トルストイのレビュー一覧
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Posted by ブクログ
間違いなく読んで良かったと思える小説でした。
物語がひと区切りする時にはトルストイの哲学的な考察が挟まり、正直1回読んだだけでは総てを理解し受け止めることは出来ません。
戦争の場面は読んでいて集中力が途切れることがしばしばあったし、読んでいて退屈を覚えるくだりも結構あるけれど、物語の緻密な構成と豊かな人物描写が実に魅力的。
読み進めていくうちに登場人物達に対する愛情が深まり、愛を知る喜びも、大切な人がこの世を去る時の喪失感も、今までの人生で感じてきた総ての感情が作品を通じて呼び起こされて、自分自身の過去についても振り返らずにはいられませんでした。
この作品を読んでいる間、私の心は1800年代初めのロシアにたしかに居て、まるで別の人生を経験したようです。
生と死、戦争と平和、愛と憎しみ、どれも一見両極にあるように見えるけれど、どちらか一方が存在するときにはもう一方の存在は必然なのだということが強く描かれた物語でした。
生涯を通して再読していきたいと思います。 -
Posted by ブクログ
長い、とにかく長い。
別に登場人物のかけあいや心理描写は長くてくどくて結構なのですが
エピローグの二部の所が死ぬほど長く感じました。っていうかくどい・・・
回りくどい説明口調で更に読みにくい。トルストイ自身の考えを述べているのでしょうけど、殆ど頭に入りませんでした。
要約すると10ページくらいでまとまるのでは?
読後感がそこで全てそぎ落とされた感じです・・・ちょっと切ない。
それでもこの作品はすごかった。最初から最後も良い意味でも悪い意味でも。
今は同じ作者のアンナカレーニナを読んでいますが、そっちの方が断然読みやすいです。私自身が歴史にあまり興味が無いというのもありますが・・・
こんなに登場人物が多い小説もそうそうないと思います。とにかく名前と関係を覚えるのに苦労しました。 -
Posted by ブクログ
非常に恥ずかしながら、21年の生涯初のロシア文学。
心のどこかで、いつかは触れるべきだと思っていながら漸く今回、読み終えることが出来た。
今までの他の作品であれば、読み終えたあとは何らかの気持ちに加えて、読み終えたという達成感のようなものを感じていた。
しかし今回は違う。
達成感も感じてはいたが、それ以上に「もうこの作品の世界を味わうことはできない」といった寂しさを感じた。
本作「アンナ・カレーニナ」を読むにつれ、アンナ、リョーヴィン、オブロンスキー、キティ・・・といった登場人物たちが私の日常生活の一部となっていった。
彼らと共に過ごした時間をもうこれ以上共有できないと考えると、やはり寂しさが表に出てきてしまう。
作品世界に関しての議論は私は専門家でも何でもないので、触れるべきではないが、少なくとも、この作品が人間のあらゆる側面を描き出しているということは断言できる。
本当にこれが、時代も場所も違う1870年代ロシアを舞台にして描かれていたのかと見紛うくらい、人間という生き物の中にある不変な本質を私に伝えてくれたと感じている。
我々は恋をする。
しかし恋敗れれば悲しみもするし、時によっては自分を捨てた相手を憎むこともあるかも知れない。
自分が愛していると思っている人が他の誰かを好きになる。
当然嫉妬も起こるだろう。
時代の流れの中で、以前は順風満帆であった事業に陰りが見られることもあるかもしれない。
自分の子供が出来れば、あれやこれやと自分がしたいと思っていることを子供に託すこともあるかもしれない。
このようなごくありふれた日常の様子・感情が実に細かく描写されている。
内容の充実度も勿論のこと、表現の観点からも、私はこの作品が「Masterpiece」であることを心から感じている。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ前巻から思っていたのですが、やっぱりニコライ老公爵は私は嫌いです。
今巻で亡くなりましたが、その最後もマリヤと和解しているように描かれていましたが、私としてはうーん。という気持ちです。
アンドレイとナターシャがまさかの元鞘。
私がアンドレイだったら絶対に許さないし、私がナターシャだったら絶対に赦してくれなんて言えない。
二人はアナトーリの事で色々と面倒くさそうだなあ。死んじゃったのに。
ピエールは最後においおい!って感じで終わりましたが・・・
あと一巻だと思うと名残惜しい気がします。皆どのようにして平和を掴むのか・・・
戦争の一番の被害者は民衆だなー、と、略奪行為をする兵士たちを見ながら思いました。
そんなことしてどんな意味があるんだよ。と思いますけど、人間だから仕方がないのかな。
それにしても濃い。濃密な人物がストーリーを氷のように滑って行って、交差したりぶつかったりしてるイメージ -
Posted by ブクログ
ブロンスキーとの愛に生きようとしながらも、苦悩し、葛藤するアンナ――。『アンナ・カレーニナ』完結編。
随分前に読み終わっていたのだけれど、卒論に気を取られていたせいもあって、感想を書くのが遅くなってしまった。
読み終えたときの感慨をすっかり忘れてしまったことに、自分が一番がっかりしているところ・・・。やはり、感想は本を読んだらすぐ書かなくてはいけませんね。
とはいえ、『アンナ・カレーニナ』は凄い小説であった。これは多分、間違いないと思う。
ストーリーだけを見ると、全巻読み終わった今、納得のいかないところも多々ある。
特にアンナのラストには、やりきれない気持ちが残った。こういう終わり方なのか、絶望した人間の行く末としてこれが選ばれたのか、と思うと憤慨にも似た気持ちが湧く。
リョーヴィンの心情も、結局はよくわからなかった。彼は地主貴族という階級も、美しく聡明な妻も持っているのに、なぜそこまで自分の存在意義について悩み続けることができるのだろう?
