【感想・ネタバレ】動物化するポストモダン オタクから見た日本社会のレビュー

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Posted by ブクログ 2024年02月26日

 知人から面白い本だと紹介され本書を手に取りました。哲学史のテキストならまだしも哲学書には壁を感じており、壁を乗り越える意味も込めて読みました。
 著者はオタク系文化はポストモダンの社会構造をよく反映しているとしており、ポストモダンの考え方を現代(当時)のオタク文化に当てはめることで分析を試みていま...続きを読むす。そこではオタクたちがコンテンツを鑑賞する方法を「データベース消費」と命名し、その枠組みをもとにオタクのみならず現代の日本人の思考方法そのものをも分析しています。最終的にはコジェーヴが定義した人間と動物の差異に基づいてオタクたちの行動が「動物化」していることを指摘し、書名の伏線が回収されます。
 本書は論の運び方が(納得できるかどうかはさておき)非常に明快で内容を理解しやすく、整理された論説文の書き方になっています。具体例があまりにオタクオタクしており、その点も私には理解しやすい点です。また本書では思想家や評論家の論旨がしばしば引用されますが、そのたびに内容を咀嚼して本書の論の構成に位置付けて説明されており丁寧です。
 本書で解剖されてしまった行動様式は一匹のオタクとしての私にも実感を持って理解できる部分が多く、自分の考え方の根源を考えるよい機会になりました。また、あまり詳細を知らなかったポストモダンに関しても少し知ることができ、現代思想の理解を深めるよい機会となりました。

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Posted by ブクログ 2022年09月27日

昔某教授からオタクを名乗るなら必須だから読んでおけと勧められた一冊。(今となっては)往年のアニメやADVからオタク(というか非王道の若者)の心理が分析されている。難しい言葉も少ないのでオタクを名乗るなら是非

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Posted by ブクログ 2022年03月16日

「有名な本らしいけど、20年前の文化批評って今アテになるのかな…?」と思いながら読み始めたけど、杞憂だった。東先生(というか、コジェーヴさん)の言う「動物化」は20年でさらに進んでるよなぁ。「大きな物語の時代の終わり」は気のせいだったことが最悪の形で証明されちゃってるけど。

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Posted by ブクログ 2021年06月02日

深層にあるもの(データベース)とそこから生成される表層的なもの(シミュラークル)とを等価に見るデータベース消費の構造が、オタク文化やPCの画面上など至るところに見出だせるというのが本書の主張。
いまではあらゆる物事や言説がデータ化されているので、このモデルの適用範囲は格段に広くなっていると思う。ソー...続きを読むシャルメディアやAIに関連する問題を思い浮かべながら面白く読んだ。

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Posted by ブクログ 2021年05月03日

東浩紀は避けては通れないと思い一読。内容はオタク分析を通じたポストモダン論。最後の『YU‐NO』論は、東のいう虚構世界における「データベース的動物」化と現実世界における多重人格化を端的に表したものだった。

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Posted by ブクログ 2020年11月24日

「オタク」から世界の流れを読み解く1冊。
キーワードは「大きな物語」「大きな非物語」「二層構造」「動物化」

データベース(大きな非物語)を参照して無数のシュミラークルが生成される。シュミラークルの中にはオリジナルも含まれる。大きな物語と大きな非物語の違いは、それを見る主体によって解釈が異なるという...続きを読むことである。大きな物語が「見る主体」を規定し、その一方で大きな非物語は表象(小さな物語)をつくるのみである。
大きな非物語と表象からなるポストモダンはオタクカルチャーのみではなく、世界をも形作る。ポストモダンの流れ自体は20世紀初頭から始まり、ソ連崩壊(日本では地下鉄サリン事件)を契機にポストモダンが本格的に始まる。インターネットと共にポストモダンの時代が訪れた。私はこのポストモダンがポストトゥルースと深く関係していると思う。

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Posted by ブクログ 2019年10月25日

術語にはいちいちわかりやすい説明も添えてくれているので読みやすかった。本書の発行は2001年だが、ここに書かれている論理でそのまま「なろう系」の流行が予見できてしまうところに本書の論理の説得力を感じた。感服した。

