あらすじ
欲望や野心、功名心などの渦巻く俗世間にどっぷりつかっている豪商ユリウスと、古代キリスト教の世界に生きるパンフィリウス。ユリウスは何度かキリスト教の世界に走ろうと志しながらも、そのたびに俗世間に舞いもどるが、しかし、長い魂の彷徨の末についに神の道に入る。──福音書に伝えられているキリストの教えに従って生きよと説いた晩年のトルストイの思想を端的に示す。
...続きを読む感情タグBEST3
Posted by ブクログ
トルストイの晩年の思想をよく表している佳作。私有財産を否定する、アナーキズム的要素の強い原子キリスト教的価値観を主張するストーリーから、肉欲や功名心と言った肉体的な欲望に終始することで人生を破滅させていることを伝える。肉体的世界はあくまで他人の葡萄園なのである。そこで得られる葡萄は人のものであり、主のものであることを理解し、善業に務めるべきである。霊を満足させるために、勤労に勤しみ、人と物を分かち合い、質素な生活を勤しむという、原子的なキリスト教価値観が、現代のキリスト教的世界にどれだけ受け継がれて残っているのだろう。
Posted by ブクログ
キリスト教の人とそうではない人を物語風にした一冊。信仰を薦めるような一冊ではないが、世の中で望ましいと持っているものを全て手に入れた人生と自分の価値観に従った人の考え方の違いがわかり、自分も絶対的な価値観を構築する必要があるなと感じた
Posted by ブクログ
世俗の人の意見も、パンフィリウスの話も優劣ではなく
どちらも同じことを言っている。
今の人生に誠実になれ、と。
歩んできた道の中で神の仕事を担え
Posted by ブクログ
読み切るのに随分時間がかかってしまった。読み始めると興味深いのに、つい睡魔に負けたり、本を開くのが億劫に感じたりして中々進まなかった。
ただ閑人たちの会話だけでも考えさせられる事は多い。
どの宗教を奉じている人でも、自分は完璧だとか、完成していると心の底から思う人はいないのではないだろうか。
そういうことは、日々のちょっとした邪な気持ちが芽生えたり、感情のコントロールができなかったりした時に自分の足りなさを強く感じるかもしれない。
短編の中でもみんな(信仰の)道の途中で、それぞれの尤もな理由で信仰生活の難しさを語っている。若者は勢いで走り、妻子のある者は『責任』を口にして二の足を踏む。齢を経た者は老いが自由を奪い、十分に動けずにいる。
本当に個々の言い分はとてもよく分かる。
若くして行動力がある若人でも果たして一つの労働力として即時に機能するがいいか、多くの知識を時間をかけて身につけ、後に多くの人に有益なものをもたらすのがいいか。また妻子ある者にしたら、自分が即座に生活を一変させたら、妻と子の生活に支障がでてくる。妻子の将来に責任を取るという事が大義と言われれば首を縦に振らざるを得ない。各々がそれぞれのしがらみ(それを人生というのかもしれないが)の中で生きていて、そうなるとユリウスは悩める人の最適な人物像かもしれない。
彼は数度、キリスト教に赴こうとするが、その度に有識な世俗人に諫言されて考えを180度変える。
人生の岐路で同じ人に3回も諭されるのも珍しいが、その医師が言うこともとてもよく分かる。パフィンリスが語ることも頷ける。キリスト教寄りの者ならそちらに傾きやすいが、この小説は中立な立場から、時には疑いの目をもった側からの言葉もしっかり披露する。
普通は耳に心地よい言葉ばかりを選び取るが、ユリウスを身代にする事で、読者が第三者的な立場から考えられるような演出が施されている。
話の内容も深かったが、こういった読者を踏まえた技巧にも感動した。
とはいえ、最終的な答えは出ない。
人は何時から信仰の道にどっぷり浸かるべきなのか、もしくはそうでないのか。
普通の生活と両立できるか否か。
自分はどうすれば幸福になれるか。
いやはや、難しい問題だ。
Posted by ブクログ
数人の閑人が人の幸福について語るが誰一人幸福でないといった、結局口先だけで論じ合うのが関の山というプロローグから始まる本書。トルストイが考える人の真の幸福の生き方はキリスト教に答えがあった。理想(キリスト教)と現実(俗世)的な生き方をする登場人物2人の言い分はともに正論に思える。若き読者は老いるまで老いた読者は死ぬまでの経験する総てが本書150頁の中にあるかもしれない。読みながら自身の過去を想い、先を思い、右往左往する。《彼は喜びのうちなお20年生き延び肉体の死が訪れたのも知らなかった》果たして我が身は。
