あらすじ
現代アフリカ文学の最前線を紹介する、新海外文学シリーズ《アフリカ文学の愉楽》創刊!
小社の海外文学路線を切り拓いた《世界幻想文学大系》、のちのブームを決定づけた《ラテンアメリカ文学叢書》の刊行開始から約半世紀。
これまで日本で語られることの少なかった20世紀後半から現代までの芳醇なアフリカ文学の世界を本格的に紹介すべく、そして遠く離れた日本の読者が抱くアフリカへの印象をより豊かなものとすべく、《アフリカ文学の愉楽》が刊行開始!
第1回配本は、現代アフリカ文学随一のヒップスター、コンゴ共和国出身のアラン・マバンクによる代表作!
コンゴ共和国の港湾都市ポワント=ノワールの下町にあるバー"ツケ払いお断り"。
バーの主人《頑固なカタツムリ》からの依頼で、《割れたグラス》はバーとその常連客たちとの日々を思いのまま1冊のノートに書き留めていくことになる。
何枚ものオムツを穿いた《パンパース男》、フランスかぶれの寝取られ《印刷屋》、誰よりも長く放尿できると豪語する《蛇口女》など、いずれ劣らぬ酔客たちの奇怪な逸話が次々とノートに綴られていく。
やがて、《割れたグラス》は自身についても書きはじめるのだが……。
作家としてはじめてコレージュ・ド・フランスの招聘教授に着任、また国際ブッカー賞の選考委員を務めるなど、現代アフリカ文学の最重要作家のひとりとして活躍の場を世界的なものへと広げている、アラン・マバンクが放つ驚異の傑作がいまここに!
フランコフォニー五大陸賞をはじめ数々の文学賞を受賞、ルノドー賞最終候補作にして、英国ガーディアン紙が選ぶ「21世紀の100冊」にも選出された、酔いどれたちのめくるめく狂想曲!
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
アフリカ文学が6冊邦訳され飛びついた。コンゴ(共和国の方)のマバンクの小説は、不思議な味わい。句点が1つもない文章は特徴的で、170冊以上あるという文学作品のタイトル等をちりばめたのは、知っていればニヤリとしてしまうが実験小説風ではない。登場人物が語る話は、割れたグラス(ノートの書き手)の手によって奇妙な語り口で記録され、いろんな小話に引き込まれる。なんか面白くて離れがたい雰囲気がある。後半では「ツケ払いお断り」という名前のバーに入り浸る割れたグラスがとうとう自らの人生を語り始めるという話。独特の味わいで気に入った。6回の配本、全部読み切りたい。
Posted by ブクログ
20年前のコンゴ共和国(本作発表は2005年)
港町ポワントノワール(←実在する)のバー「ツケ払いお断り」が舞台。主人公《割れたグラス》はバーとその常連客たちとの日々をノートに書き留めていく。
本作は誰も本名ではなくバーの主人も仮の名前《頑固なカタツムリ》と呼ばれ、バーの客たち、《パンパース男》、《印刷屋》、《蛇口女》そして主人公《割れたグラス》の人生が綴られていく。
例えば、法がないの?というぐらい人が言ったことだけで牢屋行きになって人生詰んでしまうという現代日本からすると異界の出来事のような内容。
人口の多数がキリスト教だそうですが呪術も混じって土着的なものを感じました。紙面下の注釈がないと読み通せなかったなぁ。ありがたかった…。
《パンパース男》と《蛇口女》が強烈でした。特に《蛇口女》…尿をどれだけ長い時間出し続けられるかを男性と競争する、という私にはちょっと意味が分からない競争、そして意味が分からない結末でした。
冒頭で各地の名言を調べてはNGを出しているシーンがありましたが、フレデリック・ダール(サン・アントニオ)の有名なフレーズ「兄弟はハゲたときに打て」(P27)はどんなときに使えばいいんでしょうね。
Posted by ブクログ
酔っぱらいが書き記したという体裁の、酔っぱらった文章、自分も酔っぱらいながら読んだけど、おもしろい!
句点が一つもなくすべて読点で続いていく文体、膨大な先行作品の引用は慣れるまでは戸惑うが、いつの間にか酔っぱらいの饒舌な語りのようなスピード感を爽快にすら感じていました。
初めての感じだなあ。
Posted by ブクログ
酒場の常連が酔っ払いの話などをノートに書き留めた、という体のアフリカ文学の小説。
非常に衒学的、かつアフリカ的な作品だが、「アフリカ的」な文学とは、アフリカ的猥雑さ(呪術的、部族的)と、西欧との搾取の関係性、反発と依存が混ざりあったものだと思う。
男が酒場で語りたがるのは大体が愚痴と決まっており、プライベートなものである。この小説は男たちの哀歌がテーマなのだ。そんな男たちの悲しくも滑稽なさまを前述の衒学的な部分とアフリカ文学的なもので味付けしている作品だ。
Posted by ブクログ
コンゴ共和国(元フランス領。元ベルギー領はコンゴ民主共和国)の湾岸都市ポワント=ノワールの中でも下町トロワ=サン地区のバー「ツケ払いお断り」で、常連客の一人<割れたグラス>は、経営者<頑固なカタツムリ>から頼み込まれてバーのこと、バーの常連客のことをノートに書いている。
「ツケ払いお断り」は、開店時に不道徳としてカトリック団体から反対運動がおきたくらいだ。<頑固なカタツムリ>は断固として店を続け、ついには大臣も口を挟む騒動となった。
そのときのスピーチが有名になり、嫉妬した大統領が「自分のためにそれ以上の名言を考えろ!」と知識人、官僚たちを招集した。だがそれらを片っ端から「ダメだ、次!」とぶった切ってゆく!