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Posted by ブクログ 2024年04月14日

オタクの出現を【大きな物語】が失われた後の【ポストモダン】で捉えている。
出版から20年以上が経ち、【オタク】という言葉の使われ方も意味合いも変化しつつあるがそれでもその本質は変わっていない。今でも読むべき名著。

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Posted by ブクログ 2023年04月26日

東さんが自分の中でトレンドになりつつあるので、初期の代表作を手に取る。90年代のオタクの閉塞的な空気と何となくネガティブな印象とポストモダン的な社会を結びつけて論じられている。人間関係の希薄さがとやかく騒がれてた時代の雰囲気をおおよそマッチしてるかな。

2023年のオタクはどうなのか、結構オタクの...続きを読む障壁はだいぶ優しくなって日本人の大部分がオタク的要素は持ち合わせているのではないでしょうか。しかし、90年代とは違いもっとライトな日常生活に溶け込んだ印象を受けます。昨今の小さい物語消費への動物的消費傾向は続いていると思うし、インターネットやSNSによる拡散効果でその餌食となる人数が昔に比べてはるかに多いように感じる。あとは、データーベース構造からのシュミラークルなんてものは、今はYouTube台頭の時代もあってそういった作品群が溢れかえっている。そこには〈萌え要素〉の流用による動物的消費の過剰摂取が見て取れる。

筆者の主張は現代加速している面と、より広範な人々が対象になっていてもはや気にもしないレベルに浸透しているのでは、そこには少なからず危惧すべき点があるのではと悶々としちゃう。

擬似社会でのいつでも降りられる関係性における社会性をオタクは築いており、本来の社会的な営みには参加していないといった主旨があるかと受け取ったが、それこそツイッターやらLINEやらの似非社会であったものが本当の社会生活で大きなウェイトを占めはじめて久しいし、この点では次のステージに移行してる感もある。

少し前の作品ですが、だからこそ当時の社会のあり方、現代のあり方を比べながら読み進めてみると今読んでも中々刺激的だなと。

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Posted by ブクログ 2023年01月26日

非常に面白く読むことができた。

「大きな物語」が失われたポストモダンの時代には、「物語消費」から「データベース消費」に移行していく。

ガンダムとエヴァンゲリオンの対比や、キャラ萌えの話を社会的な大きなテーマに結びつけていくところが、知的に刺激的だった。

しかし、まだまだ勉強不足なので、関連書籍...続きを読むをもう少し漁りたい。

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Posted by ブクログ 2022年06月11日

“しかしポストモダンの人間は、「意味」への渇望を社交性を通しては満たすことができず、むしろ動物的な欲求に還元することで孤独に満たしている。そこではもはや、小さな物語と大きな非物語のあいだにいかなる繋がりもなく、世界全体はただ即物的に、だれの生にも意味を与えることなく漂っている。意味の動物性への還元、...続きを読む人間性の無意味化、そしてシミュラークルの水準での動物性とデータベースの水準での人間性の解離的な共存。(略)「ポストモダンでは超越性の観念が凋落するとして、ではそこで人間性はどうなってしまうのか」という疑問に対する、現時点での筆者の答えである。(p.140)”

 サブカルチャー論でよく名前を聞く本。
 筆者の主張をごく簡単にまとめれば、ポストモダンとは「大きな物語」の権威が失墜し、代わって「小さな物語」(シミュラークルの全面化)と「大きな非物語」(データベース)の二層構造が生じた時代だとする。オタクたちの消費活動は、ポストモダン化の進行に伴って「物語消費」から「データベース消費」に移行した。そして筆者は、彼らの行動様式を「動物」的、つまり、“間主体的な構造が消え、各人がそれぞれ欠乏-満足の回路を閉じてしまう状態(p.127)”にあると評する。

 以下、読んで思ったこと。

・巫女キャラなど日本的な意匠がマンガやアニメによく見られることを以て、オタク文化の日本への執着を読み取るのは流石に深読みのし過ぎだ。況や、敗戦で一度失われた疑似的な日本の再建の欲望をや、である。それを言うなら、例えば西洋的な意匠や中華的な意匠も同じくらい広く受け入れられているのだから。オタク文化に散見される日本的意匠は、文字通り作品中で用いられた「意匠」の1つに過ぎず、それ以上の特別な意味はないと思う。

