白井聡のレビュー一覧

  • 資本主義とお金のしくみがゼロからわかる! マルクスの資本論 見るだけノート

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    資本はひたすら増殖を目指す。
    まるで癌細胞のようじゃない?
    増え続けること自体が目的。

    昔読んだダイエーの本、
    売上1兆円達成の記念イベントを
    催したとき、
    会長がバチで大太鼓を叩くと
    太鼓の皮が破れ、
    中に仕込んであったのが
    新しい大太鼓。そこに書かれていた
    スローガンが、
    次の目標は売上2兆円 だったという
    演出が、描かれていました。

    また、京セラが売上1兆円を達成した後の
    創立何十周年かの記念行事の際、
    今後の新しい目標を
    「世界から
    「ザ カンパニー」と呼ばれるグループを目指す」
    と掲げ、それだけでは
    社員の共通な理解が形成できないから、
    具体的な実現目標として
    「売上3兆円、利益率20% 」だと
    説明した逸話も思い出しました。

    会社が異常に鬼なのではない、
    会社の経営者が異常に強欲なのではない、
    資本主義は必然的にそういうものなのだと
    155年前にマルクスは看破していたよ、という
    ことを知る本でした。



    資本主義は自然から奪う。
    どんどん取りこむ
    これは先日読んだ上野千鶴子さんの
    話と同じ。

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    2022年04月24日
  • 武器としての「資本論」

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    最初から2/3ほどは資本論で定義された重要な概念についての解説、最後の1/3で資本論の視点からこれまでの歴史を見直して、現代社会を分析する

    最初はとにかく読みづらい 書かれている日本語も分かりづらい 新出の概念は別の資料にあたって調べないと理解できない
    少し進んでは戻って読み直して、やっと理解できた気持ちになれる(本当に理解できているかどうかはおぼつかない)

    それでも、頑張って読んだ価値はあったと思う
    物事を見る視点が一つ増えた気がする

    バブル期の経済活動が異常だった、という意識があり、意識的無意識的に節約節制を心がけていたが、それが新自由主義的な文化を前提とした意識活動だったという視点は新鮮で説得力を感じる

    資本論の翻訳そのものを読む気にはまだまだなれないが、別の資本論の入門書、解説書は読んでみようかな

    0
    2022年04月05日
  • 武器としての「資本論」

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    『資本論』で明らかにされている資本主義の分析を、現代社会に照らし合わせて、さまざまな社会的な矛盾などがどこから生じてくるのかということを明らかにしている。『資本論』からは、まだまだ汲み取るべきところが多々あるのだ。

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    2022年02月25日
  • 武器としての「資本論」

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    新自由主義がもらたす、人間の骨抜き化。

    以下メモ

    ・剰余価値の生産方法の変革(=新自由主義/ネオリベラリズム)で、包摂の度合いが高まり魂の包摂も広がる

    ・新自由主義改革によって資本家は肥え太り、労働者は戦後獲得してきた権利(終身雇用、企業における共同体主義「社員は家族だ!」)を次々と失った

    ・新自由主義は、人間の魂を、感性、センスを変えた。←新自由主義自体が文化になっているから。
    ❌「わたしはスキルがないから価値が低いです」
    →魂までもが資本に包摂された状態

    ・人間の基礎価値を信じることが大切。
    「私たちはもっと贅沢(=豊かさ)を享受していいのだ」

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    2022年02月06日
  • 主権者のいない国

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    ためになった
    これまできちんと考えてこなかったので
    未消化の部分が多い

    また時期をあらためて読み直したい

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    2022年01月25日
  • ポストコロナ期を生きるきみたちへ

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    中高生向けとして編まれた本
    私は三十代のおっさんだが、内田さんをはじめとした学者、活動家の方々がどういうメッセージを送るのか興味深く読めた。

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    2022年01月11日
  • 武器としての「資本論」

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    【感想】
    『資本論』は、資本主義経済を批判的に考察したマルクスの著作である。
    資本論が刊行されてから150年近く経つ今、当時よりも一層ラディカルに資本主義が進行している。もちろん弊害も多発しており、そうした「現代社会の暗部」にフォーカスを当てながら、マルクスの論を再考していくのが本書の目的だ。身近な例を持ち出しながら資本主義の欠点を挙げ、その問題は150年以上も前にマルクスによって記されていたことを振り返りつつ、今後の人間の在り方を洞察していく。『資本論』の解説本というよりは、現代社会に潜んでいる資本主義の欠点を具体的にピックアップし、それに資本論はどういう答えを出していたかを紹介する「教本」という位置づけが正確かもしれない。

