東浩紀のレビュー一覧
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ひとは、わかってることしか分からないのかも。知ってること、体験したことに言葉が当てはめられたときに、説論ていうのはカチッとくるものなのかなー。整理されて視界が開ける。確かな快感。それだ、と膝を打つような。あるいは、そういう見方、つなげ方があったか!とか。いずれ、身のうちに既にあるものを見て読んでるー。
わからないものも沢山読んで、宿題として転がしておくと、十年後とかにカチッときたりする。けど、これは自分がわかる、が後から追いついただけのことだしなん。
というようなことを延々と考えさせられました。半分くらい、"先生ここわかりません"。批評になると、批評の対象作品まず深読み -
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大きな物語の終焉と小さな物語の氾濫、増殖がポストモダンの特徴であると著者は指摘する。前近代においては、人々は神話や民話を通して現実を、近代では写実的現実を表現した自然主義的文学から現実を、知ろうとしたのに対して、ポストモダンではキャラクター小説にみられるデータベースを前提として成立した新しい現実を求めることになっている。理想の時代・虚構の時代が過ぎ去り、いまや、身体性を伴った快感原則の追求が希求され社会について人々は考えなくなる時代を「動物の時代」としたのだった。
このような時代にあって、まんが・アニメ的リアリズムの台頭ののち、ゲーム的リアリズムが誕生することになった。これは時代環境に導か -
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主としてコミュニケーション能力に起因する問題について議論が進められていき、エリート目線の宮台に東が疑問を提示する形でのやり取りなどは読み物としても非常に面白い。
しかし、ちょうど同年代の幼い娘をもつ父親としては、まったりと子育てを語る第1章に惹かれる。
実際に幼児を抱えて世界の見え方がガラリと変わってしまう体験をしている身として、ただ単純に共感しちゃうんだもの。
子供を介しての地域ネットワークへの繋がりとか、ショッピングモールなどに対する見方とか。
この感覚はおそらく子供のいない方には理解不能なものだろうし、逆にもっと子供が大きく成長してる親御さんにとっては「はぁ?」というものであろ -
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頭の悪い私は途中から議論についていけなくなった…(涙目)
そんな身分でレビューを記すのはあれなので、備忘録的に自分が思ったことを記しておく。
自分は「親」でありたい。
親になれば、子どもの存在が故に、
地域その他色々なコミュニティに否応がなしに関与することになる。
この本でいうところの「グルーブワーク能力」が求められる。
人ってのは色んな顔を持っている存在であって、各コミュニティで担う役割も違ってくる。
また、全ての役割を担うこともできないから、相互のコミュニケーションで扶助し合うことになる。
「親」とはそれを実践する存在であって、その背中を見て、というか真似して育つ。
そんな親子関係 -
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為政が見えにくくシステム化していく社会にあってなおも為政する側の主体の存在を疑い、また、社会に関わるための「主体のあるべき」を議論しようという大塚氏と、まずは主体を切り離した中から見えてくる世界像を考察しようという東氏の、立脚点の差異に最初から最後まで互いが歩み寄らず、話が噛み合わない。が、現在の社会の状況についての洞察には両者ともに肯けるところが多く、両者ともに基本的に相手の考察を認め合っているので、「その噛み合わないところはいいから話を進めてくれ」と思うことはあっても、対談そのものが破綻しているというわけではない。どちらのとらえ方をするのかで、どちらがどういうものが見えてきて、どういうもの
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動物化するポストモダンの続編として書かれた本である。文学おけるリアリティ(現実の解釈)がマンガ/アニメ的リアリズム(一回性の死/物語)から0年代以降ゲーム的リアリズム(並行世界/メタ物語)へと変化していった事を明示している。
昨今の文学のみならずゲームやアニメ、漫画、SNSなどあらゆるコンテンツがゲーム的リアリズムになったであろう。ゲームをプレイする主体と、そこに存在するゲームシステム、何度も繰り返す物語の分岐とはじまり。あらゆるものがカオスに、そして再生産され消費される。最近だと異世界転生物が流行っているが、あれも世界系からの新たなるライトノベルの系譜であり、現代社会の表層が現れていると常 -
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國分功一郎『暇と退屈の倫理学』の注でも紹介されている本書。初版は2001年なので、もはや23年前の本になるが、今年は東浩紀氏の本をたくさん読んでみたいと思っているので、彼の思考を辿る意味でも読んでみることに。
本書はオタク分析からアプローチしているので、サブカルチャーやアニメ、プログラミングなどオタクの世界の読み解きについていくのは正直大変。
したがって、一度全体を読んでから哲学的な考察を拾いながら振り返った。
『暇と退屈の倫理学』でも「動物になること」はキーワードとして出てきているが、改めて「動物化とはどういう状態か」に注目。
本書はアレクサンドル・コジェーブの考え方を参考にしていて、