Posted by ブクログ
最近読んだなかで一番感動した。
100年以上前に書かれてるのに自分に向けられたメッセージなんじゃないかって思わせられるのも凄い。
繰り返されるパンフィリウスとユリウスの問答が最高だね。
一字一句噛み締めるようにして読んでた。
綺麗に整理された神話的な構成には感服。
キリスト教に興味ある人には猛烈にオススメ。
Posted by ブクログ
宗教色の強い難解な本です。それでも多くの日本人が手に取っているのは魅力的なタイトル(元は聖書の言葉ですが)とこれくらいなら読めそうと思わせる本の薄さのせいでしょうか。
作中のパンフィリウスのような生活を送るのは、個人としても集団としても、とても難しいことです。そもそもパンフィリウスの説明には理解に苦しむ箇所もあり、一方で、キリスト教に傾くユリウスをたびたび引き戻す老人の言うことの方が合理的で正しく思えるところもあります。
いつかこの老人の言うことがすべて欺瞞だと感じられるようになれたら、その時はじめてこの物語が、すなわちトルストイの思想が十全に理解できるのだと思います(そうなりたい、とか、そうすべき、かどうかは人それぞれですが)。
何度も読み返したくなる本です。
Posted by ブクログ
某所読書会課題図書:ユリウスとパンフィリウスが人間としての生き方を議論するなかで、様々な命題を投げかけて読者をけむに巻く論説も出てきて、何度も読み返すことが多かった.ユリウスは普通の人生を歩んだ人と言えようが.パンフィリウスはキリスト教徒の共同体で清廉な生活を実践している.やや理想論がちだとは思うが、揺れ動くユリウスに対して、ある男がタイミング良く登場する構成は楽しめた.トルストイは初めて読んだが、哲学的な文章が嫌味なく現れるのは良いなと感じた.
Posted by ブクログ
転職後の夏辺りに購入。短いが読後感は爽やかで好き。
主人公の王様が権力や金等の欲望を楽しむが空しさを感じ、最終的にキリスト教の信者たちが営む小さな村で幸せに暮らす話。トルストイのキリスト教礼賛思想がよく見える。
ただ、キリスト教を抜きにしても教訓的な話であるので、暖かい気持ちになれる。最後、老人となった主人公がキリスト教の村でぶどう畑に居場所を見つけられず「すべき仕事をするにはもう年を取りすぎた」と泣いた時、別の老人が「別の畑にはあなたも取れるぶどうがある、年齢ではなく気持ちが大事だ」と諭すシーンが特に好き。
ご都合主義的なストーリーの運びではあるが、これくらいライトな進行の方が読後感もさっぱりしていて良い。またタイトルも素敵。「光あるうち光の中を歩め」なんて題名、キリスト教関係なく不思議な力を持った言葉だと思う。
Posted by ブクログ
キリスト教の教えが分かりやすい寓話で書かれている。有名な文句(「もし誰か汝の右頬を打たば、さらに左頬も差し向けよ」など)が話の流れで出てくるので、理解しやすい。
ストーリーとしては、主人公がすぐに他人の意見に流されるので少しイライラする。あとキリスト教に行こうとするのを毎回止めにくるおじさんとエンカウントするタイミングがちょうどすぎて、ホラー的な怖さが。キリスト教について知りたい人、競争社会に疲れた人におすすめ。
Posted by ブクログ
この時代の原初キリスト教の世界観は真理を説いていると思う。人間は動物的本能の為に我欲にとらわれ翻弄する存在であると同時に理性をも持ち合わせている。人間は理性により自我をコントロールし、他者を愛することができる。つまり、理性を使わなければ人間たりえない。今の世界は暴力に満ちている。
俗世からユリウスが神の道に入り、兄弟達の為に労苦する生活の後、最後の一文に『肉体の死が訪れたのも知らなかった』とありました。
つまり、神の道とは完全なる愛であり、自身の死の自覚すら眼中にない程他人の幸せに奉仕することにのみ喜びを感じることだと言うことがわかりました。私はこの資本主義の国に住み、子ども達に義務教育を受けさせ、他人と競い、上を目指して繁栄することが目標のように生きている。そして民主主義は暴力への道であることも言い過ぎではないと思う。果たして自分でも自分の住んでいる世界を本意とは思わないが、その中で如何に偽善ではなく神の道に近づくことが出来るだろうか。欲望を神が人間に与えたのは争いではなく愛のためにある事を忘れてはいけない。自分の懐が満たされてから他人に余りものを施してはいけない。自分自身の死すら忘れてしまうほどまず他人に尽くすことができればこの三次元で楽園が出現するのだろう。この最後の一文は『イワンイリッチの死』に通じるところがある。自分の私欲に駆られていると死は拒絶すべき敵であるが、生き甲斐が自分以外に向いてしまったらその瞬間から死は無くなる。人間が進化したら永遠に生きる存在になると言われていた意味がここではっきりとわかりました。宗教に属さなくてもそれは可能だと思う。
