あらすじ
注目の批評家による画期的論考!! 物語からデータベースへ。オタクたちの消費行動の変化が社会に与える大きな影響とは? 気鋭の批評家が鋭く論じる画期的な現代日本文化論!
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Posted by ブクログ
「欲求」と「欲望」の違いを知った。
欲求は動物的で、欲望が人間的で他者を必要とするかどうか
「大人の道徳」の本にも書かれていたが、やはり現代人はやりたい事をする動物的になってきている、と再認識した。
オタク分析から始まり、ポストモダンへの考察を知る事ができた。
Posted by ブクログ
知人から面白い本だと紹介され本書を手に取りました。哲学史のテキストならまだしも哲学書には壁を感じており、壁を乗り越える意味も込めて読みました。
著者はオタク系文化はポストモダンの社会構造をよく反映しているとしており、ポストモダンの考え方を現代(当時)のオタク文化に当てはめることで分析を試みています。そこではオタクたちがコンテンツを鑑賞する方法を「データベース消費」と命名し、その枠組みをもとにオタクのみならず現代の日本人の思考方法そのものをも分析しています。最終的にはコジェーヴが定義した人間と動物の差異に基づいてオタクたちの行動が「動物化」していることを指摘し、書名の伏線が回収されます。
本書は論の運び方が(納得できるかどうかはさておき)非常に明快で内容を理解しやすく、整理された論説文の書き方になっています。具体例があまりにオタクオタクしており、その点も私には理解しやすい点です。また本書では思想家や評論家の論旨がしばしば引用されますが、そのたびに内容を咀嚼して本書の論の構成に位置付けて説明されており丁寧です。
本書で解剖されてしまった行動様式は一匹のオタクとしての私にも実感を持って理解できる部分が多く、自分の考え方の根源を考えるよい機会になりました。また、あまり詳細を知らなかったポストモダンに関しても少し知ることができ、現代思想の理解を深めるよい機会となりました。
Posted by ブクログ
昔某教授からオタクを名乗るなら必須だから読んでおけと勧められた一冊。(今となっては)往年のアニメやADVからオタク(というか非王道の若者)の心理が分析されている。難しい言葉も少ないのでオタクを名乗るなら是非
Posted by ブクログ
「有名な本らしいけど、20年前の文化批評って今アテになるのかな…?」と思いながら読み始めたけど、杞憂だった。東先生(というか、コジェーヴさん)の言う「動物化」は20年でさらに進んでるよなぁ。「大きな物語の時代の終わり」は気のせいだったことが最悪の形で証明されちゃってるけど。
Posted by ブクログ
深層にあるもの(データベース)とそこから生成される表層的なもの(シミュラークル)とを等価に見るデータベース消費の構造が、オタク文化やPCの画面上など至るところに見出だせるというのが本書の主張。
いまではあらゆる物事や言説がデータ化されているので、このモデルの適用範囲は格段に広くなっていると思う。ソーシャルメディアやAIに関連する問題を思い浮かべながら面白く読んだ。
Posted by ブクログ
東浩紀は避けては通れないと思い一読。内容はオタク分析を通じたポストモダン論。最後の『YU‐NO』論は、東のいう虚構世界における「データベース的動物」化と現実世界における多重人格化を端的に表したものだった。
Posted by ブクログ
刊行から20年以上が経過し、オタクという言葉が大衆化した現在に、過去の状況を振り返る上で興味深い内容だった。
オタクとポストモダンの相関性をもとに当時の社会を読み解く内容。
読んでいる途中で、この頃はニコニコ動画も初音ミクもないのかと気づき、現代ではまた違った論を展開できるかもしれないと感じた。今や古のオタクが好むものといった印象の強いノベルゲームやエロゲーをオタクカルチャーのメインストリームとして引き合いに出しているのも新鮮だった。
