【感想・ネタバレ】父として考えるのレビュー

あらすじ

ホンネで語り合う白熱の討論!
もはや父親として、この国の現状を黙視してはいられない。育児体験の比較から、教育問題や男女のパートナーシップのあり方までを論じ、子ども手当など保育支援策を検討、若者の非婚や少子化をいかに乗り越えるかを語り合う。ツイッターなど新メディアを利用した民主主義の未来まで、今日の知的課題をも浮き上がらせる。

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Posted by ブクログ

自分の感じていたことをきちんと説明してもらえたような気になる。私にとって社会学者や哲学者の本を読む意味は詰まるところそういうところにあるのだろう。

抽象的な思考や概念がどのような私的な体験プラス些細な出来事から生まれてきているのかを語っているので、非常にわかりやすく腑に落ちる。私自身、結婚して家を持とうとして土地を探し始めた時、余りに人工的な空間に息が詰まるような気持ちがして、結局ある程度ごちゃごちゃした一言で言えばいろんな人が住んでいる今の土地を選んだ。
それぞれの年齢や立場に応じて、土地に対する評価も変わってくることをお二人が自分の変化として語っており、人生のライフステージで、均質な空間が心地よい時期もあればそうで無いときもあり、ということ。

あえて、お二人が言葉にしていないことをここで書こうと思うのだが、子育ては何物にも変えがたい経験だということ。そしてそれを語ることの大切さ、。そういう表現は出てこないし、正面切ってそう語っているわけでは無いのだが、言葉の端端から、そしてお二人の思考が複線化していることから、それを伺い知ることができる。
子育ての有意義さについて語ればすぐ子供のいない人生を否定するのかという批判に晒されてしまうのだが、何も言えなくなってしまわずに自分の変化として子育てについてきちんと語っていくことは大切だと思う。それこそが少子化対策への第一歩だと思うのだが...

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2019年11月01日

Posted by ブクログ

父として考える

P.17 循環する時間と成長する時間
あるステイタスのときに特定のコミュニケーションをし忘れると、そのときに意味があった刺激がそうでなくなるので、「だったら時間を有効に使わなくてはいけない」と思うようになりました。(宮台)

おっしゃる通りです。5,6歳までが決定的に重要な時期だと思いますが、結局そのときは一回しかない。取り返しがつかないわけです。この期間を親としてどう過ごすか。
これはじつは、大人と対する時にはない感覚なんですよね。むろん来年の宮台さんはいまの宮台さんとちがう存在ですが、しかしたいていは意識しないでコミュニケートしている。大人にとっては、今年も来年も同じ。仕事の時間は結局は「循環する時間」です。他方で子どもは「成長する時間」を持っている。そういう違う時間性を持つ存在が、同じ家の中に現れた。それがもっとも大きな変化だと感じています。(東)

P.25 子どもがいかに勝手に育っていくか
たとえば子どもが社交的か非社交的か、明らかに生得的としか言いようのない部分がある。男女の差もある。それは決して能力の高低ということではなく、むしろ人格の総合的な方向性みたいなものなのですが、その差異を全否定するのは不可能です。人間の能力のじつに多くが最初にプリセットされている。だから子供を育てるとは、結局は子どもがいかに勝手に育っていくか、自由にその能力を開花させるか、その環境を整えることに尽きる。それはルソー以来の近代教育学の基本だと思うのですが、なるほどこういうことだったかと意味を体感しました。

P.42 流動性の確保=リスクヘッジ、に挑戦してくる子どもという存在
(住む場所、という要素が子育てに決定的に重要だ、という話のなかで)
子どもにとっては根無し草という概念はありえません。いくら短い期間でも、ある場所にいればそこに根を生やしてしまうし、それは一生の中で特別な経験を構成する。親にとっては流動性だと感覚されているものが、子供にとっては流動性ではない。この「世界観のギャップ」は重要だと思いました。いまの社会では、すべての決定で流動性が前提になっているというか、流動性の確保こそが正解=リスクヘッジだとみなされる傾向がある。しかし子どもの存在はその前提に真っ向から挑戦してくる。

