【感想・ネタバレ】アンナ・カレーニナ 4のレビュー

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Posted by ブクログ

初トルストイ長編

幸せな家族はどれもみな似ているが、
不幸な家族にはそれぞれの不幸の形がある。

圧巻の世界観
登場人物がみんな生きている
熱情や妬みに翻弄されていく貴族たち

確かに昔存在していた時間たちが蘇り、
そこに生きていた人間たちの鼓動が感じられる。

本筋だけを追っていけば、
今日目新しい展開は特にないのだが、
一つ一つの挿話によって、
人物像だけでなく、彼らの生活の香りが浮き彫りになっていく。

アンナとリョーヴィン

アンナは恥辱との戦いであり、
リョーヴィンは自己との戦いであった。

地に足をつけて、自分と対話しながらなんとか生きていく。
それって、いつの時代も通用する教訓なんだと思う。

自分が何者で何のためにこの世に生きているのかを知りもせず、また知る可能性さえも持たず、その自らの無知に苦しむあまり自殺さえも恐れながら、同時に自分独自の、はっきりとした人生の道を、しっかりと切り開いていたのであった。

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2023年06月19日

Posted by ブクログ

長いけど訳が重厚すぎず、何より面白くてどんどん読み進められた。自分が恋愛に依存気味の時期の思考の流れにありがちな視野の狭さがアンナの一人称語りによく出てたりと人物の心理描写も素晴らしい上、リョーヴィンと対になる構成も面白い。タイトルロールなのにアンナは冒頭もなかなか登場しないし、死んでからも物語が結構続くんだよね。

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2023年04月24日

Posted by ブクログ

完結編。第7部と第8部を収録。2つのカップルの圧倒的な結末に魂が震撼する。そこに見出したある一つの答え。

前巻の新婚生活から続いて出産シーンへ。リョーヴィンの慌てっぷりがユーモラス。お互いに何でも話し合い、隠し事をしない理想的な夫婦像ともいえるリョーヴィンとキティも、時々は細かいことでぶつかったり悩んだりするところがリアル。

二人の主人公が一瞬だけ交差する出会いのシーンは胸が熱くなるものがある。ここから物語はクライマックスへ向かっていく。

第7部の終盤にいたる展開は、その不穏さとスピード感に読んでいるほうも追い詰められる感覚になる。男女の愛を理想的な結婚の姿という形で見せてくれたリョーヴィンと対比して、最後まで愛を求め続けたアンナの姿も、ある意味で女性としての究極的な何かを表現しているといえるかもしれない。最後のシーンの文章が本当に上手いというか、映像的でありながら文章でしか表現しえないものがあって、翻訳も含めてすごいと思った。

第8部はエピローグ的な展開と、リョーヴィンの思索がメインになる。一般的には第7部のラストに目が行きがちだし、物語としてはあそこで終わっても不自然ではない。だがこの第8部こそ、本作の結論でありキモとなる部分といえ、本作を単に恋愛小説として読んでいる人には見出だせない、より大きなテーマが提示されている。

リョーヴィンが抱き悩み続けている本源的な問い――
「自分はいったい何者か?自分はどこにいるのか?なぜここにいるのか?」
それは生と死についての疑問であり、リョーヴィンはこれについて明確な答えを見出す。アンナとリョーヴィンという、別々に展開し一見つながらないように見える2つのプロットは、すべてこの一点のテーマに集約されて大きなカタルシスをもたらすのである。

自分の若い頃にこれを読んでもピンとこなかっただろう。百姓ヒョードルの些細な一言で気づきに至る流れ、答えは理性の外にあり、「われわれはすべて知っているのだ」と納得する顛末に、うんうん、そうだそうだとうなずきながら、この何年かで学んできたこと、考えてきたことが微細に書かれていて驚いた。特筆すべきなのは、これらのことが単に思索の結果としてだけではなく、日常生活の細々した雑事と密接にからみながら描かれているところ。リョーヴィンの悟りは、よく言われるふわふわしたスピリチュアルではないのだ。悟りに至ったあとも、あまり変わらない現実の如実な姿にニヤリとするラストの一文が最高だ。また、キリスト教の信仰に立ち返った彼は、他宗教へのスタンスについても、子供たちのいたずらと天文学者のたとえから明確に結論づける。

表向きは恋愛と結婚を題材にしながら、また当時の生活や社会を詳細に描きながら、より深い生命の次元から万事を見つめ、多層的な観点から人間の本質に迫っていく本作は、個人的にも人生でベストといえる作品の一つとなった。これから映画も見てみたいと思う。

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2022年11月07日

Posted by ブクログ

悲しみと驚きの第7部
心に残る第8部

読み終えた瞬間の私の感想…

え?これは?

