トルストイのレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
いやー長かった。今年の1月から読み始めて約4か月、文庫本にして3000ページ超えの大長編をようやく読み終えた。実は私、恥ずかしながら本作のことを小説であると思っていなくて、思想書か批評の類だと思っていた(だって普通『戦争と平和』なんて大仰なタイトル、小説につけないでしょ?)のだが、昨年ふとしたきっかけで小説であると認識。帯にある「世界文学の最高峰」との言葉に惹かれ、いつかは読もうとずっと思っていた次第だ。(実は最後まで読むと、最初のカンは一部当たっていたことが分かったんだけど)
1805年のロシア・ペテルブルクでの華やかな社交界の描写で幕を開けた本作。第一部・第一編では大体の主要登場人物が顔をだし、一癖も二癖もある登場人物たちのやり取りが今後の展開に期待を抱かせる。第二編ではナポレオンとロシアの最初の戦い(アウステルリッツの戦い)の様子が描かれるが、やはり戦場の描写は躍動感があって面白い。ところがタイミングの悪いことに、読んでいる途中にウクライナとロシアの間で戦争が…。ロシアにとっては侵略する側とされる側で立場が異なるとはいえ、登場人物はほぼロシア側なので、彼らへの感情移入は正直難しかった。ちなみにトルストイは本作を読む限り、戦争を含めた暴力に対しては総じて批判的なようだ。 -
Posted by ブクログ
イワン・イリイチの死、病床、介護や会話や苛立ちや自己嫌悪や父の言動やを思い出させた。どういう思いがあってトルストイはこれを書いたのだろう。
クロイツェル・ソナタ、男性に意見を聞いてみたい。
いいとか悪いとかではなく、そういうものなのかどうか知りたい。女性もか。大っぴらに話さない話題だし、女性は女性の、男性は男性の感覚で把握してるだろうからお互いそんなに違うと思っていないだろうから人によって違うくらいに思ってた(少なくとも自分は)。が、これを読んで、一般的な傾向なのか(一般的っておかしいのかもしれないが)、疑問に思った。世の中に性描写がある小説が多いのはそういう背景があるからなのか、、、?入れる意味がある?って思う本も結構あり、意味が理解できないのは何か理解できてないからなのか、、、?
以前に男性と女性は全く違う生き物で、ただ女性は男性を別種と思ってるくらいの違いだけど、男性からみた女性は異星人クラスの違いと読んだことがあったけど、どうなんだろうこの話、と思う。「そうそう」って思うのか、「そういう人もいるよね」なのか、「おはなし」と感じるのか。
それにしてもクロイツェル・ソナタって実在のベートーヴェンの曲だったのか。聴いてみよう。音楽に無知すぎて情けなくなる。
-
Posted by ブクログ
ネタバレ【感想】
人間が生きる意味はまさに、他者に尽くすことであるという一言に尽きる。
理屈では分かるものの、これが中々難しい。生命の法則が相互奉仕にあることも理解できる。だが、現実世界を生きるには絶えず闘争に打ち勝たねばならないという意識もある。ゲーム理論的には、お互いに協力し合うことが両者にとって最善なのだろうが、出し抜いた側はより一層恩恵を受けられる(欲を充足できる)。ここに、一人一人の人間が陥りがちな個人の幸福を願う動物的個我の問題点が発露する。
頭でまずは理性を自覚する、生命の至上命題を理解することが、社会が幸せになるための大きな一歩なのであろう。その方策として考えられるSDGsや社会起業家の出現等に鑑みれば、理性に従属する動物的個我の発現は今後大いに期待できるのではないだろうか。
【メモ】
何物も個人の幸福を追求するならば、それは死への絶え間ない接近にすぎない。故に真の意味での幸福はありえない(その場合、死によって全てが無に期すためである)。
この個人の幸福を追求する動物的個我を理性へと従属させること(生命活動そのものである愛の認知※愛とは特定の人に向けられるものではなく、自己の動物的個我よりも他の存在を好ましく思う感情)で①幸福を実現することができると同時に、②死の恐怖を克服する(死が存在しなくなる)ことにつながる。
①生命の法則は闘争ではなく、存在同士の相互奉仕。