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2013年05月23日

Posted by ブクログ

 父として、教育、社会、子育てについて対談する。現代社会を鋭くえぐりとって、論議している。つべこべ言わずに読みなさい。

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2011年03月23日

Posted by ブクログ

同時代に父なった同世代として共感できる内容が多かった。論壇でもとがった二人が「父」としての表情に照れている感じが好感もてました。

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2010年11月01日

Posted by ブクログ

対談が「父として」を超えてその周辺テーマ・領域を広く縦横無尽に語られているのが面白い。しかし、良く読んでみると出発点はやはり「父として」であり、その微妙さ加減が興味深い。対談という形式によって、お二人の特徴も良く表れていると思う。

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2018年10月13日

Posted by ブクログ

父になったら、子供の成育環境には嫌でも興味がわきますわな。しかしあの宮台真司がねぇ、と思いながら興味深く読めました。公立小中高を出た公立至上主義としては、共感する点が多かった。

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2018年06月11日

Posted by ブクログ

面白かった、といえるほど読みこなせた訳ではない。が、二人が自らの育児から離れて、社会システムや現代若者論に脱線していくさまが面白かった。結局は、「人を幸せにできる人」に導くこと。当たり前で一番難しい、それが父としてやるべきこと。今を生きる子供たちに。ありがとう。

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2014年11月03日

Posted by ブクログ

再読。この対談は『東京から考える』くらい好きだ。まえがきにもあるように、戸惑いに満ちている気がする。父として、父になれない者として、父になってしまった者としての。時折見える説明原理(独身者に対する子育て支援のロジックとか)について、宮台さんよりあずまんの方が正しかったんだということが、今読み返せばわかる。

時代は自分と直接関係のない(ないはずないんだけど、ほんとは)人間に対して、「そんな人間知るか!」「嫌いだ!」「俺のほうが大変だ」「あたしのほうがえらい」……の合唱になっている気がして、息が苦しい。
『ウェブ社会の思想』の脚注にも通じる話だけど。

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2014年06月26日

Posted by ブクログ

最初に読んだ時は全く刺さらなかったのに二回目に読んだ時に刺さりすぎてびっくりした。子育てをするようになったインテリ二人の会話という感じで面白かった。

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2013年11月07日

Posted by ブクログ

それぞれの子どもを例にあげて対談されているので大変読みやすい。
ニュータウンなど新住民の多い同質性の高い空間での問題、学力低下問題の考証など、すでに書かれていることでもあるが、更に分かりやすく、面白く読めた。
子育て政策に対する非子育て独身世帯のある種の不満に対する答えに納得。

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2012年05月17日

Posted by ブクログ

この二人が「父親」として語るとは。
関係ないけど、子一人親と子二人親の違いが、実感として読み取れておもしろい。

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2011年11月10日

Posted by ブクログ

ネタバレ

前半は子育ての話だけど、後半は両者の展開するいつもの持論。両社会学者の子育て論は意外にも普通。だけどそこが逆に良いのかも。両者とも教育する家族には絶対にならないって述べてるし。東先生の書斎で娘さんが微笑んでいる写真を見て嬉しくなりました。

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2011年10月24日

Posted by ブクログ

東浩紀と宮台真司の対談本。
父親の視点から家族・教育・社会等、
様々な意見を交わし合っている。

特に最近よく思う、
フラット化した社会における、
ダイバーシティ(多様性)の問題が指摘されていたのが興味深かった。

やっぱり、
「豊かさ」って「多様さ」だよな。

業田良家の
「人類の代表」という短編漫画に、
「渾沌とは豊饒のことである」
というようなことが描いてあるのだけれど、
コミュニティの中に金持ちもいれば貧乏人もい、
ヤクザもいれば坊主もいる、
みたいな「無秩序」で「渾沌」とした環境が、
豊かさの証左なのだと思う。

こういった豊かな環境が作れる器は、
日本では「学校」である。

そして、
学校にいるのは子供だ。

つまり、
子供を中心としたネットワークの形成が、
豊饒な地域社会を作っていくためには大切なのだろう。


あとは、
子育てや教育のベクトルが、
子供自身や親に向き過ぎているのも気になる点。

というのも、
俯瞰して考えれば、
「社会の成員を作る」というのが、
子育てや教育の本意だと思うのだけれど、
それが今は近視眼的な自己利益の達成に、
多くのリソースが使われているように見える。

