東浩紀のレビュー一覧

  • ゲンロン12

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    東浩紀の訂正可能性の哲学。公共性を開放性ではなく、訂正可能性としてとらえるという新しい哲学。そして東的な家族という概念。とても熱くなった。

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    2022年01月28日
  • 私たちはどう生きるか コロナ後の世界を語る2

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    20人によるエッセイ。
    共感できる話が一つや二つはあるのではないでしょうか。
    私は瀬戸内寂聴さんでした。

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    2021年09月27日
  • これからの教養 激変する世界を生き抜くための知の11講

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    11のエリアの第一人者との対談。非常に為になった。個人的な関心の重みもあり、中でも、東浩紀氏、石川善樹氏、水野和夫氏、平野啓一郎氏、山極寿一氏のパートは示唆に富んだ内容であると感じた。

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    2021年09月26日
  • ゲンロン戦記 「知の観客」をつくる

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    言葉では伝わらないこと、オンラインでは伝わらないこと、商業ベースじゃないとできないこと、でもスケールを追っててはできないこと、「仲間」となにかを成し遂げることの難しさ、仲間の存在のありがたさ、意図せぬ偶然の必要性、などなどいろんな示唆が詰まった本だった。
    この本では著者の仕事の中身である哲学?についてはそこまで深く書かれていなかったけど、日常の仕事とかキャリアにおいて失敗して仲間に支えられて内省して成長して少しずつ前に進んでみたいな過程を振り返るというか考えること自体が哲学なのかもしれないと思った。いろいろ考えている人は深みがあってかっこいいなと思った。
    ゲンロンのコンテンツにも触れてみようと興味を持った。

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    2021年09月25日
  • これからの教養 激変する世界を生き抜くための知の11講

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    11人の識者へのインタビュー集。編者の好みなのか分野と言葉は違えど、思い描いている未来社会は似通っている人選のようにも思えます。気になる人物ばかりだったので問題ないですが。

    近代の強い個を持続できるほど人間は強くなく、場の関係性の上に柔らかい弱い個をなんとか保っているのが実情。そんな個人でも生きやすい社会制度へと変えていく時代に来たのかな。

    「欲望のエデュケーション」といった気づきのような新しい啓蒙の形で、これから価値観変更を優しく迫るお知らせが来るのだと思うw

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    2021年08月23日
  • ゲンロン戦記 「知の観客」をつくる

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    東さんの著書に哲学の誤配というのがあって、興味はあってもまだ読んだことはないのだが、この本でいう誤配とこのゲンロン戦記で度々出てくる誤配は同じなのだろうか気になったので、次は哲学の誤配を読んでみたいと思う。
    最後のあとがきで著者がいう様にこれは私小説なのだろう。
    だから、まぁ、特に東さんその人に肩入れするわけではないので、途中何を読んでいるのかなという気にもさせられたが、でも話は面白く、他の著書、といってもまだ2冊しか読んでいないけれど、この人は自分の失敗を赤裸々に告白してさらにきちんと謝るべきことは謝っている態度が一貫しているなというのが印象に残る人なので、このゲンロン戦記も同じ印象を持てる話で最後まで潔さが感じられて良かった。
    ある人やある考え方について、信じる人そしてアンチな人という二極化ではなく、必要なのは冷静だけど寄り添ってくれる「観光客」が必要なのだという。まだ、買っておいて読んでいない観光客の哲学も早く読んでみて、東さんの言う観光客についてもっと深く理解したい。
    ゲンロンか…友の会、入ってみようかな。

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    2021年08月21日
  • 新記号論 脳とメディアが出会うとき

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    ネット社会となった今を生きるということについて、人間の自由について、脳神経科学を踏まえた哲学としての説明がされている。スッと入ってくるところが多かった。
    いつの時代も、人との繋がりの中にしか自分を見出せないだろう。メディアが変わっても、不器用でも粘り強く、勇気を持って向き合っていくしかない。改めて感じた。

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    2021年07月22日
  • ゲンロン0 観光客の哲学

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    第一部は間違いなく面白かった。文章がうまいので分かったような気になる。新鮮な気持ちで読めた。哲学では避けようがないのかもしれないが引用に次ぐ引用に少し辟易する部分も。最後のドストエフスキーの部分はほとんどついていけなかった。

    ●観光客の哲学
    ・観光
    ・二次創作
    ・政治とその外部
    ・二層構造
    ・郵便的マルチチュードへ
    ●家族の哲学(序論)
    ・家族
    ・不気味なもの
    ・ドストエフスキーの最後の主体

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    2021年06月05日
  • 弱いつながり 検索ワードを探す旅

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    読んで良かった!