・僕が理解したところでは、「大きな物語」は有機的に概念が繋がっているのに対し、「大きな非物語」は無機的だというのが両者の差異なのだと思う。前者では階層構造があって、そこから道徳・価値が導かれる。一方後者ではすべてが等質的("超平面的(p.154)")なので、個々人が何か行動規範を選びとる必要がある。
 ただ、個別のアニメ作品に於いては「大きな物語」も「大きな非物語」もともに「設定」のことであると書いてあるのがややこしい(p.50には“「大きな物語」とは(略)「設定」や「世界観」を意味する”とあり、p.54には“データベース=設定”とある)。文脈から考えて、前者の「設定」とは作品世界についての設定であり、後者はキャラクターについての設定ということだろう。斎藤環は登場人物の行動原理を「トラウマ」で説明する近年の傾向を指摘したが(『社会学化する社会』)、後者の「小さな物語」と関連があるか?

・「データベース消費」におけるストーリーの偶然性に対する指摘はなるほどと思った。確かに、ノベルゲームのマルチエンド構造は、ストーリーが必然的なものではないという意識を反映していそうだ。また、本書と所謂「なろう」小説の関連について触れた他の方のレビューを読んだが、その通りだと思う。「小説家になろう」では、転生ものや追放ものなど新しいジャンルが開拓されると膨大な数の類似作が一気に投稿されるという。僕も何作かは読んでみたことがあるが、「ジャンル・世界観」+「ストーリー展開」+「主人公のキャラクター」+「ヒロインのキャラクター」+・・・のように構成要素を組み合わせて出来ている感じがした。もはや話の筋は類型的でいいようだ。これこそまさにシミュラークルの典型と言えるだろう。

・「大きな非物語」について読んだとき、最初に連想したのがマッチングアプリだった。そこでは、人間は性別や年齢、収入etc.の集合としてしか扱われない。他にも似たような例は挙げられるだろうが、このようなデータベース化は情報化社会の現れでもあるだろうから、単純にポストモダンに帰着させて良いものかはよく分からない。

 オタク文化とポストモダン論を関連付けて論じる試みは興味深く、時代の傾向をつかんでいると思う。本書で導入された種々の概念は今でも依然として有用だろう。しかし、全体的に少し説明不足という印象も受けた(この本をちゃんと読解できている自信はないけど)。アニメやマンガを読む時や、また普段の生活の中でも、慎重に吟味していきたいところである。

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Posted by ブクログ 2022年03月15日

オタクにとって価値を見出す点が、作品から作品の文脈に変遷していくまで。同人活動へのつながりがスッキリ理解できた

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Posted by ブクログ 2022年02月02日

うまく時代の表層の流れは捉えている。
最後のゲームyu-noの紹介は実例として面白いが、妥当性があるのか、筆者が言う通り深読みではないのか、その疑念を晴らす作業が欲しかった。

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Posted by ブクログ 2021年09月16日

異世界もの(転生するとか召喚されるとか、まぁ、その辺の細かいとこはどうでもいい)が雨後の筍みたいになっている理由は、これを読めばわかる。

異世界ものの読者が求めているのは、「小さな物語」という表層が与えてくれる「効率的な感動」「そこそこの面白さ」と、「データベース」に蓄積されている設定の、目先の変...続きを読むわった組み合わせだけだから、量産できるし、既視感満載の作品しかない、ということらしい。
むしろ、既視感ありき、なんだそうな。
なんせ、大事なのは創造じゃなく引用の巧みさだから。
そして、オリジナルとコピーの区別が消滅してるから、原作と言われる作品さえ先行作品の模倣と引用のパッチワーク。
さらに、現実世界が「大きな物語」の凋落によって強いリアリティを持てずにいるから、もし、その引用と模倣のパッチワークに「大きな物語」を与えようとしたら、もう剣と魔法の世界としてしか想像できないのだと。

