あらすじ
一官吏が不治の病にかかって肉体的にも精神的にも恐ろしい苦痛をなめ、死の恐怖と孤独にさいなまれながら諦観に達するまでを描く。題材には何の変哲もないが、トルストイの透徹した観察と生きて鼓動するような感覚描写は、非凡な英雄偉人の生涯にもまして、この一凡人の小さな生活にずしりとした存在感をあたえている。
...続きを読む感情タグBEST3
Posted by ブクログ
解剖で忙しかったから読むのに時間かかった。
死の受け入れ方昔から興味があるから、この本は面白かった。死にリアリティがない学生時代だからこそ楽しめた気がする
Posted by ブクログ
ひとりの男の生涯と死に至るまでが、100ページという短い中に重厚に描かれている。死とは身近なものである、という事実を突きつけられる。赤の他人の何気ない小さな事故から、死が近づいてくる心理描写がとても生々しく、死は他人事ではないことを痛感する。途中で視点が変わるのも無駄がない。
Posted by ブクログ
あーーー良かった。今読みたい本だった。痒いところに手が届く本だった。
イワンはバカだなあと思う気持ち(イワンのバカなだけに)と、果たして自分は絶対にイワンのようにはならないとは言えるのか、不安になった。怖くなった。
イワンは本当にバカだ。世間での評価しか頭になくて、本当に自分が大切にしたいもの、魂の声を全く聞いていなかった。世間の評価がなぜ大事なのか考えたこともなかっただろう。俗っぽい、つまらない人生。
でも、魂の声を聞き続けるのも大変。そんなのすぐに答えが見つかる問いではない。聞き続ける、探し続けることその自体に意味がある、その行為自体が目的になってしまうようなことだと思う。自分はまだ声を聞ききれていなくて、何が大切かもわからなくて、何をしたいかも不明瞭だしできるかもわからないし、そんな中で余命宣告なんかでもされたら相当の恐怖。なんならお腹が痛くなるたびに将来大腸癌で死ぬ妄想をしてゾッとする。まだまだ死ねない。満足がいく最期を迎えたい。美しく死にたい。そのためには魂の声を聞き続けなければならない。
一つ救いがあるとすれば、こんなイワンでも死ぬ直前には希望の光が見えたこと。直前まで苦しくて辛かったけど、最後の最後で辛くなくなったのはよかったね。ろくでもない人間でも最後に救いがあるというのは素晴らしい。
トルストイ面白かったな、他の作品も読んでみたいな。
Posted by ブクログ
無意味で穢らわしい人生への総括。誰もが必ず向き合うことになる「自分だけの死」についての簡潔なリポート。腹痛や頭痛など誰でも身近な痛みで体感し得る「痛みに耐える時間は長く、救われた時間は短く感じる現象」とその間に冷えた頭の中で痛みと闘うことを強いられている自分以外の人や物への憎悪、過去の己との対峙、後悔と自己憐憫、否定と肯定。主人公の痛みに終わりはなく、戸口から僅かに差し込む外の光に眼球を痛めながら圧縮された絶望を少しずつ舌先で舐めるような話。
Posted by ブクログ
この作品は読んでいてとにかく苦しくなる作品です。心理描写の鬼、トルストイによるイワン・イリッチの苦しみの描写は恐るべきものがあります。
幸せだと思っていた人生があっという間にがらがらと崩れていく悲惨な現実に「平凡な男」イワン・イリッチは何を思うのか。その葛藤や苦しみをトルストイ流の圧倒的な芸術描写で展開していきます。
そして、私はこの作品を読んでいて、「あること」を連想せずにはいられませんでした。
それがチェーホフの存在です。チェーホフの『退屈な話』という中編がこの作品と酷似しているのです。
Posted by ブクログ
死へ望むしかない状況で、生とは何かを考え、自分の答えを出していく。その姿勢、それに対する周囲の姿勢が描写される。取り巻く環境は様々ある中で、一人で考えていくのだ。自分として「これから何を考えるのだろうか」と考えるきっかけとなる本。
Posted by ブクログ
クリスマス本読み2冊目。トルストイの後期の作品で、重い。死ってこういう風に訪れて、死を直前にした人間の心の様がありありと描かれている。死を迎えるハイステータスの男の生き方と、典型的?なロシアの農民(百姓と表現されているのだな)の素朴な生き方が所々で交錯し、トルストイの晩年の生き方が反映されているのだ。
Posted by ブクログ
限りなくえげつないです。ですが、今も昔も病気はあるので、現代でもまったく当てはまる物語だと思います。医療人・将来の医療人の方には是非とも読んでいただきたい作品です。
Posted by ブクログ
古典だが現代人に通じる。地位や見栄や表面的な人付き合いは結局、死ぬときには何も意味がないのだとつくづく感じた。自分も人生の折り返し地点にいるが、これからの人生は仕事や用事に忙殺されるのではなく、少しでも自分のため、自分が大切に思うことのために時間を使って死ぬ時に 満足できるような日々を過ごしたい。
Posted by ブクログ
