トルストイのレビュー一覧
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初トルストイ長編
幸せな家族はどれもみな似ているが、
不幸な家族にはそれぞれの不幸の形がある。
圧巻の世界観
登場人物がみんな生きている
熱情や妬みに翻弄されていく貴族たち
確かに昔存在していた時間たちが蘇り、
そこに生きていた人間たちの鼓動が感じられる。
本筋だけを追っていけば、
今日目新しい展開は特にないのだが、
一つ一つの挿話によって、
人物像だけでなく、彼らの生活の香りが浮き彫りになっていく。
アンナとリョーヴィン
アンナは恥辱との戦いであり、
リョーヴィンは自己との戦いであった。
地に足をつけて、自分と対話しながらなんとか生きていく。
それって、いつの時代も通用する教訓なんだと思う。
自分が何者で何のためにこの世に生きているのかを知りもせず、また知る可能性さえも持たず、その自らの無知に苦しむあまり自殺さえも恐れながら、同時に自分独自の、はっきりとした人生の道を、しっかりと切り開いていたのであった。 -
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全巻読み終わりましたが、今まで読んだ小説でベストと言える作品でした。
この光文社版は、登場人物が解説されたしおりがついていて、とてもわかりやすかったです。
一方で解説には少し物足りなさを感じました。
歴史的背景が少し頭にあると、面白さが何倍も変わる作品なので、解説で触れてほしかった、と残念に思う点がありました。
一つは、ナポレオンの生い立ちについて。
彼は、コルシカ島という、フランスとイタリアの間の島の、比較的身分の低い家庭に生まれました。
コルシカは彼が生まれる直前までイタリア領だったので、ナポレオンはギリギリフランス人というところで、幼少期は方言などで苦労したようです。
フランス革命で身分制度が崩れたことにより、ナポレオンは実力を以て立身出世、ついに皇帝の地位に上り詰めました。
そのナポレオンが、生まれながらにロマノフの血統であるロシアのアレクサンドル皇帝と決戦するのが今回の物語ですが、二人の「皇帝」の出自の対比が、ナポレオンの心理に影響を与えています。
この点が解説には触れられておらず、分かりづらいのではないかと思います。
物語後半に出てくる、ナポレオンがイタリア人という記述にも注釈がついていなかったので、少し不親切と感じました。
もう一点は、サンクトペテルブルクとモスクワの対比について。
サンクトペテルブルクは、18世紀初頭にピョートル皇帝によって建設された、モスクワよりも新しい街です。
「ヨーロッパへの窓」というコンセプトで、当時文明の先行していたヨーロッパのいくつかの都市を真似て作られました。
街だけでなく、人々の振る舞いやフランス語による会話なども、ヨーロッパにならうことが洗練とされました。
一方、モスクワはロシアの伝統を象徴する都市です。
そのモスクワを目指したナポレオンのロシア戦役は、軍事的及び精神的両方の意味で、ヨーロッパの侵略からロシアを守るという戦いです。
フランス語とロシア語を取り混ぜた社交界の会話から、戦争の展開まで、ヨーロッパ的なサンクトペテルブルクと、ロシア的なモスクワという都市の対比が、より深い理解への鍵となります。
もう少しこれらの背景について解説があれば、トルストイのメッセージが伝わるのに、というところが悔やまれました。
しかし、ストーリーだけ読んでも面白い作品であることは間違いありません。 -
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全て読み終えて、自分が読んだ小説の中でほぼ一番となるほど面白かった。
以下二点がこの物語の印象だ。
一つは、この対ナポレオン戦争がロシアを防衛する戦闘的な意味での愛国戦争というだけでなく、当時ヨーロッパの文明や文化に支配されつつあった伝統的ロシア自体を取り戻すという象徴的な役割を持った出来事であり、ピエールがその移りゆく様を体現する役割であったということ。