こういった個人主義が行き過ぎると、
いずれ社会が持たなくなるのは目に見えている。

だからこそ、
この本にも書かれている、
「社会のための子育て」という視点は、
よりよい社会環境を作る上でも欠かせない要素だと思う。


などなど、
最後らへんの、
宮台真司の選民思想的な発言は少々鼻につくが、
全体としてはとても面白く読んだ。

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2011年09月26日

Posted by ブクログ

東浩紀と宮台真司の対談本。
小さな子どもを持つ父親、という視点から、子どもを通じて現代社会を考察する。
育児本ではない。

二人の言ってることはどれももっともなことだと思う。
でも対談本だから「言論人の本音」に近いところがあからさまに出ていて、
それは少しいやだ。
言論人は基本的に選民思想というか、自分たちが「デキル人間」だと強く思っている。(実際彼らはデキル人間だし、それを否定するつもりはない)
そして、意識的なのか無意識的なのかは知らないけれど、そういう「デキル人間」ではない人たちのことをあからさまに見下した発言をすることがある。
宮台の「幸せになれない人間」とか。
「基本的なソーシャルスキルがない子どもたちをどうすればよいのか?
→宮台「「分断」です。いま申し上げたことがわかっている人間同士で相互扶助のネットワークを
つくってリソースをシェアしていくしかないということです。」p215-216一部
言いたいことはわかるし、その上流階級でまず実績を積み上げたあと、外部へ~という
彼の論も分からなくはないけれど、なんだか嫌悪感。
できない側の人間のただのコンプレックスかもしれない。


それはおいといて。



・子どもができて驚いたのは、新住民が本当に子どもがきっかけで旧住民ネットワークに入れることです p40
・子どもにとっては根無し草という概念はありえません p42

・託児室をめぐる悪循環 p91
・ノイズ耐性のない親子 p118
・学区的共同体の再構築 p168

あたりが目についた。
さらっと読む本。

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2011年06月08日

Posted by ブクログ

私は子供が生まれることで、世界の見方が大きく変わりました。
社会にコミットしていかないと、と強く思ったわけです。
自分にできることに限りはありますが、しかしできる範囲で最大限努力をしていく。
我が子や孫の世代のためにも、社会がすこしでも良い方向に進めばと思うわけです。
現代の論客のお二人だからこそ、日本社会をここまで掘り下げてくれています。

小さなお子さんを持つ父親の皆さん、是非ご一読を!

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2011年05月29日

Posted by ブクログ

 主としてコミュニケーション能力に起因する問題について議論が進められていき、エリート目線の宮台に東が疑問を提示する形でのやり取りなどは読み物としても非常に面白い。
 しかし、ちょうど同年代の幼い娘をもつ父親としては、まったりと子育てを語る第1章に惹かれる。
 実際に幼児を抱えて世界の見え方がガラリと変わってしまう体験をしている身として、ただ単純に共感しちゃうんだもの。
 子供を介しての地域ネットワークへの繋がりとか、ショッピングモールなどに対する見方とか。
 この感覚はおそらく子供のいない方には理解不能なものだろうし、逆にもっと子供が大きく成長してる親御さんにとっては「はぁ?」というものであろうけれど。

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2011年02月10日

Posted by ブクログ

頭の悪い私は途中から議論についていけなくなった…(涙目)

そんな身分でレビューを記すのはあれなので、備忘録的に自分が思ったことを記しておく。

自分は「親」でありたい。
親になれば、子どもの存在が故に、
地域その他色々なコミュニティに否応がなしに関与することになる。
この本でいうところの「グルーブワーク能力」が求められる。

人ってのは色んな顔を持っている存在であって、各コミュニティで担う役割も違ってくる。
また、全ての役割を担うこともできないから、相互のコミュニケーションで扶助し合うことになる。

「親」とはそれを実践する存在であって、その背中を見て、というか真似して育つ。
そんな親子関係が築けたらいいなと。

でも、実はそういう関係性を築く素地というのは、
自分が親を真似て育ってきている以上、親の影響が大きい。

私の場合、親には精一杯努力してもらったと感じているが、果たしてどうなるだろうか。
少なくとも大学に入った頃は、
まさにこの本のいう「不幸せそうな◯大生」だった訳で、非常に前途多難(笑)