Posted by ブクログ
ポストモダンの大きな物語の終焉の後に残るものとはなんだろう。2000年までのオタク文化を批評しながらより大きな文化全体の変化を冷静に見つめている。本書に示されているパッチワーク的な小さな物語と、それを構成するデータベースの世界、それを乗り越えて現代で息づく物語の存在意義に興味が湧いた。
Posted by ブクログ
3年ほど前に半分ぐらいまで貪るように読んで、そこからなぜか積ん読。ようやく再読したものの、前回読んだあたりまでが一番面白かったなという感想。なんだかな。
議論の中心となる概念は2つ、「データベース消費」と「動物の時代」。それぞれ大塚英志の「物語消費」と大澤真幸の「理想の時代」「虚構の時代」を発展的に継承し、現代(95年以降のこと)版にアップデートしたもの。
どちらも非常に使い勝手のよい概念で、思考ツールとして極めて有用。
特にデータベース・モデルに関しては、少なくともこれだけでこの本を読んだ元は取れた、と思うほど。
読みながら現代はどうだろうと考えるのも楽しかった。艦これやFGOは恐ろしいほどデータベース消費そのものだし、異世界転生ものほど分かりやすいシミュラークルもそう無い。
一方で、2001年刊行のオタク文化批評、という性質上避けられない困難さも。
アニメやノベルゲーム、ギャルゲーをはじめ数多くの「古の」オタク系コンテンツが引き合いに出されるわけだが、分かったのはエヴァ、でじこ、Airくらいで他は本当に知らない。
文化批評というもの自体、必ずしもその文化の代表的な作品だけで編まれる必要はなく、いわば端の方の作品も射程に含んでいいとは思う。ただ本書の分析対象(80年前後生まれの男性オタク)であれば、誰しも名前ぐらいはは聞いたことのある作品ではあってほしい。詳しい人がいればその辺聞いてみたいけれども。
それと、現在では独特の世界観やファンの考察のイメージも強いエヴァをもっぱら「キャラ萌え」の代表例に挙げていたのもささやかながら驚きだった。
当時は実際にそういう扱いで、新劇とかを経て認められていったのか。たんにエヴァは結局キャラ萌えという意見もありうるとは思う。
Posted by ブクログ
オタク文化から見た日本文化論。
日本のオタクたちは、七〇年代に大きな物語を失い、八〇年代にその失われた大きな物語を捏造する段階(物語消費)を迎え、続く九〇年代、その捏造の必要性すら放棄し、単純にデータベースを欲望する段階(データベース消費)を迎えたというのが心に残った。
Posted by ブクログ
ポストモダンで読み解くオタク文化の本。「大きな物語」に支えられた時代が終わり、「物語消費」から「データベース消費」に移行していくと指摘している。
Posted by ブクログ
オタクの出現を【大きな物語】が失われた後の【ポストモダン】で捉えている。
出版から20年以上が経ち、【オタク】という言葉の使われ方も意味合いも変化しつつあるがそれでもその本質は変わっていない。今でも読むべき名著。
Posted by ブクログ
東さんが自分の中でトレンドになりつつあるので、初期の代表作を手に取る。90年代のオタクの閉塞的な空気と何となくネガティブな印象とポストモダン的な社会を結びつけて論じられている。人間関係の希薄さがとやかく騒がれてた時代の雰囲気をおおよそマッチしてるかな。
2023年のオタクはどうなのか、結構オタクの障壁はだいぶ優しくなって日本人の大部分がオタク的要素は持ち合わせているのではないでしょうか。しかし、90年代とは違いもっとライトな日常生活に溶け込んだ印象を受けます。昨今の小さい物語消費への動物的消費傾向は続いていると思うし、インターネットやSNSによる拡散効果でその餌食となる人数が昔に比べてはるかに多いように感じる。あとは、データーベース構造からのシュミラークルなんてものは、今はYouTube台頭の時代もあってそういった作品群が溢れかえっている。そこには〈萌え要素〉の流用による動物的消費の過剰摂取が見て取れる。
