東浩紀のレビュー一覧

  • 父として考える

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    最初に読んだ時は全く刺さらなかったのに二回目に読んだ時に刺さりすぎてびっくりした。子育てをするようになったインテリ二人の会話という感じで面白かった。

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    2013年11月07日
  • ゲーム的リアリズムの誕生 動物化するポストモダン2

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    最近のアニメは時間ループものが多いなぁと思っていたら、この本で詳しくそのことが解説されていた。

    ゲームだけでなく、n次創作の文化にすっかり馴染んでしまった私達にはその世界にリアリティーを見出すのもなるほどなー、と思いました。

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    2012年05月23日
  • 父として考える

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    それぞれの子どもを例にあげて対談されているので大変読みやすい。
    ニュータウンなど新住民の多い同質性の高い空間での問題、学力低下問題の考証など、すでに書かれていることでもあるが、更に分かりやすく、面白く読めた。
    子育て政策に対する非子育て独身世帯のある種の不満に対する答えに納得。

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    2012年05月17日
  • 郵便的不安たちβ

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    p22 しかし上述した九○年代の状況は、いまや批評の言語がその特権的役割を担っていないし、またそれを期待されてもいないことを意味している。というのも、メッセージ的強度とメディア的戦略の分割とは、見方を変えれば、アカデミックな批評には思考(メッセージの強度)はあるが日本語(流通可能性)がなく、逆にジャーナリスティックな批評には日本語はあるが思考がないという、思考と日本語の分割にほかならないからである。

    思考のための新しい文体が必要とされるだろう。思考の強度と流通可能性をともに備え、「情報」の横溢のなかを意味を失わずに漂うことのできる日本語(…)。

    ポストモダン再考
    美学的に70年代のハイブリ

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    2012年05月24日
  • リアルのゆくえ おたく/オタクはどう生きるか

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    対談集なので構造的な話題ではないが、示唆に富んでいた。
    対話だからこその、わかりやすさもあった。
    情報があふれて、動物化するというイメージがわかりやすい。
    また、創作が、他者の知識に依存するというはなし(昔からそうだろうけど)も、面白かった。
    物語が無価値化していく、しかし私はそこに抗いたい。

    ただ、世代間のラベル付けのような形式になっているところは、あまりに乱暴な気がして感情移入できなかった

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    2012年03月30日
  • ゲーム的リアリズムの誕生 動物化するポストモダン2

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    ネタバレ

    一章読んでから結構時間が空いてしまってから二章以降を読んだけれど、面白かった。
    とはいっても、本文中にあるような、オタクの中心が美少女ゲームからライトノベルへ移行、からさらにいまは深夜アニメへ、になっているのかな、と思った。そういう所も含めて、2012年になってしまって結構変化してきた事態もあるとおもうので、動ポモ3を期待したいのだけれど、最近はもはや筆者にコンテンツ批評に興味が無いようなので、寂しい限り。。。

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    2012年03月23日
  • ゲーム的リアリズムの誕生 動物化するポストモダン2

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    ライトノベル→キャラクター小説

    自然主義的リアリズム→透明
    まんが・アニメ的リアリズム→不透明
    ゲーム的リアリズム→半透明

    自然主義的読解→物語的主題
    環境分析的読解→構造的主題

    >日本文学は、一〇〇年前に自然主義を輸入し、六〇年前にそれをマンガに輸出し、三〇年前にその理想をあらためてマンガから逆輸入することで、キャラクター小説を生み出したまんが・アニメ的リアリズムには、その理想が屈折して畳みこまれている。その屈折は、キャラクター小説に、いままでの自然主義的な写生とは異なる、「不透明な」表現を可能にする。つまりは、キャラクター小説には、その歴史的な経緯から、近代文学とは異質な文体の可能性

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    2012年03月06日
  • ゲーム的リアリズムの誕生 動物化するポストモダン2

