あらすじ
人気歌人・穂村弘 唯一の自選ベスト版歌集。
1990年に歌集『シンジケート』でデビューして以来、
短歌、エッセイ、評論、絵本、翻訳と、
日本のカルチャー・シーンのただ中を疾走してきた歌人、穂村弘。
2003年の刊行からロングセラーを続けてきた
自選ベスト版歌集が、
歌集未収録連作「ピリン系」
「手紙魔まみ、教育テレビジョン」を加えて
文庫化された。
日本の短歌シーンを一変させただけではなく、
後続する世代の小説・演劇・詩・俳句・川柳・歌詞などに
決定的な影響を与えた穂村ワールド全開の
「ラインマーカーまみれの聖書」を、
今すぐポケットに入れて、旅に出よう。
解説は歌人、瀬戸夏子氏。
感情タグBEST3
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冷蔵庫が息づく夜に お互いの本のページが
めくられる音
声が出ないおまえのために
ミニチュアの救急車が運ぶ浅田あめ
こんな2人でありたい!
盛りだくさんのベスト歌集
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この歌たちが詠まれて時代を少し過ぎた今でもぶっとんでいると思えます。
連作で読むと凄い!と思うところもありました。
ので、順番通りに並べます。
「ドライ ドライ アイス」
<月の夜の暴走族は蜜蜂のダンスを真似て埋立地まで>
<チューニング混じるラジオが助手席で眠るおまえにみせる波の夢>
<風の交叉点すれ違うとき心臓に全治二秒の手傷を負えり>
ーーーーーー
<スニーカーの踵つぶして履く技を創り給いしイエス・キリスト>
<星座さえ違う昔に馬小屋で生まれたこどもを信じるなんて>
<お遊戯がおぼえられない君のため瞬くだけでいい星の役>
<お遊戯がおぼえられない僕のため嘶くだけでいい馬の役>
「蛸足配線」
<レインコートをボートに敷けば降りそそぐ星座同士の戦のひかり>
<逢いたいのいますぐ来てという声をかこむ熱帯の果実を想う>
<描きかけのゼブラゾーンに立ち止り笑顔のような表情をする>
ーーーーーー
<くだもの屋のあかりのなかに呆然と見開かれたる瞳を想う>
<眼鏡猿鼠猿蜘蛛猿手長猿月の設計図を盗み出せ>
<きがくるうまえにからだをつかってね かよっていたよあてねふらんせ>
ーーーーーー
<約束はしたけれどたぶん守れない ジャングルジムに降る春の雪>
<うちの猫、ドックフードが好きなの。と春の鏡のなかの美容師>
<硝子の外ははるのかぜ 恋人が怒った顔でわたす知恵の輪>
「手紙魔まみ」
は新感覚のSF童話のような感じがしました。
短歌でこんなこともできるのですね。
連作ならではと思いました。
<金髪のおまえの辞書の「真実」と「チーズフォンデュ」のラインマーカー>
<世界一汚い爪の持ち主はそれはあたし、と林檎をさくり>
<人と馬のくっついたもの指(?)さしたストローの雫が散る、夜は>
ーーーーーー
<エスカレーターの手摺りを雑巾で押さえ続ける瞳を閉じて>
<まみとゆゆはかつてUFOキャッチャーの景品だった 眩しかったの>
<「5種類のドレッシングから選べます」「選べないから混ぜてください」>
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<NASAはどっちですか、問えば警官のサングラスに映る俺の笑顔は>
<「みずたまりで蟻が溺れています」って高速道路の電光掲示>
<ハイウェイを歩む少女は出来立てのフルーツパフェをあたまに乗せて>
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<高速道路のみずたまりに口づけてきみの寝顔を想う八月>
<きらきらと海のひかりを夢見つつ高速道路に散らばった脳>
ーーーーーー
<赤、橙、黄、緑、青、藍、紫、きらきらとラインマーカーまみれの聖書>
