Posted by ブクログ
2021年03月05日
穂村弘(1962年~)氏は、札幌市生まれ、上智大学文学部卒、1986年に連作「シンジケート」で角川短歌賞次席(同年の受賞作は俵万智の『サラダ記念日』)、1990年代には加藤治郎、荻原裕幸とともに「ニューウェーブ短歌」運動を推進した、現代短歌を代表する歌人の一人。エッセイも多数執筆している。
本書は、...続きを読む2016年に出版され、2017年の講談社エッセイ賞を受賞、2019年に文庫化された。
私はこれまで、著者の『はじめての短歌』、歌集『ラインマーカーズ』、エッセイ集『蚊がいる』を読んできたが、その歌もエッセイも、著者の鋭敏かつ独特の感性と、それを文字にする表現力があっての作品であるが、本書も、それらが遺憾なく発揮されたエッセイ44篇が収められている。
解説で、作家の福澤徹三は次のように書いている。「怖さとは想像力である。まだ起きていいないなにかに思いをめぐらせることで怖さは生じる。すでに恐怖の渦中にいてもそれはおなじで、これからを想像するから怖さは増す。つまり想像力が豊かであるほど、恐怖に対する感覚は鋭敏になる。そういう意味でいえば、名だたる歌人でありエッセイストでもある穂村弘さんに怖いものが多いのは当然だろう。本書『鳥肌が』は、穂村さんが怖いと感じる-すなわち鳥肌が立つ事柄について記したエッセイ集である。」
著者が「鳥肌が立つ」事柄とはどんなことか。。。それは、「娘が死ぬのを見届けてからじゃないと死ねない」という母親、夫が無呼吸症候群であることを教えずに毎晩隣で眠る妻、哺乳瓶からミルクを飲むヤギの赤ちゃんの目、外国で起きた連続殺人事件の被害者が皆青目金髪ロングヘア―真ん中分けだったこと、自分が連載していた日記でわずか1ヶ月の間に無意識に同じエピソードを2度書いていたこと、几帳面で仕事もできる男性が自分の年齢を妻に指摘されるまで間違っていたこと、まだ元気だと思っていた自分の母親に「今は昼かい?夜かい?」と聞かれたこと、また、自分と他人の感覚のズレから生じる様々な事柄、未知の自分や将来に対する様々な事柄、等々である。多くは、我々が見聞きしたとしても、一瞬「?。。。」と思いつつ、次の瞬間には流してしまいそうな事柄なのだが、著者はそれを一々留保し、他の類似した事柄や一般的な法則のようなものに敷衍していく。
そして、それらを読んでいると、我々も、日常に埋もれがちなそうした事項が、実は怖いことなのだと改めて気付かされるのだ。
我々の日常に埋没した怖さを軽妙な筆致で描いた、著者の代表的エッセイ集である。
(2021年3月了)