【感想・ネタバレ】ゲンロン戦記 「知の観客」をつくるのレビュー

あらすじ

「数」の論理と資本主義が支配するこの残酷な世界で、人間が自由であることは可能なのか? 「観光」「誤配」という言葉で武装し、大資本の罠、ネット万能主義、敵/味方の分断にあらがう、東浩紀の渾身の思想。難解な哲学を明快に論じ、ネット社会の未来を夢見た時代の寵児は、2010年、新たな知的空間の構築を目指して「ゲンロン」を立ち上げ、戦端を開く。ゲンロンカフェ開業、思想誌『ゲンロン』刊行、動画配信プラットフォーム開設……いっけん華々しい戦績の裏にあったのは、仲間の離反、資金のショート、組織の腐敗、計画の頓挫など、予期せぬ失敗の連続だった。悪戦苦闘をへて紡がれる哲学とは? ゲンロン10年をつづるスリル満点の物語。

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「訂正する力」を読んだ上での「ゲンロン戦記」。この二冊が思索編と行動編のニコイチのセットであることがあまりに感動的でした。「観光客」とか「誤配」とか著者ならではのキーワードも決して理論の意味深なメタファーなのではなくゲンロンというリアルな模索から生まれたド直球の意味であることを知りました。なので「修正」ではなく「訂正」という最近の言葉の提案も非常に実感を伴ったものであるものとして受け取れました。学生の時からスポットライトを浴びてマスコミにも良く登場し大学でのポジションも確保できそうだった論客が、それを捨ててのビジネスでの七転八倒ヒストリー。考え違い、思惑の違いに翻弄され、自分の弱さから逃げ、やがて向き合う10年間の歴史の痛々しさは、まさに戦記です。その血が流れている感じがSNS論壇とか研究室論考とかと違う、強さを持っていることに繋がっているのでしょう。この「ゲンロン戦記」の結果生まれた「訂正する力」が先日発表された新書大賞2024で第二位になったのは大納得です。こんどこそ「訂正可能性の哲学」読まなきゃ!

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2024年02月12日

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会社として活動することと自分のやりたいことのギャップを埋めるのが如何に大変かを追体験させてくれる本。

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2023年02月11日

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この本の中では東浩紀さんがずっと展開してきた「誤配」という言葉について何度も語られている。まさに私も東浩紀、そしてゲンロンに出会ったこと自体が「誤配」の結果であり、そこから多くの影響を受けているということを読みながら改めて実感した。震災後の福島について、人文知的アプローチをしているところを探していたらゲンロンに出会い、よく分からないままゲンロンカフェに行って小松理虔さんの出版イベントに参加した。東さんや飛び込みで津田さんなどがいて熱く語り、観客もまた熱心に聞く、物凄い熱量の空間であった。まさに私もあの場で「知の観客」となっていた。しかし、ゲンロンがそこに至るまで、そしてそれ以降、裏では大変なことになっていたというのが本を読んで初めて分かった。2018年末、東浩紀さんのツイートがネガティブでゴタゴタしている感じを見ていたくなくてゲンロンから離れてしまったが、実はえらいことになっていたのだった。これはまさに「戦記」と呼ぶにふさわしい内容。
しかし、ゲンロンがどんな想いで作られ、守られてきたのかがわかり、そして会社をやるというのがどういうことかも生々しく知ることができる本だった。

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2022年02月12日

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ゲンロンの経営者としての東浩紀の試行錯誤を記した本。あとがきで東はもともと「とてもややこしい現代思想の世界を専門としていた」が「専門書ではなにも伝わらないし、なにも変わらないと感じるようにもなっている。哲学は生きられねばならない。」と書いている。うーんそうなんすかね、まあそうなんだろうな。ただ別のなにかのインタビューで、専門書を読めば俺は専門書を読めるし実際すでにほとんど読んだぞと自信に繋がって、その手のコンプレックスを抱かなくなると答えていた。亀の甲より年の功てきなことかもしれないけど、それでも専門書を読む意味が消えることはないんだろう。