瀬戸夏子さんの解説より引用します
(前略)どれだけきらびやかな歌を作ろうとも、塚本の歌には戦争を経験した苦しみが転写されているが、穂村のピストルはおもちゃのピストルである。けれど穂村は嘘をつけなかった。本物のピストルを持ったことがない人間は本物のピストルを持ったことがあるような歌をつくれない、いや、つくってはならないという倫理がそこにあったのではないだろうか。苺味の血糊できれいな白いシャツを汚しながら笑うような歌こそ戦後世代の穂村がつくらなければならなかった歌なのではないだろうか。その遊戯が拡大し、明るい「シンジケート」のメンバーおもちゃのピストルを持った子どもたちが増えつづけ、いつか同士打ちに手を染めなければならなくなるとしても。生殖を選ばなかったイエスさえ、書を通じて「子ども」を「間違って作ってしまった」のだ。
<イエスは三十四にて果てにき乾葡萄噛みつつ苦くおもふとその年歯> 塚本邦雄
<スニーカーの踵つぶして履く我を創り給ひしイエス・キリスト> 穂村弘
塚本は嫉妬と呪怨をこめて、イエス・キリストの歌をたくさん詠んだ。比較すれば、穂村の歌の軽やかさはあきらかだろう。けれどまた、穂村は塚本の「子ども」だったのだと思う。
そして、塚本はみずからの歌もいつか「間違つ」た「子ども」をつくることを知っていた。だから手を挙げて命乞いをする「子供」を、「君の」「子ども」だとは言わなかった。「君の私の」「子供」だと言ったのだ。むしろ塚本こそ、戦後社会を撃とうとした自分のピストルの先に、穂村の顔を見て、愕然、愕然としたのではないか。
(中略)
ほみほむとまみは穂村がつくりだしたもっとも熱烈で甘いシンジケートであった。たくさんの人々が次々に入会した。イエス。イエスとマリア。ほむほむとまみ。完璧なシンジケートであった。
(後略)
Posted by ブクログ
2003年刊行の歌集『ラインマーカーズ』に単行本未収録の『ピリン系』『手紙魔まみ、教育テレビジョン』の連作を加え文庫化。
表紙のLinemarkersの文字は、装丁を請け負った名久井直子さんが、以前文通していた外国の男の子の手紙の文字を切り貼りして仕上げたそうだ。
よく見ると“k”が“R”にも見えていて、そこがこの歌集にぴったりだと思う。
間違った“聖書”ということなのだろうか。
穂村弘さんの単独歌集を読むのはたぶんはじめてだと思うが、穂村さんが影響を受けたという少女漫画みを強く感じた。
そういう目で見るからかもしれないけれど、特に私も大好きな大島弓子さん色が強い。
脆くて強い、理想の“女の子”を大島作品で理想化したのだろうか。
昔、なにかの文章で、穂村弘の歌はマッチョ、という評を読んだのだが、意識してみるとそれも感じる。
弱々しいふりして、その実“男らしさ”にも憧れていて、女の子を守るふりして守られたい。のかも。
『手紙魔まみ』から抜粋された歌は、私も好きな歌が多い。
特に好きなのは『手紙魔まみ、完璧な心の平和』の中にある、有名な一首。
[ハロー 夜、 ハロー 静かな霜柱。 ハロー カップヌードルの海老たち。]
優しくてあたたかくて泣きそうになる。
暗く冷たい夜と朝をいくつも越えて、まみは夜中に起きだした。
お腹が空いてカップヌードルの蓋をめりりと開ける。
外は寒い。
こんな寒い日は霜柱がいつもの土手で育っているだろう。
カップヌードルに熱いお湯を入れて待つ。
静かに育っているあの土手の霜柱に心の中で挨拶する。ハロー。
キッチンタイマーが鳴り響き、カップヌードルの蓋をまた開ける。
湯気とともにピンクの小海老たちが揺らめく。
ハロー カップヌードルの海老たち。
容器の熱さがもどかしくも嬉しい。
夜は辛いばかりではない。
美しい霜柱は夜のうちに育ち、干からびた小海老たちはお湯の中でまた泳ぎだす。
『完璧な心の平和』を手に入れたまみは最強なのだ。
って、すみません。
