トルストイのレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
ネタバレ3部が300ページ
4部が200ページほどなんですが、
3部は…
リョービンの農業への思いと、草刈り、
カレーニンの政治観ばかりで、まあちょっと大変だけれども、
これがあるがゆえの、後半4部のおもしろさ、エンタメぶりと言ったら!200ページの中にてんこ盛りのエピソードたち。
以下ネタバレ
・アンナ、あれほど約束したのに、家にブロンスキーを呼びつけ、カレーニンと鉢合わせ。
・カレーニン、いよいよ弁護士の所へ。
・カレーニン、早口でまくしたて、舌がもつれて「憔悴」を「そう……ひょう……そうすい」となってしまう
・ロシア一の伊達男(今は自分の口利きで、ボリショイバレエに入団させてやった、可愛いバレリーナちゃんにお熱)オブロンスキーのホームパーティーにおいて伏線の回収のごとく集められるキャラクターたち。え、キティちゃん来てたの?
・リョービンのキティ崇拝「これからはけっして人のことを悪く思わないように心がけますから!」
・眠らないリョービンと、彼の黒日記?
・さて、ブロンスキーはリストカットさながらのレボルバー自殺未遂。
・オブロンスキー、カレーニンを説き伏せたつもり?うまくやった。この出来事を謎掛けにしてまたパーティーで披露せねば✨
・ヴロンスキー、友人の計らいでタシケントへの勤務を用意されたのに、アンナに一目あっただけで、退役してしまう。
など。
狂乱の日々でした。
私たちはいつになったらアンナの魅力に気づくことができるのかしら -
Posted by ブクログ
戦争をバックに恋愛物語と簡単にとらえるにはトルストイの歴史観、哲学観がぎっちりとあってその重圧に圧倒されてしまった。
恋愛の方はナターシャとマリヤがしあわせになってちょっと拍子抜けだけれども、めでたしめでたし。若いころ読んだらきっと感激していい気持ちになったと思う。
その若者達のはつらつした苦しみ、悩み、生命の躍動、高揚を挿しはさんで、地に流れる歴史のとらえかたの叙述に目を見張らされた。
「歴史が動いていくのは一人の英雄傑物の意思ではなく、おおぜいのひとびとの総意である」というような、少々辟易の感もあったが(文章が饒舌で)なるほどと思った。
それにしても権力や地位を得るために権謀術策、懊悩辛苦、滑稽喜劇を演じる様までいきいきと、トルストイの描写はさすが。ナポレオン皇帝やアレクサンドル皇帝という実人物も登場させて総勢500人余の登場人物、怒涛の名作ではあった。
そうか、歴史が動いていくのはある一人の指導的人物の命令ではなく、それを受け取る人々の命令通りにやるか、やらないか、付け加えるか、勝手にやるかの総合した意思なのか。
そりゃそうだ。特に戦争状態、緊急状態の時と場合によって、状況変化もあろうし、個人の利権を優先する気持ちの変化もあるだろう。
ひるがえっておおげさだけれども、日本のこの下降している状態も歴史的に観られればいい、渦中で右往左往しているからどうなるかさっぱりわからないんだと思う。 -
Posted by ブクログ
「恋の鞍替え、結婚のゆくえ」
『戦争と平和』の伯爵令嬢ナターシャは浮気性なのか?それとも、人間というものはふと魔が差したようになるものだというトルストイのメッセージなのか?
ダンスを踊って夢中になり、あまりにも唐突にアンドレイ公爵と恋に落ち、婚約期間が一年間ということになると、その間に遊び人のアナートリー・クラーギンに鞍替えしてしまい、しかも破綻して恥じて毒を飲むなんて、信じがたい。幸い命はとりとめたけれども、病気になってしまう哀れさ。
でも、登場する男性たちは適当に遊んでいる風だ。女性だって目移りするのは当然だとでもいうのか。
この小説に登場する若い夫婦たちは、結婚してすぐと不和になったり、うまくいかなかったりするように描かれている。トルストイの経験だろうか、好みだろうか?
小説だからおもしろいのだけれど、結婚はうまくいかないのが普通に思えてくるから困ったもんだ。えっ、困らない!?