仲間を集めたいという動機で始めたゲンロンだったけど、その欲望自体が弱点でさまざまな失敗を繰り返した結果「ぼくみたいじゃないやつ」と一緒にやっていくことを決意する。「ぼくみたいなやつ」がどこにもいないことの孤独を受け入れて、「それでいい」的な態度で哲学を続けるーー。 
これは批評空間と対比関係にあるものとしての「社会」に出て、実践的な経験を積んできたからこそ得られた経験則によるものが大きいんだろうけど、なるほどなあと思った。
そのあとで、「信者=アンチ」関係から脱却するためにゲンロンは株式会社でありビジネスであることに拘ったと記している。貨幣と商品の等価交換こそが友と敵の分割を壊す。質のよい商品を提供すれば関心をもってくれるし、そうでなければ観客は離れていくーーこの一見冷淡にみえる態度こそがコンテンツのクオリティを高く維持するための鍵となる。
これもなるほど! ですね。質を高く保つために緊張感を感じながらやっていくには「信者」とか「アンチ」とか、「仲間」とか「敵」とかそういうところからは離れなければいけない。
まあ、そうなんでしょうねえ…。

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2021年09月03日

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 めちゃめちゃ面白かったし、勉強になった。会社経営としても、哲学としても。

 …もっとも重要なのは、「なにか新しいことを実現するためには、いっけん本質的でないことこそ本質的で、本質的なことばかりを追求するとむしろ新しいことは実現できなくなる」というこの逆説的なメッセージかもしれません。

 …ついに意識改革が訪れました。「人間はやはり地道に生きねばならん」と。いやいや、笑わないでください。冗談ではなく、本気でそう思ったのです。会社経営とはなにかと。最後の最後にやらなければいけないのは、領収書の打ち込みではないかと。ぼくはようやく心を入れ替えました。そして、ゲンロンを続けるとはそういう覚悟を持つことなのだと悟ったのですね。

 結局、イベントや登壇者の「魅力」の実態はよくわかりません。ただ、経験則として感じるのは、1000人を超える集客というのは、なんというか、なにかの「熱さ」がネットの口コミを介して細波のように広がっていくことで生まれているということです。

 …やはり人々が物理的な空間を共有することは大事だと痛感します。オンラインのやりとりでは炎上しかねないようなことも、物理的に近い場所にいればさらりと言えてしまうし、また言ってもそれほど相手が傷つかないということがありうる。
 だからハラスメントが許されるという意味ではありません。けれども、そこに違いがあることは端的に事実であって、会わなくても本質的なコミュニケーションができるというほうが現実を見ない幻想だとぼくは思います。そして、そういう「ほどほどに傷つけあることができる」コミュニケーションの環境が、作品の指導や受講生同士の切磋琢磨には絶対に必要なんです。それは教室だけでは提供できません。
 むろんゲンロンが会社としてできることには限界があります。あたりまえですが、スクールのプログラムには飲み会は入っていません。それはあくまでも、生徒が自主的に、授業とは「関係なく」やるものです。
 けれども、その「関係ない」ものこそ、スクールの本質を支えている。だから飲み会の開催は妨げない。つまりゲンロンは飲み会に対して、責任があるようなないような中途半端は立場を取っている。まさにそのような中途半端さこそが、今の大学では保てなくなっているものだと思います。ほんとうは大学の先生だって、教育にとって大事なのは講義だけじゃなく、生徒が飲み食いしながら親密なコミュニティをつくることだというのはわかっているはずです。けれども、いまの大学では親密さはリスクだと考えられている。トラブルが起きたときに、すべて大学の問題として対応せざるをえなくなっていますから。
 …
 けれども、物理空間の効用そのものまで否定される必要はない。否定されるべきは物理空間で生じがちなパワハラやセクハラなのであって、ひとが面と向かって飲んで話すことのポジティブな価値を否定するべきではありません。それはそれで積極的に利用していけばいいんです。
 コミュニティをつくり、生徒同士が親しくなれば、トラブルも起きます。新芸術校にしてもSF創作講座にしてもマンガ教室にしても、スクールに来るひとの多くはプロになりたいひとだから、相互に嫉妬もあるし、屈折や怨嗟を抱える受講生も少なくない。…けれども、そういう「面倒な人間関係」を含めてゲンロンスクールなのだと、最近は割り切っています。…それもまた、「誤配」です。教育は誤配のリスクなしには不可能です。

 …大事なのは、オンラインの誤配なきコミュニケーションを、どうやって効果的に「オフラインへの入り口」=「誤配の入り口」に変貌させていくかという問題意識だと考えているのです。