    確かに、ネットだけでは、自分の興味のあることばかり検索してしまいます。

    まずは、色々なことに興味を持つ欲望を持てることが大切。そのためには実際のモノに触れる。実際のモノに会うために、観光は丁度良い。

    今まで観光って、古臭いものかもと思っていたが、結構いいものなんですね。

    いつもと違う検索ワードで検索するということは、今までの自分を超えていくことなのかも。
    でも、観光なら自分にもできるかもと嬉しくなりました。

    今は、コロナで遠出できませんが、いつも観光気分を忘れないようにしたいですね。

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    2021年04月26日
  • ゲーム的リアリズムの誕生 動物化するポストモダン2

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    面白く読めました。環境分析的な読解とは、どういったものか?読むと分かります。
    あと、最後の参考文献は、結構読んでいたけど、それを使ってこんな風に本が書けるとは!
    自分には、本を書くのは、難しいのかな?とも思いました。

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    2021年03月28日
  • 弱いつながり 検索ワードを探す旅

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    筆者が伝えたいであろうことを、これほど!と言うくらいに噛み砕いて説明している。ゆえに読みやすく分かりやすい。

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    2021年02月28日
  • ゲンロン戦記 「知の観客」をつくる

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    哲学者が起業し苦労した10年間の経緯。私のような「亜^3インテリ」を啓蒙してくれた貴重な一冊。  東浩紀氏を初めて見たのは、「朝まで生テレビ」だったと思う。訳のわからない発言をし続ける司会者にキレて、スタジオから出て行った姿が印象的だった。それから彼のTwitterをフォローしたりゲンロンの本を読んできた。一昨年の突然の騒動も衝撃だった。いったい何があったのか??????

     先日、本屋でこの本を見かけて即購入した。購入したものの、彼は哲学者だ。難しい哲学を展開されても、、、と心配しながらページを開いたが、一般読者にもわかりやすく書いてあるので読みやすかった。

     そもそも彼の専門の哲学の話ではなく、ゲンロンという会社を起業してからの失敗や成功や筆者自身の成長について書かれているので、難しい話は全くない。しかし、為になる話満載である。

     「誤配」「観光」などキーワードを散りばめながらゲンロンという会社、ゲンロンカフェ、ゲンロンスクールの意義や効果について述べている。

     ゲンロンが教育機関やNPO法人ではなく株式会社である理由について東氏は、商売抜きの世界では「信者」と「アンチ」の二項対立を生み出しやすいが、自分たちは第三者(観客)が必要だと思っている。人は誰でも観客がいなくなり、「信者」と「アンチ」だけになるとすぐ言葉も作品も堕落してしまう。(今、ネット空間をはじめ、マスコミや政治、一般社会で起こっていることはそう言うことなのだと私は思った。)「村人(信者)」と「よそもの(アンチ)」という世界を分断する単純な思考から抜け出し、第三者を集めるには商売をする(ゲンロンを経営する)しかないと述べる。

     彼は「哲学は生きられねばならない。そして哲学が生きられるためには、だれかが哲学を生きているすがたを見せねばならない。」と言う。机上の哲学者ではなく、哲学の実践者になりたいということだ。カッコいい。

     東さん、私はこの本でちゃんと啓蒙されましたよ。

     

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    2026年01月18日
  • クリュセの魚

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    地球歴の2445年には火星の開発がかなり進んでいる。
    テラフォーミングがなされ、人が住むことができるようになり、都市ができた。
    さらに、火星の技術力は地球を超えるまでになっている。