ロシア的な都市であるモスクワからナポレオンが追われる様子や、エピローグでピエールの語る結社が、この物語の後のロシアの反動的運動へと繋がる。
もう一つは作者自身の歴史観だ。
従来の歴史学が扱ってきた一人の意志が歴史を動かすという英雄的歴史観を否定し、より俯瞰的に見れば出来事は長い流れの中で必然であり個人の自由意志ではないと主張する。
特に、人の行為は自由意志と必然の組み合わせだという記述では、他人であるトルストイと自分の考えとがあまりにぴたりと重なることに驚かされた。
今は英雄的歴史観で語られる歴史も、更に長い時を経れば個人意志が見えづらくなり必然として語られる、という主張も真実だと思う。
この巻で、歴史的に英雄視されるナポレオンに対して、歴史的評価の低いクトゥーゾフ将軍をトルストイが称賛しているのは、まさに上記二点によるところだろう。
ナポレオンが英雄であるという通念を捨てさえすれば、ただ一人でロシア軍の保持という信念を貫いたクトゥーゾフ将軍の一貫性が際立つ、と言う記述は、この戦争の総括に相応しいと感じた。
構成として、エピローグの後半、小説たる本編の終わったあとで、延々と論文のような作者の主張が続いたのにはやや唖然とした。
その主張を小説本編を通じて読者に染み込ませるのが、作家の仕事なのでは?とも思う。
本編の外で直接的な言葉で主張を盛り込んでくる手法に、良くも悪くもトルストイのロシア的な一面を見せられた気分だ。
手法の洗練よりも本質を伝えることに重きを置き、率直でてらいがない。
自分としては、お気に入りのキャラクターであるデニーソフが最後まで登場したことに嬉しく感じた。
思い返せば彼は、全編を通じてことあるごとに役割を与えられてきた。
最初に登場したときは、洗練された貴族将校の中にあって彼は、方言でラ行が正しく発音できないがそれを気にも留めていないという、明るく豪快なキャラクターで描かれた。
その後、飢える自部隊の補給のために上司の命令を無視して他部隊から奪い取るという、部下への思慮と権力への反発という人間性を見せ、恩赦を願い出でればアレクサンドル皇帝に「法は世よりも強い」の言葉を言わしめ(現代的な社会制度を重んじたリベラル派の皇帝を象徴するシーンだ)、ナターシャにプロポーズする最初の人物となってその後の物語の伏線を敷き、ニコライを死臭漂う病院へと誘って戦地の病院の窮状を読者に知らしめ、戦争終盤ではパルチザンを率いて戦い、若いペーチャの死を目撃して嗚咽する。
脇役ながら要所で登場したこのデニーソフという人物が、最後まで人間味あふれる場面を演じるために駆り出されたことも、この物語らしいと感じた。
最後に。
この作品を周囲の数人に勧めてみたところ、誰からもその膨大さゆえに着手できない、と言われた(自分もそうだったのでよくわかる)。
そのような理由で読者を失っていることがあまりに勿体ないため、苦肉の策として、或いはもし今読むことを躊躇っている人の背中を押すためには、私としてはこの光文社版の第6巻を読むだけでもいいのではないかと思う。
アンドレイとナターシャの物語は、アンドレイが「汝の敵を愛せ」に行き当たるシーンで宗教的美を見ることができたが、それでもなおこの「戦争と平和」の構成には必須でないと感じる。
また、ナポレオンとアレクサンドル皇帝及びクトゥーゾフ将軍が対戦するこの戦争については勿論必読であるのだが、これは史実であるため、最悪の場合、この作品意外でも知ることができる。
そうなれば、ピエールの経験を通したロシアのヨーロッパ化から反動に至る展開や、作者の歴史観は、この光文社第6巻に集約されている。
あとがきによれば、トルストイ自身も、「この作品は個々の部分ごとに出版されても面白みを失わない」と言っているので、有限な時間と精神力の都合上この第6巻だけ読むことは、必ずしも作者への不敬に当たらないだろう。
人に本を贈るのが好きだが、この「戦争と平和」第6巻も、誰かに贈ってみたくなった。 -
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1812年のフランス軍のモスクワ侵攻を受け、5巻前半は市民たちの逃走劇、そして後半はいよいよナポレオンの入城と敗走を描く。
