東浩紀のレビュー一覧
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学びについて
・文章の透明性という概念。2010年以降のラノベ(なろう)史はこの概念なしでは語れないかも、という風に思う。
・データベースから設定を組み合わせた世界線の地続きの中で、メタの概念は"一瞬"盛り上がりを見せたように感じるが今は当時のそのままのメタ概念はほぼ死滅状態にあるように感じる。生き残ったのはマーダーミステリーやTRPGだなあと。
・なぜマダミスやTRPGが生き残ったのか?についてメタ的知見から考えるのは重要なように感じるが、この本が生まれたのはそれらに翳りがあり、むしろ現代翳っている美少女ゲームが勃興している時代なので言及はなし。
・今に生きる部分は前作・ -
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自分の価値観、視点、過ごしてきた人生で得た経験値を「訂正する力」を活用することで、過去・現在・未来に至るまでの今生きている自分の考え方を柔軟に世の中を俯瞰できるようになるという内容である。
人間、一人が得られる価値観や視点には限界がある。人との共生のなかで、様々な価値観や考え方を知り、柔軟に自分の人生に取り入れていくことが必要と説く。
本著でも示唆されているが、論破や対話拒否とは違う捉え方であり、議論を通して喧騒あれど、その対話のやり取りは生産性があるとしている。
この本が伝えたい内容は、個人間の話では留まらず、これから、日本は移民が増え、都市開発や都市形態も変容が進み、政治も変わり、社会全体 -
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本書で、著者東浩紀は大塚の議論を参照しながら、近代文学を、現実を「透明な」言語で表現するリアリズム小説に代表させ、それに対してキャラクター小説を「不透明な記号」が現実を乱反射するものとして捉えている。キャラクター小説を、近代以前の神話や民話が形を変えて復活したものと見ている。
しかし現実を非現実的に異化したり、非現実的なものを逆にリアルに表現するような小説なら、近代文学にありふれているし、オタクたちのキャラクター小説など及ばないレベルで既にやられているのである。ここでは二項対立そのものが不適切で、後者を不当に高評価することにしかならない。
オタク的な文化を近代を越えるものとして考えるのはまった -
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本書は語り下ろし形式のためか全体として大づかみな印象を受ける一方、約1時間程度で読める手頃な新書として、非常に読みやすい一冊だった。本書は、タイトルにもある通り「訂正可能性の哲学」とでも呼べるような、新たな思考の枠組みを提唱する意欲作である。
「訂正する力」とは、過去の自らの過ちや誤解を、後から「実はこうだったのではないか」として捉え直し、訂正していく態度を指している。これは一見、科学における「反証可能性」にも通じるが、東の立場はより信念的で実存的な色合いを帯びている。すなわち、「その時には正しいと信じていたことを、後から素直に訂正すること」にこそ価値を見出す姿勢である。信じる力と訂正する力 -
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・大きな物語のない時代における、避けられない動物化(=生きる意味を考え、社会の調和に背くような人間らしい行動が必要がなく、社会の流れの中で自分の欲求に従って生きることが人間の潮流的な行動になること)のメカニズムをオタク文化で紐解いた本
・1番最後の章が難解。理解できなかった
・初版が2000年代初頭なので"現代でもそうか?"という疑念を持ちながら見た方がいい
・一方で70年代から00年代に至るまでのオタク文化の変遷は非常にわかりやすく理解できる
・設定を物語という切り口で味わっている感覚は自分の中にもあったので、それはそうだなとシンプルに思った
・個人的に面白かったのは「模 -
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明治維新後の日本史を紐解きながら、日本社会のさまざまな矛盾を指摘して、現代社会の「生きづらさ」の原因に迫る対談集。
天皇・戦争・憲法などのトピックは、学校の授業で「歴史はこういうものだ」と習って、機械的に「そういうものだ」と覚えたため、議論することも無ければ、問題にすら感じていなかった。そのため、私はいろいろな矛盾に気づくことができない。また、複雑に絡み合う事情に正面から向き合う知力が無いので、何となく「生きづらさ」だけを感じてしまうのだろうか。一方で、単純化して発信されるような情報に飛びつきやすい(イチイチ反応しやすい)のかも知れない。
教養があり、ウィットに富んでいる3人の対談がスピード感 -
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ネタバレ家族、制作について興味があり手に取った。
第一部は興味深かった。
ちょうど「M-1の審査員を、その大会で実績を残した人たちで構成するのは不健全ではないか」というコメントがあり、訂正可能性と持続可能性について言っていたのかなと考えていた。
p61 外部からの参加を排除したままだと滅びる
p84 当事者ではない問題についても、訂正されるとわかっていても関わる勇気を持つ
p88 誤配と訂正の連鎖こそ人生
p105-108 同じ人間だからという概念は大きすぎて、わたしたちという共感は持てない。でも「わたしたち」の範囲は修正し拡張できる。
→希望を感じた。 -
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並行してエマニュエル・トッドを読んでいたのでその理解が深まったが、やはり複数名を一冊に取り扱うようなダイジェスト本だと論説の中身が浅い。広く浅く、まずは関心を、がコンセプトなのだろうからそこで文句を言ってはいけないのだが。本書に関しては、先の賢者たちの言説紹介よりも、後半の日本人同士のセッションの方が面白く感じた。
與那覇氏。「よなは」。と読むらしい。この方の発言で、「民主主義は皆が理性を働かせ、今より良くなっていくことを建前としている」のだから、「ニヒルな人間不信とは相性が悪い」という内容に共感を覚えた。ニヒリストは、もの凄く大きな権力とか構造に対して諦めてしまい、民主主義を放棄しがちだ。 -
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忘却にあらがうとは、風化させないと言う事。風化させないと言う事は、意味を考えるということだという。東浩紀らしくない本だ。本人曰く苦手な時事問題についても扱うエッセイ。不慣れな感じは確かに伝わってくる。いつもの東浩紀の哲学を期待するなら、この本ではない。
切り抜いたのは民主党政権下から、至近のコロナ禍まで。私自身が忘却してしまっている事を認識し、抗いはせず、しかし、思い出す事の楽しさを味わう。人間とは、風化しかけた記憶を取り戻すに愉楽を得る生き物なのだろう。故に、思い出話を語り合う。ならば、忘却せぬ事も良いが、一度忘却する楽しみもあるのかも知れない。
思想地図なんかを読み、東浩紀のチェルノブ -
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【きっかけ】
キャストチャンネルにて認識して以来、ずっと頭にはあった作品。
そんな中、最近著者の東さんが経済メディアのNews Picks の動画番組に出演しており、そこでの話ぶりが面白くて、本書をこのタイミングで読んでみたくなった。
【感想】
いくつかの楽しみ方がある
一つは著者の苦悩を疑似体験することだ。
・小さな出版社を経営する苦悩
・スタートアップではない会社ならではの、会社を大きくする
苦悩
・哲学者が会社経営を行う苦悩
著者があとがきにて、「それでも出版を止めていないのは、「私小説的」で「露出狂的」な著作こそが、もしかしたらいまの哲学全体にとって必要になっているのではないかとの