なるほどねー。
あと、キャラクター小説に私が入り込めない理由がわかった。「物語」と私が考えて読み取ってきたものが、そもそも構造的に排除されているからだった。「効率的な感動」を求めてない読者を、この作品群は求めてない。
しかも作品全体の構造からしたら必然も文脈も無視してブッ込まれる「みなさんご存知!ほら、あのキャラの、あの萌え要素ですよ!ね、ショートヘアのドジっ子メガネでしょ??ね???(そういうキャラがいるのかは知らないけど)」的な描写に共感できないとこにいる人間だからだった。
ちゃんちゃん。
でもなぁ、文芸作品、って言って紹介されてる作品にもだいぶ紛れ込んでるんだよなぁ……わざとやってるならまだしも、自覚なしにやってるんだったら……ちょっとなぁ……

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Posted by ブクログ 2021年09月03日

予想より読みやすかった。図解も手伝って筆者の言わんとするとこが、よく理解できる。アニメ、オタク文化をよく知らないのだが、そこも問題なく、むしろ楽しめた。もっと著者の本を読みたい!と思いました。

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Posted by ブクログ 2021年07月04日

ポストモダンの精神構造、社会構造をオタクの文化をもとにして分析した本。
示唆に富んだ内容であり、とても面白かった。東浩紀氏の造語がたびたび登場してくるが、どれも言いたいことを端的に言い表したストレートなネーミングによるもので、難解とは感じない。

20代前半の私からすると文中に挙げられるアニメ・ゲー...続きを読むムは馴染みのないものばかりだったが、90年代や2000年代前半の時代を理解する上では参考になった。本書の刊行から約20年が過ぎたわけだが、オタク文化、ひいてはポストモダンも新しい次元に入ったように思われる。この点に関しては新しい著作などで分析してくれることを期待している。

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Posted by ブクログ 2020年11月06日

20年前に出版されたものなので、今読むとどうしても答え合わせ的な読み方になってしまいがちだが、賛否両論生まれたいい意味で波紋を投げかけた東浩紀氏の論説はやはり鋭いなと感じさせる。
東氏への批判は、本作の中でも触れられている芸術家の村上隆氏に対する批判の論調とほぼ同じく、自身が本物のオタクではなく外部...続きを読むからの視点から分析し、オタクの要素の表層的な部分を抽出し作品及び論説として表現し発表しているという事である。
しかしガンダムやエヴァンゲリオンをピックアップして見ると、同じオタクでも世代間の違いがはっきりしており、ガンダム世代を中心とするオタクはそのストーリーや世界に没入するのに対し、エヴァンゲリオン時代になるとキャラクターの二次利用をはじめとする、ある意味そちらの方が表層的とも言える楽しみ方がオタクの主流になってくるという指摘はとても面白い。
そして欲求と欲望の違いと、そこから動物化へと流れていく人々の変化は、アメリカ的消費社会の予測された行き先であると、本書から20年後の今を生きる者としては頷かざるを得ない。

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Posted by ブクログ 2020年10月05日

20年ほど前の本を10年ほど前に積読したものを本棚整理の過程で発掘して読み出したが想定以上に面白くて一気に読んでしまった。

なるほど表層文化論。具体的な娯楽作品とそれが社会で選抜される理由の構造をなるほどなぁという感じにうまく説明している。

SNSとかブログとかで断片的に目にする大きな物語の話と...続きを読むかポストモダンというワードもある程度身近に感じ取るようになった気がする。
あまりに抽象的で何言ってるかよくわからん,という感じでなくちゃんとしたリアリティのある言説になっていて,非専門家でもすんなりロジックが入ってきた。

この本が世に出てから20年,まだまだエヴァンゲリオンは小さな物語を再生産し世間を賑わしている。また,シン・ゴジラのヒットを見てもオタクが一般社会に広まり,ディテールへの完成度(物語の深遠さでなく)が一つのキーポイントとなっているように見ることもできそうだ。

この先10年,20年とこの流れが続いてさらに洗練されていくのか,はたまた別の構造ができてくるのかを妄想しつつ今現在の様々な社会の事象を眺めてみるのも面白そうだと感じた。