    しかし、地球と火星間の移動には片道4日~1カ月を要し、それが交易の壁となっていた。
    そのため、地球の国家の支配を受けることもなく、火星は地球の国際法上は国家として認められていないものの、独立した存在となっていた。

    ところが、異星文明のワームホールゲートが発見された。
    地球から火星に瞬時に移動が可能となるこのゲートを、地球と火星それぞれに設置する計画が持ち上がった。
    火星の人々は危惧した。
    地球人が火星に押し寄せ、火星の資源が奪われるのではないか?
    そのため、抗議活動や独立運動が起こるようになった。

    そんな時代に、11歳の葦船彰人は火星の開星記念堂で16歳の大島麻理沙と出会い、恋に落ちる。
    それから何度か逢瀬を重ねていくが、麻理沙は謎めいた部分が多く、どこか神聖な存在だった。

    16歳になった彰人は火星軌道エレベーターでボランティアを行っており、そこに麻理沙を誘う。
    中継基地に接近する、火星の衛星であるフォボスを見るためだ。
    このときも麻理沙は不可解な言動が多く、個人認証には偽名が表示されていた。
    彰人はそれらから目をそらして、麻理沙と手をつなぎ、基地内の自分の居住区へと向かう。
    「彰人くんが選ぶなら、それが運命だったんだよ―わたしたちの」
    そうつぶやく麻理沙を抱き、朝を迎える。
    彰人に背を向ける麻理沙は、窓から火星の赤い大地を見下ろす。
    横顔は太陽にうっすらと照らされ、彰人にはその肩甲骨が羽をもぎとられた痕のように映る。
    そして、麻理沙は「きっと戦争になるね」と呟く。
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    この軌道エレベーターのシーンがたまらなくいい。
    麻理沙のミステリアスな部分と、美しさと、「これから世界はどうなってしまうんだ!」っていうSFの壮大さが全部ぎゅっと押し込められていて、どきどきした。
    2人の出会いのクリュセの魚のシーンも情緒があって、印象的なシーンをつくるのがうまい。

    それだけに、ラストはもう少し感情的に仕上げてもよかったように思う。
    盛り上がりに欠けるとまでは言わないが、どこか静かだった。
    終盤にかけてSF用語が頻出するので、文章を読む流れが変わったことも影響しているかもしれない。

    最終的な彰人の選択には脱帽だった。
    てっきり、あの提案を受け入れるものだと思っていた。
    これこそが、本来人間がもつべき力だと感じた。

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    2020年10月07日
  • 一般意志2.0 ルソー、フロイト、グーグル

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    一般意志

    ルソーの一般意志という概念を現代に蘇らせ、選挙や政治のない、欲望の集約が粛々と行われる新しい民主主義のあり方を論じた本。
    一般意志という空気感をTwitterやニコニコ動画のイメージで技術的に可視化し、専門家の議論に制約を設ける。

    たしかに技術的には出来そうだけど、実際はそんな既得権益を洗い流すようなことは無理だよね、というベーシックインカムに似た感想を持った。

    また、SNSの一部の暴力性が問題となっている昨今の状況を踏まえると、一般意志の収集方法として人々の自発的な発信の集合を用いるのは筋がいいと思えない。Googleの検索履歴のような無意識の欲望はアリだと思う。

    日本の新しい民主主義のかたちが見えるかもと思って手に取ったが、日本のようながんじがらめな国ではなく、もっと小国から実装が現実的であろう。


    以下メモ

    ◯ルソーとは
    ルソーは個人の社会制約からの解放、孤独と自由の価値を訴えながら、同時に故人と国家の絶対的融合、個人の全体への無条件の包含を主張した思想家。

    人間嫌いでひきこもりで、ロマンティックで、繊細でいささか被害妄想気味な人物。
    パリで長いこと過ごしながらも社交場に馴染めず田舎に移り、新エロイーズ等の恋愛小説はヒットした。

    ◯集合知の有用性
    構成員個人の多様性が群衆の予測の正確性を増す多様性予測定理と、群衆の予測が構成員の平均的な予測よりも必ず正確になる群衆は平均を超える法則により、集合知は有用。

