東浩紀のレビュー一覧
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1
Googleの創業理念「世界中の情報の体系化」
→ルソーの一般意志の実装化
『社会契約論』=個人主義どころか、ラディカルな全体主義の、そしてナショナリズムの起源の書として読むことができる
「個人の社会的制約からの解放・孤独と自由の価値」と「個人と国家の絶対的融合・個人の全体への無条件の包含」という矛盾
集合知・群れの知恵の再検討
→「多様性予測定理」と「群衆は平均を超える法則」
2
関係規定でなく、結合された人々、支配者も被支配者もともに属する共同体(→一般意志)を生み出すための本
社会契約(社会を作ることそのもの)→一般意志→統治機構
政府は一般意志の手足にすぎない
一般意志の執行は民主制より君主制のほうが適する
重要なのは国民主権だけで、誰が担うかはだれでもよい(→フランス革命)
←革命権を保証するもの
ホッブス『リヴァイアサン』
またこれらは虚構で、理念に過ぎない(学術的)
一般意志も全体意志も特殊意志の集合にかわりない
一般意志は共通の利害に関わる⇔全体意志は私的な利害の総和
→特殊意志はベクトル(数学的)、全体意志はスカラーの和
3
一般意志が適切に抽出されるためには、市民は「情報を与えられて」いるだけで、たがいにコミュニケーションを取っていない状態のほうが好ましい
=政治にコミュニケーションは必要ない
4
一般意志は人間による秩序の外部
公共性アーレント/ハーバーマス→熟議民主主義
シュミット
≒トーマス・フリードマンの「フラット化」
5
Googleやユビキタス社会
「一般意志はデータベース」
総記録社会
一般意志1.0は物語で存在しない
→一般意志2.0はデータベースとしてサーバにある(民間企業に占有されている)
6
「心の動揺」の起こし方
7
国民の必要なものをデータとして理解する
ルソーの立法者=精神科医
人間は中途半端に動物だから社会をつくってしまう
ネットには無意識が記録(可視化)されている?
夫と妻の非対称性
メタ内容的記憶保持
フロイト『日常生活の精神病理学』
8
総記録社会=市場原理主義・社会民主主義
自分自身を認識するために、国家とデータベースという二つの手段をもっている
いままでの自覚とは異なった自覚の回路が現れている
熟議の限界をデータベースの拡大により補い、データベースの専制を熟議の論理により抑え込む国家
大きな公共は存在できず、小さな公共の切り貼りで
9
一般意志をモノとして捉える
10
ひきこもりの作る公共性
11
無意識民主主義
激安の機能制限普及型政治参加パッケージ
ニコニコ動画の利用
12
市民の固有性を奪う
13
ローティのアイロニー=デリダの歓待の論理=柄谷のヒューモア
動物としての人間がたがいに憐れみを抱き感情移入しあう
Twitterについて
14
mixi民主主義 Google民主主義 Twitter民主主義
15
動物的な生の安全は国家が保障し、人間的な生の自由は市場が提供する -
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『SFの書き方』の代わり
・現実の記憶や感覚、いま見えている世界といったものに対する疑いを持つ。
・塀の上にいる猫に「なぜそこにいるのか」という問いを立てるのがミステリの楽しませ方で、「あの猫は何者か」という問いを立てるのがSFの楽しませ方。
・変な世界を短編で設定するなら、よく知ってる現実からパラメーターをひとつだけ変えるぐらいがちょうどいい。
→ 『夜来たる』アシモフ
・読者は読みながらどんどん忘れていくので設定の説明から始めてはいけない。
・ストーリーに関係ない限り、あらすじには登場人物の外見は書かない。3行以内で、ひとまとまりの一貫した何かということを意識する。
・あらすじは面白さより分かりやすさを重視する。
・アクションシーンでやってはいけないことは、決めずに書くこと。空間的に何がどこにあるか、物理的にどうなっているか、その人間の精神状態や体力とかをあらかじめ決めておく。
剣戟アクションの場合はいかにして室外に出るか。
・Scriver, InDesign (アプリ)
・あらすじはオチまで書く。 -
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「テーマパーク化する地球」を先に読んでいたので、内容はやや重複気味。それでも東さんの批評は自然と体内に入ってきて、消化しやすくて、吸収した先でどことなく自世界が拡張したような感覚が得られるので、好き。
以下、はじめにより一部抜粋
> ぼくたちは環境に規定されています。「かけがえのない個人」などというものは存在しません。思いつくこと、欲望することは、たいてい環境から予測可能なことでしかない。あなたは、あなたの環境から予想されるパラメータの集合でしかない。
(中略)
しかしそれでも、多くの人は、たった一度の人生を、かけがえのないものとして生きたいと願っているはずです。環境から統計的に予測されるだけの人生なんてうんざりだと思っているはずです。ここにこそ人間を苦しめる大きな矛盾があります。
(中略)
その矛盾を乗り越えるー少なくとも、乗り越えたようなふりをするために有効な方法は、ただひとつ。環境を意図的に変えることです。環境を変え、考えること、思いつくこと、欲望することそのものが変わる可能性に賭けること。自分が置かれた環境を、自分の意志で壊し、変えていくこと。自分と環境の一致を自ら壊していくこと。環境が求める自分のすがたに、定期的にノイズを忍び込ませること。
(中略)
ネットにはノイズがない。だからリアルでノイズを入れる。弱いリアルがあって、はじめてネットの強さを活かせるのです。 -
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かつて厳しく対立しあった過去をもちながら、その後急接近することになった小林よしのりと宮台真司の二人に、司会役の東浩紀を加えた三者が、現代の日本が直面する諸問題について論じあった鼎談です。
