東浩紀のレビュー一覧
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ルポから思想まで豪華布陣だが、宮台さんの激憤しながらの筆致が鮮やか。『「ファストフードからスローフードへ」と同じく「原子力から自然エネルギーへ」も日本的に勘違いされるでしょう。〈食の共同体自治〉の問題が、食材選択の問題に短絡したように、〈エネルギーの共同体自治〉の問題が、電源選択の問題に短絡するでしょう。(略)原発災害からの学びがその程度で終わってしまうのですか。』pp.384-385. まさにそこなのだ。設計の悪い世論調査と内閣支持率に翻弄されて愚昧な二択に落とし込んではいけない。そこで一般意志2.0の登場なんだろうな。東さんと宮台さんと津田さんは全く方法論が違うけど、震災をきっかけに議論が
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大塚英志と東浩紀の、4度にわたる対談を収録したもの。
二人の議論は、さながら紙媒体出版世代の価値観と、ネット世代の価値観のぶつかり合いが見える。大塚英志は「どうして自分が東の主張に納得いかないか」、ということを追求して説明を求め、東浩紀がそれに冷静な返答をしているため、二つの価値観にどのような違いがあるのか、どのような背景の上にそれらの価値観が成り立っているのかが、よく見えるようになっている。
紙の出版物に触れて育ちながら、ネット世代としても生きる自分が、どちらかに(というか両方に)対して感じていた違和感の原因を探る手掛かりになったと思う。 -
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「物語」は不定形なものであり、書き方も、読み方も、それが姿を現す場所も、昨今においては、確率論でしかないように僕には思えていたのだけど。
その考えを大きく覆してくれた、『ゴーストの条件〜クラウドを巡礼する想像力〜』(村上裕一)から遡ることで、本書へと辿り着いた。
これはもう、東さんかっけー! という気持ちしかない。
美少女ゲームやキャラクター小説も、実際に自分で触れ、しかもかなり深いところまで入り込んでいるため、統計データで語られるものとは、言葉の熱もまったく違う。
読んでいるこちらのテンションが上がってくるのは、全体を通して、肯定的な目線で先を見据えて書かれているからだろう。
本書 -
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東浩紀氏の「動物化するポストモダン」、「ゲーム的リアリズムの誕生」を読んだ上でさらにコンテンツの本質に近づきたくて購入。本書は、東氏が「動物化〜」や「ゲーム的〜」の論の元として挙げる大塚英志氏との対談。今までで最も読みやすい一冊だった。その理由は、渡井が東氏のこれまでの著書やメディア・Twitterでの発信を自分なりに整理しかけた上で開いたこともあるが、本書の対談形式が大きい。大塚氏が執拗にツッコミ→東氏が応戦、という図が自然に論を左右に振ることで読者に分かりやすく読ませている。私は、2人の主張のポイントや違いがかなりクリアになり、これまでの東氏の著書の解説本のような感じで読めた。2人の対談は
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対談の起し本だが、大塚氏と東氏とのやりとりの臨場感が、ものすごい迫力を持って感じられ、引き込まれるように読んだ。
サブタイトルの「おたく/オタクはどう生きるか」の「おたく」と「オタク」は、大塚氏と東氏の暗喩であろうか。
両氏の差異が鮮明に現れるのは、書き手(知識人)として、公共性というものに対してにどう向き合っているか、という点であり、大塚氏が自身の文章や発言が公共に対して影響を与えることに自覚的である種の責任を追うべきと考えるのに対して、東氏は公共に対する影響は認めつつもそのような責任は追いきれるものではないとする。
公共に対する東氏の考えは自分自身の感覚としても理解できるが、最後のと -
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『訂正の力』に続いて、『訂正可能性の哲学』を読みました。
今年に入って、東浩紀さんの著書は3冊目です。
当初、新書である『訂正の力』は『訂正可能性の哲学』の要約なのかと思っておりましたが、(その要素はありつつも)それぞれ独自のストーリー性があるものとして楽しめました。「訂正」を理解するには、どちらも必読だと感じます。
本書は、大きく「家族」について論じる第一部と、「民主主義」について論じる第二部で構成されております。
個人的には第一部が学びが深く、実用的な知識を得られたという実感です。特にアーレントの『人間の条件』も読み進めていることから、東さんのアーレントの読み解きがとてもわかりやすく -
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別の本だが、えげつないが的を射た表現があって、それをキッカケにレビューを書き始めてみたい。ー 「人間とは黒のインクに発情する生き物」
これはなんだと思ったが、つまりこれは、例えば官能小説はただの記号の連なりだが、人間の生理に確実に侵食してくるし、ただのインクの曲線的図形が卑猥にも妖艶にも見える事もあろう。
こうした学習した記憶が身体反応に直結するという現象は人間のみに見られるのだという。例えば、フェロモンはリモートでは感じ得ないはずだが、人間が映像からそれを感受するのは、視覚が経験を呼び覚ますからだ。ネット環境でリアルな知り合いではない相手の性別はジェンダーレスで本来良いはずだが、相手の性差