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    先日の芥川賞選考における、石原都知事の「自分の人生を反映したリアリティーがない」との指摘に対する返答である。石原都知事の指摘はある意味でもっともであり、しかしある意味では的外れである。動物化するポストモダンと本著を通読し、その意味が理解できた。そしてそこから今まで考えられることのなかった「寓話的で幻想的でメタ物語的なポストモダンの実存文学」の系譜に目を向けることができる。

    大きな物語の消尽のあと、もはや自分が動物=キャラクターでしかないことを知りながらも、それでも人間=プレイヤーでありたいと願ってしまう私たち自身(東浩紀)の、実存に関わる一読のみならず、人生において何度も読み返したい一冊。

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    2012年02月04日
  • サイバースペースはなぜそう呼ばれるか+

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    情報技術について本質的に考える上で大いに参考になった。

    第一回
    「精神圏 noosphere」(マクルーハン、シャルダンの神秘思想(汎神論的進化論)を援用)
    →マクルーハンはメディア自体に空間性を見ていた。

    - ハイデガー=ヴィリリオ的な、速度=距離的メディア理解
    - マクルーハン的な空間的メディア理解
    ※マクルーハンのメディア理解は、この二つの間を揺れている。

    「サイバースペース cyberspace」はウィリアム・ギブスンの『ニューロマンサー』(1984年)が初出。
    「東京」と「情報/メディア技術」という不気味な諸要素を、地理的遠方に局所化し押さえ込む悪魔祓い。
    →テクノ・オリエンタ

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    2015年10月02日
  • IT時代の震災と核被害

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    あの日、IT企業で何が起こっていたか、から、あの日から、僕らはどこへ向かっていくのか、まで。
    引き受けて考える、ことが、紹介されてる色んな人たちに通奏低音になっていて、宮台さんの文章でしっかりと言語化されて、締まった感じ。いわゆる理系と、いわゆる文系をつなぐ一冊。編集、お疲れさまでした。

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    2011年12月31日
  • 動物化するポストモダン オタクから見た日本社会

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    コミック、アニメ、ゲーム、パソコン、SF、特撮、フィギュアなどに耽溺する
    人々の総称をオタクとして、いわゆるオタク系文化がポストモダン(70年代以降の
    文化的世界)とどう関係しているかを論じた本。

    とくに、コミック、アニメ、ゲームの類に熱中する人々をオタクと呼んでいます。
    アイドルオタクは本書では扱われていません。

    そこで語られるオタクによるアニメキャラの萌え要素への分解、
    材料化がポストモダンの世界の構造と一緒で、
    オタク系文化はポストモダンそのものみたいに言われている。
    言われているというか、看破して論理づけて説明してくれているので、
    それを読む限り、ほぼ間違いなく、オタク系文化はポス

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    2025年06月17日
  • サイバースペースはなぜそう呼ばれるか+

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    むず…むず…むずかしか…た…(瀕死)対談はまだしも各論はもうダメでした、何ヶ月かかったよ読むの…

    ううううーーー…象徴界想像界現実界の話は何度も理解したつもりで何度も解らなくなる。どうも言葉がイメージになって落ちて来ないというか私そんな風に世界を認識してないのかもしかしてこれ。という気すらしてきました…文系ですらなく図系。。。

    ほんとに良くわからんのでしたが、多分これは最新著作の一般意志2.0にどう繋がってったのかを考えた方が解るのかなと思いました。もう何周かしてみるけど解らんダロナー。でもすっごいチカチカするんです、ひらめきそうなイメージが脳裏を掠めてて読まずにいられないー。いつかは自分

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    2011年12月01日
  • 父として考える

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    この二人が「父親」として語るとは。
    関係ないけど、子一人親と子二人親の違いが、実感として読み取れておもしろい。

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    2011年11月10日
  • 父として考える

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    ネタバレ

    前半は子育ての話だけど、後半は両者の展開するいつもの持論。両社会学者の子育て論は意外にも普通。だけどそこが逆に良いのかも。両者とも教育する家族には絶対にならないって述べてるし。東先生の書斎で娘さんが微笑んでいる写真を見て嬉しくなりました。

