谷川俊太郎のレビュー一覧
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ネタバレ動物同士で戦争はしない、植物同士でも戦争はしない、子どもも戦争しない。
じゃあ戦争するのは何と何なんだ?戦争するのは何でなんだ?したらどうなるんだ?
と、静かに問う絵本。
明るく楽しそうに笑って走り回る子ども達の絵のように、何気ない日常がずっと続くように、戦争しない!と大人が決めなければならない。
戦争を知るきっかけ本として子どもにも良いのかもしれないが、1つ気になったのは…
「じぶんの くにを まもる ため じぶんの こども まもる ため」というところ。
確かにそれは実際に戦闘する兵士には当てはまるかもしれないし、精神的な面でいえば国民全員がどこかしらで感じるのかもしれないけれど、戦争を始める決定をする人達には、もっと違う思惑が大きく占めているでしょう。戦争をした時点で“守る”からはかけ離れている。
これについては、とはいえ戦争は殺戮であることも書かれているけれど、“守る”ために仕方がないかのような考え方にならないように、注意が必要だと思った。 -
Posted by ブクログ
過去の作品には好きなものがいくつかあるが、この本はいかにも追悼本ぽいまとめられかたであまり自分の好みではなかった
P9 人間として 社会に参加した せわしない「時間」は 悠久の自然の「時」に 無条件降伏する(「いのち」より)
P47 名を除いても 人間は残る 人間を除いても 思想は残る 思想を除いても 盲目のいのちは残る いのちは死ぬのをいやがって いのちはわけのわからぬことをわめき いのちは決して除かれることはない いのちの名はただひとつ 名なしのごんべえ(除名)
P80 どんな不機嫌な表情にもまして ほほえみこそが怖しい秘密をかくしている それがそんなにも優しく見えるのは 嘘をつくよりは黙っていたいと たぶんあなたがそう思っているから (「ほほえみ」より)
P111 すきがいっぱいあるひとは のんきであかるくつきあいやすい きらいがたくさんあるひとは つきあいにくいけどおもしろい すきでもきらいでもないのはつまらない(「バウムクーヘン」より)
P130 何ひとつ言葉はなくとも あなたは私に今日をくれた 失われることのない時をくれた (「魂のいちばんおいしいところ」より)
P184 だって言葉って。万人共有のものでしょう いくら自分の個性で書いたと思ってても 結局万人にそのまま通じちゃうわけだから -
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作品によって一人称が変わるのだが、なぜこの詩にこの一人称を選んだのだろうという疑問が残る。例えば「ひとり」という詩。鬱々とした状況にある(おそらく若い女性)が、両親からの慰めや励ましを疎んでひとりになりたいと思い詰める作品だが、なぜ設定を若い女性にしたのだろうか。それから「捨てたい」という作品も。
男性が女性に代弁させる場合、または逆の場合も、そこには何かしらの意図や思い入れがあると思う。特に男性作者の場合、どの媒体でもそうだが、若い女性に代弁させようとする傾向がある。そこにはある種の憧れや願望、あるいは偏見が含まれているように感じる。
話は変わるが、「春に」が谷川俊太郎の作詞だったことを初めて知った。中学生の時に合唱で歌ったなぁ。 -
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◼️谷川俊太郎「夜のミッキーマウス」
タイトルに惹かれて。思ったより生の人間感が強い。
前に初めて読んだ詩集の書評でも書いたが、実は谷川俊太郎の詩はあまり読んだことがなかった。今回タイトルに惹かれて読んで、けっこう生の人間味が出ているなと。
「夜のミッキーマウス」「朝のドナルド・ダック」「詩に吠えかかるプルートー」「百三歳になったアトム」
がキャラクターの詩で真実のねずみに戻ったミッキーはホーチーミンへ、ドナルドは手前のアヒルに語りかけるような微笑ましいテイストで、プルートーはなんか社会に出た者にある心の闇のような感覚で、アトムは魂を探してジェット噴射する。
以降の収録作品は人間的なけっこう肉体、セックスの表現も多い。演歌のようなねとっとした言葉の連なりもあるかなと。
途中ひらがなばかりの詩がいくつか。
ひとごみのなかひとびとのあたまのうえを
わになってとぶあどけないものたちのうたの
つかのまのなぐさめにみみをすませば
からだのおくにとぐろまくへびがめをさます
つみをおそれていきるよろこびがあるだろうか
このちじょうはかがくのおしえるほしではない
しすべきものたちのおどる
つかのまのあれちなのだ
(「ちじょう」より部分)
うーん手法はまあ、だが、真ん中のからだのおくにとぐろまくへび、という言葉に感じるものがあった。
さらさらと読め、日常を掘り下げ別の視点から定義づけているような作品が多い。厭世的にも見えるのは気のせいか。
この人の場合はすすっと読んで自然と目が立ち止まるのを待つのがいい接し方かも知れない。 -
Posted by ブクログ
久しぶりに「谷川俊太郎選、茨木のり子詩集」を
じっくりと時間をかけて読む。
「自分の感受性くらい」を初めて読んだ時の衝撃は
今でも忘れられない。後ろ頭をガンと殴られたようだった。
ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて
気難かしくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか
苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし
初心消えかかるのを
暮しのせいにはするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった
駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄
自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ
分かりやすい言葉で、ガツンとくる最後の言葉。
この詩を読むたびに、いらいらする気持ちやうまくいかないことを、知らないうちに他人や時代のせいにしてしまっている事に気付かされる。
代表作 「わたしが一番きれいだったとき」や、
「倚りかからず」など、背中を鼓舞してくれるような詩が有名だが、寄り添ってくれるような詩もある。おそらく一回読んだだけでは、詩の奥底にある彼女の本当の言葉に触れる事はできない。
何度も読む事をお勧めする。
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Posted by ブクログ
谷川さんがブレイディさんの手紙に応えていないという指摘を第三者から受けていたのはちょっと笑った。
あと人間は体があるから飢えや貧困が発生して苦しい、体を無くしてデータ化することで争いを無くししあわせになれるという考え方が英国の若者の間で流行っているとのことで、かなり極端で宗教っぽいな…と驚きました。
音楽を聴いている時など、自分がこの世から少し離れた感覚になるのを「その世」と表現している。
「あの」「この」は英訳できないけど「その」はできない(あのと同じthatになるか、別の表現になる)。
日本語の複雑さ、寛容さ…言葉について考えさせられました。
普段詩に触れることが無いのでよい感覚を味わえました。