    この本の核となる部分は「どうして資本主義は瓦解するのか」いう問題であるが、マルクスは「労働時間のありかた」にその理由を見出し、2つの「剰余時間」を定義している。
    ①絶対的剰余価値:労働時間の延長から得られる剰余価値
    ②相対的剰余価値:必要労働時間の削減から得られる剰余価値、生産力の増大から得られる製余価値(働く時間を伸ばさない代わりに生産性の上昇によって生み出す価値)

    資本主義の大きな特徴は、市場競争と技術革新により生産性が上昇し、身の回りの物が一層廉価で便利になっていくことである。
    しかし、技術革新は人を幸せにしない。なぜかと言えば、技術革新は特別剰余価値を増幅するためのプロセスにすぎないからだ。
    特別剰余価値とは、高まった生産力で商品を廉売して得られる利益のことであり、いずれ同業者が模倣していくことで、ゼロに限りなく近づいていく。特別剰余価値が低下していくと、資本家は①と②の追求によって何とか利益を生み出そうとする。歴史を紐解くと、産業革命から近代までの手段は①の追求であった。しかし、違法労働問題や人口数の減少から、物量による効率は次第に求められなくなる。現代以降はもっぱら②の追求がメインであり、イノベーションにさらなるイノベーションを重ねて利益を得ようとしてきた。
    しかし、これらはどちらも破滅に向かうステップである。①は言わずもがな、②もやがて人に不幸をもたらしていく。「生産性が上がった」とは、その生産に従事する労働者から見れば、労働の価値が低下したことにほかならないからだ。

    この洞察は直感的に納得できるものだと思う。現在の社会では、マネジメントスキル、PCスキル、ライティングスキル、英語力など、一昔前までは必要とされていなかった様々なスキルが求められている。労働者が自らの価値を高める、と言えば聞こえはいいが、スキルが普遍的になればなるほど、労働に占める希少性が安売りされていく。昔は1時間かかっていた仕事が10分でできるようになっても、絶対的な給料が6倍になっていなければ、労働価値のデフレが発生しているのだ。

    結局のところ、イノベーションは人を便利にするが幸せにはしない。

    ではイノベーションの追求の代わりに人間にできることは何かというと、筆者は、かなり面白い結論に至っている。「食にこだわる」ことである。
    資本論を話しておきながら「ごはん」とはどういうことだ、と思うかもしれないが、これがなかなか真っ当な理由である。人が感じる「最低限度の生活」を譲らない、という方針だ。

    市場の取引は等価交換によって成り立っているが、「価」の基準は人によって異なる。毎日ファストフードでOKという人もいれば、3日に1回寿司を食べねばやっていけない人もいるだろう。「価」の範囲は下から上まで幅が出るが、イノベーションによる特別剰余価値の減少を甘んじて受け入れ続ければ、次第に労働者の価値は下がっていく。

    必要性の水準がどんどん低くなって、やがて「そんなに贅沢しなくても、毎日カロリーメイトでいいじゃないか」と言われたとき、「それはいやだ」と言えるかどうか。これが階級闘争の原点になるのだ。
    食とは、人間に根差した基礎的な文化である。人間を根本から規定する土台である。そして、人間の基礎価値を信じることが、資本制社会への行き過ぎた迎合を止めるトリガーになるのである。

    筆者「『私はスキルがないから、価値が低いです』と自分から言ってしまったら、もうおしまいです。それはネオリベラリズムの価値観に侵され、魂までもが資本に包摂された状態です。(略)それに立ち向かうには、人間の基礎価値を信じることです。『私たちはもっと賛沢を享受していいのだ』と確信することです。賛沢を享受する主体になる。つまり豊かさを得る。私たちは本当は、誰もがその資格を持っているのです」

    私はこの一節を読んでいるとき、老後2000万円問題を思い出してしまった。今までは退職金+年金によって、老後の人生を不自由なく楽しむことができたのに、時代が流れるにつれ受給額がやせ細り、最終的には「年金制度なんて頼らずに、自分で2000万円貯蓄していないとゲームオーバーです」と言われるようになった。「これっぽっちの贅沢」がいつの間にか「大きな贅沢」と見なされて、譲れない部分が次々と侵されていった例だ。人々は「それはいやだ」という声を挙げるも、もはや手遅れになりつつある。