    孤独な存在である人は自然状態では維持できず、社会を作らざるをえない。そこで社会契約を結ぶ。
    個人が共同体に権利を譲渡し、個人意思の集合体である一般意志に市民は従う。この発想は全体主義を想起させる。

    最初に社会契約があり、最後に統治機構が設定されるという順番が非常に重要。政府といった統治機構はあくまで一般意志の執行機関にすぎない

    ◯一般意志とは
    ・一般意志とは政府の意思でも個人の意思の総和でもなく、数学的存在で、個人の意思の総和から相反するベクトルを除いたもの

    ・ルソーは議会政治や政党の価値を認めていない。情報は与えられるべきだが、討議や意見調整の必要性を認めていない、差異が減ってしまうから。政治にコミュニケーションは必要ない。

    Googleは意見交換もなく、検索により一般意志を形成している。一般意志とはデータベース。

    複雑化し情報技術によりあまりにも可視化され情報が溢れた。議論を始めるための出発点の共有が難しい。ネットに満ちたコミュニケーションは公共的な理性の場に導かない。

    メディアもGoogleも情報を減らす、複雑さを減らすことに価値があり、そこにお金を払う。
    自分たちが何を本当に必要としているのか、私たち自身がわかっていないのではないか、無意識の欲望を探り可視化する装置を必要としている

    ネットは無意識を可視化している、Googleは内容を一切考慮せず、ポジネが関係なく貼られたリンクの数でページの重要度を決めている。

    ◯総記録社会
    ・政府(公)と民間(私)の垣根を超えた市民生活全てを覆うサービスプラットフォーム(共)
    ・21世紀の国家2.0において、意識的な全体意思(一般意志1.0)と無意識的な一般意志2.0といつ分裂した両者の相克のバランスとして捉えるべきではないか。熟議の限界をデータベースで補い、データベースの専制を熟議の論議で押さえ込む国家。
    ・可視化された大衆の欲望という無意識は、社会を運営する上での条件、OSのような位置づけになる。

    ・政府と大衆を選良と大衆と捉えるべきではない、選良だと思われている人もある特定分野の専門家であるだけで、ポジショントークになりうるし、そのほかの部分では大衆と変わらない。
    ・ナショナリズムが魅力的なのは情動に根差しているから、すなわち無意識を拾い上げている。これに論理で対抗しても響かない。


    ◯一般意志の負の側面
    ・ルソーからの二世期半の間に一般意志が如何に移り期で残酷か、国家のナショナリズムに導かれて如何に暴力的になるかという危険性を思い知った期間だった。

    ・その間に生きたフロイトは無意識は制御されるもので、その制御が壊れることで人は病に陥ると考えた。その治療法は無意識の欲望を露悪的なまでに言語化することで進める。このアプローチが必要ではないか。

    ◯熟議と一般意志の融合
    ・大衆の無意識を如何に可視化し、専門家の熟議の場に介入させるか、そのインターフェース設計
    ・十分な議論を経た否の打ちどころのない合意も人々の欲望に支えられなければ力を持たないし、高邁な理念と開かれた制度も誰も参加欲がなけれび形骸化する。政治の困難は欲望の欠如にある。
    ・専門家と政治家の会議の場をネットに開放し、あくまで彼らの場としながら聴衆の感想を大規模に収集して可視化、議論の制約条件にする。
    ・全省庁や委員会を例外なく中継する可視化国家。リアルタイムなみんなの反映
    ・国家の運営を直接国民に委ねることは提案してない。膨大な知識を一人一人が身につけるのは不可能。ゼロベースではなくあるものへのツッコミとして使う。

    ◯ユートピアとは
    ・感情こそが世界を作る
    ・ユートピアは価値観ゼロ、生活様式ゼロの透明な存在、多様性が前提の統一された理想がない世界

    ◯夢を語る
    ・最小国家が暴力を管理し治安を維持する装置としてのみ存在(外交と防衛、警察)。理念や主義には関わらない
    ・動物的な生の安全は国家が保障し、人間的な生の自由は市場が提供


    人間は自分の欲望を知らないという主張は今も認知科学や行動経済学

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    2020年09月06日
  • 弱いつながり 検索ワードを探す旅