小林は、『ゴーマニズム宣言』シリーズで「サヨク」を批判し「保守」の立場を標榜してきました。他方宮台は、右翼を主意主義、左翼を主知主義とみなしています。そのうえで、カール・ポパーのピースミール社会工学のような漸進主義を評価し、たうえで、「ネトウヨ」が「知性の劣化」ではなく「感情の劣化」として位置づけることで、小林の立場に歩み寄りを見せています。こうした漸進主義には同意をおぼえますが、日本のポパリアンである鶴見俊輔や市井三郎のような選択肢も存在しており、かならずしも宮台のいうような意味での「保守」に近づく必然性はないのではないかという疑問を感じます。
こうした、小林と宮台の両者に共通に見られる発想は、決断主義に接近するという意味で、東の立場と対立する面があるように思われます。本書では東は基本的に司会の役割に徹しており、みずからの思想を積極的に提出することは控えているようですが、『宇宙戦艦ヤマト』の例を引きつつ、「社会と実存の混同」という問題を鋭く指摘しています。宮台はさすがに、この問題の背景についての深い洞察を示してはいるものの、彼の議論のうちにこの問いに対する充分な回答を読みとることはできませんでした。ただし、「東くん自身、よしりんの戦略に近づいてきてる気がする」といい、「『弱いつながり』という本でも、客観的な分析に加えて、東浩紀はこういう生活をしているこういう人間だということをベースにしている」と、鋭い指摘をおこなっています。 -
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朝日新聞が発表した平成の30冊で何と4位に選ばれた著書。読んでみたが、以下の下り以外は、教養のない自分にはまったく意味が分からなかった。
けれども、その起源がギリシア哲学に遡ることからわかるように、最善説の本質は、神の有無以前に、ぼくたちが生きるいまここのこの現実、その唯一性や一回性に対する態度にあるからである。最善説の支持者はこの現実に「まちがい」はないと考える。すべての苦しみや悲しみに意味があると考える。批判者はそうではないと考える。なんの意味もなく、無駄に苦しめられ殺されるひともいると考える。重要なのはその対立である。
したがって、その訪問権の概念の射程は、国家意志と結びつく外交官の「訪問」ではなく、商業主義的な観光のイメージで捉えたほうが、より正確に測ることができると思われる。観光は市民社会の成熟と関係しない。観光は国家の外交的な意志とも関係しない。言い換えれば、共和制とも国家連合とも関係しない。観光客は、ただ自分の利己心と旅行業者の商業精神に導かれて、他国を訪問するだけである。にもかかわらず、その訪問=観光の事実は平和の条件になる。それがカントの言いたかったことではないか。
それもまた、二十一世紀のいま現実に起きていることである。国際社会が「ならずもの国家」を指定し、テロリストを生みだしている裏側で、世界は膨大な数の観光客を送り出してもいる。彼ら観光客は必ずしも「共和国」から来るとはかぎらない。中国もロシアも中東諸国も、西欧の基準では成熟した国家と言えないかもしれず、それゆえ国家としては、永遠平和設立のための国家連合には加えてもらえないかもしれない。
けれども、それらの国の市民も、観光客としては世界中を闊歩しており、そしてそのかぎりで祖国の体制とは無関係に平和に貢献している。実際、日本と中国あるいは韓国との関係はつねに深刻な政治的問題を抱えているが、相互に行き来する大量の観光客によって、関係悪化はかなり抑止されている。 -
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「物語は何処に行ったのか?」
ライトノベルや美少女ゲームを通じてオタクとこの社会との関係性を見ていく。
大きな物語が力を失うなかで、文学の一つの可能性としてのライトノベル。コミュニケーションの効率化としてのキャラクターを使った伝達。
第一章は 理論 第二章は 作品論
ライトノベル→キャラクター小説
ライトノベルというものが市場の中でも大きなインパクトを持ち出してきている昨今、文学というものを考える上でも無視できない。また普通の文学小説とライトノベルの境界にあるような小説も最近では見られる。
そういったものを考えていくうえで一つ参考になる論考であろう。 -
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思想家・東浩紀氏が旅についてとインターネットの検索ワードについての思索を交差させて書いたエッセイです。ネット社会と呼ばれる現代において検索ワードを考えて情報を得ることが自らの世界観を構築するうえで重要な要因といえます。しかし、普段と変わらぬ日常に身を置いていると検索ワードは凡庸になりがちです。そこで旅をして自身を普段と異なる環境を置くことで新たな着想を得、今までになかった世界観を見出すことができるとしています。また、言葉によって世界観は支配されていますが、現物を見聞きして得られるものは言葉以上のちからがあり、言葉重視からモノ重視へとシフトすべきという持論を展開しています。平易な文章で読みやすかったです。
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インパク知5・5
かかった時間180分くらい
『動物化するポストモダン』の続編。前著?がオタク文化の分析を通じてなされた社会批評だとすると、本作はオタク文化の分析を通じてなされた文学(可能性)批評だという。
大きな物語を喪失した私たちは、等価値的な、すなわち多様性が認められるかわりにとことん無価値的にも思える生を生きている。「ゲーム的小説」は、そんな時代を反映する、リセット可能で攻略対象化されたいくつもの現実と向き合う(または向き合わない)プレイヤー的登場人物と、リセット可能で攻略対象化されたいくつもの虚構と向き合う(または向き合わない)読書の関係が重ね合わされて描かれている「文学」だというのが、筆者の主張である。
東浩紀については、たしか2013年出版の『セカイからもっと近くに』から読み始めていま3作目だが、『動物化』で行った社会批評をもとに、オタク文化(とくにセカイ系)の文学解釈に至るための、本作は過渡期なんだなあということがわかった。作品として洗練されまくっているわけではない(自分自身も集中して読み切れなかった面もある)が、おもしろくは読めた。