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Posted by ブクログ 2020年01月22日


本書は現代文化,ポストモダンについてオタクを切り口に論じた書籍です。本書は中身が濃いので色々な論点を取り出せると思いますが,個人的には「データベース(・モデル)」と「動物(化)」がキーワードだと感じました(し,多くの人はそう読み取るのではないかと思います)。

近代(モダン)の世界像は,ツリー...続きを読む・モデルであると東氏は指摘します。ツリー・モデルとは,表層に小さな物語群があり,それらを通して私たちは深層にある大きな物語を見つける,という考え方です。

他方,ポストモダンの世界像は,データベース・モデルであると指摘されます。データベース・モデルでは,深層には「設定」や「キャラ」などのデータの集積しかなく,それらを結合した小さな物語群が表層にあらわれてくる。そのため,ツリー・モデルとは異なり,物語は私が読み込むものとなる。以上の考え方です。

本書でも取り上げられていた,ガンダムとエヴァンゲリオンの対比がわかりやすいので,それを参考に二つの世界像を紹介します。

ガンダムシリーズには色々な作品があります。『機動戦士ガンダム』から始まり,『Gガンダム』,『ガンダムSEED』などいろんな作品があり,作品ごとにそれぞれ物語(小さな物語)がありますが,それらの作品には共通して「ガンダム世界」なる共有した世界(大きな物語)があります。私たちの見えはこの大きな物語に規定されます。これがツリー・モデルです(ただし,ガンダムの世界はあくまで虚構であることに注意。本来はここも本書における重要な論点で,例としてあげるには不適かもしれませんが,割愛します)。

一方,エヴァンゲリオンにはそのような共有した世界観はなく,キャラクターが麻雀ゲームに登場したり,育成シミュレーションに登場したりと,世界観とは関係なくキャラクターや設定(データベースに保存されたデータ)が単体で登場し,それらを組み合わせて(表層の小さな物語)楽しめるわけです(私が物語を読み込む)。これがデータベース・モデルです。

このような時代認識から様々な論点を導きだしますが,その重要なものの一つが「動物(化)」かなと思います。

動物は,特定の対象をもち,それとの関係で満たされる単純な渇望である欲求しかもちません。一方,人間は欲望を持ちます。欲望とは,欠乏が満たされても消えることがありません。なぜなら,人間は他者の欲望を欲望するからです。たとえば,「恋人が欲しい」と思い実際に恋人ができても,今度はそれを他者に自慢したい(他者に良いな(=他者の欲望)と思われたい)などと思うからです。この間主体的な欲望こそが人間の特徴なわけです。

ですので,動物化とは,間主体的な構造が消えて,欠乏ー満足の回路を閉じてしまう状態の到来を意味します(p.127)。できるだけ他者を間に入れずに,自分の欲求にしたがってのみ満足を得ていく,このような時代のことを東氏は動物の時代と呼びます。ですが,このような動物化は表層の部分でのみ生じており,データベース(深層)の部分では擬似的で形骸化した人間性を維持しているとも指摘されてます。

長くなりました。もっと多様な論点がありますが,私もまだ消化できているわけではありません。私は東氏の新しい方の著書(一般意志2.0とかゲンロンとか)から入って,本書(本書の方が古い)にたどり着いているので,まだ少し読みやすかったのかなと思います。

東氏の著作のつながりが見えてくると面白いのだろうなあと思いました。

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Posted by ブクログ 2019年10月03日

"そこで求められているのは、旧来の物語的な迫力ではなく、世界観もメッセージもない、ただ効率よく感情が動かされるための方程式である。"

"しかしポストモダンの人々は、小さな物語と大きな非物語という二つの水準を、とくに繋げることなく、ただバラバラに共存させていくのだ。分か...続きを読むりやすく言えば、ある作品(小さな物語)に深く感情的に動かされたとしても、それを世界観(大きな物語)に結びつけないで生きていく、そういう術を学ぶのである。"