この小説では、小説の題名やセリフ、歴史上の人物の言動を元にして、言葉遊びだとか例え話をしまくってはおちょくってる感じ。大臣と大統領の「名言」も元ネタはあるのにいかに自分だけのスピーチにするかといじくり回す。
これは…原語では皮肉なニュアンスなんだろうか?
<パンパース男>
なあ、俺は女房も子供たちもちゃんと養っていたんだぜ、それなのに女房は胡散臭い宗教集団に通って、子供の一人は俺の子じゃねえかもしれねえ、だからいつもの娼婦のところに行ったら家を追い出され、そのうえ女房から事実無根の暴力亭主、特に娘に手を出す下衆亭主と言いふらされて逮捕、投獄されたんだ
ノート登場最初の常連客はいまではオムツの重ね履きをしなければいけなくなった男。
娘に手を出す(濡れ衣)男が刑務所でどうなるかは…
2年後釈放された今、オムツの重ね履きをしないと行けない下半身になってしまいましたとさ。
ええ、さらっと言ってるけどなかなかきつい描写だ…
<印刷屋>
俺はこのバーの客で一番面白い男なんだよ、だって「フランス行き」をやったんだからな、本物のフランスを知っているんだぜ、そこで白人女と結婚してたが、白人女ってのは信じるもんじゃないね
お次はパリの印刷工場でそれなりの地位についていたらしい男。
黒人が集まるようなバーにいたセリーヌという女性に声をかける。二人はダンスも、性行為も相性抜群。それまでは女とは一晩限りだった男はセリーヌと結婚して子供も生まれて幸せに暮らしていた。やがて男が学生時代に生ませた息子を引き取ることになった。だが長男は、フランスの白人社会におもねる父親を裏切り者呼ばわりして殴りかかってくる。そしてセリーヌを「黒人の男と浮気してる尻軽女」だなんて罵る。
たまらなくなった男がセリーヌを見張ると…
<蛇口女>
ちょっとそこのあんた、私より小便が長く出せたらいつだってどこでだってタダでヤらせてやるよ、
次に出てきたのは信じがたいほど大量に酒を飲み、バーの裏道で性器丸出しで信じがたいほど長く大量に放尿する女。
ある晩ひょろっとした自称優雅な暮らしをしている男に勝負を挑んで…。
ここまで出てきた常連客は、みんな「敗れた者」。
みんな相当不品行で不潔で不道徳な生活をしているはずなんだが、文章のせいかあんまり汚らしい感じがしないんだよなあ。。どのように読めばいいんだろう。
<割れたグラス>のノートは続く。
呪物師ムイエケは、通り過ぎても気が付かないような男で、詐欺を働いたとして刑務所に入れられていた。彼は「キリストの奇跡より俺が行う奇跡のほうが説明がつく」と言って、自分の裁判でも判事に金持ちにしてあげますよ、などと持ちかけていた。
串焼き肉屋台のママ・ムフォア、通称<禿の女歌手>は、天国に席が予約されてるような人間だ。
そして<割れたグラス>は自分の話をする。
彼は今では65歳の飲んだくれ。「ツケ払いお断り」に入り浸り、マンゴーの木の下で寝て、そこに排泄して、語りかける。
だが彼の書くノートは、文学、音楽、政治、世界に散った黒人有名人のことをひねりを入れる。それだけの知識はあるのだ。
彼は昔教師をしていた。だがその頃から酒、酒、酒。酔っ払って教室でとんでもないことをしでかしていた。元妻のアンジェリック(天使)、いやあいつのことはディアボリック(悪魔)と呼ぼう、は俺が飲んで庭のマンゴーでクソまみれで寝るたんびに俺に説教したが聞きゃあしなかった、ついにはディアボリックの家族が押し寄せて俺を<間違いゼロ>っていう呪物師、いや、大詐欺師のところに連れて行ったから俺は「この資本主義者、退けサタンよ」と言い続けていたらここからも追い出された
ディアボリックは俺が酒を飲むのは母親が小さな川に沈んだからだっていうんだがそうじゃねえ、俺は母が夜中に川に向かったよりも前から酒を飲んでたんだ、母は父に会えるとでも思ったのか、川はこんな体はいらないって魂だけもってったんだ
俺の教室の態度が問題になり、学校は僻地の学校に赴任を通告してきた、いやなら首にするってことだ、いやだいやだいやだと俺は言った、そしたら兵士が学校にやってきて俺を追い出した
トロワ=サン地区はかなり不潔な地域のようだがそれでも一応は都会。<割れたグラス>には人々から、酒から切り離されて田舎になんか行けないんですね。
それからは「ツケ払いお断り」に入り浸り<頑固なカタツムリ>と親交を結び、屋外で寝るような日々。