…「本を読んで知識を仕入れたつもりだったけれど、現地には自分が想像したものとまったくちがったものがあった。けれども、それはたしかにかかれていたとおりのものでもあった」という、あの奇妙なムズムズする感覚を、読者にも経験してほしい。そのためには、じっさいにひとを連れていくしかない。前章の言葉でいえば、『チェルノブイリ』という書籍を、「オフラインへの入り口」として使おうとしたわけです。
 もう少し付け加えます。ぼくたちの社会では、SNSが普及したこともあり、「言葉だけで決着をつけることができる」と思い込んでいるひとがじつに多くなっています。でもほんとうはそうじゃない。言葉と現実はつねにズレている。報道で想像して悲惨なイメージをもって被災地に行ったり被害者に会ったりしたら、全然ちがう印象を受けた。あるいはその逆だったということはよくあるわけです。そういう経験がなく言葉だけで正しさを決めようとしても意味はない。むしろ大事なのは、言葉と現実のズレに敏感であり続けることです。ぼくのいう「観光」は、そのためのトレーニングです。
 言葉から想像したものは経験で裏切られる。けれど経験したあとだとたしかに事前に言われていたとおりだったとわかる。
 さらに話を広げれば、この逆説は、人生とはなにかとか、真実とはなにかとかについて、多くのことを教えてくれるように思います。ぼくたちは言葉でコミュニケーションするしかない。言葉で説得し、議論し、後世に伝えるほかないんだけど、同時にそれでは大切なことは何も伝わらない。その限界をわかっていないと、無駄な「論争」ばかりすることになる。…搦搦搦搦搦
 …ゲンロンは、言葉の力を信じている会社だけど、同時に言葉の力をとても疑っている会社でもある。「観光」でその両義性を体験してほしいんです。

 いまの日本に必要なのは啓蒙です。啓蒙は「ファクトを伝える」こととは全く異なる作業です。ひとはいくら情報を与えても、見たいものしか見ようとしません。その前提のうえでの、彼らの「見たいもの」そのものをどう変えるか。それが啓蒙なのです。それは知識の伝達というよりも欲望の変形です。
 …それはおれの趣味じゃないから、と第一印象で弾いていたひとを、こっちの見かたや考えかたに絡める搦め手で粘り強く引きずりこんでいくような作業です。それは、人々を信者とアンチに分けていてはけっしてできません。

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2021年08月14日

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ひょんなことから東浩紀さんを知りました。
そうしたら、有名な人だったのですね。
少しづつ、彼の思想に触れてきましたが、このゲンロン戦記を読んで、今まで途切れ途切れだったのが、つながって良かったです。

言論の力で世の中を変えていくということを、東さんにやってもらいたい。

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2021年07月25日

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私にとって東さんは、哲学者・批評家として「成功した人」のイメージでしたが、その裏は波瀾万丈であることがわかりました。

・「ぼくみたいなやつじゃないやつ」との関わりにより、新たな価値を発見できる。ホモソーシャル性からの決別
・「見たいもの」そのものをどう変えるか、という啓蒙が必要である。
誤配=啓蒙

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2021年06月18日

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ネタバレ

貨幣は便利だけど、問題は資本の蓄積自体の目的化==いま風だとスケールの追求。
数に振り回されるようになったとき、社会と文化は壊れていく。
いまの時代、ほんとうに反資本主義的で反体制的であるためには、まず反スケールでなければならない。

数に振り回されると不幸になる。って、そうだな。

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2021年05月22日

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筆者のビジネスに関する記述が多く、ところどころで出来事に対する感想や反省が述べられる。それらが表面的ではなく、はっとさせられるような教訓を含んでいたのが面白かった。筆者は若くして頭のキレる論客として活躍し始めたが、論じるのみで実際にはあらゆる失敗に見舞われていたことを告白している。哲学者として言葉の力を信じている一方で、実際に取り組むことで初めて発覚する無知や意外な感触などを強く意識するようになり、言葉の力を疑うようにもなったというのが面白い。
終盤に入ると、現状を鋭く観察することで見えてくる惨状とそれに対する筆者なりのアンサーが示される。それは資本主義に対してであったり、オンラインや効率至上主義に対してであったりする。今日、必要あるいは良いものされているスケールや効率といったものに真っ向から反論し、それを体現するビジョンを語る。
最後に述べられた哲学のあり方についての言葉が彼の経験を踏まえたうえでのものであり、説得力があった。それは哲学は息づいたものであるべきだし、そのためにはそれを体現する人が必要であるという主張だ。
また、哲学者のあり方についても示唆に富んだ主張が見られる。筆者は現代日本には啓蒙が必要であるという。啓蒙とは情報を与えることではなく、見たいものを変えるという行いだ。人は情報を与えられても変わらないことが往々にしてある。なぜなら見たくないものは意識的か無意識的か見ないようにしてしまうからだ。そこで、見たいものを変える、すなわち欲望の形を地道に変形していくことが必要になるのだ。ソクラテスが哲学者を助産師に例えたように、哲学者は人のなかに湧き上がりつつある哲学を産み落とす助けをするべきなのだろう。
これからの時代は欲望の形を変えたりコントロールすることが重要に思える。より多くのことを機械に任せるようになったとき、そして、好みのものを提案されたり、誘導されたとき、そこに自由意志はあると言えるだろうか。何がしたいかよりも何をしたいと思いたいのかの方が重要になる時代がすでにきていると感じる。

