東浩紀のレビュー一覧
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オタクたちは自分の好む萌え要素や自分の好む演出を単純に求めている。そうした個別の事柄に対する自分の意見や主張(好み)は、他人と共有されることなく、自分の欲求を孤独に満たすものでしかない。彼らは情報交換や作品評価については掲示板やオフ会で積極的に他人とつながるが、それは親族や地域共同体のような現実に基盤をもつものではなく、ある作品(情報)への関心だけで支えられている表面的なもの。自分にとって有益な情報が得られなければ、他人とのかかわりから離れてしまう。いまや、生きる意味や欲求は人間関係の中で生まれるものではなくなり、他人とのかかわりなしに、ひとりで孤独に満たされるようになっている。
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訂正可能性自体は可謬主義的なこととの違いがはっきりとは理解できなかった。
ヴィトケンシュタインの言語ゲームやクリプキの議論から原理的な訂正不可避性については新鮮さを感じたが、そこから導かれることは、可謬主義や批判的思考の重要性、脱構築の正義など既存の思想との違いがよくわからなかった。
一般意思が独裁などにつながる危険性も他書でも見られる主張に思った。人工知能民主主義とう概念は私は意識していなかったので、ルソーの思想とのつながりもふくめ、その発想や概念はなるほどとおもった。
私自身も、人工知能民主主義については、人間の理性の限界は、ほぼ原理(HW限界)におもうので、人間による政治では「加速 -
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東浩紀(1971年~)氏は、東大教養学部卒、東大大学院総合文化研究科修士・博士課程修了の、批評家、哲学者、小説家。1999年に発表したデビュー作『存在論的、郵便的 ジャック・デリダについて』は、浅田彰氏が「自著『構造と力』が過去のものとなった」と評して脚光を浴び、哲学書としては異例のベストセラーとなった。
また、2010年に合同会社コンテクチュアズ(後の(株)ゲンロン)を創立し、代表取締役社長を務め(現在は取締役)、批評誌「ゲンロン」や書籍の出版、カフェイベントの主催、スクールの運営、及び放送プラットフォーム「シラス」の運営(合同会社シラスの元代表取締役)等、様々な事業に携わっている。
本書は -
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海外の有識者2人への個別インタビューに対して、国内の有識者2人が討論するという面白い構成。
各国のコロナ対策の是非、ロシアのウクライナ侵攻に対するスタンスなど、インタビューを掘り下げていくと、有識者によって意見の食い違いがあることが分かり、国籍や立場によって複雑な事情があることを理解した。
SNSやデジタル技術によって、人々が「単純化」された理論への志向が強くなり、少しでも異質なモノを見つけ次第排除しようとする傾向は、私自身も含め危惧している。リアルの交流が減ると、ついつい異質な他者を排除できるからだ。ただし、同じ価値観を共有できるほど、社会が単純ではない。
人間は不確実で不完全な生き物。理解 -
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今日は令和4年8月15日だ。正午少し前から毎年の様に戦没者への哀悼を示す番組が国営放送(NHK)で流れ、武道館には天皇皇后両陛下だけでなく岸田首相も訪れ、正午の時報がなれば1分間の黙祷が捧げられる。1945年8月15日は昭和天皇による玉音放送が流れた日であり、ラジオで初めて聞く天皇の言葉の前に、何やら難しい事を言っている様だが、日本が戦争に負けた事だけは確からしい、と膝をついて泣き出すもの、心の中では生き残れたと安堵するもの、様々な感情が渦巻いた日でもある。特に戦争遂行の最前線にいた軍部には腹を切って自決するものも多数いた。
終戦記念日と呼ばれるこの日は、この様に先の大戦において国民が戦争に負 -
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寄稿でもなく、論考の収録。つまり、各著者による著作を抜粋してテーマに沿って寄せ集めたものだから、読んだ事のある内容も多い。鈴木健、伊藤穰一、西田亮介、橘玲、五野井郁雄ほか、錚々たる面々。自分には重複も多いがそれはそれで。復習半分、発見半分。
経済は全てをつなぐ。政治は境界を作る。情報技術は境界を壊し、つながりを加速する。テクノロジーの進化は、境界をいかに変容させ、その目指す形はいかようか。面白いテーマである。
インターネットの黎明期には盛んに世界市民の誕生が謳われた。しかし一向に実現しない。現代はむしろ、リバタリアンの世界とコミュニタリアンの世界が分裂したまま共存している。国境が無くなるか -
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【314冊目】批評家の東浩紀さんと、社会学者の宮台真司さんが父親になられてからの考察を対話形式にしてしたためたもの。2010年出版。論壇では時の人であったこともあり、従来からお二人の議論を追っている人には目新しさはないのかもしれないが、私は興味深く拝読。
「大きな政府」ではなく「大きな社会」という相互扶助のネットワークを構築していかないといけない。だけど、絆を構築・維持するには相応のコストが必要で、その覚悟が日本人には希薄。今後は個人のスキルを磨くことよりも、スキルのある誰かと繋がれるコミュニケーション能力が大切で、そうした能力を培うことが教育の目的…というのが大まかな議論の流れかな?
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コロナ禍をテーマにした、識者たちの短いインタビュー記事が集められたものだが、人間の生死について、人間どうしの関係性について、また経済について(これに関しては私自身の基礎知識がなく、よくわからなかったが…)など、コロナ禍に限らず、人間社会が抱える普遍的で本質的な事柄が多岐にわたって言及されていた。
色々なるほどと思う言葉に出会ったが、特に、世界的な傾向にある「分断」が抱える問題について、アメリカ人経済学者の言葉が腑に落ちた。彼は、それは誰か一人の責任ではなく「差異を超えて互いに話し合うことを妨げている深い分断そのもの」が問題であると語った。特定の人物に責任を転嫁させるような報道に違和感があったが