わたしの周りにもうまくいってない夫婦がたくさんいる。別れはしないがなんとなく当らず触らず暮らしている。別室主義、家庭内別居。うまくいってないというほどでもないが、遊びに行くにも別々の方が気楽だ、そのほうが楽しいという別行動パターンの夫婦も意外と多い。
もしくは奥さんの他に彼女がいるのが公然の秘密になっている。しかも男たちはそれを許容しているふしがある。もしかしてお互い助け合っているのかもしれない。果てはうらやましがっているかもしれない。もしわたしが若かったら知らなかったかもしれないが、もういまや筒抜けなんだから皆様(苦笑)
いやいや、奥さんのほうにも彼氏がいるのかもしれない。わたしは聞いたことないけれども(笑)
これが熟年離婚しないけれども、なんとなく暮らしてる60代~70代の夫婦の姿だと思う。ちがう?
わたし?
わたしは同室主義、旅行も一緒、ご飯も向き合って食べてるよ~~。(ごそまつさま)
さて、ナターシャも病気が治りかけたよう、続きにかかるとしよう。ピエール・ベズウーホフ伯爵は結婚生活に幻滅を感じている。ナターシャの精神的相談相手だ。とすると、どうなることか? -
Posted by ブクログ
たぶんこの小説の主人公は「戦争」と「平和」なのだろう。しかし長くて登場人物が多いので、読みとったあらすじを書いておいたほうがよく理解できると思うので。(まっさらな気持ちでこの小説を読もうと思う方はこれを読まないほうがいいかも。)
「第一巻 第一部」
アウステリッツの戦いでナポレオンに負ける前のロシア帝国、ペテルブルグやモスクワの貴族社交界は爛熟していた。
貴賓の館で開かれるたびたびの夜会では、ナポレオン戦争の話題と権力出世お金をめぐって権謀術数が繰り広げられていた。
中心人物はワシーリィ公爵。皇帝の顕官でありながら手元不如意。なぜならアナトーリとイッポリットいう二人の不肖の息子がいてお金がかかるのだ。頼みは美しい令嬢娘エレン。よろしき縁談求めて息子、娘をどうしてくれようかとてぐすね引いている。またはお金持ちの知人、ベズウーホフ伯爵の遺産をめぐって画策もしている。
もうひとりのやり手は零落しているドベルツコーイ公爵未亡人。愛息ボリスのためにあらゆるつてを使って出世や入用のお金を得る、たいしたお方。
財産家瀕死の老ベズウーホフ伯爵にはピエールという庶子がいる。外国で教育を受けさせ、溺愛しているために遺産と爵号を継がせたい。けれどピエールの性格純情無垢。
ピエール親友にアンドレイ・ボルコンスキー公爵。シニカルで人を寄せつけないようなところもある。やはり裕福、父が旧人で変わり者隠棲している。禿山という所で父にかしずき引き込んでいる妹マリヤは不美人のうわさ。
アンドレイはリーザと結婚しているが、一年も経たないうちに不仲の模様。ピエールの将来を心配し、かつ結婚はしない方がいいと忠告のアンドレイに心酔すれど、ワシーリイ公爵息子の悪友アナトーリワシーリイ・クラーギンの宴会も魅力のピエール。大騒ぎが繰り広げられる。そこで出会ったドーロホフという粗暴な若者も立身出世の権化、あらゆるところで頭角をあらわす。
一方、モスクワのロストフ伯爵家。破綻しかかっている家計ながら当主磊落。子供多し。ヴェーラ、ニコライ、ナターシャ、ペトルーシャ、従姉のソーニャ。
ロストフ伯爵家で催す晩餐会の最中、ナポレオンとの宣戦布告話題となる。ニコライ、ボリス出征の予定。家族、恋人への別れ。
まわりの醜い画策の渦中、老ベズウーホフ伯爵死す。ピエール、莫大な財産を継ぎ若ベズウーホフ伯爵となる。
アンドレイも出征のため妻を禿山に預け、父、妹マリヤに別れを告げる。
*****
アンドレイのニヒルさ、ニコライの若き情熱、ピエールの不安定な心情に興味を覚える。でもまわりで揺曳する老練なやからのおもしろいこと、ったら! -
Posted by ブクログ
ネタバレ本書は小説ではなく生命に関する論文であるが、トルストイを文豪たらしめているその表現力は存分に満喫することができる。多彩な比喩を用いたその表現は、人生、苦しみ、死といったものと対峙した人間の心情を鮮明に描き出し、トルストイの思想を説得力を持って表現する。これらの比喩の多さ、斬新さ、的確さはそれだけでも本書の醍醐味の一つと言える。以下に一場面を引用する。