『アンナの終わりとコンスタンチン・ワンダーランド』じゃないの!

なぜ?なぜトルストイは、この小説のタイトルを『アンナ・カレーニナ』としたの?

トルストイ先生、もっと他のタイトルあっただろうに…と考えつづけていたところ、巻末の、訳者望月先生の解説の中に、ゲイリー・モーソンという人の解釈が紹介されていました。

_題辞は 彼女が自分自身に下した捌きの言葉だとも取れる_

『アンナ・カレーニナ』だからこそ、彼女と相反するその周りの人物や思想、またリョービンの物語に光が差すのです。

悩めるリョービン、悟りを開くリョービン、まるで、青春時代に帰ったかのように、一緒に悩んでしまった!
私はどうしてここにいるの?神とは?生とは?精神、意志、自由、実体?
…と

でも、リョービンは自分の生活の中から(穀物番フョードルから)、答えを見つける。
答えがあるんですね、トルストイ先生✨

光と闇、リョービンの世界と、アンナの生き様。二項対立という言葉も解説にあったけど、、

私にとっては、かなりのリアリズム小説で、好みではないはずなのに、すっかり面白くよまされてしまった!
作家が亡くなって100年以上も経ったいまも、こうして私たちの心を捉えて離さない作品であることが、
これが文学なんだなぁと、よくわかりました

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2021年07月02日

Posted by ブクログ

よかった。××××が最終章で最後に出した結論は半分共感できるが半分は茶番だと思う。でも嫌いじゃない。

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2021年02月08日

Posted by ブクログ

トーマス・マンが完璧な小説といった意味が分かる。紛れもなく、今まで読んだ本の中でベスト。
カラ兄のように宗教臭くない。難しい小説、ではなく、全てが書いてある小説、と思った。
何より面白い。し、細部が本当にリアル。
心理過程の描写が、プルーストほどには長くない。

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2016年01月31日

Posted by ブクログ

4巻の長編だったけど、読み進めるほどどんどん面白くなった。またいつか読み返すだろう。

生き生きと描かれている。説得力のある心理描写や比喩が面白い。
それぞれの性格からはっきりと人生が分かれ、その人の個性と思考が露呈していく。

リョーヴィンの気持ちがその時あった出来事によってころころ移り、かわいい感じもする。素直と頑固。
義父のクラブの話で、ぶよぶよ卵というのを表現がおかしかった。

リョーヴィンは生きる意味とは何かと哲学的に考えようとしたりする。でも答えが出ない。そしてある時、知る。
リョーヴィンは生きる意味とは何なのかを知る。だからといって生活は今までと同じだ。だけど、知ったことでリョーヴィンは喜びを感じる。

アンナは自分が招いたことだけど、人のせいにして、自分のマイナス思考は被害妄想に近く、自分で自分を追い詰める。だからヴロンスキーなどが何か言っても全部アンナは気に入らないのだ。周囲が間違った考えを正そうとしても嫌がり、フォローしても疑ってかかる。つまり、周囲は全てはアンナのおっしゃる通りですよと否定なしに肯定のみ、愛を捧げなければならないのだ。周囲は間違っているし誤解を解きたいけど、それをするとアンナはまた被害妄想で怒るのだ。早く精神科に行くべき状態。
なぜそんなに追い詰められていくのか、その心理描写の移ろいがうまい。

それにしても、最後、了と文字があった時「あら!ここで終わりなんだ!」ってビックリした。

この小説でリョーヴィンの自分はいったい何なのかの考えを読んでて、私も「あぁ!なるほど!」と思った。そんな話は聞いたことがあるし、そう考えてる人には当たり前のことなんだろうけど、何だか実感したのは初めて。リョーヴィンがぱぁーっと喜んだように自分も同じ気持ちを共有した感じだった。
多分、リョーヴィンに好感がもてるからだと思う。

この小説は私の中でインパクトの強いものになった。
またいつか読み返そう!