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    本書は真っ赤な表紙に小さなタイトルという装丁で、そのタイトルも「武器としての『資本論』」であり、何だか難解そうな印象を受ける。しかし、手に取ってみるとこれがかなり分かりやすく、大学の講義を受けているみたいでスルスルと読めてしまった。剰余価値のほかにも、「物質代謝」や「包摂」といった概念によって、現代社会に通ずる問題を非常に明瞭にあぶり出している。是非オススメの一冊である。

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    【まとめ】
    1 資本制社会のありかた
    マルクスが考える資本制社会
    →「物質代謝の大半を商品の生産・流通・消費を通じて行う社会」であり、「商品による商品の生産が行われる社会(=価値の生産が目的となる社会)」

    「物質代謝」とは、ある物質を作り、それにより別の物質を使っていくサイクル。例えば石炭やガスを燃やして電気を作り、電気が工場を動かし、工場がパソコンを作り、消費者がパソコンを買うような循環のこと。言い換えれば、物がめぐりめぐるプロセスのことが「物質代謝」である。

    このプロセスが、「商品による商品の生産」によって稼働する、つまり労働力という商品を使って別の商品を生産していくのが資本制社会である。そして、「大半」の範囲が際限なく拡大し続ける(昔は商品で無かったものもどんどん商品化されていく)のが、資本制社会の宿命だ。


    2 商品
    富と商品は違う。
    お金による商品交換の原理は「無縁」。取引関係の中では、相手と関係を持つ必要がない。後腐れなく、関係はその場で切れる。一方、共同体の中では無縁の商品交換はできない。贈与、手伝い、育児など、共同体における価値取引は関係性とは切り離せない。
    しかし、資本制社会が発達するにつれ、共同体の外の原理が共同体を飲み込んでいく。これをマルクスは「包摂」と呼んだ。


    3 包摂
    資本制社会は余剰価値を生産し、生産性を不断に高め続けなければならない。やり方を変革していけば行くほど、資本による包摂の度合いも高まっていく。生産工程が細分化され、労働者一人ひとりは決まりきった作業をやらされるようになる。
    やがて資本制社会は、生産の過程、労働の過程を飲み込むだけでなく、人間の魂、全存在への包摂へと向かうようになる。人間存在の全体、思考や感性までもが資本のもとへと包摂されるようになるのだ。


    4 資本の増大と余剰価値
    資本の目的はとにかく増大することだ。「増えることによって、人々が豊かになる」ことは資本の目的ではない。増えることそのものが資本の目的。

    資本が増えるとは、「価値増殖していく」ことである。

    機械化が進めば人は働かなくて良くなる、と言われ続けていた時代から何年経とうとも、人の仕事は楽にならず、より大変になっている。

    商品には「使用価値(質)」と「交換価値(量)」の二重性がある。使用価値とはそのままの意味で、使用に値する自然的属性のこと。交換価値とは、その商品に投じられた人間労働を通して、その価値を表示できるという「抽象的人間労働の結晶」のことである。
    労働力についても同じであり、労働力は「具体的有用労働(質)」と「抽象的人間労働(量)」という二重性を帯びている。

    資本制社会において商品は全て等価交換される。では、なぜ労働力によって余剰価値が生産できるのか?
    それは、「労働によって形成される価値が、労働力の価値よりも大きいから」である。
    「労働力の価値」を、マルクスは「労働力の再生産に必要な労働時間によって規定されている」「労働力の所持者の維持のために必要な生活手段の価値である」と規定している。労働者が搾取されすぎて死んでしまうほど低くはなく、かといって金持ちになって働かなくてすむようになるほど高くもない水準ぐらいが「労働力の価値」だ。もちろん、人によってこの水準は変わる。


    5 余剰価値
    マルクスは、労働時間を「必要労働時間」と「剰余労働時間」に分けた。「必要労働時間」とは、「賃金に相当するだけの生産を上げるのに必要とされる時間」であり、言い換えれば自分のために働く時間である。一方、働かされているのに支払いを受けられない労働時間が「剰余労働時間」である。
    マルクスいわく、「奴隷労働にあっては、奴隷が彼自身の生活手段の価値を補填するにすぎない労働部分、したがって、彼が事実上自分自身のために労働する部分さえも、彼の主人のための労働として現れる」「賃金労働にあっては、逆に不払労働さえも、支払労働として現れる」。
    賃金労働は奴隷労働とは真逆で、資本家のための労働の部分まで、まるで労働者自身のための労働であるかのごとく錯覚されるのだ。