この巻では、これまで見られなかったほどにトルストイの愛国心と、ナポレオンへの憎悪が垣間見える。
或いは、侵略する側を非難するがためにナポレオンを批判し、事実の勝者側としてロシアを持ち上げているのかもしれない。
いずれにしても、フランスの離島生まれという身分から指導力でのし上がりヨーロッパを征服していったナポレオンが、このロシア戦役で遂に力尽きた、というドラマを存分に味わえる記述であった。
何度も主張される、「フランス軍は、モスクワ入城前のボロジノの会戦で致命傷を追った獣であり、待っていればやがて死にゆく」の例えが的を射てわかりやすかった。
自分としては、この巻のクライマックスはアンドレイ公爵の死の場面である。
重傷を負った彼が、かつて自身を裏切ったナターシャと再開する場面に、「汝の敵を愛せ」という耳慣れたフレーズが現実感のある画として捉えられた。
その後の、「全ての人を愛することは、つまり誰も愛さないこと、すなわち生の放棄だ」という心理的発展は物語としては悲しくまた意外に思われたが、死を目前にした人の心理がどのように展開するものか興味深く感じたし、折に触れて読めば、その時時で違ったことを感じるのだろうと思った。
自分の日常生活の中では味わうことのない、宗教的寓意や信仰の美しさを感じられるのも、この物語ならではだ。
いよいよ物語は佳境。
読むほどに、トルストイの主張に自分の考えと似たところを見つけらるのは、少し嬉しく感じる。 -
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トルストイ後期の中編2作を収録。普遍的なテーマ「死」「性と愛」をめぐる葛藤を鋭く描き、共感と議論を呼んだ。
【イワン・イリイチの死】
冒頭でいきなり死亡が告げられるイワン・イリイチ。45歳で死んだ彼の生涯は、果たしてどのようなものだったのか、死の間際に何を思ったのか、をたどるのが概要。
外聞をはばかり仕事と家庭生活を切り分ける、つまり建前と本音を常に使い分けるようなイワン・イリイチの生き様の描写には、現代人を風刺するようなところがある。やがて病気により徐々に死に向かっていくなかで、そうした生き方が間違っていたのではないかと人生を振り返ることになる。
嘘に塗りかためられた周囲の反応から、精神的に孤立してしまうが、召使のゲラーシムとだけは心を開いた交流ができる。その理由が非常に鋭い人間心理の描写となっており、この作品の本質を象徴するポイントだといえよう。
「人生がこれほど無意味で、忌まわしいものだったなんて、おかしいじゃないか。……ひょっとしたら、私は生き方を誤ったのだろうか?」
自問自答に果てにイワンが見出した答えとは……。トルストイ後年の精神性をうかがえる作品だったと思う。
【クロイツェル・ソナタ】
結婚観の論争から始まる本作。肉体的な性愛を超えた精神の親和ですらも、生涯続く愛情とはならず、現代の結婚などまやかしに過ぎないと豪語する白髪の紳士。陰のある彼の打ち明け話が本作の物語である。
「性欲は悪です。恐るべき悪です。それは戦うべき相手であって、われわれの社会のように奨励すべきものではありません」
という、性愛に対する徹底した否定的目線から、結婚生活における愛と憎しみを描いて読者に何かを問いかける。
すべての男女にとって関心の尽きない問題について、「告白型」という引き込まれる語り口で提示されるので、読みやすい。既婚、未婚に関わらず、一度は深く思索してほしい作品。 -
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話がどんどん展開していく。
啓示されたピエールが、感激して自己完成の内的作業に没頭するも、行動を貫徹するほどの実行力がなくて中途半端になっている様子、最終的に「考えないやつの方がええやん」ってなる感じとか、めちゃくちゃわかる。後半でピエールの思想がどうなっていくのか楽しみ。
575
