芥川賞や直木賞なんて世界の文学賞のうちに入るのだろうか?日本の作家が書いた日本語の小説しか対象になっていないのに。なんてことを思ったけれども、読んでみました。今年も話題になっているのは、もちろんノーベル文学賞。村上春樹さんがとるかどうか、メディアで騒がれました。この本を読むとわかるのですが、その根拠になっているのがカフカ賞。この賞をとった人が二人、ノーベル文学賞をダブル受賞しているんだそうで、まだ受賞してないのが村上春樹なんだそうです。カフカ賞はチェコ語の翻訳が一冊は出ていないと受賞できないそうで、村上春樹がとった2006年は『海辺のカフカ』が翻訳された年。タイトルがよかった?
そのノーベル文学賞。世界的に開かれているような気しますが、実はヨーロッパの主要言語しか読めない人が選考委員なので、そうした言語で書くか翻訳版が優秀であること、北欧諸国出身だとさらに有利、とのこと。タイトル関連でいうなら『ノルウェイの森』に分がありそうなものだが、どうなっているんでしょう。それはさておき、8大文学賞として取り上げているのは次の賞です(開始年)。ちなみに、受賞対象が作品になっているのが、*のついている賞で、何もついていないのが、作家に与えられる賞です。<>内が本書で取り上げている作家名。
ノーベル文学賞(1901年)<アリス・マンロー、オルハン・パムク、V.S.ナイポール>
ゴンクール賞(1903年)*<マルグリット・デュラス、ミシェル・ウェルベック、パトリック・モディアノ>
ピュリツアー賞(1918年)<ジュンパ・ラヒリ、スティーヴン・ミルハウザー、E・P・ジョーンズ>
芥川賞(1935年)*<黒田夏子、小野正嗣、目取真俊>
直木賞(1935年)*<東山彰良、船戸与一、車谷長吉>
エルサレム賞(1963年)<J・M・クッツェー、イアン・マキューアン、イスマイル・カダレ>
ブッカー賞(1968年)*<ジョン・バンヴィル、マーガレット・アトウッド、ヒラリー・マンテル>
カフカ賞(2001年)<フィリップ・ロス、閻連科、エドュアルド・メンドサ>
この本は、都甲幸治さんを中心に、「小説家や書評家、翻訳家など本にまつわる様々な職業の人々に、一つの賞につき一冊ずつ、合計二四冊読んでもらい、全てを読んだ上、鼎談の形で論じてみたもの」。談話形式なので、口調がくだけていてとても読みやすい。鼎談の間には、都甲さんと、僕が翻訳本を選ぶ時の目安にしている翻訳家のひとりの藤井光さんのコラムもある。外国文学って、よく分からないけど、どんな本があるのだろうと考えている人には役に立ちそう。
で、はなから外国文学好きの人たちには、もっと面白いんじゃないかな。というのも、それぞれの賞の特徴についてふれたあと、その賞の受賞者たちの小説について三人が語るんだけれど、選ばれている作家の顔ぶれが、いいんです。今までにたくさんの人が受賞しているはずだけれど、この人たちを選んでくるあたりがすごいな。本当に本のことがよく分かっていて好きなんだなあ、と思います。
それぞれの賞につけたタイトルが、その賞の特徴を表していると思うので、下手に解説するより、それを紹介します(日本の賞は省略)。「これを獲ったら世界一?」(ノーベル賞)、「当たり作品の宝庫」(ブッカー賞)、「写真のように本を読む」(ゴンクール賞)、「アメリカとは何かを考える」(ピュリツアー賞)、「チェコの地元賞から世界の賞へ」(カフカ賞)、「理解するということについて」(エルサレム賞)。
今年ノーベル文学賞の受賞者に選ばれたボブ・ディランから音沙汰がないので、財団はさぞ気を揉んでいることだろうと思います。それもこれも、この賞の選考基準としていちばん全面に押し出しているのが「人類にとっての理想を目指す、世界でも傑出した文学者」というものだからです。「最近の受賞者の傾向を考えると、どうやらこの「人類にとっての理想」というのは、「人権擁護」や「国内で迫害されている人を描く」という意味」らしい。で、ボブ・ディランなわけです。そんなノーベル文学賞ですが、都甲さんがこう言っています。
今回紹介する三人はある意味「間違って獲っちゃった」人たちです(笑)。マンローはカナダのド田舎に住んでる普通のおばさんだし、パムクは『無垢の博物館』(早川書房、全二巻)のように変態的な話を面白く書く人だし、ナイポールはそもそもどの国の作家だと言いきれない。ノーベル文学賞を獲った立派な国民文学作家について国別対抗で語り合うんじゃなくて、「ノーベル文学賞獲ったにも関わらず、別の理由でいい作家です」という人たちを紹介したいです。
すべてにおいてこの調子。マンローもパムクもナイポールも、けっこう読んでいるので、都甲さんの言いたいことはよく分かる。特にマンローはすごい。「短篇一本を読んだだけで、長篇を一冊読み切ったくらいの気持ちにさせてくれる」(都甲)という評がすべてを語ってくれています。本当にその通り。パムクについて訳者の宮下遼さんがいう「それだけで短篇、中篇になりそうな話を、一つの長篇のなかに惜しげもなくいくつも投入していく気前のよさが、僕は好きです。こんなに西欧風な人間のくせに、そこだけトルコ的な御大気質を感じてしまって。ディテールの作り込まれた奇想こそが、物語の要諦だと思います」というのもまさにその通り。
この調子で紹介していると引用だらけになりそうなので、このへんでやめますが、ブッカー賞のところで、ジョン・バンヴィルの文章についていい話があります。毎日九時から一八時までオフィスで執筆に専念し、一日英語で二百語書けたらその日は成功だというのです。「バンヴィルはベンジャミン・ブラックという別名でミステリーも書いていますが、その時はパソコンを使って書くそうです。そのときは筆が速いらしい。バンヴィル名義は手書きで、極端に遅くなる」(都甲)。このこだわりがあの美しい文章を生むのですね。ブラック名義でチャンドラーの名作の続編を書いた『黒い瞳のブロンド』。チャンドラーには及びもつかないけど、ミステリとしてはけっこういけますよ。