『戦争と平和』や『アンナ・カレーニナ』といった大長編で有名なロシアの文豪トルストイだが、もしかすると晩年に書かれた本作こそが彼の最高傑作ではないかと疑いたくなるほどの名作である。
短い作品である。文庫本にして100ページにも満たない。四冊にまたがる『戦争と平和』等の大長編と比較して、見劣りしないと言ったら嘘になるだろう。だがその中身は、トルストイの全キャリアが凝縮されているかのように濃くそして重い。
とはいえ何かドラマチックな事件が起こるわけでもない。主人公イワン・イリイチという一介の役人が死ぬだけの話である。死ぬだけ? なるほど死は、三人称の死は日常茶飯事に過ぎない。しかし一人称の死は? 主人公を三人称にとどめたまま一人称の死を描くトルストイの手腕は秀逸である。
冒頭はイワン・イリイチの葬式から始まる。訃報を聞いた友人たちはみな一様に驚いたような振りをする。驚くわけがない。人が死ぬのは当たり前である。友人たちはみな一様に悲しいような振りをする。悲しいわけがない。死んだのは他人であって自分ではない。喜びの方がむしろ大きい。ハイデッガーの『存在と時間』で明らかにされる頽落が、これほど見事に描かれている場面はほかにない。
死の直前イワン・イリイチの病に関し、医者がさまざまな議論をする。イワン本人は何を言われているのか全く分からない。自分の生死という存在にかかわる問題と、身体の疾患という事物にかかわる問題が同列に扱われていることの矛盾。哲学における死と医学における死の絶対的な断絶は永遠に解決不可能であろう。
最後のシーン、死におけるイワン・イリイチの幸福感は、しかし読者を慰めることはない。そんなものがフィクションに過ぎないことくらい読者には分かっている。しかし私の死はフィクションではない。本書によってそれに気づかされてしまった読者は眠れぬ夜に悩まされることになる。他人に薦めるのもはばかられるほどの恐るべき傑作である。
Posted by ブクログ
生きることの意味を考えさせられる書だ。
人は生きるうえで指針というものがなければ、生きることはできない。
だがしかし、その指針というものが知らずのうちに多くの人がもつ指針を自分ももってしまっているということが、
人生においてはどれだけ辛辣なことか。
ある一人の人間の死にゆく姿でみることができる。
Posted by ブクログ
ここにはトルストイの幾つものメッセージが込められています。まず自分が他人にした事はいずれ形を変えて自分にも返って来るという事。
凡人が陥り勝ちな自分の欲望を最優先に追い続ける生き方をするといつか後悔する時がくるということ。人間はどんな状況でも生きている限り他人の為に出来ることがあるということ。死にたくないという本来の生存への執着ですら持つ事が本当ではないということ。自分の生活が法にかなって作法に外れてさえいなければ正しいわけではない。
イワンはそれに気付くために病気になって苦しむ必要があったのだと思う。ただ生きるのではなくどう生きるかが大事なんだと思いました。
素晴らしいです。何度も読み返してさらに深く気付いたらまた追記します。
Posted by ブクログ
死について、というより今自分の生について考えさせられた
全盛期まで器用に生きてきたイワンイリッチなわけだが、その器用さが故に後々死に近づいていってる時に苦しめられ、結局良き思い出は幼少期くらいしか出てこない
見栄や虚心で生きれば、それなりにあとから苦しみがやってくる
Posted by ブクログ
昔も読んだ。
人間の愚かさというか、滑稽さに笑ってしまう場面もあった。
しかし、イワン・イリッチの死に際する苦しみには、笑えなかった。
死とは孤独なものだろう。
そして、イワン・イリッチの死は決して特殊なものではないだろう。
また、読み返そうと思う。
Posted by ブクログ
人は一人で生まれて、一人で死んでいく。
死んだことがないので、ここに書かれている心理描写を評価はできないが、病気になった時、これと同様に感じたことがある。
意識だけが働いて、希望を覚えたかと思えば、次の瞬間には絶望する。心から同情して欲しいのに、皆自分たちのことで忙しく、思ったような感情は振り向けてもらえない。
薄っぺらい(物理的に)本だったが、とても深い本だった。
Posted by ブクログ
最近死についてよく考える。そこで遥か昔に読んだこの本を再び手に取ってみた。ある裁判官が不治の病に罹り、死に至るまでの過程が極めて鋭く描かれている。
文庫でほぼ100ページの短い作品なのだが、さすがはトルストイ、様々なことを深く考える機会を与えてくれた。以下、特に印象に残ったテーマを列挙し、考察してみよう。
すべての人は人間が必ず死ぬことを理解しているはずだ。だが『自分も必ず死ぬ』ことまでしっかり認識している人が、果たしてどれくらいいるだろうか。
トルストイの提示はこうだ。
それぞれの人は、人間が死ぬことを理解していながら、その『人間』の範囲から自分をこっそり外している。それゆえ自分だけは死ぬことはない、と思っている。そういう節があなたがたのどこかにも、ありはしないか?
