東浩紀のレビュー一覧
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コミック、アニメ、ゲーム、パソコン、SF、特撮、フィギュアなどに耽溺する
人々の総称をオタクとして、いわゆるオタク系文化がポストモダン(70年代以降の
文化的世界)とどう関係しているかを論じた本。
とくに、コミック、アニメ、ゲームの類に熱中する人々をオタクと呼んでいます。
アイドルオタクは本書では扱われていません。
そこで語られるオタクによるアニメキャラの萌え要素への分解、
材料化がポストモダンの世界の構造と一緒で、
オタク系文化はポストモダンそのものみたいに言われている。
言われているというか、看破して論理づけて説明してくれているので、
それを読む限り、ほぼ間違いなく、オタク系文化はポス -
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むず…むず…むずかしか…た…(瀕死)対談はまだしも各論はもうダメでした、何ヶ月かかったよ読むの…
ううううーーー…象徴界想像界現実界の話は何度も理解したつもりで何度も解らなくなる。どうも言葉がイメージになって落ちて来ないというか私そんな風に世界を認識してないのかもしかしてこれ。という気すらしてきました…文系ですらなく図系。。。
ほんとに良くわからんのでしたが、多分これは最新著作の一般意志2.0にどう繋がってったのかを考えた方が解るのかなと思いました。もう何周かしてみるけど解らんダロナー。でもすっごいチカチカするんです、ひらめきそうなイメージが脳裏を掠めてて読まずにいられないー。いつかは自分 -
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東浩紀と宮台真司の対談本。
父親の視点から家族・教育・社会等、
様々な意見を交わし合っている。
特に最近よく思う、
フラット化した社会における、
ダイバーシティ(多様性)の問題が指摘されていたのが興味深かった。
やっぱり、
「豊かさ」って「多様さ」だよな。
業田良家の
「人類の代表」という短編漫画に、
「渾沌とは豊饒のことである」
というようなことが描いてあるのだけれど、
コミュニティの中に金持ちもいれば貧乏人もい、
ヤクザもいれば坊主もいる、
みたいな「無秩序」で「渾沌」とした環境が、
豊かさの証左なのだと思う。
こういった豊かな環境が作れる器は、
日本では「学校」である。
そして -
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東浩紀と宮台真司の対談本。
小さな子どもを持つ父親、という視点から、子どもを通じて現代社会を考察する。
育児本ではない。
二人の言ってることはどれももっともなことだと思う。
でも対談本だから「言論人の本音」に近いところがあからさまに出ていて、
それは少しいやだ。
言論人は基本的に選民思想というか、自分たちが「デキル人間」だと強く思っている。(実際彼らはデキル人間だし、それを否定するつもりはない)
そして、意識的なのか無意識的なのかは知らないけれど、そういう「デキル人間」ではない人たちのことをあからさまに見下した発言をすることがある。
宮台の「幸せになれない人間」とか。
「基本的なソーシャルス -
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ひとは、わかってることしか分からないのかも。知ってること、体験したことに言葉が当てはめられたときに、説論ていうのはカチッとくるものなのかなー。整理されて視界が開ける。確かな快感。それだ、と膝を打つような。あるいは、そういう見方、つなげ方があったか!とか。いずれ、身のうちに既にあるものを見て読んでるー。
わからないものも沢山読んで、宿題として転がしておくと、十年後とかにカチッときたりする。けど、これは自分がわかる、が後から追いついただけのことだしなん。
というようなことを延々と考えさせられました。半分くらい、"先生ここわかりません"。批評になると、批評の対象作品まず深読み -
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大きな物語の終焉と小さな物語の氾濫、増殖がポストモダンの特徴であると著者は指摘する。前近代においては、人々は神話や民話を通して現実を、近代では写実的現実を表現した自然主義的文学から現実を、知ろうとしたのに対して、ポストモダンではキャラクター小説にみられるデータベースを前提として成立した新しい現実を求めることになっている。理想の時代・虚構の時代が過ぎ去り、いまや、身体性を伴った快感原則の追求が希求され社会について人々は考えなくなる時代を「動物の時代」としたのだった。
このような時代にあって、まんが・アニメ的リアリズムの台頭ののち、ゲーム的リアリズムが誕生することになった。これは時代環境に導か -
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主としてコミュニケーション能力に起因する問題について議論が進められていき、エリート目線の宮台に東が疑問を提示する形でのやり取りなどは読み物としても非常に面白い。
しかし、ちょうど同年代の幼い娘をもつ父親としては、まったりと子育てを語る第1章に惹かれる。
実際に幼児を抱えて世界の見え方がガラリと変わってしまう体験をしている身として、ただ単純に共感しちゃうんだもの。
子供を介しての地域ネットワークへの繋がりとか、ショッピングモールなどに対する見方とか。
この感覚はおそらく子供のいない方には理解不能なものだろうし、逆にもっと子供が大きく成長してる親御さんにとっては「はぁ?」というものであろ -
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頭の悪い私は途中から議論についていけなくなった…(涙目)
そんな身分でレビューを記すのはあれなので、備忘録的に自分が思ったことを記しておく。
自分は「親」でありたい。
親になれば、子どもの存在が故に、
地域その他色々なコミュニティに否応がなしに関与することになる。
この本でいうところの「グルーブワーク能力」が求められる。
人ってのは色んな顔を持っている存在であって、各コミュニティで担う役割も違ってくる。
また、全ての役割を担うこともできないから、相互のコミュニケーションで扶助し合うことになる。
「親」とはそれを実践する存在であって、その背中を見て、というか真似して育つ。
そんな親子関係 -
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Posted by ブクログ
為政が見えにくくシステム化していく社会にあってなおも為政する側の主体の存在を疑い、また、社会に関わるための「主体のあるべき」を議論しようという大塚氏と、まずは主体を切り離した中から見えてくる世界像を考察しようという東氏の、立脚点の差異に最初から最後まで互いが歩み寄らず、話が噛み合わない。が、現在の社会の状況についての洞察には両者ともに肯けるところが多く、両者ともに基本的に相手の考察を認め合っているので、「その噛み合わないところはいいから話を進めてくれ」と思うことはあっても、対談そのものが破綻しているというわけではない。どちらのとらえ方をするのかで、どちらがどういうものが見えてきて、どういうもの
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Posted by ブクログ
グローバリズムに対する反発から世界中で排外主義やナショナリズムが台頭した原因として、正しさを求めすぎて他者を排除する「真面目すぎるリベラリズムの限界」と原因づけ、政治的・共同体的責任を負わず、興味のある場所を訪れ、消費して去っていく不真面目でユルい「観光客」のコミュニケーションを提唱する。様々な場所で人と会い、偶然の繋がりと失敗を繰り返すことが分断された世界を寛容にする突破口になるという主張。目の覚めるような切り口ではなく泥臭い手法の見直しで、社会の分断に直接的に働きかけるより、時間をかけて遠回りに変えていこうという試み。それ自体は受け入れ易いし実際の行動にも移しやすいとは思うけど、現在の状況