それが悪いというのではない。しかし、私は人間というのは、日常生活で満ち足りているのに、その日常と同時に自分の存在意義について考えられるほど、タフな生き物だとは思えないのである。
だから、それだけ素晴らしい環境を手にしているリョーヴィンが、そんな日々の生活をこなしながらも、抽象的なことを考え続けられるだけのそのエネルギーの源が一体何なのか、最後までわからなかったのだ。
では何が素晴らしかったのか。何がこの小説を輝かせ、また人を引き付ける力となっているのか。
私はそれを、「生きることへの確信のなさ」だと思った。
今生きていること、自分が自分だけの人生を歩んでいること。その圧倒的な現実にしかし、誰一人確信を持って生きているわけではないこと。
トルストイがこの物語で描いたのは、この「自分の人生が思い通りにいかないことに戸惑い続ける私」なのではないか、と私は思ったのである。
これは恐ろしいことだ。自分で自分がわからないということ、人生は自分の思い通りには進まないということ、生きていく限り、自分は後悔を重ねるであろうということ。
それはつまり、絶望のことではないか。
しかし違うのである。個人にとってはそれは確かに絶望かもしれない。だが、周りの人間から見れば、それはあまりにも当たり前のことなのだ。
私達は天才というのが滅多にいない、ほとんどいない、ということを知っている。もしかしたら、天才と呼べるような人物を一人も知らないまま、人生を終えるかもしれない。けれどそれで「ああ、私は天才に出会うことなく人生を終えてしまった」と後悔する人はいないだろう。しかし、いつでも自分に何かしらの才能があればいいな、と人は誰しも思っているのだ。
要するに、それと同じことなのである。自分の人生が思い通りにはいかない、ということは当たり前のことで、他人がそんなことで嘆いていたってなんとも思わない。
しかし、どこかで自分の人生は、自分の思い通りにできるという思い込みが、私達にはある。まるで、実は何か自分には隠れた才能があるのではないか、と思うように。しかし、そんなことはほぼない。けれどその不思議な思い込みは消えない。だから、いざ自分の思い通りにことが運ばないとなると、絶望的な気持ちになるのである。
だからこの物語のヒロインであるアンナは、読者からすると「わがままだなぁ」と映るのかもしれない。絶望絶望って、それはあなたがわがまま言ってるからでしょ、となるのかもしれない。
本人にとっては地獄、しかし周囲の人間から見ればただの日常の一部。その極限とも言える状況を、誰の手にもゆだねることなく、登場人物に誰一人として確信を抱かせることもなく、冷酷なまでの寛大さで持って描かれたのが、この『アンナ・カレーニナ』なのかもしれない。
トルストイは恐ろしい人だなぁ。これだけ長い物語で、最後の最後まで「確信」を描かなかった彼の筆力、そして精神は驚嘆に値する。
そう、人生にゴールなんてものはない。どこからでもが始まりで、どこまでもが自由なのだ。
なんと茫漠とした世界。
まるで、広い宇宙に身ひとつで投げ出されたような。
私達はどこまででも赤ん坊で、どこまででも年を取れるのである。
余談なのだが、私がこの『アンナ・カレーニナ』を読み終わったのは、トルストイの没後100年から2日前だったため、読み終わったすぐあとにトルストイの記事をいっぱい見ることができた。タイムリーで、ちょっとうれしかった。 -
Posted by ブクログ
ヴロンスキーとのイタリア旅行から帰国したアンナは、どうしても息子に会いたい一心でかつての我が家に戻る――。一方、新婚のリョーヴィン夫妻は、新しい生活をスタートさせるが――。
2巻の感想で、アンナの心情がさっぱりわからない、と書いたけれど、3巻を読んでいくうちに、それも当然のことだったのかもしれない、と思うようになってきた。
この巻でも、やはりアンナの行動ははっきりしない。自分が心の内で思っていることと矛盾した行動を取り、時にヒステリックなまでに感情を高ぶらせ、それでも輝くばかりに美しく聡明である。
