東浩紀のレビュー一覧
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2011年の『一般意志2.0』の訂正。
一般意志は「小さな社会」、その対話で補われる。
・クリプキによるウィトゲンシュタインの言語論の読みなおし:あらゆる規則、意味の一貫性は、それを生み出した行為に依存して、未来の他者に遡行的に産出されるものに過ぎない。
→規則や意味の一貫性なるものが、人が誰を仲間だと思うか、それぞれの共同体の境界を決める判断と不可分に結びついている。
※「家族」を、ウィトゲンシュタインの言語ゲームに参加するプレーヤーの共同体と定義するには、参加と排除のハードルが異なるのでは。
・固有名は、その定義を遡行的に訂正することができる。
・人間はそもそも、理想社会の到来にそ -
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ネタバレ大学、大学院と哲学をやった割には哲学を知らない(というか分からなかった)私。いまだに淡い憧憬を持ち続けています。
他方で自分を疑うようにもなりました。
若い頃よく単館上映映画をよく見ていたのですが、自分が映画好きだったのか、映画好きな自分が好き(映画好きと言いたいだけ)だったのか。今となっては良く分かりません。
哲学についても同様。哲学をやっていますと言いたかっただけだったのか?と。
そのなかで、現代思想というかフランス系は最も分からん、というか触れてみる気すらしなかった分野でした(です)。そこに燦然と輝くエース東氏。
彼の著作、以前恐る恐る手を出してみたら、ちょっと面白い。
で、 -
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少し前の本ですが、学びある。
動物の世界は必然性の世界であり、
アルゴリズムが支配する世界であり、
強いつながりの世界である。
それは友達を作りたいなと思ったら自分と趣味の合う人たちを探してオフ会をやる世界です。
人間が人間らしいと思っているものの多くは誤作動の結果起きている。
だから人間らしい感情は根拠づけたり設計したりするものではない。
人間のコミュニケーションには誤作動がすごく多くて、その誤作動こそが我々の自由や生きているという事実を支えている。
だから、それをなるべく潰していくというのはまずいと思います。
そうした誤作動をどうこれからの社会に組み込んでいくかという話になると思います -
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自身もオタクであり、何となく肌感覚として『萌え』が分かる側の人間なのでそこそこの実感を伴って読めた。二次創作やメディアミックス等、マルチに展開する現状のサブカルチャーを文学的 もとい作者の恣意性ではなく環境に基づいて分析したという点が画期的なのだろうか。
筆者はメタ物語性という言葉を多用し、読者=プレイヤーのメタレベルを前提とした作劇の為されている(作者が意図していなかったとしても、結果的にそうなっている)作品を幾つか例として挙げている。この読者としての自意識が文学の批評に参入してくる点については、昨今の『推し活』的な文化にも通ずるものがあるのではないか。『推し活』は対象を『推す』こと自体が目 -
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この辺りの『知』に触れると、過去に学んだ日本史や日常見るニュースは、いかに表層だけしか見ていないかがわかる。
明治維新と第二次世界大戦で、2度価値観を変えねばならなかった日本。
うまく新陳代謝したわけでは無く、それもまたやむなしと受け入れたものの歪みの上に構築さ、矛盾に満ち成熟せずに時間だけがたって、国力がどんどん落ちている。
果たして未来はあるのか⁉️
【怖い話】
ここ30年で世界の昆虫が8割減ったらしい。人口減と原因は同じ。
南海トラフ地震、首都圏直下型地震が起きて日本の経済が壊滅的にダメージを受けたら、巨額の資金わ中国に頼らざるを得なくて、属国になるしかない。 -
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この本の題名は『日本の歪み』ですが、もう少し丁寧に言うと「戦後日本の歪み」です。東さんが戦後論を提示して、養老先生に意見を聞くという内容になっています。茂木さんはときどきTwitterと同じ人とは思えないくらい、養老先生の話に上手に補助線を引いています。
この「戦後日本の歪み」を簡潔に表現するなら、日本の文化の上にアメリカ主義を継木してしまったことです。そこに無理があった。しかし、経済発展によりそれが「上手く行った」と見なされ、後戻りできなくなった。そのディレンマが歪みの正体だというわけです。
もちろん、こうしたディレンマは初めてじゃない。明治維新がそうだったし、古くは中国との関係がそうでした -
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ネタバレ師匠から、読んでみてほしいと言われた一冊。
賛否がかなりある人ということもあり、別の先輩から「そんな人の本読んでるの」と言われて、部分的に納得もしたのでしばらく中断してた。
けど、猪瀬直樹氏との対談動画で、彼に対してしっかり言うべきことをおっしゃっている姿をみて、東浩紀さんをキャンセルする必要はないと思い再開。
(ただ、東浩紀さんによる過去の問題あった言動をすべて無しにするわけではないことはご理解いただきたい。この人の言葉に向き合ってみてもいいかもと思っただけである。)
400頁あり、(後述する通り「ゆるく」はしているものの)私の勉強不足もあるので、そこそこ難しくは感じた。
哲学的なバック -
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観光客=誤配=他者といった認識。
意図しない偶発性が生み出す関係に基づく、グローバリズムとナショナリズムの二者択一ではなくて、新しいアイデンティティを。そこには政治的なや経済的なつながりではなく、「憐れみ」のような感情的なものに促される連帯がある。
過去の哲学者や事象による思想を乗り越えようという試みは、哲学入門書を読んでいるだけでは味わえない生の哲学という感触で読み応えがある。同時に、過去の思想に(著者の解釈を織り込んであるだろうが)も多角的に触れることができるのは個人的に有益。ここから興味の幅が広げることができるのさ。
姉妹編「訂正可能性の哲学」も早速読み始めよう。
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『観光客の哲学』の続編である本書は前書の主張を引き継ぎつつ新たに”訂正可能性”という概念にポジティブな可能性、それは究極のところ、民主主義社会における新たな可能性を見出す。
本書の主張は、末尾に収められた以下のようなテクストで要約される。
”だからぼくたちはけっして、民主主義の理念を、理性と計算だけで、つまり科学的で技術的な手段だけで実現しようとしてはならない”(本書p326より引用)
”ぼくたちはつねに誤る。だからそれを正す。そしてまた誤る。その連鎖が生きるということであり、つくるということであり、責任を取るということだ”(本書p343より引用)
前著の『観光客の哲学』では「敵か味方