トルストイのレビュー一覧
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Posted by ブクログ
クロイツェルソナタとは、ベートーベン作曲のバイオリンソナタ第9番イ長調作品47のこと。私は聞いたことがなかったが、動画を検索して聞いてみると、バイオリン1台とピアノ1台が互いに調和しながら進行していく優雅な曲だった。そう、まるで仲睦まじい男女が目配せながら言葉を交わし合うかのように。
ところで収録2作品のうち「クロイツェル~」のほうは文庫本で173ページ。だが、ある男が列車に乗り合わせた初対面の男性に対し、性欲はすべてに勝るという主張を自分の半生を織り交ぜて語る文体は、サスペンスの要素濃い内容とあいまって、長さを感じさせない。
内容を見ると、ある男の妻の前に若くて気障なバイオリニストが現れ、妻もピアノでその男と合奏するのが楽しみになっていく。一方で性欲の絶対的存在感を信じる夫は、妻と男との間に音楽の結びつき以上の“何か”を感じるようになり、2人に対する嫉妬が徐々に高まっていく…という話。
ある日、夫は長期出張しなければならなくなったので、妻と男とに自分が不在の間は絶対に会うなと念押ししたものの、不穏なものを感じて予定を切り上げ帰宅する。列車が遅れて深夜に家に着いた夫が目にしたものは、夜遅くにもかかわらず仲良さげに演奏する2人だった――
ここで私は、この場面が妻の不貞を夫が証拠としてつかんだ瞬間という一般的評価(と思われる)とは少し違った読後感をもった。
私にも妻がいるし、女性を聖人化するつもりはまったくないのだけれど、妻と男の2人は、夫が不在の深夜という時間であっても、本当に性的関係を最終目的に逢引していたのだろうか?例えば、夫の想像に反し、実は2人は月が美しい夜だったので純粋に演奏を楽しみたかったのだとは考えられないだろうか?
トルストイの履歴に照らし、意識的にも無意識にも性欲に支配される男と女が必然的に陥らざるをえない悲劇が描かれたと読むのは簡単。だが、大阪弁でゲスく言うと「愛だの芸術だのって言いながら、結局はアレしかないんかい!」みたいな結末を文豪があえて書いたとは思えない。
だから私は「クロイツェル~」を、性欲の絶対性とそれに結局負けてしまう人間の悲劇を描きながら、性欲に芸術的欲求が打ち勝つ可能性も微量に含ませていたのでは、と考えるのである。
でもそんな読み方では三島由紀夫なんて読めないし。私が浅いだけなのだろうか。 -
Posted by ブクログ
難しくて全4巻読み切るのに日数はかかったけど、内容の濃い、面白い作品だった。読んで良かった、この時期(混沌としたコロナ禍の時代、かつ個人的にも悩み多い時期)に読めたことにも意味があるかと。
第4巻について言えば、『エピローグ』は良くも悪くも意表を突く展開だったな、と。特に最後の方は難しすぎて読むのがしんどかったけど、著者の主張をできる限り受け止めたつもり。
登場人物が多い(しかも主人公レベルが複数人いる)中で、ある時はナターシャに共感し、ある時はマリアに自分を重ね、でも結局自分に一番近いのはピエールかなぁ…なんて思ったり。アンドレイも通ずるところ大アリだなぁ…。 -
Posted by ブクログ
戦争はクライマックスを迎え、ナポレオンがモスクワを占領してから退却していく様子を描いている。さまざまな関係者がさまざまな思惑を持って行動している様子が面白い。立場の違うそれぞれの人物を詳細に描いている筆力はすごい。
「リンゴが熟すまでは木からもいではいけない。熟せばリンゴはひとりでに落ちるのに、未熟なうちにもぐと、果実も木も傷めてしまい、おまけに自分も酸っぱい思いをすることになる」p521
「(人は期待にそぐわぬ情報は無視してしまう)だからクトゥーゾフは、自分が望む情報であればあるほど、それをあえて信じまいと自制していた。この問題に彼は自己の精神力のすべてを注いでいた」p524 -
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華やかな上流社交会で繰り広げられる、人々の付き合いの中での人間関係や登場人物の気持ちの変化が面白く、絶妙な物語展開に引き込まれた。
「自分にはかかわりのない事柄については、冷静なる観察者であるべきなのだ」p68
「私は自分がこの相手より上だと意識しているので、そのせいで相手よりはるかに劣った振る舞いをしてしまう。こちらが無礼な言動をしても相手は寛大に聞き流しているのに、こちらは逆にますます相手を見下すという始末だ」p72
「(狩猟犬)私なんかの出る幕かね! あんたがたの犬ときたら、犬一頭の値が村ひとつというような、何千ルーブリもする奴ばかりじゃないか」p239