②動物的個我による生存を重視する人は、生命とは身体と結び付いていると考えるため、身体の消失は生命の死であると感ずる。しかし、人の自我や世界との関係性は肉体の消失によって発生するものではないため、理性における生命に死は存在しない。(例:亡くなった方々の思い出や記憶が連綿と現在に引き継がれていること、生前よりも一層影響力をもつこと等) -
Posted by ブクログ
ナポレオンによる、ロシアへの侵攻の場面が語られている。宮廷貴族の状況、攻め込まれたロシア地域の状況、決戦地での戦闘の状況が、丁寧に描かれており、興味深く読み進められた。戦場の地図もあり、物語のイメージがわきやすい。
「戦争においてはどんなに深く考察された計画も何の意味も持たず、すべては不意の、予測不可能な敵の動きにどう対応するかにかかっており、戦闘の全体がいかに、誰によってリードされるかにかかっているのである」p86
「結果がどう転がろうが必ず「俺はすでにあの時に、こんなふうになると言ったんだ」という者たちが現れる」p215
「(略奪禁止命令)そうした案件はすべて火にくべたまえ。(味方が)麦を刈ろうが薪を燃やそうが、かまうんじゃない。私はそういう命令は出さんし、赦そうとも思わんが、賠償金を取ることはできん。そういうことは、なしでは済まないんだ」p366
「チェスの場合、ナイトは常にポーンより強いし、ポーンが2つなら1つよりも強いに決まっている。ところが戦争では1個大隊が1個師団よりも強力なこともあれば、また1個中隊よりも劣ることもある」p445
「お嬢様は仔牛が殺されるのを見ると気分が悪くなる。優しさのあまり血を見ることができないというわけだが、そのお嬢様が、同じ仔牛の肉にソースを付けておいしく召し上がるのだ」p451 -
Posted by ブクログ
モスクワへ移ったリョーヴィン夫妻。臨月を迎えたキティはみんなからあたたかく見守られながら幸せな気分で妊婦生活を満喫している。
一方のリョーヴィンはいよいよ自分が父親になるのだという重圧で押しつぶされそうになっており、いざ出産という段での慌てっぷり、狼狽ぶりはもはや喜劇のようでおかしかった。
キティの分娩がなかなか進まず何度もしつこく医者に進捗を確認しては、「もう終わります(もう産まれます)」という返事を「ご臨終です」という意味に勘違いする始末。
出産という偉業を成し遂げたキティを見て、歓喜の慟哭と滂沱の涙を流しキスをするリョーヴィンの姿はまさに愛そのもので、でもその後に息子と対峙して「子供は何かしら無駄なもの、過剰なものと思われ、長いこと子供の存在に慣れることができなかった」という感想を抱いているのは矛盾のように思えるけれど、父親になったばかりの男性とはこういうものなんだろうか。
ただここらへんのエピソードは、リョーヴィンという個人がアンナ・カレーニナという大作の中で、多元的で複雑な日常世界の思考の代表であることをいかにも象徴しているようだった。
生きるとは、死ぬとは、信仰心とは、愛とは、幸福とは。出来合いの解答のない人生の問題にぶつかっては悩み、考え抜く等身大の存在。
それに比べてアンナとヴロンスキーの不倫関係は破滅への一途をたどる。嫉妬心と猜疑心のかたまりになってしまったアンナはヴロンスキーの行動すべてに言いがかりをつけ、もちろん彼もそれに忌々しさを覚えあからさまに鬱陶しがる。決定的に心の通わなくなった二人の間には喧嘩が絶えず、あれほど燃え上がっていたはずの愛はいとも容易く憎しみに変わる。
彼は私のつらさを理解してくれない、私は寂しくて、私はただ愛されたいだけなのに、と嘆き続けるアンナの自己愛と被害者意識には読んでるこっちも辟易しちゃって、メンヘラ!と一刀両断したくなるね。アンナは別にヴロンスキーじゃなくたって、自分を愛してくれる誰かなら誰でも良かったんじゃないかな。
これまでずっと優雅で快活で聡明な美貌の女性としてみんなの憧れだった彼女が、こうやって激しく取り乱す様子が書かれて初めて、なんだかようやくアンナという一人の女性の人生に理解の及ぶ距離まで近づけたな、と思った。
結局カレーニンと離婚もできず、息子とも会えず、ヴロンスキーからは愛想をつかされ、苦しみに耐えられなくなったアンナが復讐の自殺を決意してからはあっという間で、鉄道車両が轟音とともに容赦なくやってきて彼女を暗闇へと永遠に消し去る。
