稲垣えみ子のレビュー一覧
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大人の学び直しのため、参考になればと思って読んだ。幼少の頃、ピアノの経験があったため、内容自体は期待するほどではなかったけど、訳者の稲垣えみ子さんのあとがきの内容には、とても勇気づけられた。
練習してもなかなか思ったように指は動かず、一つの曲を仕上げるのに、どれだけ時間がかかることか。さらに、満足な仕上がりではないし、今更、どれだけ頑張っても上達を見込むのには限界があるし。わたしはどこへ向かっているのかしら。と考えるようになっていたから。
「ただ弾くことが好き。」だからで、いいのだ。やるからにはそこに意義を見つけようとしていたけど、そんなことは今更必要ないんだと気づかせてくれ、そして、純粋に楽しもうと思えるようになった。
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Posted by ブクログ
何かを手に入れることは、何かを失うこと。
「あれば便利」は、いつの間にか「あって当たり前」になる。
生きていくために必要なものはほんのわずかしかない。
奪い合えば足りない、分け合えば余る。
この世の中に「役に立たないもの」なんて一つもない。
生きるって、面倒くさい。
「これなしでは生きていけない」と思っていたものが、実は、なくたって生きていける。
それどころか、何かを手放すことは、実は何かを失うことではなかった。
私はちゃんと掃除ができる。しかも楽しく掃除ができる。きれいな部屋で過ごすことができる。
「手に入れること」ではなく、「手放すこと」で、何もないと思い込んでいた暮らしの中に、思いもよらぬ資源が隠れていたことを知ったのです。
自分の目で見て、自分の頭で考えて、自分の手足でやってみるということ。
もしかしたら、今の暮らしは「不便」と呼んでいるのではなく、「便利って死ぬ」ことだったのかもしれない。
そして、これを個人の側から見ると、冷蔵庫という存在は「生きていくこと」の本質を見えなくしてしまったのではないだろうか。
「生きていく」とは「生きていく」ことである。
つまり、食べていくさえできれば何はともあれ生きていくことができる。
街全体が我が家という考え方
狭いなら大きな我が家で暮らせばいい。
高い家賃を払わなくても十分にリッチな生活ができる。
友達が増える。
自分で抱え込まず、シェアすることで、モノを通じて人とつながることができる。
自分さえよければいいのだという際限のない競争社会から抜け出すことができる。 -
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実在の店について語られているから、ガイドブックにもなっています。
書き手28名の中には物書きが本職の人もそうではない人も。中にはちょっと鼻につくなぁって感じであまり好きになれない人もいるけれど、総じて楽しい。
余談ですが、数日前に『仮面ライダーゼッツ』でイカつ過ぎるミムラを見たばかりだったので、書き手の中に彼女の名前を見つけたときには笑ってしまった。ごめんなさい。
私は大の酒好きゆえ、ついお酒の章に目が行きつつも、酒だけじゃアカン、美味しいものも食べたい。ほかの章との合わせ技で存分に楽しませてもらいました。
コロナ下でアルコールの提供禁止になったとき、ノンアルコールの一人呑みじゃやっぱり酔えんのよと思いながらも、おかげで読書が捗ったことを思い出します。 -
Posted by ブクログ
2026.02.28
稲垣さんの著書は何冊も読ませていただいたが、ピアノというか楽器にいっさいの興味がないので、う?うーん、あ、そうなんだ…というかんじで、曲も作曲家もよくわからず、終始ピンとこなかった本だった。
でもこの情熱、スゴイな!とは思った。
最後の締めくくりの78歳のピアニストの演奏を聴いてからの、私はどこに行きたいのだろう?どこにも行かずに1小節でも1音でも自分が納得行くまで「ああ、美しいな」と思えるように音を奏でるだけで良いではないか。それが練習ではないか、というところに妙に感動してしまった。
が、ストリートピアノやお店で即興で曲を弾けたらとってもカッコいいな!と思うけれど、自分にはそこまでの情熱はないな。。。
私も中年になって、仕事がなくなった(辞めた?)時にはこういう夢中になれる趣味を見つけたいなと思った。 -
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こんまりコンサルタントの方の動画を観て本書を知りました。
★家事を圧倒的に楽にするための稲垣流3原則
・便利に頼らない
・可能性を広げない
・分担をやめる
この本を読んで知った新しい考え方とは、
家事を増やしてしまっているのは家族ではなく、
もっと便利にしたい、もっと美味しいものを食べたい、
もっとお洒落な服を着たい、という
「欲望」と「可能性」を優先させてしまっている自分自身だ、ということでした。
とは言いながら、便利さはやっぱり求めてしまう自分がいて、
読書の後日にドラム式洗濯乾燥機を買ってしまったのでした。
ただ、本当の自分は、案外ちょこっとのことで満足できるし、
著者の言う通り、人様に自分の家事をやっていただく(クリーニング、銭湯に通う、揚げ物を買う etc)も、立派な家事力なんだ、と前より思うことができました。
要は、「自分の手に負える範囲の家事容量にしておきなさいよ」ということなのだと解釈しています。書籍の中にも書いてありましたが、「自分の手中に戻せ」というメッセージなのかな、と。
「これ欲しいな」と思った時に、「私は今、欲か、可能性を優先しているのか?」と冷静に立ち止まって、できるだけ振り回されずシンプルに行きたいと感じました。 -
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家事について書かれたエッセイを読むと家事に対して意欲的になれる、という自分の性質に気づいてからいろいろ読んでいるけど、これは家事とタイトルに付きながらも内容は家事を捨ててしまったような人のエッセイでした。
この方は高所得の仕事を50歳でリタイアして、収入に合わせて高級マンションから安アパートへ引っ越し、衣服やインテリアに留まらず家電を一切捨ててしまっていまや布巾一枚で家中掃除して、その布巾を最後にタライで洗っておしまいというような状態。それで「いまは家事には30分もかからないし、満ち足りている。これが幸せ」と仰っているのだけれど、なんとなく読んでいて「家事」という言葉に違和感。
そもそも家事が大変なのは一家に何人も家族が住んでいて、その全員が使ったものの後始末が大変なのであって、一人で暮らしているなら…もちろんひとりで暮らしたって部屋が散らかる人は散らかるし掃除も大変なんだろうけど、何かこの究極のライフスタイルに「家事力」という言葉を当てるのには違和感を感じます。