「真の生命の発現とは、動物的な個我が人間をおのれの幸福の方に引き寄せ、一方、理性的な意識は個人的な幸福の不可能さを示して、何か別の幸福を指示するということにある。人ははるか遠くに示されるこの幸福に目をこらし、見きわめることができぬため、最初はその幸福を信用せず、個人的な幸福の方に引き返そうとする。しかし、ひどく漠然と幸福を指示している理性的な意識が、あまりにも疑う余地のなり確信に充ちた様子で個人的な幸福の不可能さを示すために、人はまた個人的な幸福をあきらめて、指示されるその新しい幸福にふたたび目をこらす。理性的な幸福は見当たらないが、個人的な幸福がこれほどはっきり粉砕されてしまった以上、個人的な生存をつづけてゆくことは不可能であり、その人間の内部には動物的なものと理性的な意識との新しい関係が確立されはじめる。その人間は真の人間的な生命に向って誕生しはじめるのである。」(本書p.71より)
身に覚えのある人は少なくないだろう。今まで幸福の要素であると信じて疑わなかった、成功体験や賞賛、肉体的・精神的快楽といったものが突然、無意味で空虚な幻想のように感じられ、それらをいくらかき集めても幸福には到達できないのではないかという疑念が自然に沸き上がってくるのを感じる。より高尚な人生の意義のようなものを求めてみるも、なにもそんなものは見当がつかず、一方でホルモンの分泌によって与えられている幸福感のみは、たしかに自分が感じている実在するものであるような気がすることから、その幸福感の追求こそが人生の意義であると納得しようと試みる。しかし、一度空虚に見えてしまった今まで幸福と思われていたものに対して、意味を再付与することは到底できず、困り果てる。これこそが、トルストイの表現するところの「真の生命の誕生」の体験に他ならない。
しかし、現代を生きる多くの人にとっては、こんなことをいつまでも考えていても始まらないし、今日も明日もやるべきことがたくさんあるのだから、こんなことは見て見ぬ振りをして現在よりマシと思われる未来の実現のために無心に行動するというのが妥当な選択であろう。もしくは、「理性的な意識によって生み出されるやりきれない内的矛盾」から逃れるため、「人生のこうしたがんじがらめの状態をひと思いに断ち切って、自殺」するという選択をとる人も少なくない。だがトルストイは、ここからさらに論を進める。肉体的・精神的快楽を求める存在としての動物的個我と理性的な意識を明確に分離した上で、理性的な意識にこそ人間の本質たる生命の存在を認め、この「理性的な意識を満足させうるような幸福だけが真実」であり、「個我の幸福の達成だけに向けられる人間の活動は、人間の生命の全面的否定に他ならない」と述べる。さらに、その理性的な意識を満足させる幸福とはなにか、そして、幸福と対極に感じられる苦しみや死とはなにか、三次元空間の比喩、円錐体の比喩、案山子の比喩などの斬新な表現を用いて論を展開する。
以前よりトルストイの作品に興味があったが、個人的にどうしても小説全般が苦手という事情があり、本書を手に取った。本書も魅力溢れる作品であったが、小説に苦手意識のない人にはぜひ「戦争と平和」などの小説作品をおすすめする。
-----------------------------
以下に、本書の内容についての反駁、および異なる解釈を述べる。
まず、肉体の死後も生命が存在し続けることの論証についてである。筆者は、キリストが死後も多くの人の精神に作用し続けていることを論拠に、生命が永遠に存在し続けることを述べている。つまり、現存する者への精神的作用に生命の存在を見いだしている。この生命の理解を採用すると、キリストのみならずアッラーやゼウス、さらには小説やアニメなどのフィクションの登場人物すらも人々の精神に作用していることを否定できない。しかし、これらのフィクションの存在に人間の生命を認めるのは無理があるように感じられる。
そこで、二つの新しい解釈を提案する。一つ目は、生命の働きとして本書では世界との関係の構築こそ本質としているが、ここに前提として手段たる動物的個我の支配の条件を付け加えることが必要であると考える。これにより、フィクションの登場人物と実在する人物との間に差異が生まれ、実在するもののみを生命と認識できる。しかし一方で、これでは本書の根幹とも言える生命の不死を証明できなくなる。なぜなら、肉体を失った時点で動物的個我の支配が不可能となり、フィクションの存在との差異が消失するためである。ここで、二つ目の解釈を提案する。本書の中でトルストイは頻繁に、理性的な意識は空間的時間的な束縛を受けない、それらの束縛を受けるのは動物的個我のみである、と述べている。