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2016年02月08日

Posted by ブクログ

ロシア文学に早く出会えなかったことに
本当に損をしたな、と感じました。
人生における事柄が網羅されています。
恋、苦悩がそこに。

確かにアンナのとった行動は
世間一般では相容れられない行為です。
だけれどもそれを頭ごなしに批判することは
出来ないと思います。

誰しも、アンナほどではないですが
きい、小さいに関わらず
道に外れてしまう、というのは
少なからずありますので。

目先の出来事からの逃避も
その1つかと思いますので。

そしてリョーヴィンに関して。
彼の苦悩も本当に分かります。
でも、それに気づいたのは
大きな成功ですね。

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2013年07月31日

Posted by ブクログ

アンナの他人からみた時の美しさの描写、猟の描写、リョーヴィンキティの掛け合い、リョーヴィンの最期の悟りの部分、特に良かった。ありとあらゆるテーマが緻密に書き込まれていていながらわかりやすいダブルプロットでとても読みやすく☆5を付けざるをえない。とても楽しかった。

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2013年06月21日

Posted by ブクログ

非常に恥ずかしながら、21年の生涯初のロシア文学。

心のどこかで、いつかは触れるべきだと思っていながら漸く今回、読み終えることが出来た。
今までの他の作品であれば、読み終えたあとは何らかの気持ちに加えて、読み終えたという達成感のようなものを感じていた。
しかし今回は違う。
達成感も感じてはいたが、それ以上に「もうこの作品の世界を味わうことはできない」といった寂しさを感じた。
本作「アンナ・カレーニナ」を読むにつれ、アンナ、リョーヴィン、オブロンスキー、キティ・・・といった登場人物たちが私の日常生活の一部となっていった。
彼らと共に過ごした時間をもうこれ以上共有できないと考えると、やはり寂しさが表に出てきてしまう。

作品世界に関しての議論は私は専門家でも何でもないので、触れるべきではないが、少なくとも、この作品が人間のあらゆる側面を描き出しているということは断言できる。
本当にこれが、時代も場所も違う1870年代ロシアを舞台にして描かれていたのかと見紛うくらい、人間という生き物の中にある不変な本質を私に伝えてくれたと感じている。

我々は恋をする。
しかし恋敗れれば悲しみもするし、時によっては自分を捨てた相手を憎むこともあるかも知れない。
自分が愛していると思っている人が他の誰かを好きになる。
当然嫉妬も起こるだろう。
時代の流れの中で、以前は順風満帆であった事業に陰りが見られることもあるかもしれない。
自分の子供が出来れば、あれやこれやと自分がしたいと思っていることを子供に託すこともあるかもしれない。
このようなごくありふれた日常の様子・感情が実に細かく描写されている。

内容の充実度も勿論のこと、表現の観点からも、私はこの作品が「Masterpiece」であることを心から感じている。

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2011年11月05日

Posted by ブクログ

ブロンスキーとの愛に生きようとしながらも、苦悩し、葛藤するアンナ――。『アンナ・カレーニナ』完結編。

随分前に読み終わっていたのだけれど、卒論に気を取られていたせいもあって、感想を書くのが遅くなってしまった。
読み終えたときの感慨をすっかり忘れてしまったことに、自分が一番がっかりしているところ・・・。やはり、感想は本を読んだらすぐ書かなくてはいけませんね。

とはいえ、『アンナ・カレーニナ』は凄い小説であった。これは多分、間違いないと思う。

ストーリーだけを見ると、全巻読み終わった今、納得のいかないところも多々ある。
特にアンナのラストには、やりきれない気持ちが残った。こういう終わり方なのか、絶望した人間の行く末としてこれが選ばれたのか、と思うと憤慨にも似た気持ちが湧く。

リョーヴィンの心情も、結局はよくわからなかった。彼は地主貴族という階級も、美しく聡明な妻も持っているのに、なぜそこまで自分の存在意義について悩み続けることができるのだろう? 
それが悪いというのではない。しかし、私は人間というのは、日常生活で満ち足りているのに、その日常と同時に自分の存在意義について考えられるほど、タフな生き物だとは思えないのである。
だから、それだけ素晴らしい環境を手にしているリョーヴィンが、そんな日々の生活をこなしながらも、抽象的なことを考え続けられるだけのそのエネルギーの源が一体何なのか、最後までわからなかったのだ。

では何が素晴らしかったのか。何がこの小説を輝かせ、また人を引き付ける力となっているのか。
私はそれを、「生きることへの確信のなさ」だと思った。
今生きていること、自分が自分だけの人生を歩んでいること。その圧倒的な現実にしかし、誰一人確信を持って生きているわけではないこと。
トルストイがこの物語で描いたのは、この「自分の人生が思い通りにいかないことに戸惑い続ける私」なのではないか、と私は思ったのである。