筆者の主張は現代加速している面と、より広範な人々が対象になっていてもはや気にもしないレベルに浸透しているのでは、そこには少なからず危惧すべき点があるのではと悶々としちゃう。
擬似社会でのいつでも降りられる関係性における社会性をオタクは築いており、本来の社会的な営みには参加していないといった主旨があるかと受け取ったが、それこそツイッターやらLINEやらの似非社会であったものが本当の社会生活で大きなウェイトを占めはじめて久しいし、この点では次のステージに移行してる感もある。
少し前の作品ですが、だからこそ当時の社会のあり方、現代のあり方を比べながら読み進めてみると今読んでも中々刺激的だなと。
Posted by ブクログ
非常に面白く読むことができた。
「大きな物語」が失われたポストモダンの時代には、「物語消費」から「データベース消費」に移行していく。
ガンダムとエヴァンゲリオンの対比や、キャラ萌えの話を社会的な大きなテーマに結びつけていくところが、知的に刺激的だった。
しかし、まだまだ勉強不足なので、関連書籍をもう少し漁りたい。
Posted by ブクログ
“しかしポストモダンの人間は、「意味」への渇望を社交性を通しては満たすことができず、むしろ動物的な欲求に還元することで孤独に満たしている。そこではもはや、小さな物語と大きな非物語のあいだにいかなる繋がりもなく、世界全体はただ即物的に、だれの生にも意味を与えることなく漂っている。意味の動物性への還元、人間性の無意味化、そしてシミュラークルの水準での動物性とデータベースの水準での人間性の解離的な共存。(略)「ポストモダンでは超越性の観念が凋落するとして、ではそこで人間性はどうなってしまうのか」という疑問に対する、現時点での筆者の答えである。(p.140)”
サブカルチャー論でよく名前を聞く本。
筆者の主張をごく簡単にまとめれば、ポストモダンとは「大きな物語」の権威が失墜し、代わって「小さな物語」(シミュラークルの全面化)と「大きな非物語」(データベース)の二層構造が生じた時代だとする。オタクたちの消費活動は、ポストモダン化の進行に伴って「物語消費」から「データベース消費」に移行した。そして筆者は、彼らの行動様式を「動物」的、つまり、“間主体的な構造が消え、各人がそれぞれ欠乏-満足の回路を閉じてしまう状態(p.127)”にあると評する。
以下、読んで思ったこと。
・巫女キャラなど日本的な意匠がマンガやアニメによく見られることを以て、オタク文化の日本への執着を読み取るのは流石に深読みのし過ぎだ。況や、敗戦で一度失われた疑似的な日本の再建の欲望をや、である。それを言うなら、例えば西洋的な意匠や中華的な意匠も同じくらい広く受け入れられているのだから。オタク文化に散見される日本的意匠は、文字通り作品中で用いられた「意匠」の1つに過ぎず、それ以上の特別な意味はないと思う。
・僕が理解したところでは、「大きな物語」は有機的に概念が繋がっているのに対し、「大きな非物語」は無機的だというのが両者の差異なのだと思う。前者では階層構造があって、そこから道徳・価値が導かれる。一方後者ではすべてが等質的("超平面的(p.154)")なので、個々人が何か行動規範を選びとる必要がある。
ただ、個別のアニメ作品に於いては「大きな物語」も「大きな非物語」もともに「設定」のことであると書いてあるのがややこしい(p.50には“「大きな物語」とは(略)「設定」や「世界観」を意味する”とあり、p.54には“データベース=設定”とある)。文脈から考えて、前者の「設定」とは作品世界についての設定であり、後者はキャラクターについての設定ということだろう。斎藤環は登場人物の行動原理を「トラウマ」で説明する近年の傾向を指摘したが(『社会学化する社会』)、後者の「小さな物語」と関連があるか?