それにも関わらず、生命が死を経験しないことを述べるために、肉体の死後の生命の存在を認識しようと試みている。ここに、矛盾が生じている。すなわち、そもそも時間的束縛を受けない理性的な意識の不死を述べるためには、肉体の死後の時間的存続を述べる必要はないはずであり、逆に、生命が肉体の死後も時間的に存続し続けていると認識可能であることは、理性的な意識の時間的束縛と同義である。つまり、次のように説明出来る。人間の生命たる理性的な意識は、その働きとして動物的個我の支配を前提とするため、肉体の死後は存在し得ないが、理性的な意識は動物的個我と異なり時間的空間的束縛を受けない故、肉体の死と同時に生命の死を経験することはないと言える。こちらの解釈の方が合理性と妥当性に優れるように感じられるが、どうであろうか。 -
Posted by ブクログ
社交界から排除されたアンナ、ヴロンスキーと農村生活を送るキティ、リョーヴィンそれぞれの交友関係の描写が面白い。家族にしろ地域社会にしろ地方行政や官僚組織にしろ、システム化されているように見えても結局、動かしているのは人であることがわかる。人であれば、厳格、安定してるようであっても、脆さもあり、そのあたりの微妙な心理状態を上手く描いていると思う。
「「結局、あの時アンナさんが来てくれて、キティは助かったのね」ドリーは言った。「ただしあの方にとっては不運だったけれど。本当に、すっかり逆になったわけね。あの時はアンナさんがとっても幸せそうで、キティは自分を不幸に思っていたでしょう。まったくどんでん返しじゃない」p303
「アンナはもっぱら談話のリードの面でホステス役を務めていた。このような少人数の食卓で、おまけに管理人や建築士のようにまったく別世界の人間が混じって、慣れない贅沢な環境に怖気づかぬようがんばりながらも、全体の談話に長くは混じれないでいるような場合、ホステス役が談話を盛り上げるのはきわめて難しいものだ。だがドリーの見るところ、アンナは持ち前の如才なさで、その難しい役割をいとも自然に、むしろ喜んで勤めているようであった」p486
「享受している権利に見合った義務の感覚がないために、そうした義務を否定してしまうわけです」p493 -
Posted by ブクログ
1巻に引き続き、引き込まれる展開であった。登場人物の考え方や気持ちの変化の模様を絶妙に表現している。また、貴族や官僚、農民などロシアの生活様式が興味深い。どの階級でも、夕食後にいろいろな活動をしていることは新たな発見であった。面白い。
「牛馬に引かせるプルークのほうが人の手でやる鋤よりもよく耕せるし、速耕機を使えば効率が上がるということは彼ら(農民)も心得ているのだが、いざとなると彼らはいずれの道具も使うわけにはいかなぬという理由を無数に見つけてくるのである」p268
「ロシアには素晴らしい土地があり、素晴らしい労働力がある。そして場合によっては、あの道中で立ち寄った農家のように、働く者と土地の力で大きな収穫を上げている。だがヨーロッパ流の資本投入をするならば、たいていの場合生産性は低い。それはひとえに、農民たちがひたすら自分たち固有のやり方で働くことを望み、またそのほうが成果が上がるからだ。こうした外国流への抵抗は単なる個別事例ではなくて一貫した、国民の精神に根ざした現象なのだ」p274
「「汝憎む者を愛せ」ドリーがつぶやいた。そんな教えは先刻承知だったが、この場合には当てはまりようがない。「自分を憎む者を愛するのは結構ですが、自分が憎む相手を愛することは不可能です」」p402 -
Posted by ブクログ
『人生論』トルストイ メモ
◯内容整理
・「動物的個我」と「理性の法則」という考え方。動物的個我は、生命とは誕生から死までの期間である、その限られた生命の中で幸福は人生を達成しなければならない、みたいな考え方。目に見える(偽りの)生命。人間は目に見える人生こそが自分の人生という確信に陥ってしまった。
→人間の幸福は、理性的意識の覚醒=動物的個我の幸福の否定によってはじまる。
・動物的個我における時間的、空間的条件は、真の生命に影響を与えない。(限られた人生の中でどう生きるか、みたいなことは、真の幸福には影響しない。真の幸福ではない)
→理性への従属を通じて幸福を志向する力は、向上させる力であって、時間的・空間的制約を持たぬ生命の力そのもの。(時間と空間がx,y軸なら、理性的意識はz軸のイメージ?)