ここが好き。

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Posted by ブクログ 2019年09月20日

ポストモダンを「オタク文化」の観点から論じた本書は、以前から関心があった。長らく「積ん読」になっていた本書だが、期待にたがわぬ内容だった。ポストモダンという思想が支配した90年代以降は、文化的に「オタク」が席巻した時代でもあったが、オタクの指向も時代と共に様変わりした。その変化の様子をつぶさに観察し...続きを読む、分析し、ポストモダンという時流を物差しにして論じて見せた本書は、近代を超えた「今」に対するテーゼとして読まれるべき一冊であると思う。
ポストモダン時代の論客として、大塚英志や宮台真司らの著作も(比較的理解しやすそうなものを選り好みして)読んでみたが、東浩紀の文章は、深いところにある思想を、身近な例を駆使して我々が理解可能な表層に浮かび上がらせ、結果として思想の一端を可視化してくれるという意味で、ポストモダン論者の第一人者だと考えている。
タイトルにある「動物化する」とはどういうことか。それは本書を読めば容易に理解できる。別のところでも書いたけれども、インターネットを介した仮想空間でのコミュニケーションが主流となった現在、リアルな社会は形を失い、全体を貫く社会的、文化的一貫性は失われつつあり、少なくとも曖昧化あるいは希薄化を辿っていることは疑いない事実である(ことが本書を読むとよく分かる)。本書の中で、戦後のテロ事件として名高い連合赤軍とオウム真理教を比較分析している箇所がある。両者の違いは、「何を信じるか」という点におけるわずかな違いであると結論づけられているが、ポストモダン時代を生きる人間が「動物化」したこととこの「わずかな違い」は密接に関連しているような気がしてならない。本書を読んで、そのことを強く感じた。
「ゆとり世代」などと揶揄される、現代を生きる世代は「欲がない」と評されたりもする。この「欲」の内容を掘り下げると、「動物化」した人たちとは何か、ということも見えてくる。戦後の復興と成長を目指して、貪欲におのが「欲望」に向かって邁進した世代から見れば、現代の人びとは「無欲」に映るのかもしれない。だが、貪欲な欲望が生み出したバブル神話がはじけ、またソ連崩壊による世界的な体制の大きな変化を経た現代、「動物化」することは、現代の生きる知恵の一つだったのではないだろうか。

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ネタバレ

Posted by ブクログ 2019年08月02日

いわゆるオタク系作品、美少女ものや戦隊ものなどが、どのような時代背景から出来上がっていったのかわかる本。アニメ・漫画系のサブカルチャー、とりわけエヴァンゲリオンやうる星やつら、美少女ゲームをかじったことのある人であれば、「動物化」がイメージしやすいはず。

全般的な時代の風潮として、現代にも直結する...続きを読む議論であると感じた。

近年の傾向として、「異世界もの」が流行している。現代社会に生きていた主人公が何らかの理由で異世界(多くの場合は、中世ヨーロッパ・魔法とモンスターの世界)に飛ばされるというものである。これもまた、「異世界」というある種の理想郷と、何らかの要素(どのように転生するか等)と掛け合わせた、データベース的なものに過ぎないように思う。また、複数の異世界もの作品が流通しているのは、異世界もの好きな人がいるということに他ならない。すなわち、彼らは複数の小さな物語を欲望し、同時並行的に消費し続けている。




以下、印象に残った文を引用。




オタクたちが社会的現実よりも虚構を選ぶのは、その両者の区別がつかなくなっているからではなく、社会的現実が与えてくれる価値規範と虚構が与えてくれる価値規範のあいだのどちらが彼らの人間関係にとって有効なのか、たとえば、朝日新聞を読んで選挙に行くことと、アニメ誌を片手に即売会に並ぶことと、そのどちらが友人たちとのコミュニケーションをより円滑に進ませるのか、その有効性が天秤にかけられた結果である。そのかぎりで、社会的現実を選ばない彼らの判断こそが、現代の日本ではむしろ社会的で現実的だとすら言える。

日本では、大きな物語の弱体化は、高度経済成長と「政治の季節」が終わり、石油ショックと連合赤軍事件を経た70年代に加速した。オタクたちが出現したのは、まさにその時期である。