なので、子どもに様々なコミュニティでの人間関係構築を体験させたいという思いと同時に、
自分も様々なコミュニティに積極的に参加する姿勢が求められるような気がした。

そんな学びを得られたので、読んでよかったと思う。

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2010年09月28日

Posted by ブクログ

小難しい記述が多々あるが、お二人の間の年齢で、子どもが同じ年代と言うこともあり、
書いてある内容については、同意できるものが、たくさんあった。

自分がなんとなく思っていたことが、文字となって書かれていて
自分と同じ考えの人が知識人にいると言うことが分かり、勇気をもらった気がした。

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2010年09月28日

Posted by ブクログ

【314冊目】批評家の東浩紀さんと、社会学者の宮台真司さんが父親になられてからの考察を対話形式にしてしたためたもの。2010年出版。論壇では時の人であったこともあり、従来からお二人の議論を追っている人には目新しさはないのかもしれないが、私は興味深く拝読。

 「大きな政府」ではなく「大きな社会」という相互扶助のネットワークを構築していかないといけない。だけど、絆を構築・維持するには相応のコストが必要で、その覚悟が日本人には希薄。今後は個人のスキルを磨くことよりも、スキルのある誰かと繋がれるコミュニケーション能力が大切で、そうした能力を培うことが教育の目的…というのが大まかな議論の流れかな?

 上記議論の多くを構成しているのは宮台氏の主張で、私の印象では、お子さんができたからこう主張しているのではなく従前からのお考えを披瀝しているだけに過ぎなさそう笑。なので、父になったからといって新しい発想に立ったわけではなく、単にこれまでのお考えが強化されただけなのかも。
 本書は後半になるにつれて、「父として考えているのはどの部分?」と首を傾げながら読み進めることが増えるので笑、その点は注意。前半の、子連れでも行きやすい郊外型ショッピングセンター必要論とか、子とのふれ合い時間を増やすために狭小でも職住近接肯定論は、父として考えているのかもしれないです笑

 印象的なのは、子どもを作らない・作れない人は、その分、社会や共同体を維持するためのコストを余計に支払うべきという両氏の主張。これは岸田政権による「異次元の少子化対策」を待つまでもなくツイッター上で散見される「子づれさま」論争への答えのひとつでしょう。子どもがいなければ共同体は維持できないのだから、その負担を保護者にだけ負わせ、子のない方にフリーライドさせることは不公平という主張は、子持ちの方々は口に出さないまでも薄々みんな感じていることなのではないでしょうか…子を持たないことには人それぞれ事情があるので、普通は口にしませんけれど。

 社会階層によって分断された社会に生きるのではなく、様々な背景を持った人々が交流する空間が大切であり、そこで生きるためにコミュニケーション能力が必須のスキルとなるというのが宮台氏の主張。ただ、あとがきではご自身の幼少期(京都にお住まいのころ、ヤクザの子どもとも交わっていたとか。)を論拠にされていて、残念。すでに存在しないものを懐かしみ、「俺が小さい頃は良かった」的懐古主義的な発想という後味になってしまいました。

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2023年06月18日

Posted by ブクログ

2022.2.24
ちょっと古い本だが古本屋で手にとった。
今でも的を得ていると思うし、最大のリスクヘッジはコミュニティとそれを形成する為のコミュニケーションスキルというのは理解できる。

お2人のお子さんもいまでは高校生くらいか?今時点のお2人の対談も聴いてみたいと思った。

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2022年02月25日

Posted by ブクログ

東と北田暁大が編集を担当している『思想地図』(NHK出版)に収録された対談に、あらたにおこなわれた対談を増補した本です。

最初のほうでは、ともに幼い娘をさずかった両者が、それぞれの子育てにおける体験などを語りあっていますが、しだいに日本社会の現状を批判し、あるべき共同体のかたちについての議論へとシフトしていきます。ただし、基本的には宮台が議論をリードしており、『一般意志2.0―ルソー、フロイト、グーグル』(講談社文庫)で社会思想を展開した東は、最初のほうでショッピング・モールの意義についてすこし独自の見解を語っているほかには、あまり踏み込んだ議論を展開していません。

宮台の議論は、「コミュニケーション・スキルを磨け」といっていたころとおなじ主張を社会のありかたにまで敷衍したもので、首尾一貫していることはよいのかもしれませんが、彼にとって父になったことはけっきょくのところ従来の彼自身の立場を確認するためのものでしかなかったのかという疑問もおぼえます。

