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死へ望むしかない状況で、生とは何かを考え、自分の答えを出していく。その姿勢、それに対する周囲の姿勢が描写される。取り巻く環境は様々ある中で、一人で考えていくのだ。自分として「これから何を考えるのだろうか」と考えるきっかけとなる本。
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クリスマス本読み2冊目。トルストイの後期の作品で、重い。死ってこういう風に訪れて、死を直前にした人間の心の様がありありと描かれている。死を迎えるハイステータスの男の生き方と、典型的?なロシアの農民(百姓と表現されているのだな)の素朴な生き方が所々で交錯し、トルストイの晩年の生き方が反映されているのだ。
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限りなくえげつないです。ですが、今も昔も病気はあるので、現代でもまったく当てはまる物語だと思います。医療人・将来の医療人の方には是非とも読んでいただきたい作品です。
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古典だが現代人に通じる。地位や見栄や表面的な人付き合いは結局、死ぬときには何も意味がないのだとつくづく感じた。自分も人生の折り返し地点にいるが、これからの人生は仕事や用事に忙殺されるのではなく、少しでも自分のため、自分が大切に思うことのために時間を使って死ぬ時に 満足できるような日々を過ごしたい。
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『戦争と平和』や『アンナ・カレーニナ』といった大長編で有名なロシアの文豪トルストイだが、もしかすると晩年に書かれた本作こそが彼の最高傑作ではないかと疑いたくなるほどの名作である。
短い作品である。文庫本にして100ページにも満たない。四冊にまたがる『戦争と平和』等の大長編と比較して、見劣りしないと言ったら嘘になるだろう。だがその中身は、トルストイの全キャリアが凝縮されているかのように濃くそして重い。
とはいえ何かドラマチックな事件が起こるわけでもない。主人公イワン・イリイチという一介の役人が死ぬだけの話である。死ぬだけ? なるほど死は、三人称の死は日常茶飯事に過ぎない。しかし一人称の死は? 主人公を三人称にとどめたまま一人称の死を描くトルストイの手腕は秀逸である。
冒頭はイワン・イリイチの葬式から始まる。訃報を聞いた友人たちはみな一様に驚いたような振りをする。驚くわけがない。人が死ぬのは当たり前である。友人たちはみな一様に悲しいような振りをする。悲しいわけがない。死んだのは他人であって自分ではない。喜びの方がむしろ大きい。ハイデッガーの『存在と時間』で明らかにされる頽落が、これほど見事に描かれている場面はほかにない。
死の直前イワン・イリイチの病に関し、医者がさまざまな議論をする。イワン本人は何を言われているのか全く分からない。自分の生死という存在にかかわる問題と、身体の疾患という事物にかかわる問題が同列に扱われていることの矛盾。哲学における死と医学における死の絶対的な断絶は永遠に解決不可能であろう。
最後のシーン、死におけるイワン・イリイチの幸福感は、しかし読者を慰めることはない。そんなものがフィクションに過ぎないことくらい読者には分かっている。しかし私の死はフィクションではない。本書によってそれに気づかされてしまった読者は眠れぬ夜に悩まされることになる。他人に薦めるのもはばかられるほどの恐るべき傑作である。
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生きることの意味を考えさせられる書だ。
人は生きるうえで指針というものがなければ、生きることはできない。
だがしかし、その指針というものが知らずのうちに多くの人がもつ指針を自分ももってしまっているということが、
人生においてはどれだけ辛辣なことか。
ある一人の人間の死にゆく姿でみることができる。
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ここにはトルストイの幾つものメッセージが込められています。まず自分が他人にした事はいずれ形を変えて自分にも返って来るという事。
凡人が陥り勝ちな自分の欲望を最優先に追い続ける生き方をするといつか後悔する時がくるということ。人間はどんな状況でも生きている限り他人の為に出来ることがあるということ。死にたくないという本来の生存への執着ですら持つ事が本当ではないということ。自分の生活が法にかなって作法に外れてさえいなければ正しいわけではない。
