東浩紀のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
ネタバレ著者の前著『動物化するポストモダン』はオタクの動向だけでなく日本社会全般に当てはまる「『大きな物語』の衰退→物語消費からデータベース消費」という流れに言及したが、当書はオタクの消費活動及び、消費の対象となる作品(「ひぐらしのなく頃に」など)の構造について焦点を当ている。
リオタールの言う「大きな物語」とは高度経済成長期の日本で「仕事を頑張れば明日は今日より良い暮らしができる」というように国民全体に広く受け容れられたスローガン、価値観のこと。ポストモダンはそのような大きな物語が衰退して、拡散的な小さな物語が生まれ、社会やライフスタイルの多様化が尊ばれる時代である。
前著の内容と被りますが、ポストモダンの徹底化により台頭したのが「萌え」と「データベース消費」である。漫画やライトノベル、ゲーム、アニメのキャラクターは「眼鏡っ子」、「ツンデレ」、「先輩」、「妹」といった「萌え要素」という単位まで分解され、その萌え要素を集めたデータベースそのものが消費の対象となっている現象を「データベース消費」と表現する。
ちなみにこうした傾向はキャラクターの自律化や二次創作の増加といった現象を招く。たとえば、作品ごとにキャラクター設定の一貫性に欠け、作者自ら「シリーズものではない」と公言する「東方Project」には二次創作で作られた設定が次の原作に反映されるなど、こうした動きが顕著に表れている 。
データベース消費が作品内に強く現れることで、ゲーム的リアリズム(ゲームのような現実)が誕生すると言う。それは、
「ポストモダンの拡散した物語消費と、その拡散が生み出した構造のメタ物語性に支えられている。その表現は、まんが・アニメ的リアリズムの構成要素(キャラクター)が生みだすものでありながら、物語を複数化し、死をリセット可能なものにしてしまうため、まんが・アニメ的リアリズムの中心的な課題、すなわち『キャラクターに血を流させることの意味』を解体してしまう。(P.142)」
と説明されます。その「ゲーム的リアリズム」が生んだのが「ONE」、「ひぐらしのなく頃に」、「九十九十九」といった作品だとされる。
ただ、「大きな物語の衰退→現実認識の多様化」の流れを唯々諾々と受け容れるだけでは「人それぞれでいいじゃん」という単なる相対主義で思考停止してしまう。
自分の取り巻く環境を能動的に変えようとするのではなく、受動的に変化に適応しようとする点で、この唯々諾々と受け容れる姿勢は「動物的」である。ただただ美少女に「ブヒる」ことで消費する「萌え豚」という言葉が人口に膾炙するようになったことと無関係ではあるまい。
最初に読んだのは4年前だが、この本が『涼宮ハルヒの憂鬱』を読むきっかけになって、そこからいろいろな漫画やライトノベルに触れるようになったことを考えると、不思議な因縁を感る。
そして、4年前に読んだときに内容をほとんど把握できなかったのに、今はできることが感慨深い。今となっては言いたいことも結構あるが。 -
Posted by ブクログ
[ 内容 ]
「知識人」は希望を語れるか。
「世代間闘争」の末に見えた地平は?
いまの日本は近代か、それともポストモダンか?
サブカルチャーの諸問題から国家論まで、「わかりあう」つもりのない二人が語り尽くす。
[ 目次 ]
はじめに 世代間闘争について
第1章 二〇〇一年-消費の変容(なぜ物語に耐えられないのか 見えない権力システム ほか)
第2章 二〇〇二年-言論の変容(雑誌は誰でも作れる 論壇誌でいかに語るか ほか)
第3章 二〇〇七年-おたく/オタクは公的になれるか(メタ化するか、空気を読むか 啓蒙か、ガス抜きか ほか)
終章 二〇〇八年-秋葉原事件のあとで(同時代の事件に責任を持つ 彼らは何に怒っているか ほか)
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ] -
Posted by ブクログ
二人の喧嘩を「オタク第一世代」と「オタク第三世代」の世代差、と捉える向きもあるが、果たしてそうなんだろうか。
ちょうど『集中講義!アメリカ現代思想―リベラリズムの冒険』を読んだあとだったので、大塚英志氏の意見の方に共感できた。
大塚氏の東氏への苛立ちによって延々と議論が長引くのだが、その苛立ちは理解できる。
「若手の旗手」として衝撃的なデビューを飾った東氏だが、もう年齢的には「若手」とは呼べなくない。大塚氏の苛立ちはひとえに、その「失われた時間」に対するものであろう。
30歳(2001年当時)というのは批評家としては若い部類ではあるが、宮崎勤事件が起きたときの大塚氏も30前後である。覚悟を決めようと思えば決められる年齢だとも言える。
に対して、東氏がときおり口にする「人格批判」という虚弱なセリフはいかがなものかと思ってしまった。こういう人ってオタクによくいるよね、と。一緒に仕事をしたくないタイプの発言である。
もっと言えば、この感じ、このセリフがゼロ年代の日本のどうしようもなさを象徴してる気もするのである。時間はいっぱいあったのに変える努力をしなかった、だから変わらなかったよね、という気が、今から読み返すとしてしまう。
しかし、2008年の「加藤の乱」を転換点として東氏にも変化が見られ、希望の持てるラストとなっている。これで最近の東氏の仕事を読めるなあ、と胸をなでおろした。