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2019年09月18日

Posted by ブクログ

地域とのつながりとか、子育てをしないと見えないことってたくさんあるんだなぁ。二人か子育てを客観的に観察してるのが面白い。

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2014年05月12日

Posted by ブクログ

正直、余り内容の濃い本ではなかったが、読みやすく、今の私にはそれなりに示唆的な本。
また、宮台氏の著作や思想は比較的好きだったが、今回は、彼の限界のようなものを感じた。

東氏との対比で浮かび上がったものだが、宮台氏は非常に鋭く、分析的で構造的なのだが、人間に対する洞察が深くないような気がする。早い話が頭の良いおぼっちゃん、という印象。
子どもを捉える視線が、我が子であってもただの観察対象でしかないような気がしてしまう。
もちろん、本人は子どもを愛している、というのだが、自己愛の延長線上にある愛のような気がする。

一方の東氏は、歯切れが悪い。だが、そこには、自身にすべてを委ね、そして日々新たになる特別な個体に毎日触れる中での戸惑いが現れていて、共感ができ、また真実味がある。
おそらく、彼は、娘と「一緒にいる」時間が多いのだろう。一方で、宮台氏は余り多くない時間を娘と過ごし、そこでさっと眺め取った娘の姿を、自身の世界の中にあてはめて理論構築をしていく、という作業を行っているのだろう(しかも、自身の娘の一部の側面での事象を世界の事象に拡大解釈する傾向があるように思える)。
そこには本質的に対象を理解しようという姿勢が大きく違う。

以下、気になったところを。
・絆コスト
・日本には「大家族時代」なんて存在しなかった
・「大きな社会」。公的な活動に市民が参加し、社会をつくっていけば、「貧しいながらも楽しい地域」が実現できる。それしか道はない。
・コミュニケーション能力がすべて。子どもはそれをどこで培うか。
 子どもは「親⇒子ども」のコミュニケーションから多くを学び、習う。

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2013年04月15日

Posted by ブクログ

前に読んだ堀江さんの本と同様、贅肉をそぎおとして、とんがった表現にて、「父として考える」ディスカッションを実施し、Twitter導入後の社会変革なども両者の独自の主眼にて論旨展開。異論反論は、あるだろうが大変面白かった。一つ残念なのは、後半はこども論的なトピックから離れてしまい、論段が難解になり少なくとも僕はついていけなくなってしまった点。引用を二件、

社会システムにおいてはオフラインの欠落をオンラインでは埋められない。「現実」にダメなやつが「ネット」で回復できるのは自意識においてだけで、社会の枢要な領域では「現実」にダメなやつは「ネット」でどうあろうが永久にダメだということです。

こどもは、知識やしつけから学ぶのではなく、体験から学ぶということです。体験から学んだ子だけが、知識やしつけを幸せのために役立てることが出来ます。なぜか。理由は簡単です。「ひとを幸せにできるひとだけが、幸せになれる」ことを学ぶからです。これを学べない子が幸せになることは、絶対にありません。

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2012年08月06日

Posted by ブクログ

ネタバレ

新進気鋭の二人。思想家と学者の「家庭観」について。

まえがきにあったように、東氏は明らかにアウェイ感の否めないダイアログが続いていて、それはそれで読んでいて楽しい。

どこか「絶対感」的言動が多い東氏が、こと家族観になると、一歩引いて話しているところが、彼もやはり人間(笑)と思わせる。氏の他作と会社経営などの多角的活躍を考えると、これはアウェイでも仕方ないのかもしれないけれど。
娘について真剣に考える一人の人間になっていた。

一方、宮代氏は通常通りというか、家庭第一主義。言動は結婚し、子どもを持ってずいぶん変わってきたことを裏付ける結果になっている。

もともと東大大学院でテレクラ研究者と揶揄されるほど通俗的な世界にどっぷりと嵌って研究していた、ある種「偏向的」だった学者が、やはり家庭というものの中で変容を遂げ、人間としての違うフェイズを手に入れたのが伺える貴重な面が見えた。

おたくと学者といえども、家庭観について語りだすとはっきりいって通俗的な一般論にどうしても向かってしまうというところが面白かった。

内容としては子どもを持つ親としてのごく当然の思想についてと、社会の中で「子どもを持つということ」が実際どんな不利益と利益をもたらしているか。社会制度として(主に制度の話としてみるほうがわかり易い)何が足りしていて、何が足りていないか。
親は何を考えて、何を考えるべきでないか。