これは恐ろしいことだ。自分で自分がわからないということ、人生は自分の思い通りには進まないということ、生きていく限り、自分は後悔を重ねるであろうということ。
それはつまり、絶望のことではないか。
しかし違うのである。個人にとってはそれは確かに絶望かもしれない。だが、周りの人間から見れば、それはあまりにも当たり前のことなのだ。
私達は天才というのが滅多にいない、ほとんどいない、ということを知っている。もしかしたら、天才と呼べるような人物を一人も知らないまま、人生を終えるかもしれない。けれどそれで「ああ、私は天才に出会うことなく人生を終えてしまった」と後悔する人はいないだろう。しかし、いつでも自分に何かしらの才能があればいいな、と人は誰しも思っているのだ。
要するに、それと同じことなのである。自分の人生が思い通りにはいかない、ということは当たり前のことで、他人がそんなことで嘆いていたってなんとも思わない。
しかし、どこかで自分の人生は、自分の思い通りにできるという思い込みが、私達にはある。まるで、実は何か自分には隠れた才能があるのではないか、と思うように。しかし、そんなことはほぼない。けれどその不思議な思い込みは消えない。だから、いざ自分の思い通りにことが運ばないとなると、絶望的な気持ちになるのである。

だからこの物語のヒロインであるアンナは、読者からすると「わがままだなぁ」と映るのかもしれない。絶望絶望って、それはあなたがわがまま言ってるからでしょ、となるのかもしれない。
本人にとっては地獄、しかし周囲の人間から見ればただの日常の一部。その極限とも言える状況を、誰の手にもゆだねることなく、登場人物に誰一人として確信を抱かせることもなく、冷酷なまでの寛大さで持って描かれたのが、この『アンナ・カレーニナ』なのかもしれない。

トルストイは恐ろしい人だなぁ。これだけ長い物語で、最後の最後まで「確信」を描かなかった彼の筆力、そして精神は驚嘆に値する。
そう、人生にゴールなんてものはない。どこからでもが始まりで、どこまでもが自由なのだ。
なんと茫漠とした世界。
まるで、広い宇宙に身ひとつで投げ出されたような。
私達はどこまででも赤ん坊で、どこまででも年を取れるのである。

余談なのだが、私がこの『アンナ・カレーニナ』を読み終わったのは、トルストイの没後100年から2日前だったため、読み終わったすぐあとにトルストイの記事をいっぱい見ることができた。タイムリーで、ちょっとうれしかった。

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2011年08月05日

Posted by ブクログ

トルストイの長編小説。非常に文量の長い作品であるが、大変読み応えがあり、さすがは世界の大文豪、と舌を巻いた。

正直、ドストエフスキーやら何やらこの手の世界文学的古典には手も触れたことがなかったが、本作品を読み、その凄みをありありと感じた。これを皮切りに世界文学の世界に足を踏み入れていきたい。

   *   *

本長編作品に、登場する二人(男女)の主人公、アンナとリョービン、時に二人は光となり闇となり、同じロシアを舞台としながら、全く別の世界をパラレルに生きていく。

アンナとリョービン、この二人に共通する点は、「自分を偽れない」という点だと思う。ある意味とても純粋素直で、そのため通俗社会から、どうしても逸脱していってしまう二人。それでも本当の生き方や愛や信仰を摸索しながら、闘い、傷つき、心を膨らませる姿は似ている。

アンナは、本当の愛を求めた。リョービンは本当の生き方、といったところだろうか。

この愛すべき二人の主人公の顛末、明暗を分けたのは、アンナの生き方が自己愛に満たされていったのに対して、リョービンは無私の精神に満たされていった点にある。また作品の解説にもあるように、アンナが一元的に、リョービンが多元的に生きることとなり、結果、アンナの世界が破綻していった、というのにも納得ができる。

トルストイの本作品、19世紀を生きた若者の恋愛をテーマとしながら、社会全体を描いた作品の圧倒的スケール、かつ一人一人のキャラクターの内面世界の繊細な動きを捉えていて、よく一人の作家がここまで人間を描けるものだ、と感嘆した。

人間の心の中の矛盾や葛藤をよく捉えている。そして読者にとってあまり理解できないような難解な比喩表現などに逃げない点も好感が持てた。

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2010年08月29日

Posted by ブクログ

自分はリョーヴィンとキティの筋がメインプロットで、アンナはサブプロットな感覚で読んだ。まあ、アンナの筋の方が心理劇としては鬼気迫るけど、それがメインだと重いから。