読んでくださった奇特な方、ありがとうございます。
あと、この本とはなんの関係もない私事ですが、憧れの新聞歌壇に初掲載されました。
中日新聞の中日歌壇、小島ゆかり先生選で、祖母の集めた五円玉のことを詠ってます。
地方紙なので、購読者が少なさそうですが、もしも購読されている方がいたら、どれどれ、と、覗いてくださったら幸いです。
作者(私)の心情まで想像してくださった小島先生の評が嬉しかったです。
Posted by ブクログ
2003年単行本を歌集未収録連作を加えて文庫化。レビュー書けず積読状態でした。
名久井直子表紙装丁デザインの秀逸さ。穂村さんの歌の余韻が残る。
一首一首が濃厚で、自分の中の何かと外界とをつなぐような異次元穂村ワールド。上の句と下の句の組み合わせが衝撃的。
夏の歌ばかりを抜粋してみた。他の季節よりも増して内的不穏を抑えきれない、不可解さも混じる。読むたびに新鮮な驚きがある。私の勝手な解釈ご了承ください。
『ドライドライアイス』
弟よ 目醒まし時計を銀紙でくるめ夏休みの始まりだ
(銀紙に包まれたお菓子、駄菓子屋へ通った幼き頃の自分と兄弟との夏が始まるワクワク感を郷愁を帯びて眩しく思いだされた)
ピーマンの断面きみに見せたくて呼び鈴押しにゆく夏の夜
(ピーマンという選択の挙動不審さ。なんでも話したい、きみに会いたい、という想いがだた漏れ)
ひまわりを空き瓶に挿す 消防車の群れも眠りにつく夜明け前
(ひまわりを花瓶ではなく空き瓶という無造作と、消防車の騒がしさを逃れた夜明け前の静けさの対比が夏の暑さひんやりさせるよう)
『手紙魔まみ』
天才的手書き表札貼りつけてニンニク餃子を攻める夏の夜
(殴り書き?手書きに店の心意気を感じて、ニンニク餃子にかぶりつくと夏の暑さが更に増すよう。きっとビールも上手い)
熱帯夜。このホイップの渦巻きは機械がやったのがわかるでしょう?
(今年の夏のうだるような暑さ、溶けてしまいそうなのに渦巻きホイップ崩れてないって機械的とはホラーのよう)
『ごーふる』再読、カルピスを飲む景色が変わってしまう。おろおろしてしまうよ。
Posted by ブクログ
短歌はすごいなぁ。
たった26文字で一本の映画を観たような、一枚の絵画を観たような、そんな気持ちになる。
…と言っても7割くらい意味わかんなかった。
知らない言葉や読めない漢字も結構あった。
まだまだだなぁ。
今度はこの人のエッセイを読んでみようかな。
Posted by ブクログ
景色や持ち物や、時さえもくるくると変わっていく感じが新鮮で良かった。
穂村弘も短歌も何も知らないまま、事前情報はほんタメのみで読んだ。
なんかほんとうに、すごい。短歌も穂村弘も。
ビュッフェで好きなものを選んでるつもりが、どんどん満腹になって苦しむみたいな感じ。
今回はざーっと流し読みした感じだけど、タイトル通りマーキングしたらもっと楽しいんだろうなって思った。
感じてるものがくるくる変わっていくから、どんどん頭がパズルの形式でぎゅうぎゅうに埋まっていく苦しみと楽しさが同時にくるの、新鮮だなあ。
いつかこの本をどこかで読み返す。そのときはラインマーカーを持って
Posted by ブクログ
掴みきれず。
また時間が経ってから改めて読んだらもっと面白くなりそう。
「苺味の血糊できれいな白いシャツを汚しあいながら笑うような歌こそ、戦後世代の穂村がつくらなければならなかった歌なのではないだろうか。」
Posted by ブクログ
これまで穂村弘を読むことを避けてきたのは、学生時代ほむほむに夢中だった学科の友人のことが苦手だったから。しかし短歌に興味をもってしまっては、避けては通れない、と自選集を読むことにした。
手紙屋まみの後半あたりがいい。言葉が軽んじられているようで反発がひどく、異端児と扱われていたと思うけど、いまではすっかりそのくらいがスタンダードになってしまった。そのポップネスを確かに受け取った。