などを押し付けがましくはなく、淡々と学者たちが語っているというところ。

昔、大江健三郎も教育や子育てと社会のすり合わせについて語っていたが、あれが確か70年代。あれから社会構造というものや、子育てに対しての社会意識というものは大して変わっていないのかもしれない。

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2011年06月14日

Posted by ブクログ

[ 内容 ]
娘ができて初めて見えた日本社会の問題点とは?
若者の非婚や少子化をいかに乗り越えるか?
育児体験の比較から、教育問題や男女のパートナーシップのあり方までを論じ、「子ども手当」など保育支援策を検討。
ツイッターなど新メディアを利用した民主主義の新たな可能性まで、今日の知的課題をも浮き上がらせる白熱の討論。

[ 目次 ]
第1章 親子コミュニケーションのゆくえ―家族を考える(時間感覚の変化;宮崎アニメへの反応 ほか)
第2章 子育てを支える環境―社会を考える(ロスジェネ系議論の問題点;専業主婦願望の背景 ほか)
第3章 均質化する学校空間―教育を考える(グループワークができない子どもたち;なぜ班活動は衰退したのか ほか)
第4章 コネ階級社会の登場―民主主義を考える(運命の出会いと必然性信仰;バックドア問題 ほか)

[ POP ]


[ おすすめ度 ]

☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)

[ 関連図書 ]


[ 参考となる書評 ]

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2011年06月02日

Posted by ブクログ

・近隣ネットワークから外れてまで私立校に行かせるメリットは?
・異性にモテる>勉強ができる
・グループワーク中心のフィンランド
・ノイズ耐性のなさすぎる親子
・女子と仲良くなる能力=子供と仲良くなる能力
・遊びからの学び>ルールからの学び
・他人の強みを拝借する能力

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2011年02月13日

Posted by ブクログ

 そこはかなとなく、ホモソーシャル臭がぷーんと香っていた。
 注釈がある程度充実しているので楽しかった。ミードといえば、マーガレット・ミードを思い浮かべるが、ジョージ・ハーバート・ミードという方もいらっしゃるらしい。
 四章に書かれている虚数の話がおもしろかった。ロマンチシズムや余白なしの、リアリズムはない。
 「絆コストなくして絆なし」、っていうのは覚えておきたい。
 字面や主義主張、研究者のパーソナリティーなどにとらわれすぎずに書物を読むやり方を今後模索したいものだ。

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2010年11月23日

Posted by ブクログ

人を幸せにできるひとだけが、幸せになれる。他者と交わるノイズ耐性やグループワーク力のない子供や若者、親が増えている。
昔で言う地元で、ガキ大将がいて、他者と交わって、教えてくれる仲間をリスペクトしたり、という事が必要だ。
それを変えるには、①男性もWMのように仕事と家庭を混ぜて、ノイズに強くなる生活にしてみる。制限された中で対応する力が必要。②コミュニケーション能力=コネを競い合う階級社会にする。親子も複数のコミュニティーに属し、自分がリーダーになれる時もあれば、人に教えてもらう立場も経験することが必要なのだろう。③自分がハブになる。ツイッターでフォロワーの立場だけの人も必要だが、ハブになることを意識が重要なのだろう。

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2010年11月16日

Posted by ブクログ

2章までは2人の話がかみ合ってて面白いんだけど、3章からは宮台さんの研究発表に東さんが相槌を打ってるだけみたいになってしまうのが残念。
それと、父親になると地域社会にコミットせざるを得ないと言うけれど、大学の関係でとある市の子育て支援課にインタビューに行って聞いてきた話によると、父親は依然として地域の子育てコミュニティに参画していない・できない現状があるそうだし、実際自分の父親もご近所付き合いなんて一切しない人で、それでやっていけていたのを目にしている。そりゃ、大学教授みたいな職業なら、論文書く気分転換にお散歩に出てご近所さんにご挨拶する機会なんかは多くなるのかもしれないけど・・・なんだか、宮台さんという人は視野が広いようで狭い印象をどこか受ける。

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2010年11月06日

「社会・政治」ランキング