個人が何を信じるかにかかっている。
世の中を変えるのは大統領でもなく法律でもない、ひとりひとりの意識ひとつではないだろうか。
Posted by ブクログ
愛、律法、幸福、基本的な概念の捉え方や、前提がかけ離れていて、「知らない以上、否定は出来ない」という無限ループに陥っているユリウスとパンフィリウスのやりとりに、理解の難しさを感じました。これが、少数派にすぎない原始キリスト教の姿の一面であったとすれば、本作で問われ続けた「瞞着」を擦り合わせながら、世界的な信仰へと変化して現代の姿もあるのだろうな、と想像を刺激されました。
前半部、「やって見せよ」「人に見せるためではない」という二人の問答があった。
幸福、あるいは飛躍して救済のための奉仕を淡々と積み重ねていると主張する姿に迷いは見られないが、パンフィリウスとユリウスの中間くらいの位置で、人知れず煩悶しながら救いを求めて共同体への奉仕を続ける人物として、「灰羽連盟」のレキを思い起こさずにはいられませんでした。
居候、使い古したものを譲り受ける、など、既存の共同体に恩恵を受けた存在としての在り方を中立的に描いた「灰羽連盟」との対比で、荒削りで、原理主義的な思想として、すんなりと希望を感じさせない描きかただな、というのが、初読の印象でした。
Posted by ブクログ
再読。3年半前に読んだ時も衝撃的で、文学嫌いな私でも読める本があるものだなと思わせてくれた本。
あれから私もいろんな勉強をして、思想が現代風に近づいたけれど、今読んでも違った意味でよかった。
意味や、普遍的な正しさが失われたといわれる現代にあって、もしまた規範的なものが必要とされるならきっとこういうものになるんだろうなと思った。そしてたしかにそんな日は近付いてきている。
ただ、この時期ってトルストイはたしか深い鬱状態みたいなものに悩まされていた時なので、これを盲信しすぎるの危険なのかもしれない。
光あるうち光の中を歩め.... 限界まで来たらだらだらするひと休みも可、という但し書きは必要そうだ。
再読2・
事あるごとに、自分に甘えが強く見えすぎるときに読みたくなる本。”よく”生きるとは本当に難しい。欲を捨てることは同時に全てが無意味な無気力とかしてしまう危険性がある。特に自分がどれほどよく生きようと努めても、周りにはそういう人たちばかりではない(つまりその基準においてなのであるが)ので、人間嫌いが加速する危険性を秘めている。それでも自分が納得がいかない”悪行”を無理やり自分に強いるよりはいいのかもしれないのだが。
Posted by ブクログ
イエスは言われた。
「光は、いましばらく、あなたがたの間にある。暗闇に追いつかれないように、光のあるうちに歩きなさい。暗闇の中を歩く者は、自分がどこへ行くのか分からない。光の子となるために、光のあるうちに、光を信じなさい。」
(新共同訳『聖書 旧約聖書続編つき』日本聖書協会、新約聖書193ページ)
この 光 の意味は 信仰心 ということなのかな。
神というわけではない。
闇の中にも 神はいるはずだから。
物語は キリスト生誕 100年後。
原始キリスト教の時代で、ユリウスとパンフィリウスの会話が基本となり、その間に 医師が話をする。
役者はそろっている。ユリウスの奥さんも、一時期、傾いたりする。
ユリウスとパンフィリウスは 三度であい、
そこで、ユリウスは パンフィリウスのところにいこうとするが
思いとどまる。一生のストーリーにしている。
老いた時に やっと パンフィリウスのところにいく。
物語の構成は シンプルで、結末も想定される。
光あるうちに光の中を歩もうとする物語であるからだ。
トルストイは キリスト教を信仰したいという想いが
最初から あったような気もあり、動機が明確だ。
その論議として、信仰を持つと言う必然性を書こうとするが
どうも、成功しているとはいいがたい感じがする。
どこに無理があるのだろうか?