ある者は虚栄心で、ある者はトランプで、ある者は法律を書くことで、ある者は女で、ある者は愛玩物で、ある者は馬で、ある者は政治で、ある者は狩猟で、ある者は酒で、ある者は国事で、それぞれの人生から目をそらそうとしているのだ。『くだらぬものも、重要なものもない、みな同じことだ。ただおれのできることで、それから救われさえすればいいのだ!』とピエールは考えた。『それを、この恐ろしいそれを見ずにすめば、それでいいのだ』 -
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この巻では、いよいよナポレオンがロシア本土に遠征し、領主たちの東方への避難や、ロシア軍とフランス軍の戦闘の様子が描かれる。
砲弾が降り注ぐ激戦の中で、人間が感じる死への恐怖や負傷の痛み、或いは実在の人物であるナポレオンの戦場での心境など、非常に読み応えがあった。
さらにここに至って、従来になく作者の歴史観と戦争観が語られている。
その一つが、戦争についての自らの持論をアンドレイ公爵に語らせた場面。
それは「捕虜は取らずに殺害すべきだ」という暴力的な主張に始まるが、その理由は、戦争をルールあるゲームにしてしまうから容易に戦争が開始される、もし皆が命を落とすことになれば、相当の理由がない限りは戦争にならないだろうが、しかし今のようなルールに守られた戦争は、軽薄な軍人のおもちゃになってしまう、というものだ。
自分も、前線で命を掛けた戦闘が繰り広げられる最中に、上層部では温かく安全な部屋で敵国同士の交渉が持たれる、ということには違和感を感じるので、この言葉に大きく頷かされた。
主張された通り、戦争はルールあるゲームでありごく一部の人間の道具に過ぎない。
この主張を言わせるためにこそ、この小説全体が存在している、と言っても言い過ぎではない言葉の一つではないかと感じた。
巻の前半のナターシャの贖罪の記述も、祈りの持つ力がよく伝わり心が洗われた。
読書を通してそのような体験ができる作品は貴重である。 -
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3巻は戦時ではなく、それぞれの理由からモスクワに集まった主人公たち(20代前後の貴族の子息令嬢)の人間関係と人生の岐路、とりわけ誰を結婚相手とするかという問題について描かれる。
登場人物はおおよそ以下の通り。
─アンドレイ・ボルコンスキー
幼い息子を遺して妻に先立たれ隠居を志すが、ナターシャに出会い一念発起、プロポーズ。優秀な実務家だが、少し上から目線。
─ピエール・ベズーホフ
育ての親から莫大な遺産を相続。一時放蕩生活を捨てて宗教と社会貢献にのめり込むが、思うように行かず、再び元の生活に戻る。妻エレーヌのことは、軽薄な社交家だと嫌悪している。
─ニコライ・ロストフ
財政の傾いた実家を支えるべく裕福な令嬢との結婚を期待されるが、孤児の従妹ソーニャと人生を共にすることを決意する。熱血タイプでややお人好しなところがある。
─ボリス・ドルベツコイ
世渡り上手な出世頭。父を亡くし、未亡人の母を助けるため、裕福なジュリー・カラーギンとの結婚を決意する。
─ナターシャ・ロストフ
ニコライの妹。純愛に基づく結婚を夢見る17歳で、美貌と愛嬌を持った華やかなキャラクター。アンドレイのプロポーズを受ける。
─ソーニャ
ナターシャとニコライの従妹で、ロストフ家に暮らす。ナターシャの真面目で良き友人。
─マリヤ・ボルコンスキー
アンドレイの妹。厳格で偏屈な父に縛られ、鬱屈とした日々を送る。「神の遣い」と呼ぶ、貧しい巡礼たちとの密かな交流を、唯一の楽しみとしている。
─エレーヌ・ベズーホフ
ピエールの妻。類稀なる美貌と社交力の持ち主で、知的な集団の中心と見られている、フィクサーのような存在。
戦場のシーンが多かった1巻や、ナポレオンとアレクサンドル皇帝がついに相見えた2巻に比べると、3巻は恋愛や結婚といった身近なテーマが中心で歴史的なイベントや登場人物が少なく、1巻や2巻ほどの壮大さは感じなかった。
史実に基づいた物語であるならば、ここまで恋愛模様を複雑にする必要があるのかということにやや疑問も抱いたが、巻末の解説によればこれは物語後半に向けた布石ということなので、今後を楽しみにしたい。 -
