トルストイのレビュー一覧
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この巻で印象的だったのはペーチャとプラトン・カタラーエフの死。あまりに呆気ない終わり方。人は生まれる前は長い月日を母の胎内で過ごし、期待と希望を浴びながら誕生する。物事も最初はドラマチックに始まるのに終わる時はあっけない。人の一生も同様なのかもしれない。
最後は二組の夫婦がそれぞれいい家庭を築きハッピーエンドに終わってはいるが、個人的にはソーニャがとても不憫に感じる。
伯爵夫人あたりが、いい縁組でも探してあげるべきだと思うが…彼等にとってソーニャは使用人程度の存在だったのだろうか。
何はさておき、長い時間かけて読んできたけど、人の心の動きや変化が大変リアルで興味深い、やはり名作だと思った。 -
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もしも、自分が出版社の編集者で、レフ・トルストイさんが、「戦争と平和」を持ち込んできたら。
読んだ上できっと、ひとつだけダメだしをすると思うんです。
「大変面白いんですが、全体に時折、あなたの歴史観、歴史考察の部分がありますね。特に、第四巻に多いです。この部分は、思い切って全部カットしましょう。それでも全く物語としての面白さは損なわれません」
で、もし抵抗されたら。
「では、少なくとも、第四巻のラスト、物語が終わってから文庫版で80ページもある論文みたいな部分だけでも、全カットしましょう」
と強く訴えると思います。
「どうしてもこだわるのなら、それは別の本として出しませんか?あるい -
Posted by ブクログ
最終巻第四巻は戦争の記述が多い。
後半1/4は物語を終結させトルストイが論じる戦争、歴史、民俗、人間と神のあり方などで締められる。
※以下登場人物の生死などネタバレしておりますのでご了承ください。※
【ベズウーホフ伯爵家】
❖ピエール(ピョートル・キリーロヴィチ・ベズウーホフ伯爵):
三巻ラストでモスクワでの破壊工作とナポレオン暗殺計画を疑われてフランス軍捕虜に。
過酷な捕虜生活。他の捕囚者との交流と身近な死。
捕虜体験はピエールをどう変えたのか。
解放されたピエールは、アンドレイ公爵の妹マリヤと、ナターシャ・ロストワと再会する。
改めてナターシャへの愛の喜びに浸るピエール。 -
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この巻ではリョーヴィンが百姓と草刈りをする場面が1番好き。疲れと清々しさがよくわかる。
この巻の前半ではリョーヴィンの農業に対する考えや場面が展開され、その後はアンナの問題。
巻末のガイドでは、リョーヴィンの農業の話は退屈に思う人が多いようだと書かれていたけれど、私は退屈に思えなかった。
結婚や離婚の考え方が複雑。
アンナも今まで結婚生活についてはかわいそうだったので…というのを踏まえて、だからこうなっちゃったんだよ…みたいに読めばいいの?
アンナ、どっちやねん!ってツッコミ入れたくなる。
時代背景がわかれば、こういう複雑なことが起こりうるということがわかりました。 -
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不倫が結構当たり前というか。みーんな知ってますよ状態。
カレーニンの“「どうしてここまで放っておいたんだ?こんな見苦しい状況をどうして解消しないのだ?」と義憤を覚えたものだった。”
まさに読者がそれをカレーニンに言いたくなる。
好きなシーンがあって、ヴロンスキーの競馬のシーン。疾走感、躍動感があり、自分自身がヴロンスキーになって走っているかのような描写だ。
タイトルにあるのだから、アンナは主人公になるんだろうけど、なんだか影がうすい… 上流の綺麗な女、恋に流された女っていう印象で。これからパッとしてくるのかな?
最後の方の無理をしているキティの姿が描かれていて、そりゃ無理をしたらいつか -
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真実の愛とは何かという普遍的なテーマを、不倫の恋という側面から切り取る、純文学的な物語でした。アンナはどうすれば良かったのでしょう? 愛してもいない夫の元に留まるのが真実の愛に即した行動だったのか…否。では夫には隠したまま不倫を続け、愛人の子を夫の元で育てるのが正しかったのか…否。では、やはり筋書き通り夫を捨てて愛人と逃げるしかなかったのか…そうかもしれない。確かに、アンナはヴロンスキーの愛さえあれば幸せであり続けられたのかもしれません。けれどそうはいかなかった。普通の人間は、彼女ほど愛に対して純粋ではありません。だから恋人に飽きられたって次の恋を探すなり、冷えた関係のまま共に暮らすなり、とも
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なんだろう、真面目というにはことばが足りない。このジッドに似たこの信仰心。光さすような力強くておもわず目がくらんでしまうような。
別に父なる神という大いなる存在の前にひれ伏して身を委ねているというわけでもない。彼のことばこそが光となって動いているのだ。名前が悪いかもしれないが、トルストイ教、そんな感じ。
タイトルは人生論となっているが、人生の「生」どう生きるかではなくて、「生きる」とは何か。ひたむきな考察である。彼は決して論じているのではなく、「考えて」いる。「生命考」といった方が正確かもしれない。
生命とは遍く幸福を求める存在である。幸福とは動物的な自分の快楽ではなく、理性が求める他人の幸福 -
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「人生とはこの男が調べようとしている水車である。水車が必要なのは粉をよく挽くためであり、人生もそれをよきものにするためにのみ、必要なのだ。(P20)」人生とは、それ自体が目的なのではなくて、粉を挽くために必要なもの。粉を挽くために与えられたもの。この考え方は私にとってはパラダイムシフトだった。ただ生きていることに価値があると、ぼんやりと認識していたが、人生はそれ自体に意味があるわけではなく、何かのためにあるのだという発想。人生をやり過ごしている感じがあった私は背筋を伸ばされた。ただ健康に長生きして人生をやりすごすのは、何の目的もない水車がただ回り続けているのと同じ。私は何をしたいのか。私はこの
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愛、律法、幸福、基本的な概念の捉え方や、前提がかけ離れていて、「知らない以上、否定は出来ない」という無限ループに陥っているユリウスとパンフィリウスのやりとりに、理解の難しさを感じました。これが、少数派にすぎない原始キリスト教の姿の一面であったとすれば、本作で問われ続けた「瞞着」を擦り合わせながら、世界的な信仰へと変化して現代の姿もあるのだろうな、と想像を刺激されました。
前半部、「やって見せよ」「人に見せるためではない」という二人の問答があった。
幸福、あるいは飛躍して救済のための奉仕を淡々と積み重ねていると主張する姿に迷いは見られないが、パンフィリウスとユリウスの中間くらいの位置で、人知れ -
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クロイツェルソナタ
電車で乗り合わせた男の話。
始めは『人生論』のような固い一般論から、次第に男の話は熱を帯びて、その一般論をかざすに至った自らの起こした事件について語り、その語りは読み手の感情を揺さぶり始める。妻の死前後辺り以降が秀逸。あー面白かった。
トルストイというと神の視点のイメージがあり、人間そのものの生をじわじわ太く書くのが良さだと思っていた、そして今回読んで実にそうだと思った。やはり一人の人物に語らせ、前半の一般論の証明のような作品のかたちは、テーマというか作者の意図が絞られるというか、どうしてもパンチは軽くなる、そのぶん切れ味は鋭いんだけどね。まぁ、前半の愛論はなくても、後半だ