東浩紀のレビュー一覧
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前に読んだ堀江さんの本と同様、贅肉をそぎおとして、とんがった表現にて、「父として考える」ディスカッションを実施し、Twitter導入後の社会変革なども両者の独自の主眼にて論旨展開。異論反論は、あるだろうが大変面白かった。一つ残念なのは、後半はこども論的なトピックから離れてしまい、論段が難解になり少なくとも僕はついていけなくなってしまった点。引用を二件、
社会システムにおいてはオフラインの欠落をオンラインでは埋められない。「現実」にダメなやつが「ネット」で回復できるのは自意識においてだけで、社会の枢要な領域では「現実」にダメなやつは「ネット」でどうあろうが永久にダメだということです。
こども -
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二つの観点を前提にしなければならない。一つはインターネットに象徴される情報コミュニケーションの革命的変異が一気に進んでいると言うこと。2つめは情報交通政治思想のグローバル化により価値観が急速に陳腐化しつつあると言うこと。
2つの前提が成立する以前ならば、ある哲学者・知識人の言説や芸術家の独創性は長い間独創性として維持されてきた。しかし、2つの前提が成立すると、独創性は即時的広範囲に模倣され、アレンジされて記号化されることになった。そして一般的には今日生産される差異はひとつひとつが記号化されデータベースに積み上げられてく。
この状況下で批評家の為す役割というのは変異するか、しぼんでいくか -
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ネタバレ著者の前著『動物化するポストモダン』はオタクの動向だけでなく日本社会全般に当てはまる「『大きな物語』の衰退→物語消費からデータベース消費」という流れに言及したが、当書はオタクの消費活動及び、消費の対象となる作品(「ひぐらしのなく頃に」など)の構造について焦点を当ている。
リオタールの言う「大きな物語」とは高度経済成長期の日本で「仕事を頑張れば明日は今日より良い暮らしができる」というように国民全体に広く受け容れられたスローガン、価値観のこと。ポストモダンはそのような大きな物語が衰退して、拡散的な小さな物語が生まれ、社会やライフスタイルの多様化が尊ばれる時代である。
前著の内容と被り -
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ネタバレ新進気鋭の二人。思想家と学者の「家庭観」について。
まえがきにあったように、東氏は明らかにアウェイ感の否めないダイアログが続いていて、それはそれで読んでいて楽しい。
どこか「絶対感」的言動が多い東氏が、こと家族観になると、一歩引いて話しているところが、彼もやはり人間(笑)と思わせる。氏の他作と会社経営などの多角的活躍を考えると、これはアウェイでも仕方ないのかもしれないけれど。
娘について真剣に考える一人の人間になっていた。
一方、宮代氏は通常通りというか、家庭第一主義。言動は結婚し、子どもを持ってずいぶん変わってきたことを裏付ける結果になっている。
もともと東大大学院でテレクラ研究者と -
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Posted by ブクログ
[ 内容 ]
娘ができて初めて見えた日本社会の問題点とは?
若者の非婚や少子化をいかに乗り越えるか?
育児体験の比較から、教育問題や男女のパートナーシップのあり方までを論じ、「子ども手当」など保育支援策を検討。
ツイッターなど新メディアを利用した民主主義の新たな可能性まで、今日の知的課題をも浮き上がらせる白熱の討論。
[ 目次 ]
第1章 親子コミュニケーションのゆくえ―家族を考える(時間感覚の変化;宮崎アニメへの反応 ほか)
第2章 子育てを支える環境―社会を考える(ロスジェネ系議論の問題点;専業主婦願望の背景 ほか)
第3章 均質化する学校空間―教育を考える(グループワークができない子ど -
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[ 内容 ]
「知識人」は希望を語れるか。
「世代間闘争」の末に見えた地平は?
いまの日本は近代か、それともポストモダンか?
サブカルチャーの諸問題から国家論まで、「わかりあう」つもりのない二人が語り尽くす。
[ 目次 ]
はじめに 世代間闘争について
第1章 二〇〇一年-消費の変容(なぜ物語に耐えられないのか 見えない権力システム ほか)
第2章 二〇〇二年-言論の変容(雑誌は誰でも作れる 論壇誌でいかに語るか ほか)
第3章 二〇〇七年-おたく/オタクは公的になれるか(メタ化するか、空気を読むか 啓蒙か、ガス抜きか ほか)
終章 二〇〇八年-秋葉原事件のあとで(同時代の事件に責任を持つ