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下巻のあとがきは、翻訳者の藤沼貴さんが急逝したことによって、弟子にあたる阿部昇吉さんが執筆している。しかし長編を読み終わったあと最後に現われる“代役”によるこの一文は、口直しのデザートのように作用して心地よい読後感で本を閉じることができる。
阿部さんは(おそらくわざとだろうが)藤沼先生による学術的な解説文からがらりとトーンを変え、先生の人柄を追憶するような、私的でくだけた内容で構成している。
私的な内容とは言うものの、研究者としてのあまりにも一途で一直線な姿と、それを裏返したかのように弟子や他の研究者に対してふと漏れる、先生のセンスのいい茶目っ気が書かれていて、もしネフリュードフの生き方に最後まで共感できなかったとしても、最後に先生の生き方に照らすことで、多くの人が肯定と共感へと転回するのではと思わせるくらいだ。
『辞書の完成を耳にした卒業間近の学生が、先生の研究室にやってきて、辞書の購入と、一筆書いて欲しい旨を申し出た。先生は「あなた、もう辞書は必要ないでしょ」と言いつつも、それに応じて「あと八十年ロシア語を学ぶために」としたためて、いたずらっ子のように、ニッと笑ったという。先生は、卒業生の熱意に免じて、辞書を献呈されたのだった。』(あとがきより)
この本をあとがきまで読み通せば、世間一般で人に対して使われる「器用」「不器用」の定義なんか、当てにならないものとして蹴り飛ばしたくなる。 -
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復活を読んで一番印象的だったのは、ネフリュードフがあまりにも達観しているところ。
もちろんカチューシャにはじめに出会ったときのような、若気の至りがあふれていた頃も彼にはあった。しかしカチューシャとの再会後は、どんなことが起ころうとも、世事にも他人にも自分自身にも、自分の判断に照らして、まっすぐ前を見るかのように右顧左眄なく対処し続けている。
そして特筆すべきは、若き頃にカチューシャに対して行った“過ち”と対比するかごとくに、彼女と再会後のネフリュードフは、「恥ずかしさと罪の意識」をいかに避けて自分にとって“正しい”と思われる道を進んで行くのかについて意識が集中していくこと。
時には同じところを何回も周回するかのように迷い、あるいは時にはオリンピック級のハードラーのように軽く飛び越していくネフリュードフ。本作に戦争と平和のような大事件が見当たらなくても、また、アンナ・カレーニナのように劇的な形の愛憎劇がなくても、そんなネフリュードフの足取りを自分事のように追うことで、十分な読み応えを得られる。
それは、作者が70歳近くの老境に達してから書かれた作品だからだろう。つまりトルストイは、自分が「七十にして心の欲する所に従いて矩を踰えず」の境地に達したものの、自分としてはあまりにも遅すぎたと感じ、もっと若い頃にこの境地に達していればという強い後悔の念が、30歳代と思われるネフリュードフの年齢不相応な達観に結実したのだ。
もちろんそれだけの単調な話では終わらない。
老齢のトルストイは、自分が最良と考える正義、幸福、愛、信仰というものが、いかに世間一般では通用しない、いやそれどころか排除されるのかを、筆を尽くして書き連ねる。一見愚直、言い方を変えれば馬鹿正直にも見える、老境にして理想だと思い至った生き方を、ネフリュードフにいわば押し付けた形。
そして本作が抜きん出ているのは、ネフリュードフの実直さに感化されてカチューシャや政治犯たちがまるで伝染するかのように実直になる様子を緻密に描き、他方で、多くの大衆や官憲などがどうやっても自分の現状の地位や思考から一歩たりとも出ていこうとしない意固地な姿も徹底して描いているところ。
つまり多くの理想が現実とは一致せず、高止まりのまま理想が多くの人から顧みられない非情な現状がありのままの姿で眼前に突きつけられる。しかしそれがドラマチックさの欠如につながり、本作の評価が戦争と平和やアンナ・カレーニナのレベルに及ばない理由になっているのかもしれない。