イワンはそれに気付くために病気になって苦しむ必要があったのだと思う。ただ生きるのではなくどう生きるかが大事なんだと思いました。
素晴らしいです。何度も読み返してさらに深く気付いたらまた追記します。
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死について、というより今自分の生について考えさせられた
全盛期まで器用に生きてきたイワンイリッチなわけだが、その器用さが故に後々死に近づいていってる時に苦しめられ、結局良き思い出は幼少期くらいしか出てこない
見栄や虚心で生きれば、それなりにあとから苦しみがやってくる
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昔も読んだ。
人間の愚かさというか、滑稽さに笑ってしまう場面もあった。
しかし、イワン・イリッチの死に際する苦しみには、笑えなかった。
死とは孤独なものだろう。
そして、イワン・イリッチの死は決して特殊なものではないだろう。
また、読み返そうと思う。
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短い作品でありながら、深い余韻とどっしりした読後感をもたらす作品。一市民であるイワン・イリッチが、深い孤独と絶望、病魔による激しい痛み耐えながら、死を迎えるまでを描く。死の間際、光を見いだす主人公の姿は、とても明るく、温かい。
訳も素晴らしく、トルストイの円熟の筆の冴えが伝わってくるような文章。
(2015.4)
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ある会合ですすめられて、早速読んだ。黒澤明監督の映画「いきる」に似ているとおもったら、やっぱりこの作品を下敷きにしていたのだった。
「死」という人生の総仕上げに真正面から向かい合ったトルストイ。たしか大病をわずらったあとに書いたものだったと思う。
家族が病気の主人公に気を使いすぎで、結局だれもよってこなくなったとき、普段とかわらず接して声をかけてくれたのは召使だった。
また読みたい作品である。自分の人生への理解が深まったらもっと深くよめるとおもう。
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金持ちで地位の高いイワンイリイッチが死ぬまでの過程を描いた話。
序盤は退屈だったけど、後半からはイワンイリイッチの心理描写にのめり込めて面白かった。
別に心の中では悪い事しようとしてる訳じゃないのに、周りの家族から蔑まれるのが辛いね。最後の力が出なくて「許してくれ」って言えないシーンが悲しい。
最後は死の恐怖を克服し、幸せな気分で消える事が出来て良かった。
あとイライラとかだんだんとかの単語を、「むらむら」って表現するのがちょっと気になった。
主人公は今までの人生振り返り、歳をとるにつれ、加速度的に辛くなる事に気が付いた。そこそこ楽しいと感じていたこれまでの人生だけど、振り返ってみると、無意味で穢らわしいものに思えて来るらしい。
自分は死ぬ間際に、これまでの人生を振り返ってどう思うのだろうか? 後悔しないように海外行ったり色んなバイトするようにしてるけど、最近はそれがなんなんだ?って気持ちになる。海外行けば目新しい感じになって人間的に成長した気はするけど、結局帰ってこれば特に何も変わってない。変わってた所でも別にそれがなんなんだ?とはなる。
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病気のうちの孤独をおぞましいほど描いている。イワン・イリッチの心うちがよく分かる9章が特に心に残った。
奥さんをあまり大切にしていない以外は順調だった分、なぜ自分が精神的に孤独に死なないといけないのかに煩悶する彼の姿は、今にも私自身もそうなりそうなようで共感できる。そのなかで人間誰しも死ぬということを隠さないゲラーシムは救いだったろう。
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思った以上に現代的、というか、通ずるところがやけにリアルに感じた。
死ぬ前まで、いや、死んでまでも、分からないこと、気づかない小尾、たくさんあるんあろなー。いろんな本読んで、少しでもいろんな大事なことに気付きたいと思う。すぐ忘れるけど。
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難しそうだなあと思いつつ、一気に読みきってしまった。
読んでいて胸の詰まるような、苦しい気持ちになりながら。
死ぬ間際の、今までの生活、価値観全てを否定する気づきに虚しさを感じた。
が、現代に生きるわたしたちはどうだろう。
ずっと昔に書かれた本だけれど、今の自分の生活、間違っていないだろうか。
間違いって?