いづれにしろ、社会に生きる人々の様々な行為や決定にまつわる心理が細密に書かれていて、素晴らしい名作だと思った。今も昔も社会や人間の大枠は変わらないもんだな。
人はひとりでは生きていけない。それで、社会と折り合いをつけ、社会性を持って生きることへの葛藤と救い。そしてまた疑い。ライフゴーズオンで物語は続いていく。

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2010年07月20日

Posted by ブクログ

 まさかアンナが自殺してしまうとは。
 そこに至るにあたってのアンナの壊れぶりが凄まじい。ここまで自殺者の心境に迫ったトルストイは、物凄く追い詰められたのではないかと思う。目に映るすべてが「負」としてしか捉えられなくなり、すべてが厭世を引き起こし、自己嫌悪の対象になるアンナ。環境がプロセスを作り上げて結果に至るのではなくて、「自殺」という結果ありきで、そこに至ることを目的にプロセスが意識的にゆがめられていく恐ろしさ。「死が明らかに生き生きと彼女の脳裏に浮かび上がった。死こそ彼の心に自分への愛情をよみがえらせ、彼を罰し、自分の心に住み着いた悪霊との間に行われていた戦いに勝つための、唯一の手段」という文を読んだとき、あぁ…振り切れてしまったな、と思った。私も、こういう心境になったことはある。私が死ぬことで、後悔している人たちを見て思い知らせてやりたい、という自分勝手な願望。自己愛の極地。しかしそれを実行に移すには、死ぬには、自己愛が強すぎてできない、それが「普通」。しかしアンナは違った。「いいえ、おまえなんかに私を苦しめさせてなんかおかないわ」と、自分でもなくヴロンスキーでもない、運命(神ともいえるか)に対して好戦的になってしまう。それほどに、自分の運命を理不尽に思ったのだろう。無理もない。私がもしアンナの立場だったら、自己実現のためにすべてを擲った先に破滅しかなかったとしたら…考えられないほどに恐ろしい状況だ。

 対して描かれてきたリョーヴィンが、最後に悟り(?)に至るまでは感動的だった。リョーヴィンは農業の話ばっかりでつまんない男だな、と思ってたけど(笑)、今ではとても好きな人物。彼はいつだって自分に正直なのだ。そこはアンナと同じだとも言える。現に彼は、宗教(キリスト教)と人生というものを考えながら、すべてのしがらみから逃れるには死を選択するしかない、という考えに一度は至ったのだし。それでも彼は生き続けた。それは彼がアンナとは違い、「リアル」を生きていたから。もっといえば、「リアル」からは逃げることができなかったから。アンナは現実を棄て、愛情の物語のなかに没入した結果、理想どおりの結末を得られないことで混乱してしまった。対してリョーヴィンは、どんなに悩んでも、追い詰められても、地主としての仕事を毎日こなし、家族と顔を合わせ、その場その場で生きていかなければならない。大事を成すという理想(アンナでいえば「愛情の物語」のなかに生き続けるという理想)にばかり耽ってはいられなかった。最終的に、リョーヴィンは、宗教と現実の折衝点を「善」に見つけ(性善説?)落ち着いて、この話は幕を閉じる。

 解説でも何度も触れられていたが、この小説は、タイトルは「アンナ・カレーニナ」だが、「リアル」な社会に生きるリョーヴィンとの対比をもってこそアンナの物語が活きてくることを考えれば、リョーヴィンの存在意義がとても大きい。ヴロンスキーが社会で泳ぎ始めて男性=「社会人」として活躍し始めたことでアンナとの関係が崩れていったのからもわかるように、男女の思想の差異も引き立てられている。ここでは語りつくせないほど壮大な大河小説だった。

 ひとつ、学んだのは、「勘違いの符合」の面白さと恐ろしさ、かな。お互い違う思考体系でもって考えているのに、リアクションが同じであることでなにかピタっとはまるようなある種の幸福な関係になるのだけれども、あくまで思考体系は違うので、そのプロセスの違いが別の事象を前にしたときに浮き彫りになっていく、というのか…うまく言えないんだけれど。同じポイントで笑っても、そのポイントを獲得した背景には違いがある。いかにうまく勘違いし続けられる同士かが、関係を持続させるコツなのかしらん。とか、思った。アンナとヴロンスキーしかり、リョーヴィンとキティしかり、ね。