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    2011年10月24日
  • 父として考える

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    東浩紀と宮台真司の対談本。
    父親の視点から家族・教育・社会等、
    様々な意見を交わし合っている。

    特に最近よく思う、
    フラット化した社会における、
    ダイバーシティ(多様性)の問題が指摘されていたのが興味深かった。

    やっぱり、
    「豊かさ」って「多様さ」だよな。

    業田良家の
    「人類の代表」という短編漫画に、
    「渾沌とは豊饒のことである」
    というようなことが描いてあるのだけれど、
    コミュニティの中に金持ちもいれば貧乏人もい、
    ヤクザもいれば坊主もいる、
    みたいな「無秩序」で「渾沌」とした環境が、
    豊かさの証左なのだと思う。

    こういった豊かな環境が作れる器は、
    日本では「学校」である。

    そして

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    2011年09月26日
  • 父として考える

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    東浩紀と宮台真司の対談本。
    小さな子どもを持つ父親、という視点から、子どもを通じて現代社会を考察する。
    育児本ではない。

    二人の言ってることはどれももっともなことだと思う。
    でも対談本だから「言論人の本音」に近いところがあからさまに出ていて、
    それは少しいやだ。
    言論人は基本的に選民思想というか、自分たちが「デキル人間」だと強く思っている。(実際彼らはデキル人間だし、それを否定するつもりはない)
    そして、意識的なのか無意識的なのかは知らないけれど、そういう「デキル人間」ではない人たちのことをあからさまに見下した発言をすることがある。
    宮台の「幸せになれない人間」とか。
    「基本的なソーシャルス

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    2011年06月08日
  • 父として考える

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    私は子供が生まれることで、世界の見方が大きく変わりました。
    社会にコミットしていかないと、と強く思ったわけです。
    自分にできることに限りはありますが、しかしできる範囲で最大限努力をしていく。
    我が子や孫の世代のためにも、社会がすこしでも良い方向に進めばと思うわけです。
    現代の論客のお二人だからこそ、日本社会をここまで掘り下げてくれています。

    小さなお子さんを持つ父親の皆さん、是非ご一読を!

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    2011年05月29日
  • ゲーム的リアリズムの誕生 動物化するポストモダン2

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    西尾維新や舞城王太郎などの講談社ノベルス作家、馴染み深いハルヒシリーズをとりあげ、それらの作風と絡めながらいわゆるポストモダンの現代社会を批評している。そういうことだったのかと思えるような面白い分析、前作の動物化するポストモダンよりもとっつきやすいかもしれない。

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    2011年04月29日
  • 郵便的不安たちβ

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    ひとは、わかってることしか分からないのかも。知ってること、体験したことに言葉が当てはめられたときに、説論ていうのはカチッとくるものなのかなー。整理されて視界が開ける。確かな快感。それだ、と膝を打つような。あるいは、そういう見方、つなげ方があったか!とか。いずれ、身のうちに既にあるものを見て読んでるー。

    わからないものも沢山読んで、宿題として転がしておくと、十年後とかにカチッときたりする。けど、これは自分がわかる、が後から追いついただけのことだしなん。

    というようなことを延々と考えさせられました。半分くらい、"先生ここわかりません"。批評になると、批評の対象作品まず深読み

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    2011年05月15日
  • ゲーム的リアリズムの誕生 動物化するポストモダン2

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     大きな物語の終焉と小さな物語の氾濫、増殖がポストモダンの特徴であると著者は指摘する。前近代においては、人々は神話や民話を通して現実を、近代では写実的現実を表現した自然主義的文学から現実を、知ろうとしたのに対して、ポストモダンではキャラクター小説にみられるデータベースを前提として成立した新しい現実を求めることになっている。理想の時代・虚構の時代が過ぎ去り、いまや、身体性を伴った快感原則の追求が希求され社会について人々は考えなくなる時代を「動物の時代」としたのだった。
     このような時代にあって、まんが・アニメ的リアリズムの台頭ののち、ゲーム的リアリズムが誕生することになった。これは時代環境に導か

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    2011年07月24日