SNSに翻弄されながら、寂しい夜を過ごしたり、
いったい何が本当の幸せなのか。
やはり本当の幸せは、生から解放される瞬間にしかないのでしょうか。
疑心にまみれる人生は苦しい。
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岩波文庫赤
トルストイ 「 イワンイリッチの死 」
死をテーマとした良書。哲学や宗教を用いずに 死の境地を表現。
一人の男性の人生を通して、生の自己満足→死の恐怖→死の喜びを 追体験できる凄い本。死顔の表現力に驚く
「アンナカレーニナ」は よくわからなかったが、これは面白い
「死とはなんだ〜恐怖はまるでなかった。なぜなら 死がなかったから〜死の代わりに光があった〜何という喜びだろう」
死顔
*在世の時より美しく、もっともらしかった
*その顔は 必要なことはしてしまった、しかも立派にしてのけた とでもいうような表情
*この表情には 生きている者への非難、注意が感じられた
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死に対して、何の小細工も弄せず、愚直にまっすぐ向き合った作品だと思う。いろんな形で、いろんな方向から死にアプローチすることだってできるはずが、真っ正面から対象を見据え、無駄なものを一切排除して描き切ったところが、トルストイらしい。イワンの死に対する価値観の変容が、身体の容態とリンクしている様が、本当に真に迫っている。理解しきることはないが、それでも分かる分かるとうなづいてしまうようなリアリティがある。聖人君子でもなければ、イワンと同じ心境に陥ることはあるだろう。どうでもいいけど、トルストイと言えばイワンだな…。
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諸行無常。と一言で言ってしまうことを小説にした感じ。一見、順調に見える人生を歩んできた表題人物の死と生涯。苦しみはどこから来るのか、救いはあるのか幸せはどこに存在するのかそんなことを考えさせられる作品だった。
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ひとりの凡俗な人生を送ったイワン・イリッチが死んだ。栄達を求めて組織や上司に対してそれなりにうまく立ち回り、調和としての結婚もし、子どもも出来て、司法官として出世もした。子どもができた頃から家庭内はまずくなったが、勤務への精励を逃げ道にして、自分のこれはと思う人生を生きてきたのであったが・・・、とまあ、現在でもどこにでも居そうな人物ではあるが、そうしたありきたりな小人物を主人公にすることによって誰もに訪れる「死」というものをレフ・トルストイは容赦のない現実として読者へ突き付けた。
誰もが直面するはずなのに、それが現実感を持つまで自らのこととして向き合うことを避ける「死」。そうした普通の人物が「死」と向き合った時、その「人生」とは一体何であったのか?主人公イワン・イリッチが病魔の苦しみに悶える中で、「人生」を振り返る時、まさに身につまされるような葛藤が次々と展開されていく。痛みが身体を襲い、四肢が不自由となり、排泄物を人に頼らなければならなくなる「死」への身体的過程と、自分に対し真実を避けるような言動をとる家族への憎悪と孤立など、心身ともに衰弱していく生々しい描写が痛々しい。
だが、おそらく本作におけるトルストイの主題は、当時傾倒していたという宗教的救いの可能性を訴えることにあったのだろう。どこにでもいる普通の個人の「人生」と「死」を直截的に追求することで、誰もが体験するはずの最期の時にどう向きあえるのかを冷厳に提示し、ラスト直前にもたらされる「救い」はどのような人間にも等しく可能なのだと訴えかけているのだろう。しかし、ここにあえて普遍化を要求するならば、唐突感のある「救い」ではなく、もし「救い」が本当にあるのならば、葛藤の果ての諦観の転換としての到達をもう少し深化して欲しかった。いつか起きる自分の可能性のためにも。
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死は誰にでも平等に訪れる、聖者にも悪党にも、私にもあなたにも。なのに生きている間に直面する死はいつだって、私のではなく他人のもの。トルストイはこの100ページ弱の短編で徹底して平凡な人間の死を描いてみせた。凡庸な生涯に訪れる、少しだけ早い人生の夜の訪れはやはり無難に俗物的に暮れていくが、それでも死の間際に見た景色には星の瞬きの様な、僅かだけど確かな救いがある。生きてる限り死に触れ続ける事から避けられないと気が付いて、心が折れそうになった時は、イリイチの死に立ち返ろう。死をそっと、ポケットに包み込むために。
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勉強し、仕事をし、結婚し、子を育て、ちょっぴり贅沢もし、旅行にも行き、楽しく暮らす。