題材として 原始キリスト教であることが限界があるのかな。
弾圧に対して 殉死を えらぶということが、ある。
宗教と国家という関係がうまく説明できない。
共同体としか描けないところに弱さがある。
それに、共同体に関する ユリウスの指摘は 意外と正鵠をえている。
ユリウスに押し寄せる 幸福が欠落した気持ちが 人生の節目に起こる。
それが ふらふらとする 要因でもある。
これを読みながら キリスト教を信仰しながら
戦争を起こす輩がいること自体が 矛盾の極みである。
ここでは、はっきりしていないのは
利己的な社会形成と 利他的な社会形成 という視点で
腑分けするともう少し鮮明になりそうだ。
Posted by ブクログ
国家権力、暴力を非難する箇所を除けば、トルストイの語る原始キリスト教と共産主義は似ている部分が大いにあるように思う。
だが、その根本が大いに違うところが肝要であろう。
主人公ユリウスが何度も迷いつつも、現世に立ち止まり、ついに老齢にてキリスト教に入って行く様子は、いまも同じだ。
若い日に神を覚えよとはいうが、神様が手元にお招きになるその時期は各人各様。
たとえ老齢であってもそれでよいのだと改めて思った次第。
しかしなぁ、トルストイは残念ながら、パンフィリウスの住まうところには行けなかったかもしれない。
Posted by ブクログ
豊かな生活の中で幸せではないユリウスとキリスト教の世界で幸せそうなパンフィリウス。宗教色が強い。2人の会話でどう人生をすすめるかのヒントを得られるかもしれない。とはいえ内容は難しかった。
Posted by ブクログ
30数年ぶりの再読です。
物語の最後は、あやふやな記憶と違ってはいたが、印象深い本であることには変わない。当時友人と感想を語ったと記憶する。
放蕩息子のユリウスは、欲望・野心を満たし成功もするが、どこか満たされない。パンフィリウスの生きるキリスト教の世界に、何度となく惹かれるが、思い切ることができない。
時は流れて現代も、ユリウスのような人はたくさんいる。満たされない思い・悩みも変わらずある。
社会の進歩は目を見張るものがあるが、人の心は・
・・更に複雑になっているのか・・・再読後の感想です。
『ローマほど淫蕩(いんとう)と罪悪とに沈湎(ちんめん)している都会のないことは、これまた万人周知の事実だ。』とあるが、わたしの大好きな歴史小説「クォ・ヴァディス」を想い出す。
退廃した世の中、暴君ネロの恐怖政治、虐げられた人たち・・・そのような背景でキリスト教が人びとの心に浸透していく様を男女のロマンスを絡めて描いている。(ユリウスとパンフィリウスを「クォ・ヴァディス」では、軍人の男性とキリスト教徒の女性)読み応えのある歴史小説です。
Posted by ブクログ
トルストイの宗教問答を中心とした晩年の作品。
うーん、晩年のトルストイの思想を表現してるんだろうけど、
これほど長く無宗教的な日本で生きてくるとちょっとピンとこない。
道徳の教科書的に言いたいことはわかるんだけど。。。
Posted by ブクログ
トルストイの宗教観がわかる一冊。
紀元後すぐだろう古代ローマを舞台とする、新興宗教キリスト教のお話。当時の空気感はよくわからないが、たぶんこういう雰囲気だったのだろう。
Posted by ブクログ
トルストイの宗教観が出ているという佳作。私は無宗教者なのでキリスト教の理念と言うか観念みたいなものを理解するのが難しかったかな。宗教関連のものにしては読みやすいとは思う。この本を理解するのは私には色々と経験が足りないなー。(本文より)“神のもとには大きなものも小さなものもありはしません。 人生においてもまた、大きなものも小さなものもありはしません。 あるものはただ、まっすぐなものと曲がったものだけです。”2012/502