だが<頑固なカタツムリ>はそんな垂れ流し飲んだくれ老人に、文学への未練を感じた。そこでこのノートを依頼したのだ。
「この世はクソだ」といいながら、都会への未練、文学への未練を持ち、マンゴーの木とバーの店主だけを友達として、嘘か本当かわからない話を書き連ねてゆく。
酔っ払いにしては文学的で、汚い描写のはずなのにそんなに匂い立つ不潔さもなく…
私は彼のように「生まれ故郷以外は知らないわけじゃない、本で世界をめぐったんだ」という出不精本好きなんですがこんな文章は書けないな(-_-;)
<もっともこの神の十戒などいまでは誰も気に留めてはない、セックスがどこでも簡単に買えるこんな世界なら、貞節がもはや意味をなさない世界なら、羨望や僻みばかりの世界なら、聖書に「汝殺すなかれ」としっかり書かれているのに電気椅子で人が殺されるような世界なら、神の十戒をしっかり守り続けて人生を送るよりも、それを踏みにじるほうに興奮を覚えてしまう、(P128)>
<人生なんて自分でいくつも創作できるし、自分自身がこのクソみたいな世界という偉大な書物の登場人物に過ぎないと思っているはずだ、お前は作家だ、そう思うし、そう感じる、だからお前は酒を飲むんだ、(P212)>
<お前の中にある情熱を見せてくれ、爆発しろ、嘔吐しろ、唾を吐け、咳をしろ、射精しろ、(P212)>
<この市場(バザール)こそ人生だ、俺の穴蔵に入ってみろ、埃やゴミだらけだ、それこそ俺が考える人生だ、お前らのフィクションは、他の能無したちを万造させるための能無しの草案だ、おまえ等の本の登場人物は俺達がどうやって日々のパン代を稼いでいるかなんて理解できないだろう、それは文学じゃなくて頭の中のマスターベーションなんだよ、体をこすり合うロバたちみたいにうちわだけで理解し合っているにすぎないんだよ、(P215〜)>
Posted by ブクログ
ジャケ買いしたくなるような、印象的な装丁。
現代アフリカ文学の最前線を紹介するシリーズが刊行された。その第1回配本が本書。
著者のアラン・マバンクは、コンゴの出身… と聞いても、地名は聞いたことがあって、はて、どこだっけ? となる。今、コンゴという国はコンゴ川をはさんで2つある。あぁ、かつてのザイールか?! と、とにかくアフリカ大陸の現状について、己の無知蒙昧を恥じることになる。
まずは、コンゴがどういう歴史を辿り、今は南の旧ベルギー領のコンゴがあり、戦争と疫病で近年話題だなと認識、それに対して本書の著者マバンクの出身は旧フランス領の小さいほうのコンゴだ。川を挟んで、船で20分の対岸の国どおしだが、旧宗主国による違いがあることが、本書で垣間見ることが出来る。
「ツケ払いお断り」という名の酒場に集まる人たちを、常連客である「割れたグラス」が描き出すという建付け。このバーは港町の売春街の一角にある。トロワ=サンという著者の生まれ故郷でもある地名も売春街ゆえの所縁のある地名ということが、脚注に小さく語られている。怪しい店だが、語り手も客も赤ワインをボトルで飲んで酔っ払う。主な飲み物がワインというのも、アフリカらしからぬが、フィクションではなく事実なのだろう。少なくとも本書によるとコンゴ、―小さいほう― は、そういう場所だ。
とにかく、読みにくい。文体、というか体裁が、句点がなく文章がずっとつならなっている。日本語だから、かろうじて、~です、~ますといった語尾を締めくくる言葉で、そこで文が切れていることが分かるが、気を抜いていると、一文かのごとく読んでしまう。
あとがきで訳者が記している。
「句点(ピリオド)がひとつもなく、数え切れないほどの文学作品のタイトルが引用符なしで散りばめられており、形式的には実験的と言える作品」と。
酒場で愚痴るのは、洋の東西を問わず、アフリカでも男のようだ。女にひどい目に合わされて、この酒場に流れ着く。落ちぶれ、救いようのない話が、これでもかと散りばめられる。ただ、上記、あとがきにあるように、世界の文学作品の引用や言及が差し挟まれることで、どことなく惨めというだけでなく、読ませてしまう不思議さがあった。
男か見た女は悪女ばかりだが、アフリカは、まだ正直にミソジニー(女性嫌悪)を声高に主張できる風土なのかもしれないなとも思って読んだ。実際は、男が情けない。それだけだろう。
本書、および、このシリーズは、またアフリカを真剣に知りたいと思った時に、改めて戻って来ることにしよう。