「敵の砲火を浴び、何もできない状況の時に、兵士たちは懸命になって自分の仕事を探そうとする。何かで気を紛らわしていた方が危険をやり過ごしやすいからだというのだ。ピエールには、すべての人間がこの兵士たちと同じ方法で人生をやり過ごそうとしているように思えるのだった」p328 -
Posted by ブクログ
第1巻よりはだいぶ読みやすいと感じられた。そして、一層面白いと感じた。
登場人物の個性がかなり際立っていると感じられた。
とは言え、同じ人物でも、ある時には人生に絶望していたかと思えば、ある時には人生にまばゆいばかりの光を見出したり。この第2巻では、メインキャストのナターシャもアンドレイもピエールも、その両方を経験している(…と記憶している、ロストフもだったか?)。
それがとても「人間臭さ」を感じさせるし、自分にとって身近に感じてしまう。ずっと昔のロシアと21世紀の自分が、近くに感じられる。
あと、描写も相変わらず素晴らしい。特に、ロストフが狩りに出かけた時の描写がいいと思った。 -
購入済み
さすがです。
自分の読みたい中心人物は丁寧に、あとはとばす位にしました。
考察がしっかりしていて、さすがです。
ハムレットは「死ねば夢を見るだろう」と言ったが
死後新しく目を覚ますといった考えは思い及ばなかった。
キリスト教的なのか。
ピエールに関しては、伸るか反るかで、決闘や、暗殺計画、
フリーメーソン、銃殺まで出てくるとは思わなかった。
農業経営の改革については手腕の良しあしが比較できる。
ピエールは表面的だ。
夫婦は論理ではなく、それを飛び越えてわかりあっているとか
おおお!って思った。
最後、戦争論が延々とあったがとばしたので
いつかしっかり読み直せるかな? -
Posted by ブクログ
悲しみと驚きの第7部
心に残る第8部
読み終えた瞬間の私の感想…
え?これは?
『アンナの終わりとコンスタンチン・ワンダーランド』じゃないの!
なぜ?なぜトルストイは、この小説のタイトルを『アンナ・カレーニナ』としたの?
トルストイ先生、もっと他のタイトルあっただろうに…と考えつづけていたところ、巻末の、訳者望月先生の解説の中に、ゲイリー・モーソンという人の解釈が紹介されていました。
_題辞は 彼女が自分自身に下した捌きの言葉だとも取れる_
『アンナ・カレーニナ』だからこそ、彼女と相反するその周りの人物や思想、またリョービンの物語に光が差すのです。
悩めるリョービン、悟りを開くリョービン、まるで、青春時代に帰ったかのように、一緒に悩んでしまった!
私はどうしてここにいるの?神とは?生とは?精神、意志、自由、実体?
…と
でも、リョービンは自分の生活の中から(穀物番フョードルから)、答えを見つける。
答えがあるんですね、トルストイ先生✨
光と闇、リョービンの世界と、アンナの生き様。二項対立という言葉も解説にあったけど、、
私にとっては、かなりのリアリズム小説で、好みではないはずなのに、すっかり面白くよまされてしまった!
作家が亡くなって100年以上も経ったいまも、こうして私たちの心を捉えて離さない作品であることが、
これが文学なんだなぁと、よくわかりました -
Posted by ブクログ
5部はとにかくカオスで面白い。
まずはリョービンとキティの結婚式から始まるのだが
リョービンのあの性格ゆえ、そう簡単には行かない。
やはり自分などキティが愛してくれるのだろうか?
思いとどまるなら今だと、キティに告に行くが…
たぶん5分後には仲直り。
式の当日には、シャツを荷物と一緒に馬車で送ってしまったとかなんとかで…花婿大遅刻!
リョービンの兄、ニコライの最後。
看取りのためについて行くと聞かないキティに困惑するリョービン。しかし、キティは、保養所での経験を活かし、ニコライに誰よりもつくし、働く。
その姿にまた己の情けなさに落ち込むリョービン。
そして、私の心配どころセリョージャ!
彼は誕生日にママが会いに来てくれるとどこかで信じている!!
カレーニンは、イワーノヴナ伯爵夫人の手中にあり、宗教へと導かれる。
そこへ、アンナ!私たちのアンナ!
全てを振り切って、札束を小間使いに投げわたし、家に入ってゆく。愛しいセリョージャの誕生日祝いに。
後半6部は、
ドリーが子どもたちとリョービン夫妻の家で過ごす夏。彼女の主婦らしさ。
そして、リョービンの家から馬車でアンナを訪問に行く。
アンナとヴロンスキーの贅沢な暮らしぶりに辟易としつつも、彼女は決して人前で悪く言わない素晴らしい女性。幸せにいて欲しい。
リョービン、ヴロンスキー、オブロンスキーたちは選挙へ。
留守中のアンナの精神状態。
もうアンナはヴロンスキーに好かれるために必死。
ドリーにも説得され、カレーニンとの離婚を考え始める。。
と、こんなカオスぶり。
リョービンとキティの幸福な家庭ぶりと、
見せかけだけの、壊れてゆくようなアンナとヴロンスキーの行く先との対比を描く、
とくにアンナとリョービンの中にある感情のゆらぎ方とか、
トルストイの表現の上手さといったら!