    マルクスは余剰価値の生産方法を2つに分けている。
    ①絶対的剰余価値:労働時間の延長から得られる剰余価値
    ②相対的剰余価値:必要労働時間の削減から得られる剰余価値、生産力の増大から得られる製余価値(働く時間を伸ばさない代わりに生産性の上昇によって生み出す価値)

    技術革新が人を幸せにしない理由は、技術革新は特別剰余価値の獲得にあるからだ。特別剰余価値とは、高まった生産力で商品を廉売して得られる利益のことであり、いずれ同業者が模倣することで、特別剰余価値はゼロに近づいていく。剰余価値を求めることこそ資本の本質であり、その運動を続けることこそが資本そのものなのである。

    20世紀の終盤になって、相対的剰余価値の生産が行き詰まってしまった資本主義は、グローバル化に活路を見出す。これは労働力商品の価値の引き下げであり、絶対的剰余価値の追求への回帰である。

    近代になって生産力が向上したが、生産性が上がったとは、その生産に従事する労働者から見れば、労働の価値が低下したことにほかならない。現代社会においては、それが大きな問題として人類の前に立ちふさがっている。

    イノベーションによって生まれる剰余価値、すなわち資本主義の発展のキモにあたる部分は、結局、安い労働力を時間的差異と空間的差異を活用してダンピングした結果に他ならないのだ。


    6 階級闘争
    マルクスは「資本主義の破局的帰結をどうやって避けるのか?」という疑問に対して、「階級闘争によって」と答えている。

    マルクス「資本主義の発展に伴い、独占資本が巨大化し、階級分化が極限化する。それにより窮乏、抑圧、隷従、堕落、搾取が亢進し、ある一点でそれが限界を迎える」
    パシュカーニス「等価交換の廃棄こそコミュニズムが進むべき道である」

    人によって必要最低限の暮らしについての基準が異なるように、等価交換の「価」は、実際には人によって上下する。

    生活レベルの低下に耐えられるのか、それとも耐えられないのか。実はそこに階級闘争の原点があるのではないか。「これ以上は耐えられない」という自分なりの限界を設けて、それ以下に「必要」を切り下げようとする圧力に対しては徹底的に闘う。そして闘争によって求める「必要」の度合を上げていく。それはすなわち、自分たちの価値、等価交換される価値を高めていくということである。これが階級闘争の原点だ。

    筆者「『私はスキルがないから、価値が低いです』と自分から言ってしまったら、もうおしまいです。それはネオリベラリズムの価値観に侵され、魂までもが資本に包摂された状態です。(略)それに立ち向かうには、人間の基礎価値を信じることです。『私たちはもっと賛沢を享受していいのだ』と確信することです。賛沢を享受する主体になる。つまり豊かさを得る。私たちは本当は、誰もがその資格を持っているのです」

    新自由主義は資本主義文化の最新段階であり、その特徴は、人間の思考・感性に至るまでの全存在を、資本のもとへ実質的包摂することにある。したがって、そこから我が身を引き剥がし、ベーシックな感性――例えばうまいものを食べ、量ではなく質の点で豊かさを享受するなど――の部分を大切にする必要があるのだ。

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    2021年12月17日
  • 主権者のいない国

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    自分自身の社会との関わり方を反省しました。
    自分は、社会に無関心な国民の一人であり、主権者であろうとしない態度が「憲政史上最悪の政権」を継続させている一因であるということを自覚することができました。

    日本の国家体制や新自由主義が結びついて無関心を生み出し、政治の質低下や文芸的感性の劣化などの問題につながっていく流れは非常にわかりやすかったです。
    岸田首相の動向など、直近のニュースもその流れを踏まえると、新しい捉え方ができるように感じます。
    衆院選の前に勉強ができてよかったです。

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    2021年10月18日
  • 主権者のいない国

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    同じことの繰り返しが多いように思ったが、後半の朝鮮半島情勢、満州国に関する論考はなかなか興味深かった。

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    2021年10月17日
  • 武器としての「資本論」

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    オーディオブックで拝聴。
    20世紀で終わったと思ってたマルクス主義。だが資本主義の仕組みを紐解いたマルクスの資本論は、新自由主義隆盛の現代であっても、色褪せない部分があるというのはよくわかった。

