阿部公彦のレビュー一覧
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文章は「形」から読む。これは、文章を読む際に重要なのは、言葉そのものよりも、その「形」を見極める力であるという。
その文脈で、特徴的な形態を持つ
・学習指導要領
・料理本
・広告
・断片
・注意書き
・挨拶
・契約書
・小説
・詩
に登場する各ことばの「形」に注目し、そこからことばの働き方を見渡すことをめざしている。
形が重要となるのは、なにも小説や詩だけではなく、あらゆる文章で形は重要意味を持つ。
文は「既存の形式に縛られることばの領域」と「形式をつねに更新することが求められることばの領域」という区分する必要があり、前者は役所の文書などフォーマットが明確に定まっているものがあてはまる。
後者の筆頭は文学作品だが、手紙や挨拶、エッセイや解説なども含まれる。
何気に読んでいる文章も、そう言われれば「形」があることに気づく。それは法則と言っても良いのかもしれない。
緩い法則の分野はあるとしても、これを知らないと、良い文章が書けないのだろうな。 -
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事務という身近なテーマに興味を惹かれた。
文学作品や作家に焦点を当て、事務との関係性を章立てしながら説く。
文学という一見事務のような形式的で冷たい印象からかけ離れた題材にも、事務らしさから発せられる魅力を垣間見ることができる、事務の深淵さに触れたような心持ちになる。
「注意の規範」というキーワードが提示される。事務は矮小化された部分への注意によって成立する。その徹底により成り立つ作品もあれば、そこからの逸脱が表現される作品もある。事務という基点から考察する作品の魅力に気付かされ、まだ未読なものがほぼだが早速読んでみたいという気持ちになった。
個人的には第4章「ガリヴァー旅行記」の情報処理能力でのあくまで事実をして捉える観察眼、それを通して表現される事務的な冷淡さにおける違和感の考察。と、第11章 事務に敗れた三島由紀夫の豪胆な行動の裏にある時間へのこだわり、父梓との対比。この2章が特に面白く読めた。 -
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ネタバレ今から3年前2019年、当時の首相による日本学術会議の会員任命拒否問題は、政府による自由・学術・教育に対する介入であると大変な危機感をつのらせることになった出来事でしたが、自分の周りでこの件について同じようなことを考えていたり意見を交換したりということがあったのは、小学校教員である友人ただ一人との間でした。
そこにあるものの不穏さを感じ取った人が自分の周りにはあまりにも少なかった、と思います。
それから現在までを振り返ってみるとたった3年の間に自由というものがとても堅苦しく緊張の伴うものになってしまっており今なお進行形であると感じます。
気づいたら周りから固められてて自分は奇特な意見を述べる少数派になってる…という状況がたまに起きるようになり、うかうかと思ってることを言いづらくなりました。(例えばマイナンバーカードを持つことについてとか…)
組織の中でできる活動として、教育に関するおかしな介入や締め付けに抵抗している友人の姿を目の当たりにすると、自分も黙っていてはいけないと思うものの一個人でどんな風に「おかしいぞ!」とか「ふざけたことしてんじゃないよ」と世の中に問えばいいのか、問えるのかと無力感が正直あります。
大きな声を発することができなくても、周りがみんな朱くなっても自分が白だと思ったら白という意見を曲げない強さをせめて維持し続けたいと思います。
本書は、これからまた数年過ぎたところから本書が著された当時を振り返る、そしてその時の現実・現状を見直すという、考え続けるための一つの標となる一冊だと思います。
編集部によるあとがきにも勇気をもらいました。今後もこのような良書を出版し続けてほしいです。 -
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一部ネットで嫌われてそうな論客たちからのメッセージ集。みなさん、日本から少しずつ自由が奪われていると危惧している。
ある一面の行動・発言が切り取られて批判されることが多い方々だが、その考えに直に触れると、国の在り方や自由について真剣に考えているのが分かる。
例えば表現の不自由展に携わった津田大介氏。近年、アートの世界では政権の意向に沿った展示しかできなくなってきたと言う。意向に反せば、補助金が下りないなど不自由を強いられるそうだ。