・「データベース消費」におけるストーリーの偶然性に対する指摘はなるほどと思った。確かに、ノベルゲームのマルチエンド構造は、ストーリーが必然的なものではないという意識を反映していそうだ。また、本書と所謂「なろう」小説の関連について触れた他の方のレビューを読んだが、その通りだと思う。「小説家になろう」では、転生ものや追放ものなど新しいジャンルが開拓されると膨大な数の類似作が一気に投稿されるという。僕も何作かは読んでみたことがあるが、「ジャンル・世界観」+「ストーリー展開」+「主人公のキャラクター」+「ヒロインのキャラクター」+・・・のように構成要素を組み合わせて出来ている感じがした。もはや話の筋は類型的でいいようだ。これこそまさにシミュラークルの典型と言えるだろう。
・「大きな非物語」について読んだとき、最初に連想したのがマッチングアプリだった。そこでは、人間は性別や年齢、収入etc.の集合としてしか扱われない。他にも似たような例は挙げられるだろうが、このようなデータベース化は情報化社会の現れでもあるだろうから、単純にポストモダンに帰着させて良いものかはよく分からない。
オタク文化とポストモダン論を関連付けて論じる試みは興味深く、時代の傾向をつかんでいると思う。本書で導入された種々の概念は今でも依然として有用だろう。しかし、全体的に少し説明不足という印象も受けた(この本をちゃんと読解できている自信はないけど)。アニメやマンガを読む時や、また普段の生活の中でも、慎重に吟味していきたいところである。
Posted by ブクログ
うまく時代の表層の流れは捉えている。
最後のゲームyu-noの紹介は実例として面白いが、妥当性があるのか、筆者が言う通り深読みではないのか、その疑念を晴らす作業が欲しかった。
Posted by ブクログ
異世界もの(転生するとか召喚されるとか、まぁ、その辺の細かいとこはどうでもいい)が雨後の筍みたいになっている理由は、これを読めばわかる。
異世界ものの読者が求めているのは、「小さな物語」という表層が与えてくれる「効率的な感動」「そこそこの面白さ」と、「データベース」に蓄積されている設定の、目先の変わった組み合わせだけだから、量産できるし、既視感満載の作品しかない、ということらしい。
むしろ、既視感ありき、なんだそうな。
なんせ、大事なのは創造じゃなく引用の巧みさだから。
そして、オリジナルとコピーの区別が消滅してるから、原作と言われる作品さえ先行作品の模倣と引用のパッチワーク。
さらに、現実世界が「大きな物語」の凋落によって強いリアリティを持てずにいるから、もし、その引用と模倣のパッチワークに「大きな物語」を与えようとしたら、もう剣と魔法の世界としてしか想像できないのだと。
なるほどねー。
あと、キャラクター小説に私が入り込めない理由がわかった。「物語」と私が考えて読み取ってきたものが、そもそも構造的に排除されているからだった。「効率的な感動」を求めてない読者を、この作品群は求めてない。
しかも作品全体の構造からしたら必然も文脈も無視してブッ込まれる「みなさんご存知!ほら、あのキャラの、あの萌え要素ですよ!ね、ショートヘアのドジっ子メガネでしょ??ね???(そういうキャラがいるのかは知らないけど)」的な描写に共感できないとこにいる人間だからだった。
ちゃんちゃん。
でもなぁ、文芸作品、って言って紹介されてる作品にもだいぶ紛れ込んでるんだよなぁ……わざとやってるならまだしも、自覚なしにやってるんだったら……ちょっとなぁ……
Posted by ブクログ
予想より読みやすかった。図解も手伝って筆者の言わんとするとこが、よく理解できる。アニメ、オタク文化をよく知らないのだが、そこも問題なく、むしろ楽しめた。もっと著者の本を読みたい!と思いました。
Posted by ブクログ
ポストモダンの精神構造、社会構造をオタクの文化をもとにして分析した本。
示唆に富んだ内容であり、とても面白かった。東浩紀氏の造語がたびたび登場してくるが、どれも言いたいことを端的に言い表したストレートなネーミングによるもので、難解とは感じない。
