読み切るのに随分時間がかかってしまった。読み始めると興味深いのに、つい睡魔に負けたり、本を開くのが億劫に感じたりして中々進まなかった。
ただ閑人たちの会話だけでも考えさせられる事は多い。
どの宗教を奉じている人でも、自分は完璧だとか、完成していると心の底から思う人はいないのではないだろうか。
そうい
...続きを読むうことは、日々のちょっとした邪な気持ちが芽生えたり、感情のコントロールができなかったりした時に自分の足りなさを強く感じるかもしれない。
短編の中でもみんな(信仰の)道の途中で、それぞれの尤もな理由で信仰生活の難しさを語っている。若者は勢いで走り、妻子のある者は『責任』を口にして二の足を踏む。齢を経た者は老いが自由を奪い、十分に動けずにいる。
本当に個々の言い分はとてもよく分かる。
若くして行動力がある若人でも果たして一つの労働力として即時に機能するがいいか、多くの知識を時間をかけて身につけ、後に多くの人に有益なものをもたらすのがいいか。また妻子ある者にしたら、自分が即座に生活を一変させたら、妻と子の生活に支障がでてくる。妻子の将来に責任を取るという事が大義と言われれば首を縦に振らざるを得ない。各々がそれぞれのしがらみ(それを人生というのかもしれないが)の中で生きていて、そうなるとユリウスは悩める人の最適な人物像かもしれない。
彼は数度、キリスト教に赴こうとするが、その度に有識な世俗人に諫言されて考えを180度変える。
人生の岐路で同じ人に3回も諭されるのも珍しいが、その医師が言うこともとてもよく分かる。パフィンリスが語ることも頷ける。キリスト教寄りの者ならそちらに傾きやすいが、この小説は中立な立場から、時には疑いの目をもった側からの言葉もしっかり披露する。
普通は耳に心地よい言葉ばかりを選び取るが、ユリウスを身代にする事で、読者が第三者的な立場から考えられるような演出が施されている。
話の内容も深かったが、こういった読者を踏まえた技巧にも感動した。
とはいえ、最終的な答えは出ない。
人は何時から信仰の道にどっぷり浸かるべきなのか、もしくはそうでないのか。
普通の生活と両立できるか否か。
自分はどうすれば幸福になれるか。
いやはや、難しい問題だ。