 古典新訳じゃなかったら、この時期に読んでなかったかも。愛・男女について考えることの多いこの半年間に読めたことに感謝。ますますこのレーベルが好きになった。

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2013年02月28日

Posted by ブクログ

ネタバレ

 19世紀当時の帝政ロシアの貴族社会を背景とした物語としての歴史的荘厳さを保ちながら、アンナとリョーヴィンという愛に悩む等身大の人間像を絡めることで、不変的な一大叙情詩かつ一大叙事詩に昇華させたトルストイの古典的名作。光文社の翻訳・編著の妙もあるだろうが、いま読んでも全く古さを感じず面白い。
 ヴロンスキーの愛を猜疑しアンナの鉄道自殺で衝撃的に幕を閉じる第7章。これにて終焉としても良かったであろうが第8章のヴロンスキーの自棄的行動やリョーヴィンの啓示的開眼が単なる「不幸な家族にはそれぞれの不幸の形がある」人間模様から数歩抜きん出た深みある印象を与える。

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2022年05月07日

Posted by ブクログ

ここまで不幸な終わり方の「恋愛小説」は初めて。(そういうジャンルはそもそもあまり読んでないけど。)
20世紀以降を生きるものとしては、人間の行動パターンをどうしても「進化的に安定な戦略」かどうかとして見てしまう。嫉妬に狂うくらい優秀な遺伝子を持つブロンスキーのタネを何としても手に入れるぞ、というプログラムが発動すると、アンナのような奇怪な人格になるのかしら。。
キティのようなわかりやすい人格の方がホッとする。

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2018年08月21日

Posted by ブクログ

真実の愛とは何かという普遍的なテーマを、不倫の恋という側面から切り取る、純文学的な物語でした。アンナはどうすれば良かったのでしょう? 愛してもいない夫の元に留まるのが真実の愛に即した行動だったのか…否。では夫には隠したまま不倫を続け、愛人の子を夫の元で育てるのが正しかったのか…否。では、やはり筋書き通り夫を捨てて愛人と逃げるしかなかったのか…そうかもしれない。確かに、アンナはヴロンスキーの愛さえあれば幸せであり続けられたのかもしれません。けれどそうはいかなかった。普通の人間は、彼女ほど愛に対して純粋ではありません。だから恋人に飽きられたって次の恋を探すなり、冷えた関係のまま共に暮らすなり、ともあれ「愛がないなら生きてはいけない」とばかりに自ら死を選ぶなんてことはまずありえません。彼女の何が、このような破滅を導いたのでしょう? なにが罪でなにが罰だったのか? いえ、愛に理屈など通用しないのだから、可哀相ではありますが、愛に純粋である彼女は、こうなるしかなかったのでしょう。
中心テーマがアンナにあることは題名からも明白ですが、正直私はもう一人の主人公、リョーヴィンの物語の方が好きです。ハッピーエンドが好みなので…。『戦争と平和』のピエール・ナターシャ夫妻や、ニコライ・マリア夫妻でも思いましたが、トルストイの描く理想的な夫婦の描写が私は好きです。思想は違えど、互いに尊敬しあえる夫婦…。現実にはまず滅多にいないけれど、だからこそロマンがあって、微笑ましくて良いと思います。

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2015年11月23日

Posted by ブクログ

アンナは結局、ヴロンスキーというより自分自身の思考と戦っているように思える。
何が彼女をそこまで追い詰めたんだろう。

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2014年03月29日

Posted by ブクログ

面白かった。当時のロシアの社会情勢(多分)と登場人物の恋愛物語がうまくからみあった,いろんな物がたっぷり詰まった話でした。アンナの心情の分析は,すごくリアルなところも興味深かったです。それにしても,やっぱり,アンナの話の結末はあーなってしまうのね。

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2011年09月28日

Posted by ブクログ

2008.11
やはりアンナとヴロンスキーには好感を持てない。幸福→不幸への転落も、あの壮絶なラストも、自業自得としか思えない。特にヴロンスキーは、最初どれだけキティを苦しませたことか。

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2009年10月07日

Posted by ブクログ

アンナは悲劇的な最期に。リョーヴィンは幸福な最期になった。
しかし100以上も前の作品なのに、全然現代にも通用する内容に驚愕した。
人間は根本的には大きくは変わっていない。

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2018年11月25日

Posted by ブクログ

アンナの最期は壮絶でした。
自殺する人ってあぁいう感じなのかな。

やっぱり後味はあまりよろしくなく。
個人的にはそんなに感情移入できませんでした。
疲れたー。


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2009年10月07日

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