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2021年04月14日

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ゲンロン社の創設から今に至るまでの記録。

会社の紆余曲折も読んでいて吸い込まれるが、ところどころにある東さんの考えなどの文面が考えさせられる。

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2021年04月11日

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「訂正する力」を読んで、ゲンロン友の会に興味を持って、入ろうかどうしようかと思って参考にしようと買ったのだが、結局先に友の会に入会してから読むことになった。「訂正する力」の実践版のような感じで読めた。

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2023年10月26日

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今ではなかなかお目にかからなくなった、ガチの評論家のエッセイ。
「ゲンロン」よりも先にこれを読むことをおすすめする。
その後、ゲンロンを楽しみやすくなる。

評論できてないのに評論家ぶってコメントするタレントじゃなく、彼のような評論家に戻ってきてほしい。

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2023年05月10日

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誤配=啓蒙
オルタナティブこそが反資本主義、反権力になりうる。有料化されたコンテンツで健全なコミュニティが作られる。

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2022年03月27日

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オイラ東浩紀より4つ下なんで、ちょうどこの本に書かれてる時の東浩紀くらいの歳なのよね。で、外回りの営業から内勤の事務職へ異動。「会社の本質は事務」とか「任せると目を逸らすとは違う」とかいろいろ刺さり過ぎる。まぁ東浩紀でもこんだけ迷い惑ってんねんから凡人の我々なんぞが40過ぎて迷ったり惑ったりするのも仕方ないわ。

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2022年02月18日

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言葉では伝わらないこと、オンラインでは伝わらないこと、商業ベースじゃないとできないこと、でもスケールを追っててはできないこと、「仲間」となにかを成し遂げることの難しさ、仲間の存在のありがたさ、意図せぬ偶然の必要性、などなどいろんな示唆が詰まった本だった。
この本では著者の仕事の中身である哲学?についてはそこまで深く書かれていなかったけど、日常の仕事とかキャリアにおいて失敗して仲間に支えられて内省して成長して少しずつ前に進んでみたいな過程を振り返るというか考えること自体が哲学なのかもしれないと思った。いろいろ考えている人は深みがあってかっこいいなと思った。
ゲンロンのコンテンツにも触れてみようと興味を持った。

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2021年09月25日

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東さんの著書に哲学の誤配というのがあって、興味はあってもまだ読んだことはないのだが、この本でいう誤配とこのゲンロン戦記で度々出てくる誤配は同じなのだろうか気になったので、次は哲学の誤配を読んでみたいと思う。
最後のあとがきで著者がいう様にこれは私小説なのだろう。
だから、まぁ、特に東さんその人に肩入れするわけではないので、途中何を読んでいるのかなという気にもさせられたが、でも話は面白く、他の著書、といってもまだ2冊しか読んでいないけれど、この人は自分の失敗を赤裸々に告白してさらにきちんと謝るべきことは謝っている態度が一貫しているなというのが印象に残る人なので、このゲンロン戦記も同じ印象を持てる話で最後まで潔さが感じられて良かった。
ある人やある考え方について、信じる人そしてアンチな人という二極化ではなく、必要なのは冷静だけど寄り添ってくれる「観光客」が必要なのだという。まだ、買っておいて読んでいない観光客の哲学も早く読んでみて、東さんの言う観光客についてもっと深く理解したい。
ゲンロンか…友の会、入ってみようかな。

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2021年08月21日

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著者の等身大の苦悩が共有できる良書。30~40台をどう生きるか?についても様々な警句に満ちている。
人はいくつになっても学ぶことはあるし、いくつになっても学ばないといけない。

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2021年06月16日

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経営のありのままの経験を書いてくれてみにしみて理解できた。経営に関する教訓として素直に受け止めたい。