もがき苦しむ主人公イワン・イリッチの陰から、読者にそう鋭く問い詰める著者トルストイの姿が見える気がした。
このように人は自分だけは死ぬことがないと認識しているから、親族などの死に際してもどこか他人事のように考えてしまう。そして当事者に対して暗喩的にそれを表現することになってしまうのだ。
明示されていたわけではないが、僕にはそのように読み取ることができた。そしてそのような冷たい他者の存在は、当事者にとてつもないストレスを与えるものであるらしい。
この辺り、身内の死を近くに抱えているかもしれない僕としては、今後しっかりと弁えておく必要があると感じた。
生死に真摯に向き合ってこそ、人は本当の生を生きることができると言う理念がトルストイにはあるようだ。
多種多様なライフイベントは、生死に直接向き合うことから人の目を逸らさせる。それも裕福で贅沢、いわゆる高級な生活をしている人ほどその傾向が強いようだ。
イワン・イリッチが、身分のあまり高くない人たちの素朴な人柄と暮らしぶりに、安楽を見出したのは偶然ではなかったのではないだろうか。
イワン・イリッチがいよいよ死に瀕した時の描写には、鬼気迫るものがあった。人は死に際の苦しみ、それとも死そのもの、どちらを主に恐れているのだろうか。その恐怖から解放されるにはどうすればいいのだろうか。
最終幕で彼が悟ったこと、これは是非とも僕の言葉ではなく本文で読んでほしい。敬虔なキリスト教の概念は見え隠れするものの、そこには死すべき宿命を抱えた、ありとあらゆるの人の魂に響くものがあるだろうから。
Posted by ブクログ
苦しい。ひたすらに苦しい。不治の病に身体と精神が蝕まれていく苦痛。死へと確実に向かっていく恐怖。そしてそれを誰も理解してくれないという孤独。これらが刻銘に描かれているだけの物語。トルストイは、なぜこんなに苦しい物語を書いたのか。
というより、なぜこれを私は読んだのか。本はほかにいくらでもある。どうせ読むなら、心が躍るような、知らなかったことが知れるような、仕事の役に立つような、そんな本を読んだほうが、客観的に、有意義ではないか。それにもかかわらず、この本を選び、時間を掛けて、私は読んだのだ。このことがとても大事なことのように思える。
自分のものでない苦しみを読むのはなぜか。この問いはペンディングしておこう。考える端緒は、許される感覚。幸福や達成感といった、前向きなことがなくとも、人生は存在してよいということ?
Posted by ブクログ
金持ちで地位の高いイワンイリイッチが死ぬまでの過程を描いた話。
序盤は退屈だったけど、後半からはイワンイリイッチの心理描写にのめり込めて面白かった。
別に心の中では悪い事しようとしてる訳じゃないのに、周りの家族から蔑まれるのが辛いね。最後の力が出なくて「許してくれ」って言えないシーンが悲しい。
最後は死の恐怖を克服し、幸せな気分で消える事が出来て良かった。
あとイライラとかだんだんとかの単語を、「むらむら」って表現するのがちょっと気になった。
主人公は今までの人生振り返り、歳をとるにつれ、加速度的に辛くなる事に気が付いた。そこそこ楽しいと感じていたこれまでの人生だけど、振り返ってみると、無意味で穢らわしいものに思えて来るらしい。
自分は死ぬ間際に、これまでの人生を振り返ってどう思うのだろうか? 後悔しないように海外行ったり色んなバイトするようにしてるけど、最近はそれがなんなんだ?って気持ちになる。海外行けば目新しい感じになって人間的に成長した気はするけど、結局帰ってこれば特に何も変わってない。変わってた所でも別にそれがなんなんだ?とはなる。
Posted by ブクログ
病気のうちの孤独をおぞましいほど描いている。イワン・イリッチの心うちがよく分かる9章が特に心に残った。
奥さんをあまり大切にしていない以外は順調だった分、なぜ自分が精神的に孤独に死なないといけないのかに煩悶する彼の姿は、今にも私自身もそうなりそうなようで共感できる。そのなかで人間誰しも死ぬということを隠さないゲラーシムは救いだったろう。
Posted by ブクログ
思った以上に現代的、というか、通ずるところがやけにリアルに感じた。
死ぬ前まで、いや、死んでまでも、分からないこと、気づかない小尾、たくさんあるんあろなー。いろんな本読んで、少しでもいろんな大事なことに気付きたいと思う。すぐ忘れるけど。
Posted by ブクログ
難しそうだなあと思いつつ、一気に読みきってしまった。
読んでいて胸の詰まるような、苦しい気持ちになりながら。
死ぬ間際の、今までの生活、価値観全てを否定する気づきに虚しさを感じた。
が、現代に生きるわたしたちはどうだろう。
ずっと昔に書かれた本だけれど、今の自分の生活、間違っていないだろうか。
間違いって?
