東浩紀のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
正しさが求められる現代社会における誤りを見直し、訂正することの重要性を説いている。プラトン、ウィトゲンシュタイン、ルソー、フーリエ、エマニュエル・トッド、ドストエフスキー、アーレント等の歴史上の哲学者・思想家を批判しつつ、そこに訂正可能性の考えを加えると…を論じている。特にルソーはコミュ障とか言ってることが人生の各フェーズで変わるとか「告白」についてとか結構ディスっている。ユヴァル・ノア・ハラリ、落合陽一、成田悠輔らの言説を「人工知能民主主義」として、AIで正解を出して、不正解を排除する思想社会の危険性に警鐘を鳴らしている。とはいえ、やはりあくまで批評家であり、AI関連技術への解像度は低いように感じられた。著者が思っているほど、人類は昔も今も訂正可能性に対して無認知ではない気がするけどなといった感想。
-
Posted by ブクログ
学びについて
・文章の透明性という概念。2010年以降のラノベ(なろう)史はこの概念なしでは語れないかも、という風に思う。
・データベースから設定を組み合わせた世界線の地続きの中で、メタの概念は"一瞬"盛り上がりを見せたように感じるが今は当時のそのままのメタ概念はほぼ死滅状態にあるように感じる。生き残ったのはマーダーミステリーやTRPGだなあと。
・なぜマダミスやTRPGが生き残ったのか?についてメタ的知見から考えるのは重要なように感じるが、この本が生まれたのはそれらに翳りがあり、むしろ現代翳っている美少女ゲームが勃興している時代なので言及はなし。
・今に生きる部分は前作・"動物化するポストモダン"の方が大きく深い。この本はロストテクノロジーについて記した歴史書くらいに見た方がむしろ良いように感じる -
Posted by ブクログ
本書で、著者東浩紀は大塚の議論を参照しながら、近代文学を、現実を「透明な」言語で表現するリアリズム小説に代表させ、それに対してキャラクター小説を「不透明な記号」が現実を乱反射するものとして捉えている。キャラクター小説を、近代以前の神話や民話が形を変えて復活したものと見ている。
しかし現実を非現実的に異化したり、非現実的なものを逆にリアルに表現するような小説なら、近代文学にありふれているし、オタクたちのキャラクター小説など及ばないレベルで既にやられているのである。ここでは二項対立そのものが不適切で、後者を不当に高評価することにしかならない。
オタク的な文化を近代を越えるものとして考えるのはまったくの誤解で、それは単に近代のレベルにも到達していない未熟さを表すものにすぎないのではないか。それが日本において発展したのは日本にはその未熟さを受け入れるようなものがある、そのことが特殊なのではないか。
成熟の過程で、漫画やアニメやゲームといったサブカルチャーを卒業し、文学や芸術に進む、というふつうの道のりを経ずに、サブカルチャーに固着してしまったのが、オタクという現象なのではないか。(もちろんそのような近代的成熟概念を無効にするのがポストモダンだといえばそれまでだが。)
オタクは資本主義の消費者という視点も欠けている。オタクコンテンツは資本主義商品であり、東がいう「データベース」も商品を売るためのマーケティング戦略だ。
東がいう「メタ物語的構成」も、オタク文化に特有のものではない。そもそも作品とは、創作者からその受け手に対して送られたメッセージであり、その内部的な構造だけが意味を持つようなものではない。それははじめから外部環境の産物であり、作者も受け手もそのことを意識している。
ただのオタク文化がポストモダン文化であり、これまでの近代的文化を超えるものであるかのような過大評価が行われている、という印象を持った。私は、オタク文化がそれほど重要な意義を持つものだとは思えない。
もうひとつ指摘しておきたい重要なことは、ゲームといえば、さまざまなものがあるのになぜ美少女ゲームを中心に語るのか。仮に「ゲーム的リアリズム」のようなものがあるとしても、それを美少女ゲームだけを対象にして分析できるのか。
この本が出た当初は、いまと時代状況が違ったのかもしれない。しかしいまになってみれば、オタク文化が文化の中心になることはなかったとはっきり言えるのである。後出しじゃんけんのようだが、そういうことだ。 -
Posted by ブクログ
・大きな物語のない時代における、避けられない動物化(=生きる意味を考え、社会の調和に背くような人間らしい行動が必要がなく、社会の流れの中で自分の欲求に従って生きることが人間の潮流的な行動になること)のメカニズムをオタク文化で紐解いた本
・1番最後の章が難解。理解できなかった
・初版が2000年代初頭なので"現代でもそうか?"という疑念を持ちながら見た方がいい
・一方で70年代から00年代に至るまでのオタク文化の変遷は非常にわかりやすく理解できる
・設定を物語という切り口で味わっている感覚は自分の中にもあったので、それはそうだなとシンプルに思った
・個人的に面白かったのは「模倣が模倣を呼ぶのが当たり前の文化だからオリジナルとコピーの境界線からそもそも曖昧」の下り
・大きな物語のない時代において、設定を愛すようになったのは動物化してるから?
