくて、闇の太宰治がここで払拭されている印象がありました。最初富士山の形があまり気に入らないようなことが描いてあったのですが、その風景に触れていって、太宰の中で何か変わったのか、そこも注目ポイントです。茶屋の娘との交流がとても良かったです。