    難解な資本論を現代のグローバリズムの課題と照らし合わせながらわかりやすく説明しているのがこの本の凄いところだと思う。

    とはいえ筆者も資本論のすべてをこの本で説明できているわけではなく、意図的にピックアップして取り入れているとも言っているので、これを読んで資本論をわかった気になってはいけないのだろう。

    いや、それにしても資本主義(資本制)って本当に複雑で制御不能な代物なんだなと痛感。
    ただ'60年代の左翼運動のように「資本主義をぶち壊す」のではなく、その中で生き抜くための思考のthe other OSとして「資本論的」なアイデアを自分の中に持っておくのは有効なのではないかと思う。

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    2021年10月10日
  • 主権者のいない国

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    本書を読んで国体というものについて理解を深めることができました。著者は本書で日本の戦前旧ファシスト勢力(国家主義者)が戦後に親米保守派へと転身して支配者の座(戦後の国体)に戻ったと述べていますが、安倍晋三による安定の第二次安倍政権が戦前の旧ファシスト勢力の流れを含むと考えるととても感慨深いものがあります。また、韓国・北朝鮮との外交関係にふれている章で日本は朝鮮戦争は永久に終結して欲しくないという考えが根底にあると述べていますが、国際政治とは正義だけでは成り立たないものだと理解しました。

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    2021年09月25日
  • 主権者のいない国

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    不正・無能・腐敗でまみれているのに、いかにも名宰相のような振る舞いをする低レベルな安倍晋三への辛辣かつ正確な評価で、久々に溜飲を下げた。
    それを許してしまった国民の「成熟の拒否」は痛感するが、どうするべきだろうか。このままでは日本の国力が落ちて、中流国から脱する事が出来ない。

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    2021年09月12日
  • 主権者のいない国

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    オリンピックが強行突破された時に
    自分自身の感情をなだめたくて
    読み始めた一冊

    同時に読んでいたのは
    池田晶子さんの
    「考える日々」

    やはり 考え続けることは
    大切なこと
    と 改めて思う

    苦々しき
    報道ばかりが続いている時に
    読み進めていたので
    なおさら 合点することが
    多かった

    オリムピック・パラリンピックを
    見たくない
    聴きたくない
    思いたくない
    日々を
    慰めてもらった
    一冊でした

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    2021年09月08日
  • 日本戦後史論(朝日文庫)

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    日本戦後史論 内田樹×白井聡

    白井氏の提唱する永続敗戦レジームなどの新しい概念があり、面白かった。日本は、歪な戦後史を辿っているという認識のもと、現代の諸問題を読み解いていく。戦後、アメリカの冷戦対応に伴い、日本は戦前の官僚体制を温存したまま、戦後を迎えた。そして、東条英機をはじめとする戦犯の首を挿げ替えただけで統治機構を温存させたまま戦後レジームが形成される。その際、白井氏が「敗戦の否認」と呼ぶような、敗戦へのごまかしを進めてきた。ごまかしとは何かと言えば、日本は米国に負けたという感覚を少しずつ減らしていくというもの。これはなるほどなとも思ったのであるが、普通、戦争に負ければ臥薪嘗胆として次は必ず米国に勝つと、日本独自の国家の在り方を考えるはずである。しかしながら、日本は米国に歯向かうというオプションを最初の段階からなくしていた。これは主権国家の敗戦後の姿ではなく、属国化の過程で起こるべき現象である。戦後、日本は米国との歴史的な同化を通じて、アジアへの戦争責任もまた否認した。戦前の日本は軍部という悪玉に支配されており、戦後の日本は米国との同化を通じて浄化されたという認識は、戦前と戦後日本のシームレスなつながりを無くしてしまった。永続敗戦レジームは、この敗戦に否認を通じて敗戦の戦略的な無反省を招き、本来の主権国家としての戦後の在り方を模索しなかったことに起因する歪な精神構造を指していると思われる。ただ、内田老師も補足していたが、この敗戦の否認を行わず、対米経済戦争勝利を信条とした世代が、1920年代後半~1930年代前半生まれの世代であると。彼らの世代は、大日本帝国と運命を共にすることを心の中で誓いながらも戦争時は13歳~16歳程度と、若すぎて徴兵されなかった面々である。私の祖父は1931年生まれで、まさにこの世代であるが、戦後、学制改革直後に旧東京商大・現一橋大学に入学し、卒業後は出光興産で定年まで勤め上げた。祖父は私が7歳の時に亡くなってしまったため、詳しいことは聞くことができなかったが、出光興産が対米戦争の敗因を資源の調達とするという反省から出光佐三に興された企業であることを踏まえると、敗戦の否認ではなく、臥薪嘗胆として次回は米国に勝つとする心持があったのではないかと邪推してしまう。しかし、その後の世代においては、このような心持はないのではなかろうか。以前、私が好きなDJの小林克也氏の自伝を読んだが、1941年生まれの彼の青年期には、既にアメリカ文化は根付いており、親から家訓の如く教えてもらわなければ臥薪嘗胆とした心持があるはずもなく、米国文化をニュートラルに好んでいたのかと思う。このように、1940年以降に生まれた世代は、敗戦の否認というある種のプロパガンダの中で育ってきているため、1996年生まれの私にしてみれば、全く実感がわかないものである。しかしながら、我々が日本という国により一種のアイデンティティを与えられ、パスポートをはじめとする多くのベネフィットを得ている以上、日本が嘗て犯した過ちには無反省であることはあってはならないし、頭を下げることに違和感はない。話がそれたが、現代における諸問題を永続敗戦レジームという術語をもって説明している本書は非常に興味深い書のひとつであった。

