撤退論。例によって内田樹から寄稿依頼された面々が思い思いに「撤退論」を論ずる。勢い、流れで私も持論を述べたくなるが、テーマ幅広し。一人一人に割かれるページ数が少なく浅い。興味深いのだが〝好奇心のインデックス“程度の本だ。
切り口がそれぞれ。女性疫学者の三砂ちづるが、撤退の英訳withdrawalを
...続きを読む、これは膣外射精という意味にもなるが、人口問題に絡めた性行為の撤退として私感を述べていた。少子化問題に対し、避妊を教育する自らへの疑問、近代化され、そもそも性行為の数が減っている事への警鐘。映画やドラマは見るもので、情報化・計画社会により、日常の起伏が減るように、恋愛や性行為がバーチャルのファンタジーに封じられ、自ら演じるものではなくなっていく。
『マニフェスト選挙を疑え』堀内勇作が示した政党名を隠して政策支持を問うた場合の結果と、自民党の政策と記して同内容の支持を問うた場合、自民党補正がかかり、支持率は政策に関係なく上昇する。民主主義からの撤退に触れた、白井聡。成田悠輔の論説を見聞きして以来、民主主義の膠着化は私の中で決定的になりつつある。成田悠輔と言えば、斎藤幸平(私の中では)。本著でも、資本主義からの撤退に軽く触れる。
想田和弘。映画監督らしい、がどんな映画かはよく知らない。本著に書かれた内容が胸打つ。
ー 直進する文明の時間に生きるのではない。猫は毎日毛づくろいして生きていく。効率よく毛づくろいするための工夫をするわけではない。循環する時間だけが流れていく。直進する文明の時間から撤退し、循環する自然の時間と共に生きていきたいと、無意識にせよ、体のどこかで感じていたからなのだ。
文明からの撤退。加速しないで欲しい、毎日の合理性や経済。意識低い系で世界全体、談合しながら滅びていければ、そこに幸福の真理が見出せないものだろうか。晴耕雨読。昨日と変わらぬ毛づくろいをしながら、日々、生きていきたいのだが。