トルストイのレビュー一覧
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生命には、根本的な矛盾がある。それは、個人の幸福を追求していけば、奪い合いの世界になり、争いが起き勝った者と負けた者との世界となる。個人の追求は、全体の幸福を作らない。これを解決するためには、個人が自己中心的な欲求を解消することをやめ(自己中心的な、選り好みした愛、自分が良ければいいという考え)他人への献身こそが、人間の心の志向であるということに気づかなければならない。人間の精神の根底にある真の心の志向は、万人が共通して持っているものである。万人が共通して持っている心の志向とは、他人を喜ばせること、他人を幸せにすることが自分の心を充足させることにつながるという精神である。
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ネタバレアンナが汽車に轢かれて自殺するシーンは、表現力が素晴らしく、まるで自分も死んでしまう気がして恐怖心が芽生えてくる。
線路の真ん中まで来て、汽車と衝突する直前、一瞬我に返り、「自分は何をしてしまったんだ!」と思ったのも束の間。すぐに「何か巨大なもの、容赦のないもの」が彼女の頭をドンと突いたのだった。
そのあとはと言うと、ヴロンスキーの喪失感、リョーヴィンの哲学的探究。
アンナの夫カレーニンが妻の浮気にどう対応するかと言うときにもキリスト教が影響を与えていたし、リョーヴィンにもキリスト教が根付いている(というか、後になって自分と宗教的価値観のすり合わせをしている)。
アンナの恋路ではなく、本当は宗教をベースとした哲学的思考実験と歴史について論じたいというトルストイが、最後に畳み掛けるように自由に書いているという印象を受けた。 -
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ネタバレアンドレイ、ナターシャ、ピエールが変転する。そこに長編の良さを見出す。人を長いスパンで捉えた時、変わるものが描けるからだ。
<メモ>
2-3-3 楢の木の変化は、アンドレイの見方を変える。古木も若芽を出す。老成から青春への回帰。ピエール、ナターシャもきっかけに。デタッチメントからコミットメントへ。孤独から人とのつながりへ。煩瑣な人間関係の中で、わたしも孤独を求め突けたが、本当に孤独になったときに、反転してつながりを求めた。犬を飼いたいとも。退職から仕事への意欲も。
2-5-13 アナトールがナターシャにキス。そこから彼女はアンドレイ公爵に醒める。ソーニャは阻止を図る。破談になってしまうのか。。 -
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最初はサロンでのやり取りが延々と続く。人物造形に特徴は出ているが、物語に動きが少なく、退屈に感じる。遺産を受け取ることになるピエールの存在がちょっと面白い。
第二編に至って、集団が軍隊に移ると俄然、物語は動き出す。激しい戦闘シーンが続くわけではないが、戦争の位置付けをめぐって、様々な視点が交錯するのが興味深い。兵士であるアンドレイと外交官であるビリービンのやり取りなど。
最後のニコライの高揚感、負傷、惨めさ。アンドレイ侯爵のやりきれなさ。戦い抜いた、また、人間性を失わなかったトゥーシン大尉(砲兵隊長)の姿にしみじみしたものを感じた。
戦争の諸相を今回だけでも、思う存分描いていた。 -
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ネタバレ善をなそうという、素朴な信仰の大切さを訴えて終わる。理性の限界を悟った上で。人間くささは否定せずに。アンナの物語であり、リョービンの物語であった。その2人で対立されているのは、エゴイズムの解釈だろう。つまり、エゴに振り回されるか、エゴに誠実に向き合い続けるか。リョービんが絶大な人気や好感を誇るわけではないのがミソだ。
アンナの自殺の場面。そこに至るまでの焦り、怒りが延々と綴られ、自殺しか帰結がない描きだ。ヴロンスキーの時もそうだったが、死なないだけの浅さがそこにはあった。
ヴロンスキーが戦争に赴いてしまうのも、それが讃えられるのも、悲しかった。彼は後半、人格の深化が見られたような気がしたから。ここで展開される戦争論も読み応えがあった。
途中に出てくる、狂信的でオカルトな宗教とリョービンの疑いの末に肯定される素朴な宗教の対比も面白い。
最後に解説を読んでハッとしたのが、タイトル。アンナだけでなく、カレーニナという「夫」の苗字まで付けられていたこと。当時の結婚制度を含めた社会の中のアンナの物語とも読める。 -
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リョーヴィンとキティの偶然の再開。彼女がこちらを見つけた時の一瞬の輝いた目を見てもう一度確信する。自分には彼女しかないと。このシーンがとてつもなく好きだった。