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    2021年08月29日
  • 街場の平成論

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    内田が、編集した各界の有識者による平成論集。

    日本がアメリカの属国であるということをモチーフに戦後のステージを整理し、かつ平成を総括した内田の洞察には恐れ入った。そして、自分なりの平成論を書いてみたいと思った。

    一通り読み終わり、いろいろな視点があるものだと思う。
    中でも面白いのは、
    日韓平成史
    ポストヒストリー
    消費者主権国家
    個人から群れへ
    といったあたりか

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    2021年07月27日
  • ポストコロナ期を生きるきみたちへ

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    まえがきに掲載されている「寄稿のお願い」で書かれている通りに、書かれていることは、一人ひとり違った切り口の「ポストコロナ期を生きるきみたちへ」のメッセージ。

    本当に私が中高生だったら、偶然にでも見つけて手に取って欲しい。手に取れるところに存在して欲しい。

    政治学者、疫学者から宗教学者、そしてアーティスト。

    アジカンの後藤さんの文章は、不意打ちでもあり、なんか涙出た。

    突きつけられつつも、著者たちがある意味突き放してくるからこそ、信頼感があって温かい。

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    2021年07月25日
  • 主権者のいない国

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    国民主権、となっているものの、国民に向き合った政権ではない状態が8年以上続いているのは何故なのか、読み解いてくれる本でした。「主権者たることとは政治的権利を与えられることによって可能になるのではない。人間が自己の運命を自らの掌中に握ろうとする決意と努力の中にしかない。」

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    2021年07月19日
  • 主権者のいない国

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    "かつて、「戦前の国体」が崩壊の最終過程を驀進していたとき(つまり、十五年戦争の末期)、特権階級以外の国民の命は限りなく粗末に扱われ、あたかもそれは如何様にも処分可能なモノであるかのようだった。
     今日、それと全く同じ状況が生じているわけではもちろんない。(略)" 180ページ

    ここを読んで、ヒーっとなった。「全く同じ状況が生じている」ではないか。
    そうか、今は「戦後の国体」の崩壊の最終過程なのだな。そのことは何回も別の箇所で書かれている。「戦後の国体」が崩壊するのは良いのだけれど、その後に何が現れるのか。最悪なモノの後には、よりマシなものが現れて欲しいのだが。なんかまだ準備ができていないような気がするのだが。未来が見えない。

    この本の一番最後の部分
    "主権者たることとは、政治的権利を与えられることによって可能になるのではない。それは、人間が自己の運命を自らの掌中に握ろうとする決意と努力のなかにしかない。私たちが私たち自身のかけがえのない人生を生きようとすること、つまり人として当たり前の欲望に目覚めること、それが始まるとき、この国を覆っている癪気は消えてなくなるはずだ。"
    に個人的にグサリときた。

    コロナ禍でまいっているところに、オリンピックのアレコレも加わり、もうゲンナリしている。白井さんの本を読んで、あきらめてはいけない、立ち上がらなくてはいけないと改めて思った。

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    2021年06月25日
  • 武器としての「資本論」

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    ネタバレ

     武器としての「資本論」。 昨年出版された際に丸善で平積みされている際の真っ赤なカバーと強いメッセージ性を感じられるタイトルですごく気になっていた本。 気になった瞬間には、ちょっと難しそうだな、と自分の弱さが出てしまって手が伸びなかったのですが、今年のゴールデンウィークまとめ買いの際に改めて購入した本。 難しかったけれど、読んでよかった。

