東浩紀のレビュー一覧
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ネタバレ訂正する力とは、一貫性を持ちながら変化する力のこと。しかし、日本には変化=訂正を嫌う文化があり、かつての自分の意見とわずかにでも異なる意見を述べると、「以前の発言と矛盾する」と指摘され、集中砲火を浴びて炎上する。また、すぐにゼロかイチか、過去を否定するか肯定するか、リセットするかなにも変えないかの対立の議論になってしまう。少しでも動こうとすると両方の勢力から批判される。
このような状況を変えるには、相手が意見を変える可能性をたがいに認めあわなくてはいけない。「ひとの意見は変わるもので、われわれも意見が変わるし、あなたがたも意見が変わる」という認識をみなで共有すし、相手の意見を受けて自分の意見 -
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動物化するポストモダンの続編として書かれた本である。文学おけるリアリティ(現実の解釈)がマンガ/アニメ的リアリズム(一回性の死/物語)から0年代以降ゲーム的リアリズム(並行世界/メタ物語)へと変化していった事を明示している。
昨今の文学のみならずゲームやアニメ、漫画、SNSなどあらゆるコンテンツがゲーム的リアリズムになったであろう。ゲームをプレイする主体と、そこに存在するゲームシステム、何度も繰り返す物語の分岐とはじまり。あらゆるものがカオスに、そして再生産され消費される。最近だと異世界転生物が流行っているが、あれも世界系からの新たなるライトノベルの系譜であり、現代社会の表層が現れていると常 -
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國分功一郎『暇と退屈の倫理学』の注でも紹介されている本書。初版は2001年なので、もはや23年前の本になるが、今年は東浩紀氏の本をたくさん読んでみたいと思っているので、彼の思考を辿る意味でも読んでみることに。
本書はオタク分析からアプローチしているので、サブカルチャーやアニメ、プログラミングなどオタクの世界の読み解きについていくのは正直大変。
したがって、一度全体を読んでから哲学的な考察を拾いながら振り返った。
『暇と退屈の倫理学』でも「動物になること」はキーワードとして出てきているが、改めて「動物化とはどういう状態か」に注目。
本書はアレクサンドル・コジェーブの考え方を参考にしていて、 -
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正しさが求められる現代社会における誤りを見直し、訂正することの重要性を説いている。プラトン、ウィトゲンシュタイン、ルソー、フーリエ、エマニュエル・トッド、ドストエフスキー、アーレント等の歴史上の哲学者・思想家を批判しつつ、そこに訂正可能性の考えを加えると…を論じている。特にルソーはコミュ障とか言ってることが人生の各フェーズで変わるとか「告白」についてとか結構ディスっている。ユヴァル・ノア・ハラリ、落合陽一、成田悠輔らの言説を「人工知能民主主義」として、AIで正解を出して、不正解を排除する思想社会の危険性に警鐘を鳴らしている。とはいえ、やはりあくまで批評家であり、AI関連技術への解像度は低いよう
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現代日本に必要なのは、一貫性をもちながら変わっていくこと。これを「訂正する力」と名付けて、色々と論じた本。1章は現代日本の問題点をうまく言語化していて良かった。でも、2章以降は観念的な話になっていって、イマイチよく分からなかった。
第1章で、日本で訂正する力が働かないのは、「ぶれないこと」をアイデンティティにしている勢力がいて、議論が硬直し、社会の停滞を招いているから。その背景は、日本人は対話において信頼関係を築く訓練を受けておらず、いたずらに意見を変えると攻撃の対象になるかもしれないという不安を強く抱えているから。
これは現代日本SNSの状況なんかを、よく現している気がする。
でも、それ