田舎で堅実に農業をしてあたたかな家庭を築き、悩みつつも平凡な日常に幸福を見出して暮らすリョーヴィン。
華やかな社交界で劇的な出会いをして激しい不倫に走り、すべてを投げ捨てドラマチックに死んだアンナ。
とても対照的な人生、いったいどちらが幸せなんだろう?と頬杖ついて考えずにはいられない。
や、どう考えてもリョーヴィンなのは分かるけど、私は自分の中におそらくアンナが住み着いてることも認めざるを得ない。ドラマチックに生きたい、そしてドラマチックに死にたいという願望はどうしたって無視できないし、貫いて成し遂げたアンナを羨ましくさえ思う。このまま生きてたら鉄道自殺まっしぐらなので、ちょっとこれからの人生考え直さないといけないかもしれないなぁ。
あるいはリョーヴィンとアンナがくっついたら、という可能性もそれはそれで想像できなくて面白いかもね。
『家庭生活で何か新しいことを始めるためには、夫婦が完全に反目しあっているか、それともぴったりと和合しているか、いずれかの状況が必須である。夫婦の間がはっきりせず、反目とも和合ともつかない状態のときには、何事も始められない。』
という地の文では爆笑した。いや本当にその通り。
なんにせよ読み終えた…長かった…。これから先も続いていく読書人生の山場をまた一つ超えたような気がする。 -
Posted by ブクログ
読むぞー!と意気込んで全巻まとめて購入したのは何年前だったか、すっかり書棚の番人となっておりましたが、突然のこのタイミングで読み始めることにしました。
「幸せな家族はどれもみな似ているが、不幸な家族にはそれぞれの不幸の形がある。」という書き出しが与えるインパクトがいきなり鮮烈だ。
1870年代ロシアの貴族社会での愛憎劇で、うまく物語に入り込めるか少し不安だったけど全然問題なかった。徹底したリアリズムの小説なので、それこそ登場人物の全員に感情移入しながら読める。
猛烈な吹雪のなか汽車を降り、追いかけてきたヴロンスキーとアンナが再会、そこに生まれてしまう愛を確信するシーンのなんと美しいことか!今まで読んできた小説でもベスト3に入るほど美しく激しい描写だった。
禁断の愛に身を落としついには彼との子を孕んでしまったアンナ。その関係が夫にも完全にバレてしまいどうなることか。 -
Posted by ブクログ
いよいよ、ロシアがナポレオンとの戦争に突入する。
作者の歴史感を書き留めておきたい。
・人間の中には2面の生がある、その利害が抽象的であればあるほど自由が多くなる個人的な生と人間が予め定められた法則を必然的に果たしている不可抗力な群衆的な生である。
・人間は意識的には自分のために生きている。しかし、歴史的、全人類な目的の達成のための無意識的な道具の役をしている。
・歴史=人類の無意識的、全体的、群衆的な生
・歴史上の偉人はその事件を示すレッテルに他ならず、レッテルと同じように事件そのものとは最も関係が小さい。
歴史とは抽象化された一面的な解釈である。ある概念を宙吊りにして眺めたとしても真理にたどり着けないことと同様に、あまりにも多くの諸原因の集合的な結果であり、その真相を多くの歴史家は分かったように言うが真実を示すことは不可能である。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ私が読んだのは、新しい「藤沼 貴訳」の方です。
どうして、みんな、ナターシャが良いのでしょう。どうも、私は、世間知らずなわがまま娘のような気がして、イヤですね。
マリアやソーニャには、けっこう感情移入して読んでしまいます。マリアは、一生を老いた父と、母のいない甥の世話ために捧げてしまうのでしょうか。ソーニャは、やっぱりニコライとは結婚できないのでしょうか。
それにしても、アナトールとエレンの兄妹は、本当にイヤなやつです。ピエールとエレンとの結婚生活は、今後、どのようになるのでしょう?
そして、時代背景的には、ナポレオンのフランス軍とロシア軍との対決が避けられなくなる状況です。4巻は、きっと、この長い物語の起承転結の「転」にあたる部分に入るのではないか、と思います。