【感想・ネタバレ】観光客の哲学 増補版のレビュー

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Posted by ブクログ

ネタバレ

哲学書ながら読みやすい一冊だった。グローバリゼーションとナショナリズムの狭間でどう生きるのか。経済的に結び付きゆく世界の中で、自分と他者の壁をどこに設定するのか。難しい問題について考えさせられた。
ゆるく生きる、というのとは少し異なる気がするが、概ね筆者の意見には納得した。ナショナリズムに限らず、例えば会社をとっても、多様な働き方があるいまの時代、一つの組織や集団への帰属意識は不安定なものになりつつある。そこで大切なのが観光客としてのコミュニケーション、つまりすべてが繋がっていることを許容しながらも、自己と他者の境目をなんとなく意識すること。そして他者の認識は100%そのものを理解していると認識せず、見えているのは一部=誤配でしかないことを認め、そのなかで他者理解に努めること。様々な物事について、この考え方は適用できるのではないかと感じた。
100%理解できたとは思えず、また再読したい。

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2023年08月16日

Posted by ブクログ

この本は、哲学は決して高尚な取っつきにくい学問ではなく、身近で面白いものなのだということを、読みやすい文章で示してくれている。図らずもコロナ禍を経て「観光客」というキーワードが、初版の時以上に意味を持つようになった。「親」として生きることに対するメッセージが深い。カラマーゾフの兄弟を再読せねばと思う
「訂正可能性の哲学」が大変楽しみである。

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2023年08月15日

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ネタバレ

「観光客の哲学」初版は既に購入して読んでいたのだけれど、今回の増補版で再読して
新たな発見がいくつもあったので、備忘録として記しておくことにした。

 まず第4章の「二層構造」。カント、ヘーゲルの時代から哲学者が考えてきた国家と市民社会のことがものすごくわかりやすく述べられている。21世紀はネーションの統合性が壊れただけの状態であり、2つの秩序が独立して存在する「二層構造の時代」であると。
もはや普遍的な正義が存在しない、リベラリズムの根幹が揺らいでいる現代には、上半身(理性、政治)と下半身(欲望、経済)は別々の秩序で動く。これは、コロナ禍を経験した我々には実感を伴って感じられる。医療者である私の上半身(理性)は、この新型ウイルスを正しく恐れ、思慮深く理性的に行動することを職場から求められ、医クラは一致団結をして正しい情報を発信しようとする。そして、欲望のままに行動する市民を厳しく糾弾する。そこには、「我々だって飲みに行きたいのに我慢して病院内でクラスターを作らないように行動を抑制しているのに」という、自由に行動する者に対する軽蔑とともに、羨望も含まれていたことは否定できない。実際に、そのような理性的な振る舞いを求められることに疲れ、職場を去ったものは数知れない。このようなリバタリアンな側面とコミュニタリアンな側面の折り合いをつけることがどれほど難しいかということが、身に染みてわかるのだ。
 そして、これまた、規律訓練と生権力という権力の二類型についても、同じ個人が、個別のコミュニケーションの場では人間として扱われ、同時に統計の対象としては動物として扱われるということは、医者の世界では日常的である。癌の5年生存率を語るときに、私たちは努めて冷淡に「情報」を伝える。一方で、目の前にいる個人に対して、私たちはその動揺や葛藤を傾聴し、支えるのだ。どの職業でも同じだろうが、エビデンスや統計を重視する科学重視派の医師と、患者の気持ちを支える人情派の医師は、時に同じ職場の中でぶつかることもある。
 この二層を横断する運動として、個人(私)を出発点として公共の政治に繋げるような試みとして、第5章の観光客(誤配)、郵便的マルチチュードが導入される。
 
 グラフ理論のスモールワールドとスケールフリーは、まさに脳科学の分野でシナプスの振る舞いとして研究が進んでいるもので、この話を初めて本著で見た時にはとても興奮したことを覚えている。もう10年ほど前になるが、東大の池谷先生の講演で、シナプスのネットワークのつなぎかえについても、学習や記憶、可塑性の観点から話を聞いたことがある。生物学的な(数学的な)法則は人間の社会的な側面にも深く浸透しているのだということをダイナミックに示してもらったようで、科学と人文学のクロストークに触れた気分だ。
 本章で東は、リチャード・ローティーのプラグマティズムに触れる。共感の連帯、ルソーからつながる憐れみの連帯を、再誤配の戦略として捉え、そして観光客の哲学を家族の哲学
へとつなげていく。