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2021年06月08日

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twitterで知り、面白そうなので読んでみた。会社の紆余曲折、人との出会いによる筆者の成長が生々しく綴られていて面白かった。誤配という考え方についてもっと知りたい。

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2021年05月21日

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【きっかけ】
キャストチャンネルにて認識して以来、ずっと頭にはあった作品。
そんな中、最近著者の東さんが経済メディアのNews Picks の動画番組に出演しており、そこでの話ぶりが面白くて、本書をこのタイミングで読んでみたくなった。

【感想】
いくつかの楽しみ方がある
一つは著者の苦悩を疑似体験することだ。
・小さな出版社を経営する苦悩
・スタートアップではない会社ならではの、会社を大きくする
苦悩
・哲学者が会社経営を行う苦悩

著者があとがきにて、「それでも出版を止めていないのは、「私小説的」で「露出狂的」な著作こそが、もしかしたらいまの哲学全体にとって必要になっているのではないかとの予感があったからである。」と記載のあった通り、本書は赤裸々に著者の失敗が語られており、それを読むことが1番の醍醐味になるだろう。

また、個人的に面白かったのは、少し前の世代の論客とそのネットワークを知れたことである。
私にとって、経済メディアを見たり、東さんの言う論壇の人達を認識するようになったのは、2014年頃からであり、それよりも前の世代の人達はについてはあまり知らなかった。
本書では、多くのゼロ年代の論客達が登場する。

【心に残った文】
81p
ゲンロンカフェだったら、このケーブルはどこにどうつながっていて、どんな意味があるケーブルか、配線レベルまでいちど完全に把握しました。業者の請求書も細かいものまですべて確認しました。面倒なことを人任せにせず、ゲンロンについてなら、何を質問されても答えられる状態になりました。
 会社を経営するためには、いちどその段階を経ないとダメです。

210p
ぼくにしてみれば、ゲンロンはぼくが稼いでいるからこそ成立しているという気持ちだったのですが、社員やアルバイトからしたら、いつもオフィスにいて相談に乗ってくれるEさんこそ「大黒柱」に見えていたのです。
→そういことってありそうだな〜、と思っていたことが現実に起こったことが記されていたので、印象に残った

212p
ゲンロンはぼく自身が経営しているのだから、ぼくがぼくに「搾取」されているというのは変な話です。けれども、感情としてはそうとしか表現できない不満を感じていました。

260p
右派からすればぼくには責任感が足りないだろうし、左派からすればぼくには行動が足りないのでしょう。けれど、それでも両方の側が、欠点だらけの試行錯誤の先駆者としてぼくを見てくれるのであれば、それこそがぼくがやりたかったことです。ひとの人生には失敗ぐらいしか後世に伝えるべきものはないのですから。

264p
彼らの過ちはぼくの過ちだ。ぼくはXさんの流用に半年気づかなかった。Aさんの金遣いが荒かったのはぼくの金遣いが荒かったからだし、BさんやEさんが経理を放置していたのはぼくが経理を放置していたからである。

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2024年05月06日

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あとがきにもあったが、自伝や私小説のような内容。
哲学者として認識している東浩紀が会社経営であたふたしている内容は楽しく拝見でき、参考になるような気もした。
哲学や批評ではないので、内容もわかりやすく、ゲンロンという会社がどういう会社かよく分かる。