ポストモダンでは大きな物語が失調し、「神」や「社会」もっジャンクなサブカルチャーから捏造されるほかなくなる。

九十年代には、原作の物語とは無関係に、その断片であるイラストや設定だけが単独で消費され、その断片に向けて消費者が自分で勝手に感情移入を強めていく、という別のタイプの消費行動が台頭してきた。この新たな消費行動は、オタクたち自身によって「キャラ萌え」と呼ばれている。

ガンダム:エヴァンゲリオン=大きな物語:大きな非物語

「キャラクター」は、作家の個性が創り出す固有のデザインというより、むしろ、あらかじめ登録された要素が組み合わされ、作品ごとのプログラムに則って生成される一種の出力結果となっている。(中略)もはやオリジナル・キャラクターのオリジナリティすらシュミラークルとしてしか存在しないとも言えるだろう。

今や、個々の物語が登場人物を生み出すのではなく、ギャクに、登場人物の設定がまず先にあり、そのうえに物語を含めた作品や企画を展開させる戦略が一般化している。

コジェーヴによれば、大きな物語が失われたあと、人々にはもはや「動物」と「スノビズム」の二つの選択肢しか残されていなかった。

ポストモダンの時代には人々は動物化する。そして実際に、この10年間のオタクたちは急速に動物化している。その根拠としては、彼らの文化的消費が、大きな物語による意味付けではなく、データベースから抽出された要素の組み合わせを中心として動いていることが挙げられる。彼らはもはや、他者の欲望を欲望する、というような厄介な人間関係に煩わされず、自分の好む萌え要素を、自分の好む物語で演出してくれる作品を単純に求めているのだ。

近代の人間は、物語動物だった。彼らは人間固有の「生きる意味」への渇望を、同じように人間固有な社交性を通して満たすことができた。言い換えれば、小さな物語と大きな物語のあいだを相似的に結ぶことができた。
しかしポストモダンに人間は、「意味」への渇望を社交性を通しては満たすことができず、むしろ動物的な欲求に還元することで孤独を満たしている。そこではもはや、小さな物語と大きな非物語のあいだにいかなる繋がりもなく、世界全体はただ即物的に、だれの生にも意味を与えることなく漂っている。

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Posted by ブクログ 2018年12月29日

見田宗介、大澤真幸ら、気鋭の社会学者の言う理想の時代、虚構の時代という枠組みは、よく理解できる。
だが、オウム事件や阪神大震災以降の大澤真幸の言う、不可能性の時代というのは、非常に、解りづらい。
その点、この東浩紀の言う、オタク社会から切り取った動物化という概念は、大澤の持つ熟慮や深みには欠けるが、...続きを読む非常にわかりやすい。
久々に、読書の醍醐味を、少し味わった。
古い世代に向かって語ると、この東のデータベース、シュミクラールという議論は、
丸山真男の「日本の思想」のササラ文化、たこつぼ文化に相通ずる。
問題は、人間は、やはり、物語を必要とする。
時代は、どう進むかだ。
また、大きな物語が終焉後、人々が、大文字を語り出したのには、関連性があるのであろうか?
残念ながら、90年代にTVを賑わした多重人格は、現在の心理療法の世界では、眉唾ものであり、本気には、取り上げられていない。
乖離性障害というのは存在するが、
あのTVの世界の人々は、無意識的にか、誰もが赤ちゃん、お母さんとわかるものを演じ、TVを見ている者は、それを通して、その背後のお母さんという大きな物語を了解し、多重人格という物語を紡ぎ出したに過ぎない。
大きな物語は、消滅したが、人々は、派遣と言えば劣悪な環境というイメージを抱き、新たな無数の小さな物語を語り出す。
ここには、人間の脳の機能が関係している。
人間の脳は、単なる事実の羅列よりも、ストーリーとして捉えた方が、記憶に定着しやすく、理解が進むのである。