彼女自身も混乱しているのだ。どうしたらいいのか、ほんの数時間、数十分先のことさえわからないでいるのだ。今手の中にあるものだけが頼りで、これを離したら、それこそ自分はどうして生きているのかわからない、という状態にまで来ているのかもしれない。
だからこそ、彼女は異様なまでにヴロンスキーを自分に繫ぎとめておきたいと思うのだろう。
しかしそれでも、アンナの行動ははたから見れば、自分勝手で利己的としか映らないであろう。彼女自身も、そのジレンマに身を焦がさんばかりに苦しんでいることだと思う。
だからこそ、彼女は美しくあろう、聡明であろうとしているのかもしれない。たとえどんなに道徳的、社会的に認められない存在であろうと、その二つを維持することで、彼女のプライドが保てるならば、彼女はいくらでも美しく聡明になる努力をすると、私は思う。だから、アンナが輝くばかりに美しい理由も、わからないではない。
しかし、その意地だけで本当に「美しく」見えるのかとなると、少々疑問だが・・・。
アンナともっとも対照的な家庭生活を営んでいるであろうドリーの視点から、アンナの生活を観察する場面は非常に興味深かった。この場面があったから、アンナの心情に深みが増したと思う。
リョーヴィン夫妻の新生活のほうは、幸せいっぱいでお互いがお互いをこの上なく愛していながらも、細々とした悩みに煩わされる様子がリアルだった。
物語の蕾が膨らんだ3巻。最終巻でこれがどういう形で満開となり、また散るのか、わくわくどきどき。 -
Posted by ブクログ
トルストイの長編小説。非常に文量の長い作品であるが、大変読み応えがあり、さすがは世界の大文豪、と舌を巻いた。
正直、ドストエフスキーやら何やらこの手の世界文学的古典には手も触れたことがなかったが、本作品を読み、その凄みをありありと感じた。これを皮切りに世界文学の世界に足を踏み入れていきたい。
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本長編作品に、登場する二人(男女)の主人公、アンナとリョービン、時に二人は光となり闇となり、同じロシアを舞台としながら、全く別の世界をパラレルに生きていく。
アンナとリョービン、この二人に共通する点は、「自分を偽れない」という点だと思う。ある意味とても純粋素直で、そのため通俗社会から、どうしても逸脱していってしまう二人。それでも本当の生き方や愛や信仰を摸索しながら、闘い、傷つき、心を膨らませる姿は似ている。
アンナは、本当の愛を求めた。リョービンは本当の生き方、といったところだろうか。
この愛すべき二人の主人公の顛末、明暗を分けたのは、アンナの生き方が自己愛に満たされていったのに対して、リョービンは無私の精神に満たされていった点にある。また作品の解説にもあるように、アンナが一元的に、リョービンが多元的に生きることとなり、結果、アンナの世界が破綻していった、というのにも納得ができる。
トルストイの本作品、19世紀を生きた若者の恋愛をテーマとしながら、社会全体を描いた作品の圧倒的スケール、かつ一人一人のキャラクターの内面世界の繊細な動きを捉えていて、よく一人の作家がここまで人間を描けるものだ、と感嘆した。
人間の心の中の矛盾や葛藤をよく捉えている。そして読者にとってあまり理解できないような難解な比喩表現などに逃げない点も好感が持てた。 -
Posted by ブクログ
切れ目なく続く展開と交差の連続。
瀕死のアンドレイと、一度は彼を裏切ったナターシャの再開があまりに美しく、震えた。
導かれるまま、いやらしくもない、劇的な場面の応酬で、☆五つ。
指導者がすべての手綱を握っているかのように思われがちだが、そうではない、抗いがたい何かによって時代が動いていく。
指導者は戦争を始める事もできなければ、終わらせる事もできない。そこに彼の感情や思想はなんの影響力ももたない。
ではいったい、戦争とはなにか?
実際の戦争を細かに描写しながら、個人の心の中や民衆の生活の中にあるそれを見事に浮き彫りにしていく。
戦場と社交界
個人感情と神
それぞれのものだと思っていたものが、当然のように互いを行き来し、混ざりあい、影響しあう。
「戦争」と「平和」ではなく、「戦争と平和」という状態。