東浩紀のレビュー一覧
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学びについて
・文章の透明性という概念。2010年以降のラノベ(なろう)史はこの概念なしでは語れないかも、という風に思う。
・データベースから設定を組み合わせた世界線の地続きの中で、メタの概念は"一瞬"盛り上がりを見せたように感じるが今は当時のそのままのメタ概念はほぼ死滅状態にあるように感じる。生き残ったのはマーダーミステリーやTRPGだなあと。
・なぜマダミスやTRPGが生き残ったのか?についてメタ的知見から考えるのは重要なように感じるが、この本が生まれたのはそれらに翳りがあり、むしろ現代翳っている美少女ゲームが勃興している時代なので言及はなし。
・今に生きる部分は前作・ -
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本書で、著者東浩紀は大塚の議論を参照しながら、近代文学を、現実を「透明な」言語で表現するリアリズム小説に代表させ、それに対してキャラクター小説を「不透明な記号」が現実を乱反射するものとして捉えている。キャラクター小説を、近代以前の神話や民話が形を変えて復活したものと見ている。
しかし現実を非現実的に異化したり、非現実的なものを逆にリアルに表現するような小説なら、近代文学にありふれているし、オタクたちのキャラクター小説など及ばないレベルで既にやられているのである。ここでは二項対立そのものが不適切で、後者を不当に高評価することにしかならない。
オタク的な文化を近代を越えるものとして考えるのはまった -
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・大きな物語のない時代における、避けられない動物化(=生きる意味を考え、社会の調和に背くような人間らしい行動が必要がなく、社会の流れの中で自分の欲求に従って生きることが人間の潮流的な行動になること)のメカニズムをオタク文化で紐解いた本
・1番最後の章が難解。理解できなかった
・初版が2000年代初頭なので"現代でもそうか?"という疑念を持ちながら見た方がいい
・一方で70年代から00年代に至るまでのオタク文化の変遷は非常にわかりやすく理解できる
・設定を物語という切り口で味わっている感覚は自分の中にもあったので、それはそうだなとシンプルに思った
・個人的に面白かったのは「模 -
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明治維新後の日本史を紐解きながら、日本社会のさまざまな矛盾を指摘して、現代社会の「生きづらさ」の原因に迫る対談集。
天皇・戦争・憲法などのトピックは、学校の授業で「歴史はこういうものだ」と習って、機械的に「そういうものだ」と覚えたため、議論することも無ければ、問題にすら感じていなかった。そのため、私はいろいろな矛盾に気づくことができない。また、複雑に絡み合う事情に正面から向き合う知力が無いので、何となく「生きづらさ」だけを感じてしまうのだろうか。一方で、単純化して発信されるような情報に飛びつきやすい(イチイチ反応しやすい)のかも知れない。
教養があり、ウィットに富んでいる3人の対談がスピード感 -
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ネタバレ家族、制作について興味があり手に取った。
第一部は興味深かった。
ちょうど「M-1の審査員を、その大会で実績を残した人たちで構成するのは不健全ではないか」というコメントがあり、訂正可能性と持続可能性について言っていたのかなと考えていた。
p61 外部からの参加を排除したままだと滅びる
p84 当事者ではない問題についても、訂正されるとわかっていても関わる勇気を持つ
p88 誤配と訂正の連鎖こそ人生
p105-108 同じ人間だからという概念は大きすぎて、わたしたちという共感は持てない。でも「わたしたち」の範囲は修正し拡張できる。
→希望を感じた。 -
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【きっかけ】
キャストチャンネルにて認識して以来、ずっと頭にはあった作品。
そんな中、最近著者の東さんが経済メディアのNews Picks の動画番組に出演しており、そこでの話ぶりが面白くて、本書をこのタイミングで読んでみたくなった。
【感想】
いくつかの楽しみ方がある
一つは著者の苦悩を疑似体験することだ。
・小さな出版社を経営する苦悩
・スタートアップではない会社ならではの、会社を大きくする
苦悩
・哲学者が会社経営を行う苦悩
著者があとがきにて、「それでも出版を止めていないのは、「私小説的」で「露出狂的」な著作こそが、もしかしたらいまの哲学全体にとって必要になっているのではないかとの -
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オタクたちは自分の好む萌え要素や自分の好む演出を単純に求めている。そうした個別の事柄に対する自分の意見や主張(好み)は、他人と共有されることなく、自分の欲求を孤独に満たすものでしかない。彼らは情報交換や作品評価については掲示板やオフ会で積極的に他人とつながるが、それは親族や地域共同体のような現実に基盤をもつものではなく、ある作品(情報)への関心だけで支えられている表面的なもの。自分にとって有益な情報が得られなければ、他人とのかかわりから離れてしまう。いまや、生きる意味や欲求は人間関係の中で生まれるものではなくなり、他人とのかかわりなしに、ひとりで孤独に満たされるようになっている。
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訂正可能性自体は可謬主義的なこととの違いがはっきりとは理解できなかった。
ヴィトケンシュタインの言語ゲームやクリプキの議論から原理的な訂正不可避性については新鮮さを感じたが、そこから導かれることは、可謬主義や批判的思考の重要性、脱構築の正義など既存の思想との違いがよくわからなかった。
一般意思が独裁などにつながる危険性も他書でも見られる主張に思った。人工知能民主主義とう概念は私は意識していなかったので、ルソーの思想とのつながりもふくめ、その発想や概念はなるほどとおもった。
私自身も、人工知能民主主義については、人間の理性の限界は、ほぼ原理(HW限界)におもうので、人間による政治では「加速 -