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2024年01月04日

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東浩紀(1971年~)氏は、東大教養学部卒、東大大学院総合文化研究科修士・博士課程修了の、批評家、哲学者、小説家。1999年に発表したデビュー作『存在論的、郵便的 ジャック・デリダについて』は、浅田彰氏が「自著『構造と力』が過去のものとなった」と評して脚光を浴び、哲学書としては異例のベストセラーとなった。
また、2010年に合同会社コンテクチュアズ(後の(株)ゲンロン)を創立し、代表取締役社長を務め(現在は取締役)、批評誌「ゲンロン」や書籍の出版、カフェイベントの主催、スクールの運営、及び放送プラットフォーム「シラス」の運営(合同会社シラスの元代表取締役)等、様々な事業に携わっている。
本書は、ゲンロンの事業・活動について、設立時から2020年6月時点までの10年間を、語り下ろしたものである。
私はこれまで、東氏の著書は『動物化するポストモダン』(2001年)と『弱いつながり』(2014年)を読んだのみだが、大手書店で批評誌「ゲンロン」が平積みになっているのはよく目にし、東氏が軸足をゲンロンに置いて充実した活動を行っているものと思っており、今般偶々新古書店で見かけて手に取ってみた。
ところが、である。読み終えてみると(というか、まえがきで既に告白されているのだが)、本書で語られているのは、10年間にゲンロンで起こった「資金が尽きたとか社員が逃げたとかいった、とても世俗的なゴタゴタ」ばかりなのである。
東氏はさらに、「ゲンロンの10年は、ぼくにとって40代の10年だった。そしてその10年はまちがいの連続だった。ゲンロンがいま存在するのはほんとうは奇跡である。本書にはそのまちがいがたくさん記されている。まがりなりにも会社を10年続け、成長させたのは立派なことだとぼくを評価してくれていたひとは、本書を読み失望するかもしれない。本書に登場するぼくは、おそろしく愚かである。」と語るのだが、確かに会社を創り、運営するという点では、東氏より上手くこなす人はいくらでもいるだろうし、他山の石とするにしても、一冊の本にするほどの価値があるかは疑問である。
しかし、東浩紀の東浩紀たる所以はそこで終わらないところにある。(そして、本書の出版を説得した編集者はそれを見抜いている)
というのは、東氏は数々の失敗の中から残ったいくつかの成果は、「誤配」によるもので、そもそも、価値のある「商品」というのは、予想しなかったようなプロセスからしか得られない、と分析する。そして、コミュニティには、村民(味方)でもよそ者(敵)でもない、「観光客(良い商品を提供する限りで村に関心を持ってくれる人)」が必要であり、そのためには「商品」が必要なのだ、とする。この「誤配」と「観客」は、現在の東氏の思想におけるキーワードであるが、結局のところ、ゲンロンは10年間、「誤配」によって「観客」を増やす活動を行ってきたことになるのだ。
東氏はあとがきで、現代思想・哲学というものは、その専門書だけでは何も伝えられないし、何も変えられないのであり、それらは実際に生きられなければ意味がない、そして、東氏はゲンロンを通してそれを体現しているのだ、と語っている。
今後のゲンロンの活動を、興味を持って見て行きたいと思う。
(2023年12月了)

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2023年12月24日

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批評家として世に出始めていた作者が、オルタナティブと呼ばれる言論コミュニティを実現すべく、ゲンロンを立ち上げるものの、未経験の経営でさまざまな障害にぶつかりながらも進んでいく物語。

てっきり堅苦しい批評家の作品かと思いきや、全く異なる経営物語と彼のビジョンが分かりやすく書かれており、とても面白かった。

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2022年11月26日

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著者の本を初めて読みましたが、最初に読む本ではなかったかもしれません。
でも内容的には面白かったです。
会社を運営することについて、どこまで自分でやるのかはそれぞれの色が出ると思うのですが、相性が良い人悪い人はいると思うので、人に任せて上手く回るならそれでこそ個人として活動するのではなく会社を持つ意味なんじゃないかなと、読んでてふと思いました。
大きく夢を持ったり活躍したいって人だけが集まると上手く行かないのは、自分の周りの社会なんかではよくみますが、小さく始めたものが回りながら大きく育っていく流れは腑に落ちるものでした。

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2022年06月08日

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詳細なレビューは他のかたがたに譲るとして、
個人的には起業家東社長より、思想家東さんの本を読みたい。もちろん起業家の苦労話として面白く読めるが、観光客の哲学増補版の方が楽しみでばらない。

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2022年02月01日

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著者の批評家、哲学者から転身して経営者として奮闘した10年間が描かれている。経営を通じてこれまでの自身の思想の学びを体現している。

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2021年11月21日

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東さんは本当に最近知って興味本位で読んでみた。
「誤配」という言葉に尽きる、素晴らしく面白い。
観光の考えも共感。

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2021年08月30日

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経営についての内容だけでなく、ゲンロンという会社、東さんの考え方や生き方が表れていた。

哲学というように知ることをとことん追求する姿勢が魅力的で、登壇者が納得するまでとことん議論するゲンロンカフェ。
東京に住んでいないので、リアルには行けないけれど、オンラインで一度参加してみたい。

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2021年08月10日

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タイトルからしたら言論する場をどう作るのか
と受け取れるけどゲンロンで失敗したことのクロニクル
失敗をあけすけに晒すのは素晴らしいけど題名に偽りありだと思う

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2021年07月30日

Posted by ブクログ

☑︎会社の本体はむしろ事務にある
☑︎いっけん本質的でないことこそ本質的
☑︎知る→考える→わかる→考える→動かす

会社経営は一筋縄ではいかないということを学びました!

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2021年03月05日

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