だが私は「ドラマチックでない」とは思わず、現実により接近したがゆえ、と考えている。したがってこの作品は、他のトルストイ作品よりも、今の日本の現実により近づけられる。
例えば「いいね」を求めるあまり、自分の感性によって評価するという本来のあり方を忘れて自分の判断のほとんどを他人の評価に委ねてしまっている本末転倒な現代人にとって、ネフリュードフが自分の価値基準のみによって行動し、一方で他人の評価を自然体で避けているような一連の描写を読むと、何かきまり悪さを感じるはずだ。
また、神への信仰に関しても、お祈りなどの儀式や儀礼的なものとは正反対なところにこそ本分があるということも本書から学べるだろう。
最近、スポーツでの応援やコンテストの結果待ちなどのときに、両手を組み合わせて目を伏せて祈る姿をテレビなどでよく目にするが、あれなんか、普段はキリスト教徒が食前にするように日常的に神様へ祈ることなんか一切していないくせに、いざというときだけ神様にすがろうとするということだから、真の信仰者の所作を猿真似しただけの本当にマヌケな姿だと思っている。
だから、信仰とその結果としての現実とが必ずしも軌を一にしない現実社会において、それでも神を信仰し、心の持ちようを手に入れたいと思っている人は、安直に手を組んで祈る暇があったら本作を読み解くことだ。そして、ネフリュードフの“愛”が自己から利他へと広がり、それが自己へと還元されていく本作の一連の過程から、精神的満足は無意味なパフォーマンスなんかではなく、相手を信じるという一念によってこそ、もたらされるということが本作から理解できた。 -
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「戦争と平和」を読み、「戦争」と「平和」と「人間」の関係性について考えずにはいられなかった。
平和の中で育った人間が戦争を生み出すのではない。反対に、戦争を生き抜いた人間が平和を築き上げるのでもない。
「戦争」と「平和」が混在するこの世界においては、いかなる人間も双方に影響を及ぼすことはないのだと思う。
戦争が起こるのには原因があり、平和がもたらされるのにも原因がある。それぞれの原因を、我々は人間に求めるのではなく、「歴史」に求めるべきなのだと感じた。歴史の中において人間という存在は、ナポレオンやアレクサンドル皇帝であっても、ひとつの歯車に過ぎない。
戦時にはより多くの殺戮を行なった者が称賛され、平時には戦争を防ごうと努める者が評価される。
結局のところ我々は、「歴史」というあまりに大きな波の中において、右往左往するしかないのである。 -
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2冊目のクライマックスは、フランスのナポレオンとロシアのアレクサンドル皇帝の調印式。
ナポレオン皇帝は、フランス革命の産物。
離島生まれで身分が低く、従来なら要職に登用されない彼が、フランス革命によって立身出世、さらには周辺国との戦争にも次々と勝利する。
一方のアレクサンドル皇帝は、ロシアロマノフ王朝の血統。
生まれながらに広大なロシアを治める統帥である。
その二人が、同じ『皇帝』の称号で対等に顔を合わせる。
そしてこのとき、ナポレオンもアレクサンドル皇帝も、それから100年余後にロシアで革命が起こることを知らない。
それどころか、著者のトルストイさえもそれを知らずにこの物語を書いているということに、神がかり的なものを感じた。
この物語は、革命前のロシアにおいて革命前の出来事について書かれているのだということを、改めて思わせられる場面であった。
我々はもはや、革命後の時代、その社会と価値観の中にしか生きられない。
過去は二度と来ない。
革命が起こる前の時代に戻ることもなければ、革命を知らない時代を生きることも二度とない。
トルストイが繊細な描写でしつこいほどに描く、皇帝の神々しさ、また皇帝への尊敬や愛情は、失われて二度と取り戻せないのだ。 -
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完結編。第7部と第8部を収録。2つのカップルの圧倒的な結末に魂が震撼する。そこに見出したある一つの答え。