     マルクス「資本論」という難しい書籍を、著者独自の観点で解説してくれている本。 第1講 「本書はどんな『資本論』入門なのか」 の部分にわかりやすくまとめられているので、いきなりですが抜粋引用です。

    ===========
     私なりの『資本論』の読み方、「自分がマルクスから何を学んできたのか」についてまとめてみたいという気持ちがあって、機会を作ってもらうことになりました。
     (中略)「『資本論』はこういうふうに書かれていて、こういう議論がされています」と懇切丁寧に、順番どおりに説明をしていく誠実な入門書ということであれば、もちろんいろいろあります。
     (中略)ただ「これを読んで、『資本論』を読む気がするかな?という疑問があるのですね。
     (中略)そこに私がやるべきことがあるのではないか、と思い至ったのです。 本書で私が「ここが『資本論』のキモです」という話をして、それをきっかけに読者のみなさんにぜひ『資本論』を読んでいただきたい。

     (中略)マルクスが創造した概念を通じて見ると、今起こっている現象の本質が『資本論』の中に鮮やかに描かれていることがわかるし、逆に『資本論』から現在を見ると、現実の見え方がガラっと変わってきます。
     (中略)ですから、「こんな世の中をどうやって生き延びていったらいいのか」という知恵を『資本論』の中に探ってゆく。 マルクスをきちんと読めば、そのヒントが得られるのだということを改めて世の中に訴えていきたい。そう思っています。
    ===========

     もうここだけ読んだだけで、筆者の熱量が伝わってきますよね。 またこの営みは、こうして読書レビュを継続している自分の営みとも(レベルは違い過ぎますが)なんとなく似ています。 自分が読んだ本を自分なりに咀嚼し、人に読んでもらいたくて発信する。 
     ひと様が、これで読んだ気になってくれた/省時間化の観点でひと様のためになれたのならうれしいし、共感してくれて当該本の読者になってくれるのなら、それもまたうれしい。 自分のわずかな努力でも、なんらかひと様に影響を与えられ、結果的に世界が良くなる方向へ寄与できるのなら、うれしい。(だいぶ遠謀)

     ブレイディみかこさんが課題提起された本をたくさん読んだり、格差社会の本をいくつか読んできたりしていたので、「新自由主義(ネオリベ)」が巻き起こしてきた最近の現状について「それってなんだかおかしくないか? 目を覚ませ」という課題認識にはなんとなくは理解できるぐらいまでは学んできたつもり。
     そういう状況で本書を読めたので、やはり、改めて勉強になった、そう思った本。 



    以下、抜粋引用となります。(あくまで自分が気になった部分の抜粋であること、ご理解ください)
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    P55 商品は、交換から、しかも共同体の外での交換からのみ生まれるのだということ、これはマルクスの決定的な発見だったと言えます。

    P66 フランスの哲学者ベルナール・スティグレールは著書『象徴の貧困』において、テクノロジーの進歩による「個」の喪失へ警鐘を鳴らしました。肉体を資本によって包摂されるうちに、やがて資本主義の価値観を内面化したような人間が出てくる。すなわち感性が資本によって包摂されてしまうのだ、と。
     (中略)人間の感性までもが資本に包摂されてしまう事態をもたらしたのは、とりあえずは「新自由主義」(ネオリベラリズムもしくはネオリベ)である、と言えるでしょう。

    P69 日本でも「一億総中流」と言われ、「もう階級なんて言葉は古くなった。いまの日本にそんなものはない」と言われていました。ところが1980年代あたりからその動きが反対側にターンし、90年代以降、格差の拡大が露骨な流れになっていきます。無階級社会になりつつあった日本が、新自由主義化の進行と同時に再び階級社会化していったのです。この構図はもちろん、他の先進資本主義国にも当てはまります。

    P71 だが、新自由主義が変えたのは、社会の仕組みだけではなかった。新自由主義は人間の魂を、あるいは感性、センスを変えてしまったのであり、ひょっとするとこのことの方が社会的制度の変化よりも重要なことだったのではないか、と私は感じています。 制度のネオリベ化が人間をネオリベ化し、ネオリベ化した人間が制度のネオリベ化をますます推進し、受け入れるようになる、という循環です。

