東浩紀のレビュー一覧
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教員問題を知るために、教員免許を取った現場主義の乙武洋匡さんが、より社会問題を知るために各分野の現場で活動している専門家の方々と対談する『R25』での対談連載「乙武洋匡の自問多答」をまとめた本です。
テレビで報道させる社会問題は、一般人からするとあまり身近に感じられないかもしれない。
だけど、この本で社会問題を解決するために活動している方々をみると、小さなキッカケから始まったり、自身の不満が社会問題に結びついてたなど案外、一般人の自分なんかでもできちゃうかもなんて考えたりできて面白かったです。
社会に対して不満や課題があることに嘆くよりも、解決する側に立って考え行動する方が得るものがあるんじゃないかと思いました。
特別収録の「東浩紀×津田大介×乙武洋匡」ホントに面白い
次の都知事選が楽しみになります笑 -
Posted by ブクログ
大塚英志と東浩紀の、4度にわたる対談を収録したもの。
二人の議論は、さながら紙媒体出版世代の価値観と、ネット世代の価値観のぶつかり合いが見える。大塚英志は「どうして自分が東の主張に納得いかないか」、ということを追求して説明を求め、東浩紀がそれに冷静な返答をしているため、二つの価値観にどのような違いがあるのか、どのような背景の上にそれらの価値観が成り立っているのかが、よく見えるようになっている。
紙の出版物に触れて育ちながら、ネット世代としても生きる自分が、どちらかに(というか両方に)対して感じていた違和感の原因を探る手掛かりになったと思う。 -
Posted by ブクログ
「物語」は不定形なものであり、書き方も、読み方も、それが姿を現す場所も、昨今においては、確率論でしかないように僕には思えていたのだけど。
その考えを大きく覆してくれた、『ゴーストの条件〜クラウドを巡礼する想像力〜』(村上裕一)から遡ることで、本書へと辿り着いた。
これはもう、東さんかっけー! という気持ちしかない。
美少女ゲームやキャラクター小説も、実際に自分で触れ、しかもかなり深いところまで入り込んでいるため、統計データで語られるものとは、言葉の熱もまったく違う。
読んでいるこちらのテンションが上がってくるのは、全体を通して、肯定的な目線で先を見据えて書かれているからだろう。
本書で説明される、「自然主義的読解」と「環境主義的読解」については、さまざまな作品を理解し楽しむうえで、たしかに両方が必須になっていると感じる。
そして、純文学だエンターテイメントだ萌えだゲームだと、分別している場合ではないと、より強く思った。
説明もていねいで、具体的な作品の読み解きも熱く、面白すぎて息切れした。 -
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東浩紀氏の「動物化するポストモダン」、「ゲーム的リアリズムの誕生」を読んだ上でさらにコンテンツの本質に近づきたくて購入。本書は、東氏が「動物化〜」や「ゲーム的〜」の論の元として挙げる大塚英志氏との対談。今までで最も読みやすい一冊だった。その理由は、渡井が東氏のこれまでの著書やメディア・Twitterでの発信を自分なりに整理しかけた上で開いたこともあるが、本書の対談形式が大きい。大塚氏が執拗にツッコミ→東氏が応戦、という図が自然に論を左右に振ることで読者に分かりやすく読ませている。私は、2人の主張のポイントや違いがかなりクリアになり、これまでの東氏の著書の解説本のような感じで読めた。2人の対談はスタンスの違いが興味深い。大塚氏はとにかく東氏に議論をしかけ、自分のフレームワークに当てはめようとし、さらに東氏の論を昇華させようとしている風に見える。対して東氏は、大塚氏と積極的に議論する気はない。自分の論を発信し、それに対して批判する大塚氏に応戦しているようだ。大塚氏の主張の傾向の印象は、主体的な権力、公的、そもそもの議論をしたい、批評家としての責任感。東氏の傾向の印象はシステム的な権力、今そこにある具体的で個人に関わりの深い問題、気負いすぎずに自分がどうするか。2人の対談は回を増すごとにヒートアップし、全4回の3回目は特に大塚氏の攻撃が激しく、東氏も「人格攻撃では」と不快感を露にしている。だが、全体を通してみて、大塚氏はあえてそういう議論を仕掛け、そうすることでしかお互いの進化はないと考えているかのようだ。東氏も、それを受け止めつつも自分のスタンスを貫いているかのようだ。大塚氏は、世代を代表して議論をしかけているのかもしれない。初めから東氏寄りで読み始めた私も、大塚氏が仕掛ける論戦を通してより東氏の主張や、本質について理解を深めることができた気がする。引用箇所も多く濃厚で読んで良かった一冊。
