東浩紀のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
読む前と読んだ後でものの見方ガラッと変わるような内容だった。
膨大な情報にいつでもアクセスできるって思い込んでいたけど、検索ワードは自分が選んだものだし、だからバイアスがかかった都合の良い情報にしかアクセスできていないってこの本読まなきゃ気づかなかった。
SNSが促進する村のような強いつながりが、強固になる程見える世界は狭く届く情報は限定されていくし、だからこそ多様な検索ワードを得るために偶然性による弱いつながりを疎かにしないことが大切。
当事者として盲目に被害者の声を上げることも、専門家として見下ろすような議論を交わすことも避けたいからと言ってそこに距離を取るのではなく、ただ観光客の目でそこにあることを知る、考える、第3の態度を得ることができた気がする。
旅行に行きたくなった!堂々と観光するって言える。 -
Posted by ブクログ
「観光客」であることを、惨めに思う必要はない。
むしろ、「観光客でいること」に自覚的であるからこそ生み出せるモノがあるのではないか。
そんなことを考えさせられた。東浩紀さんの本を読んだのは初めてだけど、言葉を扱う仕事をしている人が書くものは、私達が読んでもスッーと身体に入っていくものなんだなと感じた。
今この時代にこの本と出会えて、本当に良かった。
自分がなんでこの本を選んだのかはよく思い出せない。この本との出会いも偶然性によるものだったのかなと感じている。
先行き不安とはよく言われるけど、そもそも未来が予測できる人なんていない。あした自分が、生きていることすらわからない。自分自身のことですら予測できないのだから、まわりのことなんて予測できっこない。だからこそ、今自分がここにいるということに、少しでも意識をむけられたら、けっこう幸せなんじゃないかと思う。だって、いまを意識できるってことはそれだけ余裕があるってことだから。
東浩紀さん、ありがとう! -
Posted by ブクログ
とても面白いけども、疑問も色々と湧いてくる。
ちょっと極端に過ぎるところもある。
今の情報化社会の過大評価もある。
なぜ人文系が、記号論か、時代に対応できないのか、それは、世の中の多様化、というか、多様性の顕在化、に、答えられないからではないのか。
情報記号論を考えていくにあたって、バロック記号論まで遡らなければ、というものの、本当にそこまででいいのだろうか?
メディアを、アナログメディアやデジタルメディアとして、写真、映画、ウェブにしてるけど、書物だってメディアなわけで、そこが最後まで気持ち悪い。
書物をメディアと考えてないので、コンピュータの構想されたバロック記号論を遡る原点としてるけども、書物をメディアと考えたときに、グーテンベルク銀河系の記号論は必要ないのだろうか?
いや、この本にも書いてあるように、洞窟壁画の描かれた壁面だってメディアなのだから、その記号論から考えなおさなくていいのだろうか?
その時代には記号論はなかったのだとしても。
もしくは、例えば、夢がスキャンされるという話。
夢に、羊が出てきたのがわかるようになったとしても、その羊が「何として」あらわれてきていたのか、まではわからない。
それではあまり、意味がない。
今の科学は、ルネサンス期に生まれた、「何故」を考えるのではなく、「どのように」を考えるものでしかない。
つまり、夢に羊がみえるときにどのように脳が働いているか、を観測して、それと同じように脳が動いてるときには羊が見えている、とすることはできるけども、どうしてその羊をみているのか、その羊は何なのか、は、そのスキャンからはわからない。
そして、その違いは、今の科学の方法論では乗り越えられそうにない決定的な違いだ。そこを人文学の人こそ大事にして欲しい。
写真はいつ誰が撮った、という話も、単に写真に対する思い込みに過ぎず、写真を、撮影を、ちゃんと考えている人には自明のものであったりする。「撮れちゃった写真」というものがいっぱいあるのだ。だから、プロでもモデル撮るときには、何枚も撮る。いや、プロだからこそ、何枚も撮る。もしくは、一枚しか撮らない、そこに写るものを重視する、という方法論がうまれる。
そういうところを大事にしてほしい。
つまり、理屈だけで、実験が足りないところがおおい。
そう、この実験の欠如こそ、人文学が役に立たなくなっている点では?ビッグデータを実験結果として何を読み解くか、を、データサイエンティストなんかに委ねてしまってるところが負けてるのだ。
などなど、色々と気になるところはあるけども、そういうことを色々と考えられたところも含めて、面白い話だった。
タルドが取り上げられてたこと、ミラーニューロンが取り上げられてたこと、なんかは個人的にとても嬉しかった。
そう、模倣よね、そこよ。 -
Posted by ブクログ
これは、哲學書というよりそれ以前に、批評である。
それは著者の『存在論的郵便的』『動物化するポストモダン』『一般意志2.0』の自注と(內容だけをみると)言えなくはない。これは、自著の単なる「解題」ではないか、と。
しかし解題という言葉には、強靭な自己批判といういみも含まれるとすれば、東氏ほど「現在」を語るにふさわしい書き手はいないのではないか。
射程の広い思考をもった理論家ともいえる。カント及び、ヴォルテール、そして、20世紀の政治哲學三人、シュミット/コジェーブ/アーレント。
最後に、ネグリ+ハート、そして、ローティーと、振れ幅の広い思想家を、精確に分析する手管は、淒みがある。