 そして第2部は、家族についての哲学である。普段の診療の中で子どもを通じて「家族」を扱う小児科医としても、この第2部は非常に知的好奇心を刺激された。家族の強制性、偶然性、拡張性について述べられた第6章を読むだけでも、この議論が一筋縄ではいかないことがよくわかる。出自の問題や家族の強制性については、多くの作家の小説でも主題として取り上げられているし、その偶然性や拡張性については、例えば是枝裕和の映画の主題でもあるだろう。そして第7章ではフロイトの論文「不気味なもの」をタイトルに取り上げる。
ラカンの主体性についての想像的同一化から象徴的同一化への二重性が、ポストモダンの時代変遷の中でどう位置付けられるべきかについての考察はとても興味深い。平野啓一郎の分人主義の著書に当時私も大変共感したのだが、小児科の実臨床では「器用に分人を使い分けられない」子どもや大人を目の前にするばかり。理論(理想)通りいかないことばかりの壁にぶち当たる。ここで東の述べるように、現代の情報社会の本質を、こちらとあちらが曖昧になる「不気味なもの」として捉えることの重要性は、アクチュアルな思想の実践としてたいへん実臨床と親和性の高いものだと感じた。フロイトのテクストの再読を予感させる続編を期待したい。
 第8章のドストエフスキー論については、カラマーゾフを再読してから改めて考えたいと感じたが、章の最後にある東のメッセージである「親であることは誤配を起こすことであり、親として生きよ」は、親子関係を扱い、子どもを通じてではあるが親をエンパワーする立場にある私たち臨床家にも大変力強い言葉であった。
まとまりなく読んだ感想をつらつらと重ねたが、訂正可能性の哲学も早く読みたいところである。

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2023年07月12日

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新たに「2章2万字」が追加された増補版。そのこと自体が、まるで家族の拡張可能性そのもののようだ。イラストの小鳥が、帯でそのことをお知らせしてくれています。かわいい。

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2023年06月27日

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分断が進み、友―敵しかないような現代にあって、いかにして連帯は可能か。ポストモダンの動物化のなかで、どうしたら人間でいられるか、社会を少しでもましにできるか。実に現代的な課題に、まじめに向き合ってゲンロンを展開する。そのベタな姿勢には称賛しかない。あとは、この観光客的な連帯を、どう実装するかだ。

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2024年04月30日

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師匠から、読んでみてほしいと言われた一冊。

賛否がかなりある人ということもあり、別の先輩から「そんな人の本読んでるの」と言われて、部分的に納得もしたのでしばらく中断してた。
けど、猪瀬直樹氏との対談動画で、彼に対してしっかり言うべきことをおっしゃっている姿をみて、東浩紀さんをキャンセルする必要はないと思い再開。
(ただ、東浩紀さんによる過去の問題あった言動をすべて無しにするわけではないことはご理解いただきたい。この人の言葉に向き合ってみてもいいかもと思っただけである。)

400頁あり、(後述する通り「ゆるく」はしているものの)私の勉強不足もあるので、そこそこ難しくは感じた。
哲学的なバックグラウンドはもちろん、数学・表象文化論・メディア論・文学など多様な学問的素材が連関しているので、理解できなかったところも多々あるのが正直なところではある。

ただ、今のところ、とても共感できる本だった。
「今のところ」というのは、姉妹編とされている『訂正可能性の哲学』はこれから読むからである。

まず、この本は本来『他者の哲学』というタイトルが付されうる本だと思う。
しかし、このようなタイトルにした意図の一つとして「他者のかわりに観光客という言葉を使うことで、ぼくはここで、他者とつきあうのは疲れた、仲間だけでいい、他者を大事にしろなんてうんざりだと叫び続けている人々に、でもあなたたちも観光は好きでしょうと問いかけ、そしてその問いかけを入口にして、「他者を大事にしろ」というリベラルの命法のなかに、いわば裏口からふたたび引きずりこみたいと考えている」(40頁)と記されている。
これを正直に書いちゃうところに、どこか可愛さも感じるが、言いたいことはとても分かる。
「他者」という旗を掲げるだけで、一気に言葉が届かなくなる層が一定程度いることは、私もひしひしと感じていて、リベラルの課題だと思っているからだ。
(逆に、第6章で「家族」という旗を掲げたのは挑戦的だったが、言いたいことは伝わった。)

そんな「観光客=他者」を主題として、次の時代における行動指針を示してくれている。
そもそも、東さんは現状の世界秩序をかなり批判的に捉えており、それに対する抵抗によって改善を志している。
では、次の時代はどう切り抜ければよいか。その一つのヒントがまとまっていたのが以下の部分である。
「優先的選択を誤配へと差し戻すことを企てる。そして、そのような実践の集積によって、特定の頂点への富と権力の集中にはいかなる数学的な根拠もなく、それはいつでも解体し転覆し再起動可能なものであること、すなわちこの現実は最善の世界ではないことを人々につねに思い起こさせることを企てる。(中略)ぼくたちは、あらゆる抵抗を、誤配の再上演から始めなければならない。ぼくはここでそれを観光客の原理と名づけよう。21世紀の新たな連帯はそこから始まる。」(237頁)
そして、チャード・ローティが打ち出す「リベラル・アイロニスト」の議論を踏まえて、そのような「連帯」をつくりだすのは「共通の信念や欲望の確認ではなく、単純に「苦しいですか?」という呼びかけ」(243頁)であると解釈している。
ここは本を実際に読まないと理解できないし、私もこの感想だけを読むことに終始せず、実際にこの本を手に取ってほしいので、特段解説はしない。