    P89 マルクスが『資本論』で論じたのは、生産の目的が商品を売ることによる貨幣の獲得になること(形式的包摂)、そしてさらに、生産過程の全体が資本によって組織化されること(実質的包摂)でした。おそらくは「包摂」の概念の射程は、もっと広大なのです。 それは、「包摂」の深化に終わりは設けられないからです。人間存在の全体、思考や感性までもが資本のもとへと包摂されるようになる。

    P135 19世紀の工場法を見れば、今回の「働き方改革」のような体制側による労働者の救済措置は今に始まったものではなく、昔からあったことがわかります。それは資本主義のある種の必然であって、あまりに搾取しすぎると、搾取する相手がいなくなってしまって、資本主義は成り立たなくなるのだということです。

    P228 東京の都心部全般に言えることですが、とりわけ銀座などは資本主義の極致の街です。資本主義化が進み過ぎて、再生産ができなくなっている。
     (中略)そういう街から子供が駆け回る風景が消えるのは、当然のことでしょう。東京都民はそのさみしさをかみしめるべきなのです。自分たちでは自律的に再生産できない、一見華やかに見えて実は破壊的な街、よそから人を盗んで栄えている街なのだということ。その冷厳なる事実を、子どもの歓声が聞こえないという現実によって日々確かめるべきなのです。

    P257 先ほど見たように、『資本論』は「資本主義の発展に伴い、独占資本が巨大化し、階級分化が極限化する、それにより窮乏、抑圧、隷従、堕落、搾取が亢進し、ある一点でそれが限界を迎える」と述べています。
     さながら今の日本を見ているような表現ですが、「本当にひどい世の中になり、人々がいよいよ我慢ならなくなって、立ち上がり、革命を起こすのだ」ということです。しかし実際には世界の多くの国では、そう簡単に革命には至らない。

    P277 資本の側は、「そんな贅沢しなくていいじゃないか」とささやいてきます。「毎日カロリーメイトだけ食べたって、別に十分生きていけるよ」というささやきは、いくらでも聞こえてくるし、確かにそれで生きていけないことはない。
     そのとき「それはいやだ」と言えるかどうか。 そこが階級闘争の原点になる。

    P279 人間という存在にそもそもどのくらいの価値を認めているのか。そこが労働力の価値の最初のラインなのです。そのとき、「私はスキルがないから、価値が低いです」と自分から言ってしまったら、もうおしまいです。それはネオリベラリズムの価値観に浸され、魂までもが資本に包摂された状態です。
     (中略)それに立ち向かうには、人間の基礎価値を信じることです。「私たちはもっと贅沢を享受していいのだ」と確信することです。贅沢を享受する主体になる。つまり豊かさを得る。私たちは本当は、誰もがその資格を持っているのです。しかし、ネオリベラリズムによって包摂され、それに慣らされている主体は、そのことを忘れてしまう。
     (中略)この意思を抹殺したことこそ、新自由主義の最も重大な帰結だと私は思います。
     それゆえ、意思よりももっと基礎的な感性に遡る必要がある。 どうしたらもう一度、人間の尊厳を取り戻すための闘争ができる主体を再建できるのか。 そのためには、ベーシックな感性の部分からもう一度始めなければならない。
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    2021年06月19日
  • 主権者のいない国

    Posted by ブクログ

    なぜ日本の政治はこんなにもダメなんだろう、コロナ対応も他の先進国に比べて遅れてるし、安倍氏も菅氏も、語ることに何の真摯さも感じられない。野党は批判のための批判しかしてないように見えるし。
    子供の頃ってもっと日本は先に進んでなかったっけ?今となっては明るい希望は何も見えない。政治家なんて誰がなっても同じとしか思えないし、古狸たちが未来のことなどおかまいなしに、利権にまみれてるだけ。何でこうなのか、そう思って本書を手に取りました。
    永続敗戦論、菊と星条旗を読んでいないと、深くまで理解できていないかもしれないが、戦後の国体が今なお続いている、というのが今の状況の原因ということなのだろう。
    憲法上戦争のできる軍隊を持っていないから、今なおアメリカに隷属するしかないのか、改憲したらどうなるだろう、二者択一ではない、違う道はないものか、、?

    硬質な文章と、ウィットに富んだ政治批判が小気味良かった。

    ただし、最大の批判の対象は、私自身を含めた、主権者たろうとしない国民に向けられている。

    少し間を空けて、永続敗戦論、菊と星条旗も読んでみようと思います。

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    2021年06月14日