詳しく知らないが、おそらく、この展示は慰安婦像などを展示するのが目的ではなく、賛否両論のものを公の場で示すこと自体が目的だったのではないか。こうした国の動きに対する挑戦というか。
個人的には反日思想の展示など不愉快だし、する必要はないと思うが、一方で表現に規制がかかる危うさには怖さを感じる。こうした規制を許せば今後、反日的なものでなくとも、政府や権力者が、言論や表現に制約をかけられる世界になっていくわけだから。
アートの世界だけでなく、科学技術なども国の意向に沿わなければ補助金がなくなり、活動できなくなってしまう模様だ。それは果たして国民にとって健全な、豊かなことなのだろうか。賛否両論のものに対して全員が自由に発言できる世界、何事にも反対意見を出して議論できる社会、多面的に物事を考えられる世の中、そうしたものを守らなければ。などと思いました。 -
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大学入試改革で「論理国語」と「文学国語」を分けていることから、文学は論理的ではないと国や経済界は思っているのではないかと感じる。
しかし、文学(小説)を解するためには徹底的に論理的に読む必要があり、文学に論理性がないとは到底いえない。また論理国語とされる試験問題からは、文章の意味は一義的に定まるという考えが読み取れるが、そもそも人間の用いる「ことば」というものは複雑で、文脈や時代の情勢を織り込まないことには意味が正確に取れず、また受け手側のスタンスによっても意味の取り方が変化しうる。
そのため、文学を取り出して囲い込むことは幾重にも間違った政策判断であるように思える。
以上が本書を読んだ感想である。 -
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芥川賞や直木賞なんて世界の文学賞のうちに入るのだろうか?日本の作家が書いた日本語の小説しか対象になっていないのに。なんてことを思ったけれども、読んでみました。今年も話題になっているのは、もちろんノーベル文学賞。村上春樹さんがとるかどうか、メディアで騒がれました。この本を読むとわかるのですが、その根拠になっているのがカフカ賞。この賞をとった人が二人、ノーベル文学賞をダブル受賞しているんだそうで、まだ受賞してないのが村上春樹なんだそうです。カフカ賞はチェコ語の翻訳が一冊は出ていないと受賞できないそうで、村上春樹がとった2006年は『海辺のカフカ』が翻訳された年。タイトルがよかった?
そのノーベル文学賞。世界的に開かれているような気しますが、実はヨーロッパの主要言語しか読めない人が選考委員なので、そうした言語で書くか翻訳版が優秀であること、北欧諸国出身だとさらに有利、とのこと。タイトル関連でいうなら『ノルウェイの森』に分がありそうなものだが、どうなっているんでしょう。それはさておき、8大文学賞として取り上げているのは次の賞です(開始年)。ちなみに、受賞対象が作品になっているのが、*のついている賞で、何もついていないのが、作家に与えられる賞です。<>内が本書で取り上げている作家名。
ノーベル文学賞(1901年)<アリス・マンロー、オルハン・パムク、V.S.ナイポール>
ゴンクール賞(1903年)*<マルグリット・デュラス、ミシェル・ウェルベック、パトリック・モディアノ>
ピュリツアー賞(1918年)<ジュンパ・ラヒリ、スティーヴン・ミルハウザー、E・P・ジョーンズ>
芥川賞(1935年)*<黒田夏子、小野正嗣、目取真俊>
直木賞(1935年)*<東山彰良、船戸与一、車谷長吉>
エルサレム賞(1963年)<J・M・クッツェー、イアン・マキューアン、イスマイル・カダレ>
ブッカー賞(1968年)*<ジョン・バンヴィル、マーガレット・アトウッド、ヒラリー・マンテル>
カフカ賞(2001年)<フィリップ・ロス、閻連科、エドュアルド・メンドサ>
この本は、都甲幸治さんを中心に、「小説家や書評家、翻訳家など本にまつわる様々な職業の人々に、一つの賞につき一冊ずつ、合計二四冊読んでもらい、全てを読んだ上、鼎談の形で論じてみたもの」。談話形式なので、口調がくだけていてとても読みやすい。鼎談の間には、都甲さんと、僕が翻訳本を選ぶ時の目安にしている翻訳家のひとりの藤井光さんのコラムもある。外国文学って、よく分からないけど、どんな本があるのだろうと考えている人には役に立ちそう。