以上のような中身の話に加えて、スタンスの部分も共感できるところが多かった。
本人たちにそのような意図はなくとも、結果的に知識層による知の独占は存在していて、その反発が、トランプ元大統領の台頭をはじめとした、右派ポピュリズムを生み出している。
その潮流に歯止めをかけるべく、ゆるくすること/歩み寄ること/開くことに、東さんは重要性を見出している。
彼は、「哲学はずっと(中略)ラディカルに線を引くことばかりを目指してきた。けれどもそれだけでは見失われるものがある。」(6~7頁)と考え、「読者を聞き慣れぬ固有名と難解な専門用語で圧倒し、世界のすべてが理論で切れるかのように錯覚させる、ある時期の思想書のきわめてマッチョで、そしてナルシスティックな抑圧的なスタイル」(8頁)から脱却すべく、「あえて「ゆるく」語ることを選んだ」(9頁)ということで、このような珍しい哲学書の形態をとっている。
ポップで可愛い装丁もその文脈であろう。
ここから、東さんが上述したような「言葉が届かなくなる」壁、それどころか逆効果を生んでしまう現象にぶつかったことがひしひしと伝わる。
レベル感は大きく劣るが、私も同じ性質の壁にぶつかったからこそ、この思想は強く共感した。
実際、「分割をしない運動」(181頁)として説明される「マルチチュード」は、この本における大事なキーワードである。

加えて、上述したような潮流に対して、日本だとこういう時、ただ無思考に中立でいようとする知識層が一定程度いるが(このような姿勢は現状の追認/黙認であり全く中立ではないことを書き添えておきたい)、彼はちゃんと自らの立場を、「ぼくは、自分はリベラルで、ポストモダニストだと考えている。」(9頁)と明記している。
立場を表明することから逃げていない。
その上で、自分の支持する立場に対してある程度の厳しさをみせている。(だから一部ではプライドを傷つけられて彼をキャンセルしようとしているのかもしれない。)
支持したい立場を盲信するのではなく、その弱さを正面から認め、それを乗り越えるにはどうすればよいのか、思想的には理想主義だが・手法的には現実主義である姿勢は、尊敬に値する。(そしておそらく手法も理想主義的であるべきだと考える人が上述したような彼をキャンセルする人なんだろう。)

かなり褒めてしまったが、最後に二つこの本のマイナス面にも触れておく。
まず、最大の欠点は、デモへのリスペクトが欠けているところだ。200頁や238頁の書きぶりは、読んでいてあまり気持ちよくはなかった。
もう一点は大きな問題ではないが、やはり後半は、ご本人が記されていた通り、あまりまとまっていなくて面白くなかった部分も多い。第1部と第2部の最初(第6章)が良かった分、第2部の後半(第7章~第8章)と補遺(第9章~第10章)は、私の知識不足もあるし、長かったのもあって、ちょっと頑張って読み進める必要があった。

最後に少しだけ厳しいことを書き添えたが、総じて良書だった。
姉妹編『訂正可能性の哲学』を読んで、ここに示した考えがどうなるのか、早速楽しみである。

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2024年03月15日

Posted by ブクログ

観光客=誤配=他者といった認識。

意図しない偶発性が生み出す関係に基づく、グローバリズムとナショナリズムの二者択一ではなくて、新しいアイデンティティを。そこには政治的なや経済的なつながりではなく、「憐れみ」のような感情的なものに促される連帯がある。

過去の哲学者や事象による思想を乗り越えようという試みは、哲学入門書を読んでいるだけでは味わえない生の哲学という感触で読み応えがある。同時に、過去の思想に(著者の解釈を織り込んであるだろうが)も多角的に触れることができるのは個人的に有益。ここから興味の幅が広げることができるのさ。

姉妹編「訂正可能性の哲学」も早速読み始めよう。


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2024年02月12日

Posted by ブクログ

4章 二層構造 が見事。
人間の層、政治、理性、ナショナリズム
動物の層、経済、欲望、グローバリズム
の対比と「共存」の時代という認識。

順番を違えて、訂正可能性の哲学から読んでしまったが、確かに訂正可能性の哲学で本書はひとまとまりの結論を出すつくりになっていた。

第6章の家族以降が軽快、発散的。その分、骨太さはない。

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2023年12月10日

Posted by ブクログ

リベラリズムが力を失い、グローバリズムすなわち市場経済で動物化している思考とナショナリズムすなわちコミュニティにあって自我を確立する思考とが同時に成立する中で、観光客的に無責任に個がつながって信頼関係を作るのが分断を乗り越えるのに大事という話、と理解した。話がいろいろ広がるので他のポイントは掴みきれてないけど、上記の話は納得する。これから読む訂正可能性の方が気になっているので楽しみ。

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2024年02月23日

Posted by ブクログ

増補の内容は本論の発展や展開というより、関連する随想という印象。とはいえ、改めて読み直してもやはり面白かったし、発見もある。「訂正可能性の哲学」への期待は高まる。

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2023年07月29日

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