Posted by ブクログ
率直な感想としては私はキリスト教徒にはなれないだろうなということだった。
というかパンフィリウスや晩年20年のユリウスの生活の具体的なところが何も書かれていないのがずるいなと思った。
世俗的な生活を送っていたころのユリウスの苦悩や葛藤が詳細に追われているのに、パンフィリウスがあまりに霧に隠れていて、そりゃこれだけならパンフィリウスの生活のほうが素晴らしく見えるわと。
パンフィリウスの人生における苦悩や葛藤がキリスト教の思想によってどのように乗り越えられるのかが知りたい。
トルストイが理想を外から眺めている状態=トルストイはパンフィリウスの仲間達の一員ではないんだろうなという気がした。
なんとかしてユリウスになろうとしている医者=トルストイと感じる。
Posted by ブクログ
キリスト教に馴染みない自分にとっては正直わかりにくかった。ただ、キリスト教に関するもっと知りたいという知的好奇心が湧いた。とりあえず、短いし何度か読もう。
Posted by ブクログ
トルストイの時代のロシア正教の教義とは異なる、トルストイ流のキリスト教の理想像が描かれている。自身の考える理想世界を広めたいと考えていた、思想家・宗教家としてのトルストイの姿がここにあるように思う。私有財産の否定など、共産主義的思想の影響をうけたキリスト教原理主義的思想だなというのが私の印象である。
Posted by ブクログ
トルストイ曰く「少年老い易く、学成り難し」←違
トルストイといえば坊ちゃんで、自分ちの農奴の女性たちにじゃんじゃん手をつけて子ども産ませまくったことで有名ですが、キリストの教えではそういうのまずいんじゃ…。ねえ。
Posted by ブクログ
西暦1世紀のローマ、富裕な家庭に生まれた青年が主人公。
放蕩の結果、金銭的困窮や家族・友人との関係崩壊を招き、生き方を見直す青年。
その彼に、キリスト教徒となった親友が信仰の道を勧め、一方で、旅で行き会った男性が世俗的な個人としての責任を説く。
原始キリスト教時代を舞台に、私欲から解放され、他者愛と労働に生きる、
トルストイが到達した新しいキリスト教世界観が描かれている。
語り部分が多くそれぞれが長いが、特に読みづらくなった。
構成が分かりやすく、二つの思想が彼の中でせめぎあう様子が、躍動的に描かれている。
後半では帰結を予見される片鱗があるものの、いずれの論理にも重みが持たされており、確信がもてない。
ところが最後の2節は妙に予定調和的。
ラストにもう少し広がりがあったらと思った。
Posted by ブクログ
2008年05月10日 00:10
内容どうとかじゃなくて、決心したことを人の助言でころころ変える点においてユリウスにめちゃくちゃムカついた。
無宗教の私は、この本を読んで「その通りだ!」って心底感銘をうける、みたいなことは生涯ないんだろう。
現に、この人たちの生き方はすばらしいなあとも下らないなあとも感じなかった。
ただ、ひとつのことをここまで信じきり、疑わず、自分の生きていく中心とできる、宗教うんぬんと関係なく、その生き方は純粋にすごいと思う。
ただし、ここ。
「男が女を自分と同じ一個の『人』として愛するのではなく、彼女との肉体的接触から受ける自己の快楽を愛する結果、自己の快楽のために結婚する。」
続く本文通り「ここに神意への違背がある」かどうかは定かじゃないけど少なくとも「女性への違背」です。