その為に労苦を乗り越え生きていく。やがて来る「死」など考えもしない。でも、思いもよらぬことが起こる。突然の病、死への恐怖、憎悪、孤独感、その心情を淡々と静かに見事に描写するトルストイ。
思い出す、あの人、ぁ〜、あの人も、そんな人が身近にもたくさんいた。こんなことを思いながら逝ったのだろうか。明日来るやもしれぬ「死」
--「また、そんなこと考えてんの」なんて言われそう 。
--ぃえ、死について論ずる気はありません。静かに再読してみましょう。
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一見すると「死」をテーマにしているようだが、本当のテーマは「心の目覚め」だ。
主人公は病床で肉体的苦痛に苛まれながら、苦痛、死、人生の意味など答えのない自問が次々に湧き起こり、精神的にも苛まれていく。
死の直前になって、ようやく地位、名誉、世間体、経済的な富裕、他者との比較評価など、自分が当たり前のように信じていた人生の価値尺度が全て「間違い」だと気づく。
凡人を主人公にしたのは、この主人公こそわれわれ読者であり、他人事ではないという著者のメッセージだ。
死の間際に、まだ「本当のこと」ができると気づいた主人公は、息子が手にしてくれたキスでようやく心が目覚める。
最後に自分のことを忘れて家族のことを思って、いまその瞬間にできることをして、息を引き取る。
だから、心の目覚めた主人公にとって、それは「もう死ではなくなった」のだ。
このメッセージは、裏を返せば「心の目覚めない人生は死んでいるのと同じ」ということかもしれない。
残念なのは、訳。原文にフランス語が使われている箇所は、そのニュアンスを訳そうともしていない。
本書に興味がある人には、光文社から出版されている新訳をお薦めしたい。
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人が死に面したときの心理過程を追求し、終末期医療のバイブルとなったキューブラー・ロス著『死ぬ瞬間』が発表されたのが、1969年。その83年前である1886年に発表されたこの著作であるが、死に面した人間の心理過程が、十分な説得力と現実味をもって克明に描かれている。まさに巨匠の作品と呼ぶにふさわしい。
読書家の中の読書家とでも呼ぶべき、かのホルヘ・ルイス・ボルヘスが、『文学が我々に提供しうる もっとも賞賛に値する作品』とまで言った作品だというのも、読んでみてうなずけた。
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なんだか以前読んだ「老人と海」に似ているような気がしなくもない作品であった。
とはいえ、ヘミングウェーの小説よりは圧倒的に心理描写が多いけども・・・。
ただしイワン・イリイチのような、外面的には成功していても家庭内はぎすぎすした雰囲気が支配している家というのは、帝政ロシア末期であろうと現代日本であろうと変わりはないような気もした。
もしそのような家でイワン・イリイチのように急病で倒れ、死んでしまったとしたら、どうであろうか。悲しむよりも、今後裁判所の判事は誰になる気がするとか、そういう自分に関係のあることしか考えない人が周りにいたのがイワン・イリイチでもある。むしろ泣いてくれる家族はいるだろうか。
どことなく、ライトノベルのような気がしなくもない…と言ったら、おとしめすぎ?
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今も昔も変わらない。富、幸せ、人生の転落。死にたくない!との思いから最後の光の差す方へ行く境地までの道のりの長いこと!
人間は何のために生きて死ぬのか?
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こんな時だからロシア人の作家の本を。
100ページ程度なので読むのに時間はかからないが、それだけにうっかりするとスルスルと読んで引っ掛かりを逃してしまいそうになる。おそらくアンナカレーニナ、戦争と平和など他の作品の流れの中で読み込むことが必要な作品なのだろう。
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【感想】
前半はなかなか読み進めることができなかったが、後半から面白かった。死に対しての恐怖、家族への憎しみなどがリアルだった。
【あらすじ】
イワン・イリッチが亡くなり、葬儀が行われる。
イワンの過去について。妻プラスコーヴィヤとの結婚生活は上手くいかなかったが仕事は順調だった。イワンは家の手入れをしていて転倒して以降、腹痛に襲われるようになった。病気のことばかり考えてしまうので裁判の仕事に身を入れようとするが、痛みによって思い出してしまう。百姓であるゲラーシムに看病してもらうときは気分が良い。
妻や子供たちがイワンの病について気遣うが、偽りであると感じ余計に苛立ってしまう。肉体的苦痛、精神的苦痛を感じるが、最期は死の恐怖から解放され光を感じるのであった。