東浩紀のレビュー一覧
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東浩紀さんはとても頭が良く、弁が立ちます。ですから、東浩紀の主張を人に紹介しようとすると、ニュアンスが大幅にズレるんですよね。ひろゆきや岡田斗司夫ほど分かりやすい言葉を使ったり、簡単に問題を片付けたりしない。言葉の力によって、実践的に世界を変えようとしている人ですから、そこら辺は慎重なんでしょう。言論の安売りをしないからこそ、彼の主張は高度だと言えます。言い方を変えれば、バカには分かるめぇよ、みたいなスタンスだからこそ、彼や彼を支持する空間はいいものが生まれる、そんな感じですか。彼の捲し立てるような早口や、映画"マダガスカル"に出てくるアイアイのモーリスのような仕草、風貌、
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ネタバレ訂正する力という一見何か分かりにくい能力が、これまでの日本やこれからの世界を照らす力になることが力説されている。
訂正する力とは、「じつは、〇〇だった」と過去を解釈し直して、未来へとつなげる力のこと。
訂正する力とは、持続する力であり、聞く力であり、老いる力であり、記憶する力であり、読み替える力であり、民主主義の力であり、ルールを変える力であり、作家性=固有の力であり、幻想をつくる力であり、作為があるのに自然だと思わせる力であり、喧騒の力のことであり、変化を変化として許容しながら一貫性を保つ力のことです。
読んでいない方は何のことだ?と思うでしょうが、これほどの言い換えを多様な事例、時事と -
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昨年、『訂正可能性の哲学』(ゲンロン)と立て続けに発売されていて気になっていた、東浩紀さんの「訂正」シリーズ。どちらから読もうかと迷った結果、新書のこちらの本から手に取ってみました。
「訂正する力」とは何か?
読み進めてみると、「聞く力である」「続く力である」「老いる力である」とたくさん出てきます。どうやら一言で説明するのが難しそうな力です。
「この状況認識は「脱構築」に似ている」とあり、千葉雅也『現代思想入門』でジャック・デリダの脱構築という考え方もおさらいしながら読み進めていくと、一気に理解が進みました。
「脱構築」とは、何か対立する場面において、自分が安定していたいという思いに介 -
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ネタバレ15 思想の核となるアイデアはいままで言い尽くされている。
ゆえに哲学書の本質は、そのテーマの新しさにではなく、むしろスタイルや意匠の新しさに存する。
つまり、いかに語るかという装飾という非本質な部分こそが本質だと言えるし、本質こそが非本質である。
さらに、言えば、この本質と非本質の定まらなさ・決定不可能性こそが哲学の「本質」だとも言える。
241とある時代のとある主張は、「新しい思想」というよりも、単にその時代状況の表現だと考えた方がよい時がある。
26. 「観光」の条件
労働階級の台頭、大衆社会化、産業主義化。
・クックは、観光を通じて大衆を啓蒙し、社会をより良くすることができると -
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あまりにも誤りが許されない(風潮にあると感じられる)のが辛いと日常感じていた時に、本書を手にした。この本は「訂正する力」を提言している。大事なのは「ぶれない」「リセット」の上手いバランスをとること。過去を訂正することなんてざらにあるわけで「じつは・・・だった」にあふれている。過去の解釈を変えて現在に適用することは別におかしな話じゃない。
作興、特に SNS では一度でも誤るとものすごい非難が来る。そのためにそもそも誤らないように行動することになる。生きづらい、訂正することが許されないし、訂正する余地がないとも言える。つまり過去言ったことにしばられることになる。SNSの過去の言動を切り出して言 -
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気になった、自分に刺さった内容をピックアップして感想を記述(本の内容が重厚なので)
・リベラル村
リベラルを追求している結果、結果的にリベラルを許容する意識の高い人だけを集めることとなってしまい、皮肉にもリベラル的な思想から外れてしまっている。これは私も常日頃から感じていた。新の多様性とは、受け入れにくい人すらも受け入れる(というか否定せず、無関心)必要があると感じている。
・誤配=訂正可能性
あらゆることはいずれ訂正される可能性がある。まずはそれを許容する必要がある。共同体とは開かれてもいて、閉じられてもいる。それを誤配によってつなぎかえを行っている。再帰的な保守主義という言葉が素晴らし -
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面白かった。
訂正可能性と交換可能性を行き来することが重要だと言っていて、なるほどなと思う一方どのような場面で訂正が必要になるかはもう少し考えたいなと思った。
クリプキのクワス算の話で、「クワス算をやってたんだよ」という人は必ず出てくる。
その場合、その異端者を出禁にするか、ルールを変えるか、運用を変えるかの選択を迫られる。出禁にする=交換の世界。ルールを変える=訂正の世界。
多様性の時代だし訂正は大事だと頭ではわかってる一方で、
自分の想定外のものにルールを合わせるのって相当柔軟な思考が求められると思う。
まだまだ未熟なんだろうなとおもった。