さて、他者の哲學とひとことでいってもその説明原理には様々ある。
文化記號論的に要請される他者にも、システム論と相俟って1980年代には議論されてもいた。
観光客概念の先の説明原理との大きな違いは、哲學體系文明観などの大きな物語との間隔を斟酌する必要がなかった、別の言い方で言うと、現代はそれらの枠組みと、別の枠組みを視野に入れる必要に迫られている。
そういうことが言えるのではなかろうか。
それは、何も、それまでの英知を無視するとやいう訳ではいささかもなく、むしろ、それを(哲學體系や文明観などの大きな物語)をどん欲に咀嚼(批評)した上での論理構成が必要になっている。
中心概念には、精緻なシステム理論から編みだされた「誤配」、世界心情ともいうべき文化人類學的「憐れみ」を配して、郵便的マルチチュード/多元的決定論へと累進的に論じられる。
第二部 家族の哲學
(続く) -
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「統計的な最適を考えるのではなく、偶然に身を曝せ」
ネットの評価経済社会が強いるどぶ板選挙のような体力勝負の消耗戦に身を賭すのではなく、環境を変えインプットを変えることによってアウトプットが変わる可能性に賭けよ。
消耗戦の中からは本当に新しいコンテンツ、本当に素晴らしいコンテンツは出てこない。そこから離れ、ゆるやかに流れる時間のなかに身を置くために、旅が必要なのだ。
入門書として書いてある通り、非常に読みやすく示唆に富む内容であったし、これからの生き方を変えるほどの影響を受けた。まだまだ噛み砕くのに時間はかかりそうだが、また読み返したい。最後に仮に賭けに失敗してしまってもあずまんはこう曰く、
しかし、人生において「失敗」とはなんでしょう。事業の失敗、投資の失敗、結婚の失敗とういう個別例はあると思います。けれどもその失敗はつぎの局面の出発点になるかもしれない。人生そのものには失敗なんてないのです。だってその成否を測る基準はどこにもないのですから。観光ガイドを見て計画を立てるのはよし。けれど実際には計画は無視し、どんどんコースは変更しましょう!そのほうが旅=人生は楽しくなります。
勇気をもらえた。 -
Posted by ブクログ
偽善で空想的だったリベラルはもはや存在しないが、政治と経済、国民国家と帝国、ナショナリズムとグローバリズム、コミュニタリアニズムとリバタリアニズム、この対立のどこかに身を置く、のではなく、「第4の道」を見出すための本。
その道は、連帯しないのが連帯、と言うただデモするだけの否定神学的なマルチチュードではなく、書名にもあるように何らかの「繋ぎ換え=誤配」を産み出しうる『郵便的マルチチュード』である観光客だ、と言う話。
そしてこの「観光客」も単なる観光客という意味だけではなく、同じく郵便的マルチチュードと考えることが出来る「家族」も含まれるもの。
本書の最後がドストエフスキーを通して家族を捉え治す、と言うのがソルジェニーツィン試論に帰ってきているのが、注釈でも書いてあるように自覚的な原点回帰のようで、東さんはもう筆を折ってしまうんだろうかと少し不安になりかける。けどゲンロンはまだまだ続いていくようで、ちゃんと追っていかないと。
政治思想にはコミットしていないしそもそも文系科目的な知識や知見は初等教育の時代においてきてしまっているような人間に対しても粘り強く、重要な概念は何度も反復して、言い換え、思考を誘導するように丁寧に連れて行ってくれているようで、読みやすい。
とはいえ「難しい」話をしているのでこちらもちゃんと整理していかないといけないのだけれど。
実は存在論的 郵便的はまだ読めていないのだけれど、これまでの主著は大体読んできたので、それらとこの本が示す「第4の道」である「観光客=家族」へ至る道が朧気に記憶の底から甦ってきて色んなことに合点がいったり考えが展開したりして、面白かった。非常に。
最近の比較的ライトと言える仕事だった弱いつながりやセカイからもっと近くに、特に後者のあの最後の展開の部分がピタッと嵌まった感じで、凄く気持ちいい。
いや、気持ちいいとか満足した、と言うことじゃなく、この本で辿ってきた議論は何度も書かれているように荒削りで未完成ではあるわけで、それを自分のことに引き寄せて、それを実践して行かんとな、とは強く思っている。
ちょうど家族を作ろうかとしているところでもあり、この本を家庭の座右において、ずっと考えていかなきゃ。
東さんが6年(もうか!)くらい前に冗談めかして言っていた、「世界は二つある」の思想がぎゅーっとつまっている気がする。
などだらだらと垂れ流したので、2週目へ。 -
Posted by ブクログ
まとめ
○かつての文学
・現実で生きる人々の喜びや苦悩を汲み取り、作品表現として昇華するという役割
=社会や政治をふまえたうえでの創作が価値を持っていた
・文学と社会が「公共的」な関係を持っていた
○現代の文学
・現代の社会はあまりに複雑で、わたしたちはもはや社会全体をうまく見渡すことさえできない(世界から切り離されている)
・あらゆる創作物が「現実逃避」として求められている
・記号的・キャラクター思考
・現実から遠いものとしての虚構群である
・想像界と現実界が短絡し、象徴界の描写を欠く(例・個のボーイミーツガールを、「世界の終わり」や「この世の危機」といった大きな問題と直結させる)
・細部(又は大枠)の欠如
・社会を描かない/描けない/描かなくてもよい
→想像(創作物)と、現実が切り離されている