続編を期待して読むことにしよう。

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Posted by ブクログ 2020年02月16日

ざっくり言えば、
ポストモダンのオタクは、データベース的動物で、データベース消費はウェブの論理に似ている、

ということか。
たまに、「深読みww」とか思っちゃうが、面白かった。

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Posted by ブクログ 2024年03月26日

 モダンは大きな物語があった。この大きな物語とは技術的革新による科学や工学の信仰、社会的イデオロギーの信仰などのことを指し、簡単にいえば万人に共有された思想や観念のようなものである。
 その大きな物語が上手く機能しなくなり、社会全体としてまとまりが無くなる。この大きな物語の凋落後をポストモダン(近代...続きを読むの後)と定義し、ポストモダンでは、どのような社会の形が残っているのか。オタク系文化に共通する事柄から、ポストモダンに残った社会の形、そして今後の社会の姿をを紐解いていく本。

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Posted by ブクログ 2021年12月14日

現代のオタク文化は二層構造であち、二重になっている複雑さを持つ。大きな物語、小さな物語の物語消費論が興味深かった。

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Posted by ブクログ 2021年07月13日

東浩紀の思想を象徴するかのような一冊。大きな物語から、小分けにしてソフト販売していくというような発送は、非常によく分かる。世のコンテンツは、機能・仕様と共に、その物語が付随する。例えば、誰が、どれだけ苦労して作ったか。作品そのものと同じ位、そうした背景が重視される。しかし、本著はもう少しコンパクトな...続きを読む内容にできたのかな、と思う。

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Posted by ブクログ 2019年12月16日

オタク文化論的なものかと思って読み始めたら少し違って、オタクとその消費社会の変遷と背景とは、という感じだった。オタク(という言葉自体今となっては特別な意味を含んでいない気もする)は自分たちを一括りにされて他者の言葉で定義されるのを嫌うと個人的には思うので、この本も世に出た時は一定の反発があったんだろ...続きを読むうなぁと察する。
※著者は別にオタクを茶化しているわけでもないし、批判しているわけでもない。寧ろご本人はオタクに人気の作品を挙げては素晴らしいと評したり、もっと自由に色々な人がこのテーマについて論じる世の中となることを望んでいる。

これらオタクが消費する社会はアメリカの敗戦に始まっている、という記述から始まり、それぞれの年代ごとにオタクに受ける要素が変わってくるという仕組みがなかなかに面白かった。一時期キャラクター小説が多かったのも納得。原作の世界観を完全に忠実に守ったうえでの二次創作が受けるというのも納得。
あとは「オタクになりきれなかったオタク」という村上隆へのオタクの反発も、すごく、わかる。同じものを見て同じように感動をし、では芸術家としての手法で表現をしたところで、オタクからしてみれば、「大事なのはそこじゃないんだよ、それを理解できないのにこの世界に首を突っ込むな」となるわな。オタクと芸術家はやはりアウトプットの仕方が根本的に違う。

最後のインターネットの世界をオタクの社会に結び付けるのはちょっと強引じゃないか…という気もしたが、確かに要素を並べると仕組みとしてはよく似ている。でも個人的には納得しがたい…!似ているだけで繋がりはないのでは、と感覚的には思う。

やはりこの本の肝としては、オタクでない文化に比べて、サブカルチャーは格下であるという意識が世間的にはあった中で、そこを真面目に正面から向き合ったということだろう。
現在はオタクとそうでない所謂一般人との境目が、この本出版当時よりも曖昧になっていると思われる。その中で同じように論じるとすれば、どうなるかな。と考えるきっかけにもなる。

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Posted by ブクログ 2019年08月16日

「設定・世界観の評価」「物語消費」「キャラ萌え」
70年代以降の文化的背景について。社会性ではなく動物的欲求に還元することで孤独を見出すオタクについて。
発売から20年近くたった現在では、人はなにかしらの「オタ」であり、それをコミュニケーションツールにしているような気がする。自分の好きなものについて...続きを読む語れるということもソーシャルスキルのひとつだ。

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Posted by ブクログ 2019年07月16日

2019.7.15
今更読む。僕が学生の頃、宮台真司あたりが終わりなき日常を生きろみたいなことを言ってたけど、あれからもうだいぶ経ったんだなぁ。

人間が大きな物語を志向していた事自体が近代の幻想な気がするよ。

現在のオタク達は結構な強度をもっているよなぁ。

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