東浩紀のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
3年ほど前に半分ぐらいまで貪るように読んで、そこからなぜか積ん読。ようやく再読したものの、前回読んだあたりまでが一番面白かったなという感想。なんだかな。
議論の中心となる概念は2つ、「データベース消費」と「動物の時代」。それぞれ大塚英志の「物語消費」と大澤真幸の「理想の時代」「虚構の時代」を発展的に継承し、現代(95年以降のこと)版にアップデートしたもの。
どちらも非常に使い勝手のよい概念で、思考ツールとして極めて有用。
特にデータベース・モデルに関しては、少なくともこれだけでこの本を読んだ元は取れた、と思うほど。
読みながら現代はどうだろうと考えるのも楽しかった。艦これやFGOは恐ろしいほどデータベース消費そのものだし、異世界転生ものほど分かりやすいシミュラークルもそう無い。
一方で、2001年刊行のオタク文化批評、という性質上避けられない困難さも。
アニメやノベルゲーム、ギャルゲーをはじめ数多くの「古の」オタク系コンテンツが引き合いに出されるわけだが、分かったのはエヴァ、でじこ、Airくらいで他は本当に知らない。
文化批評というもの自体、必ずしもその文化の代表的な作品だけで編まれる必要はなく、いわば端の方の作品も射程に含んでいいとは思う。ただ本書の分析対象(80年前後生まれの男性オタク)であれば、誰しも名前ぐらいは聞いたことのある作品ではあってほしい。詳しい人がいればその辺聞いてみたいけれども。
それと、現在では独特の世界観やコアなファンの考察のイメージが強いエヴァをもっぱら「キャラ萌え」の代表例に挙げていたのもささやかながら驚きだった。
当時は実際にそういう扱いで、新劇とかを経て認められていったのか、東浩紀が過小評価しすぎなだけか。たんにエヴァは結局キャラ萌えという意見もありうるとは思う。 -
Posted by ブクログ
こだわりがあるのだろうが、タイトルが勿体無い。
あるルールの世界で動いているものに、後から違うルールだといちゃもんをつけられても、それが間違いだと論理的に説明することは難しいという話をもとに、我々はなんのゲームをプレイしているかわからない、ゲームが成立するには観客や評価を必要とする、評価されて初めてそのプレイの価値が定まる、すなわち物事の意味や価値は後から訂正されうるとする。
我々の人生もすべて思いがけないものの連続で、その意味は常に訂正されうる。人間万事塞翁が馬を哲学的に言っているようにも思えた。
例示としてとても興味深かったのは、エマニュエルトッドさんの家族形態と社会体制の因果。これはまた別途ゆっくり読んでみたい。あと、宇野重則さんの引用による保守とリベラルの整理とリベラルの危機も興味深い。いずれも弱者保護を述べるが保守は仲間内に限定、リベラルは開かれていると思っているが、じつはリベラルという似たような信条を理解する限られた仲間内のみで閉じているのではないか?という批判は、トランプや極右政党が伸びている今、見過ごせない意見だと思う。
ルソーさんの人生や小説込みの社会契約論の話は斬新で面白かった。
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Posted by ブクログ
2011年の『一般意志2.0』の訂正。
一般意志は「小さな社会」、その対話で補われる。
・クリプキによるウィトゲンシュタインの言語論の読みなおし:あらゆる規則、意味の一貫性は、それを生み出した行為に依存して、未来の他者に遡行的に産出されるものに過ぎない。
→規則や意味の一貫性なるものが、人が誰を仲間だと思うか、それぞれの共同体の境界を決める判断と不可分に結びついている。
※「家族」を、ウィトゲンシュタインの言語ゲームに参加するプレーヤーの共同体と定義するには、参加と排除のハードルが異なるのでは。
・固有名は、その定義を遡行的に訂正することができる。
・人間はそもそも、理想社会の到来にそれが理想社会だというだけの理由で反抗することができる、そういう厄介な存在だということである。
・アルゴリズム的統治性は個人の固有性を認めない。
・真実と嘘の境界をなくすことで、はじめて自然は「訂正」される。そして自然が人工的かつ遡行的に発見される。
「悲しい気持ちでそれを喜」ぶ
・完結不可能性こそが人間の自由を保証する。