前巻の新婚生活から続いて出産シーンへ。リョーヴィンの慌てっぷりがユーモラス。お互いに何でも話し合い、隠し事をしない理想的な夫婦像ともいえるリョーヴィンとキティも、時々は細かいことでぶつかったり悩んだりするところがリアル。
二人の主人公が一瞬だけ交差する出会いのシーンは胸が熱くなるものがある。ここから物語はクライマックスへ向かっていく。
第7部の終盤にいたる展開は、その不穏さとスピード感に読んでいるほうも追い詰められる感覚になる。男女の愛を理想的な結婚の姿という形で見せてくれたリョーヴィンと対比して、最後まで愛を求め続けたアンナの姿も、ある意味で女性としての究極的な何かを表現しているといえるかもしれない。最後のシーンの文章が本当に上手いというか、映像的でありながら文章でしか表現しえないものがあって、翻訳も含めてすごいと思った。
第8部はエピローグ的な展開と、リョーヴィンの思索がメインになる。一般的には第7部のラストに目が行きがちだし、物語としてはあそこで終わっても不自然ではない。だがこの第8部こそ、本作の結論でありキモとなる部分といえ、本作を単に恋愛小説として読んでいる人には見出だせない、より大きなテーマが提示されている。
リョーヴィンが抱き悩み続けている本源的な問い――
「自分はいったい何者か?自分はどこにいるのか?なぜここにいるのか?」
それは生と死についての疑問であり、リョーヴィンはこれについて明確な答えを見出す。アンナとリョーヴィンという、別々に展開し一見つながらないように見える2つのプロットは、すべてこの一点のテーマに集約されて大きなカタルシスをもたらすのである。
自分の若い頃にこれを読んでもピンとこなかっただろう。百姓ヒョードルの些細な一言で気づきに至る流れ、答えは理性の外にあり、「われわれはすべて知っているのだ」と納得する顛末に、うんうん、そうだそうだとうなずきながら、この何年かで学んできたこと、考えてきたことが微細に書かれていて驚いた。特筆すべきなのは、これらのことが単に思索の結果としてだけではなく、日常生活の細々した雑事と密接にからみながら描かれているところ。リョーヴィンの悟りは、よく言われるふわふわしたスピリチュアルではないのだ。悟りに至ったあとも、あまり変わらない現実の如実な姿にニヤリとするラストの一文が最高だ。また、キリスト教の信仰に立ち返った彼は、他宗教へのスタンスについても、子供たちのいたずらと天文学者のたとえから明確に結論づける。
表向きは恋愛と結婚を題材にしながら、また当時の生活や社会を詳細に描きながら、より深い生命の次元から万事を見つめ、多層的な観点から人間の本質に迫っていく本作は、個人的にも人生でベストといえる作品の一つとなった。これから映画も見てみたいと思う。 -
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第5部と第6部を収録。リョーヴィンの結婚にまつわる諸事と、徐々に行き詰まるアンナとヴロンスキーを描く。
リョーヴィン編は婚礼から新婚生活にいたるまで、出来事や心理が微細に描かれていて楽しい。しかし身近な人の死によって、自らの生死観に向き合わなくてはならなくなり、深い思索を重ねていくくだりには、誰にとっても他人事ではない切実さと、生活の忙しさにかまけてスルーしてしまっている「死」という現実への態度をどうとるかということを、強く考えさせられた。兄コズヌィシェフの求婚するかしないか?のエピソードはどこかリアルで、個人的には「その気持わかる」という結末だった。
いっぽうアンナは社交界でつまはじきにされ田舎に引き込むが、徐々にヴロンスキーとの関係や彼女自身の心に陰が生じていく。息子に無理やり会いに行くシーンはどうしたって泣ける……。不倫への淡い憧れやアンナへの好意を保ちながらも、自らの育児と家庭生活に立ち返っていくドリー。リョーヴィン側とアンナ側という、対比がより際立っていく2つのカップルの間を行き来する彼女の視点が興味深い。