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    とてもわかり易い。
    普段の生活ではついつい相対化して人間(自分含めて)の愚かさに絶望してしまいがちだけど、この本を読んで多少元気になった。
    多少というのは、読んだことですぐにでも旅行に行きたくなったが、行くにしても新型コロナのため気を使うことが多く腰が重くなる…。

    すぐに行けないにしても、書かれている内容に元気づけられた。
    日々なんだかクサクサするのは、所詮頭で考えた予測可能で(記号)効率的なことばかりだから。予測/制御できない身体や偶然(非記号)や非効率的なことに身をまかせることで、日常ではたどり着けない記号に出会え新しい欲望が生まれる。

    体力勝負と消耗戦のくだりも膝うち度高。ほんとそういう場面を減らしていきたい。

    バンコクのターミナル21も行ってみたい。

    解説も愛に触れつつ語られていて熱かった。新しい「カゾク」について自分でも考えていきたい。

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    2020年07月23日
  • ゲーム的リアリズムの誕生 動物化するポストモダン2

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    批評家 東浩紀氏が2007年に発表した著作。大きな物語が終焉を迎え、個々の物語にシフトした現代を呼称するポストモダンをオタク文化から眺める2001年の「動物化するポストモダン」の続編です。今回は、ライトノベルや美少女ゲームをスタートにして、一般文芸へと橋渡ししています。取り扱っている題材から、どうしてもオタク文化論に見えますが、文学論として捉えたほうが良いと思います。

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    2020年07月17日
  • 弱いつながり 検索ワードを探す旅

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    「私は批判が起きる事を良しとして書いていますよ」と批判が起きることを狙っていると先に示してから持論を展開することで、まずは全ての読者に持論に耳を傾けてもらう、という表現スタイルが巧妙だと感じた。そのうえで、
    ・チェルノブイリ観光地化計画
    ・裕福なYOU TUBER達が中流の暮らしを演じていること
    ・観光客として観光地化された場所を巡ること
    などについて述べられている。
    心に残ったのは106ページ113ページ。社会である前に個人対個人の間にある弱い絆が必然であることをルソーを引き合いに出しながら説いている箇所が印象に残った。

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    2020年07月12日
  • ゲーム的リアリズムの誕生 動物化するポストモダン2

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    年明けくらいに本著の前編『動物化するポストモダン』を読みました。そのときに「東氏の著作のつながりが見えてくると面白いのだろうなあ」と記していました(以前のInstagram)。続編である本書はまさにつながりが見えてとても面白かったです。

    「前著を前提としているが,単独でも読めるように書かれている」(p.14)本書ですが,可能であれば前著を読んだ後に読むと議論の深まりが感じられるように思います。

    前著で提案したポストモダン論を礎に,作品を想像する環境が二環境化していること(「現実」と「データベース」)を指摘し,そしてこの論点が既存の文学批評と対応関係を持つことを論じます(自然主義的リアリズムとまんが・アニメ的リアリズム)。

    しかし,既存の文芸批評では評価の低かったメタ物語性(物語の結末が一つに定まらない)をもつゲーム的な小説が,メディアという視点(コンテンツ志向メディアとコミュニケーション志向メディア)を加えることで,新たな文学の可能性=批評を有することが論じられます(ゲーム的リアリズムの誕生)。

    物語の読解から物語の構造の読解へ。「自然主義的な素朴な読解と異なり,物語と現実のあいだに環境の効果を挟み込んで作品を読解するような,いささか複雑な方法」(p.157,傍点省略)である環境分析的な読解へ。

    文学論でもあり,メディア論でもあり,批評の方法論としても読める貴重な本かと思いました。

    ところで,ポストモダン化に伴う作品の変化として以下のことが指摘されていました。

    「自然主義の足枷から解放され,面倒な情景描写や人物設定をする必要を感じない若い作家たちは,その多くが,読者への刺激を最大限かつ最速にするため,サブカルチャー的な記号をできるだけ効率よく配置しようと試み始めている。つまりは,分かりやすい展開を備えた印象的なキャラクターと,同じく分かりやすい展開を備えた類型的な物語を組み合わせ,そのうえでいかにディテールを積みあげて読者の心を動かすか,という点に作家の関心が移っている。(p.299)