・体系論ではあるものの、それはそうだねという内容も多いので、70年代〜90年代くらいの日本社会の様相に疎い(30代前半くらいの)人たちで、かつそこの変遷から消費行動を紐解きたいニーズが特段なければ読まなくてもいいとは思う -
Posted by ブクログ
明治維新後の日本史を紐解きながら、日本社会のさまざまな矛盾を指摘して、現代社会の「生きづらさ」の原因に迫る対談集。
天皇・戦争・憲法などのトピックは、学校の授業で「歴史はこういうものだ」と習って、機械的に「そういうものだ」と覚えたため、議論することも無ければ、問題にすら感じていなかった。そのため、私はいろいろな矛盾に気づくことができない。また、複雑に絡み合う事情に正面から向き合う知力が無いので、何となく「生きづらさ」だけを感じてしまうのだろうか。一方で、単純化して発信されるような情報に飛びつきやすい(イチイチ反応しやすい)のかも知れない。
教養があり、ウィットに富んでいる3人の対談がスピード感を持って進む。脱線するというよりも、議論が広がりと深みを見せていくイメージ。例えば、文化の形成過程とイノベーションの類似性、さらには税金を巡る大学の存在意義まで、次々と展開していく部分などが挙げられる。
正直なところ、何を仰っているのか少し難しい部分もあったが、言葉の捉え方や視点が独特で、「ここでこう来るか!」と、俊英たちの思考回路に驚かされた。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ家族、制作について興味があり手に取った。
第一部は興味深かった。
ちょうど「M-1の審査員を、その大会で実績を残した人たちで構成するのは不健全ではないか」というコメントがあり、訂正可能性と持続可能性について言っていたのかなと考えていた。
p61 外部からの参加を排除したままだと滅びる
p84 当事者ではない問題についても、訂正されるとわかっていても関わる勇気を持つ
p88 誤配と訂正の連鎖こそ人生
p105-108 同じ人間だからという概念は大きすぎて、わたしたちという共感は持てない。でも「わたしたち」の範囲は修正し拡張できる。
→希望を感じた。 -
Posted by ブクログ
【きっかけ】
キャストチャンネルにて認識して以来、ずっと頭にはあった作品。
そんな中、最近著者の東さんが経済メディアのNews Picks の動画番組に出演しており、そこでの話ぶりが面白くて、本書をこのタイミングで読んでみたくなった。
【感想】
いくつかの楽しみ方がある
一つは著者の苦悩を疑似体験することだ。
・小さな出版社を経営する苦悩
・スタートアップではない会社ならではの、会社を大きくする
苦悩
・哲学者が会社経営を行う苦悩
著者があとがきにて、「それでも出版を止めていないのは、「私小説的」で「露出狂的」な著作こそが、もしかしたらいまの哲学全体にとって必要になっているのではないかとの予感があったからである。」と記載のあった通り、本書は赤裸々に著者の失敗が語られており、それを読むことが1番の醍醐味になるだろう。
また、個人的に面白かったのは、少し前の世代の論客とそのネットワークを知れたことである。
私にとって、経済メディアを見たり、東さんの言う論壇の人達を認識するようになったのは、2014年頃からであり、それよりも前の世代の人達はについてはあまり知らなかった。
本書では、多くのゼロ年代の論客達が登場する。
【心に残った文】
81p
ゲンロンカフェだったら、このケーブルはどこにどうつながっていて、どんな意味があるケーブルか、配線レベルまでいちど完全に把握しました。業者の請求書も細かいものまですべて確認しました。面倒なことを人任せにせず、ゲンロンについてなら、何を質問されても答えられる状態になりました。
会社を経営するためには、いちどその段階を経ないとダメです。
210p
ぼくにしてみれば、ゲンロンはぼくが稼いでいるからこそ成立しているという気持ちだったのですが、社員やアルバイトからしたら、いつもオフィスにいて相談に乗ってくれるEさんこそ「大黒柱」に見えていたのです。
→そういことってありそうだな〜、と思っていたことが現実に起こったことが記されていたので、印象に残った
212p
ゲンロンはぼく自身が経営しているのだから、ぼくがぼくに「搾取」されているというのは変な話です。けれども、感情としてはそうとしか表現できない不満を感じていました。
260p
右派からすればぼくには責任感が足りないだろうし、左派からすればぼくには行動が足りないのでしょう。けれど、それでも両方の側が、欠点だらけの試行錯誤の先駆者としてぼくを見てくれるのであれば、それこそがぼくがやりたかったことです。ひとの人生には失敗ぐらいしか後世に伝えるべきものはないのですから。
264p
彼らの過ちはぼくの過ちだ。ぼくはXさんの流用に半年気づかなかった。Aさんの金遣いが荒かったのはぼくの金遣いが荒かったからだし、BさんやEさんが経理を放置していたのはぼくが経理を放置していたからである。