『アンアン』を製本する工場での創刊記念祝賀会にて平凡出版副社長 清水達夫から「これからは美しい雑誌でなければいけません。そのためにはアート・ディレクターが重要な役目です。ですのでこの機械の動き出すテープを切る役目はアート・ディレクターの堀内さんにしてもらいます」とやられてびっくりした男、堀内誠一。彼
...続きを読むの存在が新しい文化の扉を開けたことは椎名和「49冊のアンアン」で読んだばっかり。まるで時代の特異点をつくった突然現れた天才みたいに感じてしまいますが、父の「レインボー・スタジオ」のこと、父の出身の多田北烏の「サン・スタジオ」のこと、図案家という職業のこと、伊勢丹宣伝部時代の装飾係のこと、広告係のこと、PR誌製作のこと、それと並行して通った現代絵画研究所のこと、写真雑誌『ロッコール』のこと、新雑誌『装いの泉』のこと、織物出版社からアド・センターのこと、名取洋之助のこと、ヨーロッパ滞在のこと、じわじわとあの堀内誠一になっていく過程がとつとつを語られています。それは時代がが図案家をグラフィックデザイナーにしていく流れでもあるような気がします。そしてグラフィックデザイナーの後の絵本作家時代の話もしみじみ語られています。瀬田貞二さんの話は堀内誠一が何を大切にしているのか、を表していると思いました。「次いで『平凡パンチ』ではメンズモードのページを担当し、『パンチ女性版』では編集まるごと引き受けた。これが勉強期間で、平凡出版の最初の女性誌への進出である『アンアン』の創刊からADをすることになったわけです。もっとも僕のやっているあいだ『アンアン』は伸びませんでした。どうも僕は流行とは関係ないみたいですよ。」もしかしたら時代が堀内誠一という職能を見つけ出し社会を変えたけど、本人はなにも変わっていないのかもしれません。『アンアン』は淡々と…なのかもしれません。グラフィックデザイナーの底流に流れる図案家という源流の可能性は、デジタル時代の今も大切なのかも…と感じたりしました。