東浩紀のレビュー一覧
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こだわりがあるのだろうが、タイトルが勿体無い。
あるルールの世界で動いているものに、後から違うルールだといちゃもんをつけられても、それが間違いだと論理的に説明することは難しいという話をもとに、我々はなんのゲームをプレイしているかわからない、ゲームが成立するには観客や評価を必要とする、評価されて初めてそのプレイの価値が定まる、すなわち物事の意味や価値は後から訂正されうるとする。
我々の人生もすべて思いがけないものの連続で、その意味は常に訂正されうる。人間万事塞翁が馬を哲学的に言っているようにも思えた。
例示としてとても興味深かったのは、エマニュエルトッドさんの家族形態と社会体制の因果。これ -
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Posted by ブクログ
新書なので平易な文章でまとめてくれはいるが、それでもその思想の深淵には踏み込めないもどかしさがある。微妙なニュアンスで差異が生じる「歴史修正主義」と「訂正する力」の明確な区別が自分の中で説明しきれていない。
「組織・組合」の重要性を説いているのが新鮮であった。このご時世、人間関係がどんどん希薄になっているという常識の反面、一部のコミケや独特なサークルなんかは今も活動盛んなのかもとか考える。そのような組織で「余剰な情報」を相互提供しあえる関係性って、「私」というアイデンティティが育まれ人生が豊かになりそうー。
ともあれ、ポストモダンの脱構築にも通ずる点も感じるし、自分ごとに引き戻してみると二 -
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2011年の『一般意志2.0』の訂正。
一般意志は「小さな社会」、その対話で補われる。
・クリプキによるウィトゲンシュタインの言語論の読みなおし:あらゆる規則、意味の一貫性は、それを生み出した行為に依存して、未来の他者に遡行的に産出されるものに過ぎない。
→規則や意味の一貫性なるものが、人が誰を仲間だと思うか、それぞれの共同体の境界を決める判断と不可分に結びついている。
※「家族」を、ウィトゲンシュタインの言語ゲームに参加するプレーヤーの共同体と定義するには、参加と排除のハードルが異なるのでは。
・固有名は、その定義を遡行的に訂正することができる。
・人間はそもそも、理想社会の到来にそ -
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ネタバレ大学、大学院と哲学をやった割には哲学を知らない(というか分からなかった)私。いまだに淡い憧憬を持ち続けています。
他方で自分を疑うようにもなりました。
若い頃よく単館上映映画をよく見ていたのですが、自分が映画好きだったのか、映画好きな自分が好き(映画好きと言いたいだけ)だったのか。今となっては良く分かりません。
哲学についても同様。哲学をやっていますと言いたかっただけだったのか?と。
そのなかで、現代思想というかフランス系は最も分からん、というか触れてみる気すらしなかった分野でした(です)。そこに燦然と輝くエース東氏。
彼の著作、以前恐る恐る手を出してみたら、ちょっと面白い。
で、 -