で、はなから外国文学好きの人たちには、もっと面白いんじゃないかな。というのも、それぞれの賞の特徴についてふれたあと、その賞の受賞者たちの小説について三人が語るんだけれど、選ばれている作家の顔ぶれが、いいんです。今までにたくさんの人が受賞しているはずだけれど、この人たちを選んでくるあたりがすごいな。本当に本のことがよく分かっていて好きなんだなあ、と思います。
それぞれの賞につけたタイトルが、その賞の特徴を表していると思うので、下手に解説するより、それを紹介します(日本の賞は省略)。「これを獲ったら世界一?」(ノーベル賞)、「当たり作品の宝庫」(ブッカー賞)、「写真のように本を読む」(ゴンクール賞)、「アメリカとは何かを考える」(ピュリツアー賞)、「チェコの地元賞から世界の賞へ」(カフカ賞)、「理解するということについて」(エルサレム賞)。
今年ノーベル文学賞の受賞者に選ばれたボブ・ディランから音沙汰がないので、財団はさぞ気を揉んでいることだろうと思います。それもこれも、この賞の選考基準としていちばん全面に押し出しているのが「人類にとっての理想を目指す、世界でも傑出した文学者」というものだからです。「最近の受賞者の傾向を考えると、どうやらこの「人類にとっての理想」というのは、「人権擁護」や「国内で迫害されている人を描く」という意味」らしい。で、ボブ・ディランなわけです。そんなノーベル文学賞ですが、都甲さんがこう言っています。
今回紹介する三人はある意味「間違って獲っちゃった」人たちです(笑)。マンローはカナダのド田舎に住んでる普通のおばさんだし、パムクは『無垢の博物館』(早川書房、全二巻)のように変態的な話を面白く書く人だし、ナイポールはそもそもどの国の作家だと言いきれない。ノーベル文学賞を獲った立派な国民文学作家について国別対抗で語り合うんじゃなくて、「ノーベル文学賞獲ったにも関わらず、別の理由でいい作家です」という人たちを紹介したいです。
すべてにおいてこの調子。マンローもパムクもナイポールも、けっこう読んでいるので、都甲さんの言いたいことはよく分かる。特にマンローはすごい。「短篇一本を読んだだけで、長篇を一冊読み切ったくらいの気持ちにさせてくれる」(都甲)という評がすべてを語ってくれています。本当にその通り。パムクについて訳者の宮下遼さんがいう「それだけで短篇、中篇になりそうな話を、一つの長篇のなかに惜しげもなくいくつも投入していく気前のよさが、僕は好きです。こんなに西欧風な人間のくせに、そこだけトルコ的な御大気質を感じてしまって。ディテールの作り込まれた奇想こそが、物語の要諦だと思います」というのもまさにその通り。
この調子で紹介していると引用だらけになりそうなので、このへんでやめますが、ブッカー賞のところで、ジョン・バンヴィルの文章についていい話があります。毎日九時から一八時までオフィスで執筆に専念し、一日英語で二百語書けたらその日は成功だというのです。「バンヴィルはベンジャミン・ブラックという別名でミステリーも書いていますが、その時はパソコンを使って書くそうです。そのときは筆が速いらしい。バンヴィル名義は手書きで、極端に遅くなる」(都甲)。このこだわりがあの美しい文章を生むのですね。ブラック名義でチャンドラーの名作の続編を書いた『黒い瞳のブロンド』。チャンドラーには及びもつかないけど、ミステリとしてはけっこういけますよ。 -
Posted by ブクログ
学習指導要領、コロナ予防接種の注意点、広告、賃貸契約書などの文書の特徴を詳細に分析し、その分析をもとに文学作品(「坊ちゃん」「渋江抽斎」「卍」「蹴りたい背中」など)を解剖していく。
本としてもはじめはとても面白く、学習指導要領から読み取れるお役所気質(「議論するつもりはないのです。文句など言われたくない。ただ従ってもらいたい。だから弱腰になるような態度はとりたくない。」P29)は、その通りだなと膝を打った。
が、文学でない文章の分析があまりに続くと飽きてしまう自分がいる。なるほどと思いはするが、文学の文章のように面白くないし、分析すること自体に喜びがない。その特徴や性質を掴み、それを文学作品にも応用してみるっていうのは納得だし、各章の末尾にまとめもある親切設計なのだが。だんだんと文学だけでいいじゃないかと思えてくる。
これが大学の講義で一章一コマで週に一度やってくれたら、とても楽しいと思う。講義を心待ちにするだろう。しかしずっと読んでるとだんだん飽きてくるのよね。まあ、それほど文学作品の文章は深くて面白く、分析のしがいがあるってことはよくわかった。それに著者が講義してる東大に入るのは無理だろうから、本で読めるのはありがたいとも言えるね。
紹介されている作品は読んでいるものが多かったが、『渋江抽斎』は挫折していた。これを読んでもう一度チャレンジしたいと思ったので、読んで良かった。