20代前半の私からすると文中に挙げられるアニメ・ゲームは馴染みのないものばかりだったが、90年代や2000年代前半の時代を理解する上では参考になった。本書の刊行から約20年が過ぎたわけだが、オタク文化、ひいてはポストモダンも新しい次元に入ったように思われる。この点に関しては新しい著作などで分析してくれることを期待している。
Posted by ブクログ
コミック、アニメ、ゲーム、パソコン、SF、特撮、フィギュアなどに耽溺する
人々の総称をオタクとして、いわゆるオタク系文化がポストモダン(70年代以降の
文化的世界)とどう関係しているかを論じた本。
とくに、コミック、アニメ、ゲームの類に熱中する人々をオタクと呼んでいます。
アイドルオタクは本書では扱われていません。
そこで語られるオタクによるアニメキャラの萌え要素への分解、
材料化がポストモダンの世界の構造と一緒で、
オタク系文化はポストモダンそのものみたいに言われている。
言われているというか、看破して論理づけて説明してくれているので、
それを読む限り、ほぼ間違いなく、オタク系文化はポストモダンを色濃く反映しています。
反映しているというよりも、ポストモダンの構造そのものです。
本書を読んでもらわないと、僕があーだこーだ書いたところで、
何を言っているのかわからないと思います。
それでも、あえて書いていきましょう。
アニメキャラの萌え要素への分解、材料化、
そしてそれをデータベース化して二次使用するというシステムは、
オタク系文化の中でそのような特徴が出来あがる以前に、
僕が知っている限り、80年代初頭の世界の音楽シーンで見られたことじゃないでしょうか。
『音楽機械論』で坂本龍一さんがそれとなくそんなことを言ってたような。
坂本さんは、誰がこんな音やフレーズを使ったというのもみんな知っていて、
それを確信的にパクったり発展させたりしているのが今の音楽だって、
80年代の初頭に言っている。
つまり、データベース型での世界の捉え方は、
アニメオタクよりもミュージシャンのほうが早かったんじゃないのかな。
と、読んでいる途中で感じたら、
「ハリウッド映画やテクノミュージックでも言えるのではないか」と
一言添えられている部分を後に読みました。
まぁ、なによりも、こうやってオタク系文化をひも解いて分析していくことで
ポストモダンという世界の特徴がわかりやすくなっていきます。
そして、ポストモダンを知るということにより、もはやその渦中というか、
どっぷりとポストモダンの世界に浸かっている僕ら、人間を知るということに
繋がっていきます。
つまり、本書は、現代人理解の本だと言えるでしょう。
友達のA君はほんと、オタク型のポストモダン人間だな、とか、
B君は、すぐに「降りる」ところがポストモダン人間の特徴として強いな、とか、
そういう観点がもたらされるでしょう。
そして、僕の直観からいうと、「ポストモダン」という世界と人間ができあがったのは、
産業革命が起こり、情報伝達技術が発達し、新聞、ラジオ、テレビ、とマスメディアが
発展し、人口が増え、多様化し、さまざまな価値が林立していく中で、
それに対してそれまでの生き方、
「世界の捉え方」ではその世界で適応ができなくなったためでしょう。
世界を人間が複雑にし、その複雑化した世界が人間をポストモダン化させたのです、おそらく。
昔と今の区別をつけるのに、そして、また言いますが現代人理解のために
必読の本と僕は言いきってしまいます。
2001年発刊ですから、もう10年も前になりますが、今読んでも勉強になります。
もうちょっとクリアに世界を認識したいなという欲求を持つ人は、
年末年始のお休みに読んでみると良いかもしれないです。
Posted by ブクログ
「大きな物語」「小さな物語」「大きな悲物語」「データベース」「シミュラークル」、様々な言葉で当時の文化を言い換えて、思考遊戯をしている、そういった本。
2025年の現在においては、今を読み解くためのツールとしての意味は当然のことながら喪失していて、今も活動されている著者の思索の源泉を読み解くための原典、という立ち位置だと思う。