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対談の起し本だが、大塚氏と東氏とのやりとりの臨場感が、ものすごい迫力を持って感じられ、引き込まれるように読んだ。
サブタイトルの「おたく/オタクはどう生きるか」の「おたく」と「オタク」は、大塚氏と東氏の暗喩であろうか。
両氏の差異が鮮明に現れるのは、書き手(知識人)として、公共性というものに対してにどう向き合っているか、という点であり、大塚氏が自身の文章や発言が公共に対して影響を与えることに自覚的である種の責任を追うべきと考えるのに対して、東氏は公共に対する影響は認めつつもそのような責任は追いきれるものではないとする。
公共に対する東氏の考えは自分自身の感覚としても理解できるが、最後のところで明快なことばに翻訳しきれていないようなもどかしさがある。一方大塚氏の公共に対するある種の責任感は、自分の職業柄いつも考えていることであり納得できるのだが、そこから逆に、ひとりの人間が出来ることの無力さみたいなものが照射されて感じられてしまう。
しかしながら、両氏が「リアル」というものに向き合っていることは紛う事無き事実であって、読み手に何かが届くだけの「リアル」がこの本にはある。大塚氏がこの本に付記するつもりであった注釈とあとがきを、校正の最後に削除したのは、この対談のリアルなやりとりをそのまま読者にぶつけたかったのだろう。氏のその意図は、見事に当たっている、と思う。 -
Posted by ブクログ
⭐️要約⭐️
「今と昔では、何を欲望して生きているのかが違う」というお話。
昔は、「いい大学→いい会社→結婚→幸せな家庭」のように、社会全体で共有された「大きな物語」があった。だから人は、「自分は何を目指して生きるべきか」を、その物語に当てはめて考えることができた。
ところが現代では、そうした共通の人生の目標が弱くなった。「別に会社員にならなくてもいいし、結婚しなくてもいい。自分の好きなように生きればいい」。これは自由になったとも言える。
しかし、その代わりに「じゃあ、自分は何を目指せばいいの?」という問いが現れる。
そこで現代人は、壮大な人生の意味よりも、「自分が今欲しいもの」を満たすことに向かいやすい。YouTubeで面白い動画を見る、推しを見る、好きなキャラを探す、SNSを見る、また次の刺激を探す……という具合に。
東は、このように大きな意味を追い求める人間から、欲しいものに直接反応する人間への変化を「動物化」と呼んだ。
「自由になったのに、なぜか満たされない」。この本が描いているのは、そんな現代人の姿なのかもしれない。大きな物語から解放された私たちは、好きなものを自由に選べるようになった。好きなものを好きなだけ消費できる自由は、同時に「それであなたは何がしたいの?」という問いを突きつけてきた。 -
Posted by ブクログ
久々にYU-NOとか思い出した。
哲学的な要素は難しい部分もあるものの、具体的な例が沢山あり、なんとなく分かったような気になれる。
2001年頃の本なので、現在はどうか、というのを考えながら読んだ。より動物化が進んだ所が多いような気がしている。よりインスタントに得られるものが多くなっているというか。
ギャルゲーの主人公は色んな女性を落とすけど、分岐によりそれぞれで純愛をするので、主人公のキャラとしては浮気者ではなく一途なキャラになりがち、という違和感、はあまり感じてなかったのでなるほどと思った。
これがラブコメ漫画だと、一つの物語になるので、主人公のキャラ付けが大事になる(叩かれがち)が、ギャルゲーの主人公はあくまで読み手の選択により物語が分岐するので、主人公のキャラで叩かれる事が少ない(キャラが薄い事が多い気もする)。