・真の生命は時間と空間にかかわらない。
・人間の幸福は、動物的個我を理性の法則に対して従属させること。
→動物的生存を生命とみなすのをやめたとき、はじめて真の生命が始まる。
p95「生命を維持する食物を作るためにある鍬を使い惜しむ人間は、使い惜しみすぎて、食物や生命まで失う」
◯理性的意識とは
・動物的個我としての自分自身(この人生で何を達成すべきだろうか...みたいな)よりも、他の存在を愛するような状態を目指す。
・これによって、それまで個我の幸福に向けられていた活動全てを、全世界の幸福の達成に向けた活動に変えられる。
・真の愛は、動物的個我の幸福を否定する際にのみ可能。
・愛とは、自分、すなわち自己の動物的個我よりも他の存在を好ましく思う感情。
・他人に対しては悪意を抱くときに「わたしはどうでもいい、わたしは何もいらない」と言い、ほんのいっときにせよ、何一つ自分のために望まぬようにさせてみるとよい。
→そうすれば、それまで閉ざされていたすべての人に対する好意が心の奥から奔流となってほとばしりでるのを認識するだろう。
・ここで言う他人は、家族や友人のような選ばれた人への愛(動物的個我の一時的な幸福を増大させる対象)のみならず、自分以外の全てに対する愛。
・生命とは世界に対する関係であり、生命の運動とはより高度な新しい関係の確立であるから、死とは新しい関係に入ることである。
→(解釈)人との関係の中に自分の生命は存在し、新しい人や世界との出会いの中で新しい関係を築いていく、ということが生命の仕事。人(世界)との関係の中で、愛を増大させていく。
・人は死んでも、大切な人の心の中に思い出として生き続ける。世界とその人との関係は、死後も強く残された人々の中に作用し続ける。
→自己の動物的個我を理性のうちに従属させ、愛の力を発揮した人は誰でも、自己の肉体的生存の消失後も他の人々の中に生きつづけ、現に生きている。
・関係を確立することが、生命の仕事。
◯感想
自分に引き寄せると、動物的に、エゴイスティックに自分の幸せだけを考えるのではなく、「わたしはどうでもいい、わたしは何もいらない」と唱えて、理性的に生きてみよう、と考えた。
また、新しい人々と出会って、関係を築いていくという点は、ストンと腹に落ちた。自分自身、人は接する人との関係の中で磨かれていく(作りかえられていく)ものだと思っているので、どんどん新しい出会いに向かって踏み出していく人生にしたいと思った。
椎名林檎&トータス松本『目抜き通り』の歌詞の、「あの世でもらう批評が本当なのさ」というフレーズを思い出した。自分が死んだときに、自分との思い出が生き続ける人をどれだけたくさん作っていけるか(たくさんの関係を確立していけるか)
「関係」という言葉は自分の人生にとってとても重要な考え方だと思う。どういう人と生きて、どういう関係を築いていくか。そこに人生の本質があると思う。そんなことを考えさせられた。
-
購入済み
どの頁を開いても楽しめる
全巻を紙の本、解体してタブレットに入れたり、ブックライブから購入したりした。また、過去にテレビで放送された、「戦争と平和」の番組を録画したりした。
どの頁を開いても、人物がまず生き生きと描写されていて、まるで映画を見ているようにも感じられる。
長編なので、、また、人物の名前を覚えるのが大変だが、どの頁を開いても
ストーリーを抜きにして楽しめる。