2001年の発刊当初に出会っていれば、また全然違った感想になっただろうな。
Posted by ブクログ
國分功一郎『暇と退屈の倫理学』の注でも紹介されている本書。初版は2001年なので、もはや23年前の本になるが、今年は東浩紀氏の本をたくさん読んでみたいと思っているので、彼の思考を辿る意味でも読んでみることに。
本書はオタク分析からアプローチしているので、サブカルチャーやアニメ、プログラミングなどオタクの世界の読み解きについていくのは正直大変。
したがって、一度全体を読んでから哲学的な考察を拾いながら振り返った。
『暇と退屈の倫理学』でも「動物になること」はキーワードとして出てきているが、改めて「動物化とはどういう状態か」に注目。
本書はアレクサンドル・コジェーブの考え方を参考にしていて、どうやら動物は欲求しか持たないのに対し、人間は欲望を持つらしい。
どういうことか。
欲望は羨望や嫉妬などのように他者の欲望を欲望する。つまり欲望は他者を必要とする。つまり関係を必要とする。
それに対して、欲求は自らの欠乏さえ満たせればよいから孤独に生きられる。動物はただ単に自分の食欲を満たして生きている。確かにそうかもしれない。
つまり、ポストモダンの人間は、自分の欠乏を満たしながら孤独に生きているということ。東氏は嘆きや憂いというよりも冷静にその時代性を俯瞰しているよう感じた。
人間はつながりを生むが、欲望は消えることがなく自然と調和できない。
動物は欲求を満たせばいいから自然と調和するけど、孤独。
果たして、人間がいいのか、動物がいいのか?
そして、今の自分は人間か動物か?
考えさせられる一冊です。
Posted by ブクログ
・大きな物語のない時代における、避けられない動物化(=生きる意味を考え、社会の調和に背くような人間らしい行動が必要がなく、社会の流れの中で自分の欲求に従って生きることが人間の潮流的な行動になること)のメカニズムをオタク文化で紐解いた本
・1番最後の章が難解。理解できなかった
・初版が2000年代初頭なので"現代でもそうか?"という疑念を持ちながら見た方がいい
・一方で70年代から00年代に至るまでのオタク文化の変遷は非常にわかりやすく理解できる
・設定を物語という切り口で味わっている感覚は自分の中にもあったので、それはそうだなとシンプルに思った
・個人的に面白かったのは「模倣が模倣を呼ぶのが当たり前の文化だからオリジナルとコピーの境界線からそもそも曖昧」の下り
・大きな物語のない時代において、設定を愛すようになったのは動物化してるから?
・体系論ではあるものの、それはそうだねという内容も多いので、70年代〜90年代くらいの日本社会の様相に疎い(30代前半くらいの)人たちで、かつそこの変遷から消費行動を紐解きたいニーズが特段なければ読まなくてもいいとは思う
Posted by ブクログ
オタクたちは自分の好む萌え要素や自分の好む演出を単純に求めている。そうした個別の事柄に対する自分の意見や主張(好み)は、他人と共有されることなく、自分の欲求を孤独に満たすものでしかない。彼らは情報交換や作品評価については掲示板やオフ会で積極的に他人とつながるが、それは親族や地域共同体のような現実に基盤をもつものではなく、ある作品(情報)への関心だけで支えられている表面的なもの。自分にとって有益な情報が得られなければ、他人とのかかわりから離れてしまう。いまや、生きる意味や欲求は人間関係の中で生まれるものではなくなり、他人とのかかわりなしに、ひとりで孤独に満たされるようになっている。
Posted by ブクログ
モダンは大きな物語があった。この大きな物語とは技術的革新による科学や工学の信仰、社会的イデオロギーの信仰などのことを指し、簡単にいえば万人に共有された思想や観念のようなものである。
その大きな物語が上手く機能しなくなり、社会全体としてまとまりが無くなる。この大きな物語の凋落後をポストモダン(近代の後)と定義し、ポストモダンでは、どのような社会の形が残っているのか。オタク系文化に共通する事柄から、ポストモダンに残った社会の形、そして今後の社会の姿をを紐解いていく本。