恋愛や結婚だけではなく、様々な要素が織り込まている本作。3巻では重層的な物語空間に人々がいきいきと生きている感覚が強まり、どっぷりとこの世界にハマらせてくれる。 -
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第3部と第4部を収録。農業経営の理想に燃えるリョーヴィンと、妻の不貞行為に苦悩するカレーニンを描く。
第3部はほぼリョーヴィン編。農業の労働の描写は新鮮。いっぽうかなりのページ数が割かれる経営の話は1861年の農奴解放という背景からくる難しい状況があり、巻末の読書ガイドに頼らないとわかりづらい。しかしここで、欠点も多いが魅力的なリョーヴィンという人物像が明確になり、第4部に続く彼の新しい人生展開の伏線ともなるので、軽く読み飛ばさないほうがいいだろう。
第4部では妻に裏切られた夫カレーニンの、ある意味では当然とも思える反応に男性としては少し共感。さらに土壇場で、『戦争と平和』のアンドレイにも見られた、信仰と許しという至福の力による霊的な成長に感動。しかし、当時のロシア社会における「離婚」の難しさが事態を複雑にしており、ありえない展開に「これはひどい」と思わず声に出して言ってしまったところで2巻終了。どうなんねんこれ……。 -
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19世紀後半のロシア。ひとつの不倫から始まるドラマを軸に、貴族社会の多様な人間模様を描く恋愛小説の名作。
「幸せな家族はどれもみな同じようにみえるが、不幸な家族にはそれぞれの不幸の形がある」
有名な書き出しから始まる第1部は、不倫から始まり不倫に終わる。『出会ってしまった!』という感じ。美しいロシアの情景と細やかな心理描写が読みやすく、冒頭から興味を引く展開が連続して続いていくので、面白くない部分がないというか、ダレることなく一気に読めた。主役となるアンナ&ヴロンスキーだけでなく、青年貴族リョーヴィンと、彼に関わる令嬢キティの物語もそれぞれ独自に進み、人間関係のバランスが絶妙に設定されていて興味が尽きない。個人的にはやや内向的で真面目なリョーヴィンくんに共感してしまった。
第2部では、行くところまで行くふたり、農業に専念するリョーヴィン、手本となる人物に出会うキティ、というところまで描かれる。手に汗握る競馬レースのシーンは迫力があって面白かった。登場人物たちがこれからどうなっていくのか、続きが本当に楽しみだ。 -
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最終巻。第4部第3~4編とエピローグ第1~2編を収録。フランス軍との決着、生き残った主人公たちのその後。
立場が逆転し、逃げるフランス軍と追うロシア軍。戦場ではそれぞれが過酷な状況のなかで、人間の醜さが露呈し、親しい人たちが死んでいく。捕虜に対しての「やっぱし、おんなじ人間なんだな」という言葉が印象深い。
捕虜生活を通してピエールが得た境地。「話す人」から「聞く人」へ、「誰もがそれぞれの考え方や感じ方やものの見方をする可能性を認め、言葉で人の信念を覆すことの不可能性を認める態度」、「まずやむくもに人々を愛しては、後から愛するに足る疑う余地のない理由を見つけていたという現象」といった変化は、無条件の愛に到達した『悟り』のひとつなのだろう。
エピローグの1で主人公たちの物語は未来への予感を残して終わる。ここでは恋愛、結婚、家庭といった問題が取り沙汰され、ドラマチックな展開や良妻賢母たちを通して、作者独特の考えが語られ非常に読み応えがある。もっとこの家族たちを見ていたい……名残惜しいラストだった。
エピローグの2は、トルストイの歴史観が存分に語られる小論。歴史学から「権力とは何か」という考察に移り、自由意志の問題――『自由』か『必然』か――という流れ。小難しい話になってくるので、作中随所で語られるナポレオンへの評価や19世紀初頭のヨーロッパ史を含めて、歴史に関心の高い層でなければややつらいところかも。そこは正直消化不良になりがちだが、全体としてはこれだけの長大な作品にもかかわらず、いずれもう一度読みたいと思わせてくれる傑作だった。