    先日,『ぼくは愛を証明しようと思う。』の読書感想で「物語のプロットはありきたりです」と記しましたが,この指摘を踏まえて考えると違う読解ができるなと思いました。

    物語のプロットがありきたりなのも,登場人物がよくある感じ(非モテ男性とマッチョイズムなモテ男性)なのも,ディテール(恋愛工学)による読者へのインパクトに関心があったからなのかな,と。そしてそれが功を奏していて,『ぼくは愛を証明しようと思う。』を読むと,心だけでなく身体も動かす影響力を持っている。そのようにも読解できるなと思いました。

    いつの時代の本なのか?という視点で小説を読むのも面白いなと思いました。
     

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    2020年05月01日
  • 弱いつながり 検索ワードを探す旅

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    東浩紀(1971年~)氏は、東大教養学部卒の、批評家、哲学者、小説家。
    1999年に発表したデビュー作『存在論的、郵便的 ジャック・デリダについて』は、浅田彰氏が「自著『構造と力』が過去のものとなった」と評して脚光を浴び、哲学書としては異例のベストセラーとなった。
    領域横断的な「知のプラットフォーム」の構築を目指して2010年に創業した(株)ゲンロンでは、批評誌『ゲンロン』や書籍の出版のほか、カフェイベントの主催やアート・カルチャースクールの運営なども行っている。
    本書は、2014年に出版され、2016年に文庫化された。
    本書の「はじめに」には次のように書かれている。「ぼくたちは環境に規定されています。「かけがえのない個人」などというものは存在しません。ぼくたちが考えること、思いつくこと、欲望することは、たいてい環境から予測可能なことでしかない。あなたは、あなたの環境から予測されるパラメータの集合でしかない。・・・しかしそれでも、多くのひとは、たったいちどの人生を、かけがえのないものとして生きたいと願っているはずです。・・・ここにこそ、人間を苦しめる大きな矛盾があります。・・・その矛盾を乗り越える・・・有効な方法は、ただひとつ。・・・環境を意図的に変えることです。」
    著者は、グーグル等のカスタマイズ検索の進化により、我々はネットによっては他者の規定した世界でしかものを考えられなくなっており、その統制から逃れるためにグーグルが予測できない言葉で検索すること、即ち自分の環境を意図的に変えて、自分に定期的にノイズを入れることにより、グーグルが与えた検索ワードを意図的に裏切ることが必要だと言う。そして、それは、自分を深めていく「強い絆」のほかに、自分の人生をかけがえのないものにするために「弱い絆」を取り入れていくことであり、そのためには、偶然の出会いを見つけるために身体の移動、旅が必要だと語っているのだ。
    本書が発表されてから僅か5年ほどであるが、近年の(個人)情報のビッグデータ化は目覚ましく、我々はあらゆる言動をGAFA等に(中国などでは“当局に”)把握され、知らず知らずのうちに、思考や行動を監視され、更には誘導さえされている。これは究極的には、オルダス・ハクスリーのディストピア小説の古典『すばらしき新世界』(1932年)が暗示する世界に向かっているともいえる。そうした人間性の否定・喪失を避けるためにも、著者が提唱するような「環境を意図的に変え、ノイズを入れる」という視点は今後一層重要になってくるものと思う。
    ただ、他方で思うのは、「弱い絆」を取り入れるために「強い絆」を否定してしまうことへの違和感である。本書の帯には「人間関係を大切にするな!友人に囚われるな!」とも書かれているのだが、その方向性は本当に「かけがえのない人生」につながるのか。。。
    と考えると、望ましい姿はおそらく、「強い絆」と「弱い絆」のバランスをとった中間にあるということなのだろう。
    ITの進歩した今の時代だからこそ、「弱い絆=弱いつながり」を指向する重要性に気付かせてくれる一冊である。
    (2014年8月了)

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    2020年04月29日
  • ゲンロン0 観光客の哲学

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    ビジネスに染まった生活から距離をおいて物事を捉えるためのガイドとなる。後段の完成稿が読みたくなった。

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    2020年08月04日