SNSに翻弄されながら、寂しい夜を過ごしたり、
いったい何が本当の幸せなのか。
やはり本当の幸せは、生から解放される瞬間にしかないのでしょうか。
疑心にまみれる人生は苦しい。
Posted by ブクログ
岩波文庫赤
トルストイ 「 イワンイリッチの死 」
死をテーマとした良書。哲学や宗教を用いずに 死の境地を表現。
一人の男性の人生を通して、生の自己満足→死の恐怖→死の喜びを 追体験できる凄い本。死顔の表現力に驚く
「アンナカレーニナ」は よくわからなかったが、これは面白い
「死とはなんだ〜恐怖はまるでなかった。なぜなら 死がなかったから〜死の代わりに光があった〜何という喜びだろう」
死顔
*在世の時より美しく、もっともらしかった
*その顔は 必要なことはしてしまった、しかも立派にしてのけた とでもいうような表情
*この表情には 生きている者への非難、注意が感じられた
Posted by ブクログ
死に対して、何の小細工も弄せず、愚直にまっすぐ向き合った作品だと思う。いろんな形で、いろんな方向から死にアプローチすることだってできるはずが、真っ正面から対象を見据え、無駄なものを一切排除して描き切ったところが、トルストイらしい。イワンの死に対する価値観の変容が、身体の容態とリンクしている様が、本当に真に迫っている。理解しきることはないが、それでも分かる分かるとうなづいてしまうようなリアリティがある。聖人君子でもなければ、イワンと同じ心境に陥ることはあるだろう。どうでもいいけど、トルストイと言えばイワンだな…。
Posted by ブクログ
諸行無常。と一言で言ってしまうことを小説にした感じ。一見、順調に見える人生を歩んできた表題人物の死と生涯。苦しみはどこから来るのか、救いはあるのか幸せはどこに存在するのかそんなことを考えさせられる作品だった。
Posted by ブクログ
黒澤明監督『生きる』にインスピレーションを与えた作品で、なるほどあの映画のエッセンスを感じます。
不治の病に侵され死の恐怖と苦痛に悶え苦しんだ男が、死の直前に見た「光」とは。
誰もが直面する死を体験するようなリアリティがあった。
Posted by ブクログ
今も昔も変わらない。富、幸せ、人生の転落。死にたくない!との思いから最後の光の差す方へ行く境地までの道のりの長いこと!
人間は何のために生きて死ぬのか?
Posted by ブクログ
こんな時だからロシア人の作家の本を。
100ページ程度なので読むのに時間はかからないが、それだけにうっかりするとスルスルと読んで引っ掛かりを逃してしまいそうになる。おそらくアンナカレーニナ、戦争と平和など他の作品の流れの中で読み込むことが必要な作品なのだろう。
Posted by ブクログ
【感想】
前半はなかなか読み進めることができなかったが、後半から面白かった。死に対しての恐怖、家族への憎しみなどがリアルだった。
【あらすじ】
イワン・イリッチが亡くなり、葬儀が行われる。
イワンの過去について。妻プラスコーヴィヤとの結婚生活は上手くいかなかったが仕事は順調だった。イワンは家の手入れをしていて転倒して以降、腹痛に襲われるようになった。病気のことばかり考えてしまうので裁判の仕事に身を入れようとするが、痛みによって思い出してしまう。百姓であるゲラーシムに看病してもらうときは気分が良い。
妻や子供たちがイワンの病について気遣うが、偽りであると感じ余計に苛立ってしまう。肉体的苦痛、精神的苦痛を感じるが、最期は死の恐怖から解放され光を感じるのであった。