河出書房新社の『日本文学全集』(池澤夏樹=個人編集)の第二十九巻『近現代詩歌』から「短歌」のパートを文庫化したもの。
今回もまた、読み終わってから初めて気づく、君は既読本であったのだ。
同じ巻に収められた「詩」と「俳句」のパートも、それぞれ『近現代詩』『近現代俳句』として刊行されているので、今回引っかかったおめでたい御仁はくれぐれもご注意を!って、そんな間抜けはおいらだけか!
穂村弘が五十人の歌人の名歌をそれぞれ五首選んだもの。
選歌に飽き足らず、やめときゃいいのに、またまたへぼが減らず口をたたいてしまった。
まことに因果な性分である。/
◯与謝野晶子:
選歌にも好きな歌はあったが、天邪鬼としては解説で触れられている詩「君死にたまふことなかれ」を引用したい。
この国では滅多に見られぬ晶子渾身のパレーシアである。
《「君死にたまふことなかれ(旅順の攻囲軍にある弟宗七を歎きて)」
ああ、弟よ、君を泣く、
君死にたまふことなかれ。
末(すゑ)に生れし君なれば
親のなさけは勝(まさ)りしも、
親は刄(やいば)をにぎらせて
人を殺せと教へしや、
人を殺して死ねよとて
廿四(にじふし)までを育てしや。
─中略─
君死にたまふことなかれ。
すめらみことは、戦ひに
おほみづからは出(い)でまさね、
互(かたみ)に人の血を流し、
獣(けもの)の道(みち)に死ねよとは、
死ぬるを人の誉(ほまれ)とは、
おほみこころの深ければ、
もとより如何(いか)で思(おぼ)されん。(以下略)》
(青空文庫 与謝野晶子『晶子詩篇全集』より抜粋)/
◯斎藤茂吉:
僕は、高野 公彦 が『現代の短歌』 (講談社学術文庫)で選んでいた
《死に近き母に添寝(そひね)のしんしんと遠田(とほだ)のかはづ天(てん)に聞(きこ)ゆる》
を採りたい。/
◯石川啄木:
もちろん、ここでも異人は選歌ではなく、断然「石をもて」である。
《石をもて 追はるるごとく ふるさとを 出でしかなしみ 消ゆる時なし》(『一握の砂』)/
◯ 葛原妙子:
ここも、『現代の短歌』の
《水かぎろひしづかに立てば依らむものこの世にひとつなしと知るべし》
を採りたい。/
◯齋藤史:
同じく、『現代の短歌』の
《死の側(がは)より照明(てら)せばことにかがやきてひたくれなゐの生(せい)ならずやも》
を採る。/
◯竹山広:
解説で引かれている歌が印象に残った。
【二万発の核弾頭を積む星のゆふかがやきの中のかなかな】(『千日千夜』)
◯塚本邦雄:
ここも、「皇帝ペンギン」ではなく、『現代の短歌』から
《炎天に垂るる鞦韆(しうせん) 眸(まみ)とぢて易易としたがひ来しものの果て》
を採る。/
◯中城ふみ子:
【冬の皺よせゐる海よ今少し生きて己の無惨を見むか】(『乳房喪失』)
解説に中城に次いで翌年の短歌研究第二回五十首詠を受賞した寺山修司の言葉が紹介されている。
【「私の作歌活動ははっきり言って『乳房喪失』の読後からはじまった。私の歌壇への挑戦的な態度は、この『乳房喪失』を認めまいとする旧歌人のスノビスムに対して向けられたものだった。】/
◯前登志夫:
もちろん、僕は『現代の短歌』で採られていた
《鬼一人つくりて村は春の日を涎のごとく睦まじきかな》
を採るが、この歌に津山事件を見てしまう眼は、
【夕闇にまぎれて村に近づけば盗賊のごとくわれは華やぐ】
も、津山事件の犯人の都井が犯行前の夜々に行った下見のことを歌っているように思えてくるし、
【さくら咲くその花影の水に研ぐ夢やはらかし朝の斧は】
もまた、都井が犯行に使用する斧を事前に研いだことを歌っているように思えてしまうのだ。
まったく、呪われてるよ!お札を貼らなきゃ。/
◯夭折:
選ばれた五十人の歌人のうち、夭折した者が、正岡子規(35歳)、山川登美子(29歳)、石川啄木(26歳)、宮沢賢治(37歳)、明石海人(37歳)、中城ふみ子(31歳)、相良宏(30歳)、岸上大作(21歳)と八人もいる。
なぜ、こんなことを書くのかというと、津山事件の犯人の都井睦夫は、部落の人々から肺病病みと忌み嫌われ、22歳で犯行に及んでいるが、その動機には夜這いの風習からも疎外され、村人たちに強い憎しみを抱いたこともあるが、その一端には自らの行く末を儚んでということもあったのではないかと思うのだ。
だとすれば、もし、彼が歌を詠んでいたらどうだっただろうか?
憎しみや哀しみの幾ばくかを中和し、昇華することができたのではないか?
そうすることで、あのような破滅的な行動に至らずに済んだのではないか?
ふと、そんなことを思った。
苛酷な人生に喘ぐ者に、芸術は一つの救いになり得るのではないだろうか?