リョーヴィンを軸とした田舎の描写、恋愛描写は、ナボコフをはじめとした一定数の読者から不評とのことで、確かに一理あると思った。アンナを取り巻く環境に比べ、リョーヴィンの恋愛は生ぬるい。確かにアンナとカレーニン、そしてヴロンスキーらのそれぞれの心情描写、何に悩んでいるかを考える方が有意義なように見える。
カレーニンはアンナの不倫を離婚などという、かえって妻が得するような形で罰するのではなく、別の形で、しかも世間に知られることなく罰したいと考えていたが、我慢できなくなる。
しかしアンナが死にそうになった際、いっそアンナが死んでくれれば良いとさえ願ったものの、いざ妻の姿を見ると、自分がアンナを心から憎むことができないと悟り、そんなことを願った自分を悔いてアンナとその不倫相手ヴロンスキーをも許す。
ここのシーンがあまりにも深い。議論の余地を多分に残している。実際、この時のカレーニンにヴロンスキーは驚き、どう対応して良いかわからなくなってしまい、銃で自殺未遂するほど追い込まれている。
世間体で離婚したくないという単純なものではなく、「離婚してしまえば妻が本当の意味で破滅してしまう」ということを懸念して離婚できずにいたのがカレーニン。リョーヴィンではなく、カレーニンこそ第二の主人公に相応しいように思えてきた。
アンナとヴロンスキーがいくら逃避行しようとも、この後も誰も幸せにならない未来が見える。 -
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ネタバレここでもトルストイの筆は冴えている。
巻末の読書ガイドも素晴らしい。今回は読み方。マインドマップと象徴性に注目していて、こういうのを知ると長編の名作を読むのがやめられなくなる。
以下、メモ。ネタバレあり。
・キティ(カーチャ)のニコライの看病。理屈としての死と女性から見た死の違い
・ドリーの妊娠、出産、子育ての苦悩。P390。転じてアンナの生き方への評価のまなざし。
・快活なアンナ。人生の大事な部分に関して、眼を細めてしまう。これは小○今日子や他の不倫した女性にもあてはまる印象だ。あくまで印象だが。
・公爵令嬢ワルワーラの都合のいい、アンナ評。社会的に不健全でも、うわっつらだけ合わせることは、今の時代も結構あるが、それを活写したかのようだ。P463
・ドリーとアンナの距離の突然の認識。P509 -
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教育の現場において「政治」「宗教」「性」はどれもいまだにタブーだ。中でも「性」は語りにくい。古文の授業で、恋愛の場面を十代の人に詳しく説明するのはやはり憚られる。しかし、芸術や文学において、それは、避けて通れないどころか、むしろ主題とも言うべきものだ。そしてそれが人間にとって普遍的根元的である以上、「性」を抑圧し封印していてはかえって危ない。「性」を自分の中でどのように位置づけるか、常に誰もが問われている。◆トルストイは、十九世紀から二〇世紀はじめを生きたロシアの作家。代表作は、『戦争と平和』『アンナ・カレーニナ』『復活』など。キリスト教的な人間愛と道徳的自己完成を説いた大作家として知られる。若いころの放蕩を経て、「世界三大悪妻」の一人ソフィアとの間に多くの子供を残し、人生の終盤は、自殺願望を抱えつつ創作したが、一時は作家生活を捨て、最後には列車で移動途中の小さな駅でひっそりと亡くなった。◆『クロイツェル・ソナタ』は、実は、ベートーヴェン作曲のヴァイオリン・ソナタ第九番の通称。彼の全十曲のソナタ中でも最も激しい曲。主人公の妻が音楽家との演奏を楽しむこの曲の第一楽章は、「魂を苛立たせ」「自分自身を、自分の真の状態を忘れさせ、自分のではない何か別の状態へと運び去ってくれる」ものとして語られる。そして、それは妻の浮気心を高め、主人公を激しい嫉妬へと駆りたてる。妻に貞節を求めるあまり、主人公は、悲劇的な結末へと突き進んで行く。実際の事件を下敷きにした『悪魔』も、同じく性と倫理の葛藤を描く作品。◆語りにくいからこそ読むべきテーマに、この作品を通じて向き合ってみてほしい。(K)
紫雲国語塾通信〈紫のゆかり〉2014年2月号掲載 -
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ここ(3巻)まで来ないとこの本の良さが理解できなかった。1巻の時にさんざんに酷評したことを反省しているが、あの時点ではこんなに引き込まれることになるとは思っていなかった。この本は単なる小説ではなく、トルストイが考える戦争というものを表現している本だとやっとで理解した。ナポレオン戦争はナポレオンの英雄的な天才性によって勝ち進んだものではなく、戦争の中で一人の人間が担える役割や与える影響はたとえそれが皇帝であろうとも極わずかどころか皆無であり、人間の集団性とその中の個々人の動きの総和によってすべてが左右されるというトルストインの戦争観に全く賛成である。途中に入る訳者の解説も大変的を得ていて、本当に面白い。