東浩紀のレビュー一覧
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昨年、『訂正可能性の哲学』(ゲンロン)と立て続けに発売されていて気になっていた、東浩紀さんの「訂正」シリーズ。どちらから読もうかと迷った結果、新書のこちらの本から手に取ってみました。
「訂正する力」とは何か?
読み進めてみると、「聞く力である」「続く力である」「老いる力である」とたくさん出てきます。どうやら一言で説明するのが難しそうな力です。
「この状況認識は「脱構築」に似ている」とあり、千葉雅也『現代思想入門』でジャック・デリダの脱構築という考え方もおさらいしながら読み進めていくと、一気に理解が進みました。
「脱構築」とは、何か対立する場面において、自分が安定していたいという思いに介入して、他者の考え方にも開いて対立を乗り越えていこうとする考え方。
要するに、「訂正する力」はデリダの「脱構築」をより現代の私たち日本人に伝わりやすいように東浩紀さんがアップデートしてくれたもので、さらに対立を乗り越えるだけでなく、それを持続させていこうというときに、状況に合わせて訂正し続けることがその解決策になるのだ、と理解しました。
そして、東浩紀さんは私たち日本人こそが訂正が得意なんだと訴えかけています。
「ぼくはなぜか、いまの世界には考えるひとがあまりにも少なく、それはまずいと感じてしまった。みなが「考えないで成功する」ための方法ばかりを求める国は、いつか破滅すると感じてしまった。そう危機感を抱いたこともまた、本書執筆のきっかけのひとつです。」
最後のこのメッセージは刺さりました。
AIが躍動する便利な世の中だからこそ、しっかり学び考える力を養わないと!
続いて『訂正可能性の哲学』に進みます -
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ネタバレ15 思想の核となるアイデアはいままで言い尽くされている。
ゆえに哲学書の本質は、そのテーマの新しさにではなく、むしろスタイルや意匠の新しさに存する。
つまり、いかに語るかという装飾という非本質な部分こそが本質だと言えるし、本質こそが非本質である。
さらに、言えば、この本質と非本質の定まらなさ・決定不可能性こそが哲学の「本質」だとも言える。
241とある時代のとある主張は、「新しい思想」というよりも、単にその時代状況の表現だと考えた方がよい時がある。
26. 「観光」の条件
労働階級の台頭、大衆社会化、産業主義化。
・クックは、観光を通じて大衆を啓蒙し、社会をより良くすることができると本気で信じていた。近代観光の歴史はその信念から始まっている。
82 観光客は、ただ自分の利己心と旅行業者の商業精神に導かれて、他国を訪問するだけである。にも関わらず、その訪問=観光の事実は平和の条件になると、カントは考えた。
86 カール・シュミットの「友敵理論」
政治はまず、世界を友と敵に分け共同体を確立する。その際、敵を敵たらしめる根拠はない。
そのうえで政治は、友か敵かという判断項に基づいて、共同体の存続を第一に考え、必要とあらば倫理的・美的・経済的というあらゆる他の二項対立から構成される判断軸を放棄する。
89 ヘーゲルの国家論で重要なのは、市民社会から国家へのその移行が、たんなる歴史的あるいは社会学的な展開としてではなく、人間の精神的な向上と結びつけて語られていることである。
117 ヘーゲルは国家を市民社会の「自己意識」だと捉えた。
カントは「国家をもった民族」はひとつの人格を持つものとみなした。
121 国家の二層構造
<a>精神、思考、意識、政治、上半身、”国民”としての人間
=ナショナリズム、リベラリズム
↕
<b>身体、無意識、経済、下半身、欲望、動物、消費者
=リバタリアニズム、コミュニタリアニズム、グローバリズム
point1 121 欲望の管理は、健全な社会生活を営む上で致命的に重要である。それに失敗すると人(=人格、国家)は病気になる。
point2 123 ナショナリズムとグローバリズムは、統合されることなく、それぞれ異なった仕方で秩序を作り上げてしまっている。
<ネーション>
政治 ネーション(国家)の単位で語られる
↕
経済 グローバリズムとしてネーションから独立して行動
point3 132 グローバリズムは、ナショナリズムをいささか変質させた。すなわち、ナショナリズムは普遍的な世界共和国へつながる回路をもはや持ちえず、永遠にナショナリズムのままである。
141 国民国家(人間を人間として扱う機構)は出産を奨励できないが、帝国(人間を統計の対象として数字で、動物のように扱う機構)は奨励できる
149 否定神学とは
「否定」を媒介とした存在証明の論理。
「その対象が“存在する”」ということを、直接積極的に言うのではなく、「~ではない/~でもないことを通じて、しかしそれがなければ説明できない/それを仮定しなければならない」という形で、実質的にその存在を前提せざるを得ない立場が生じる。
156 それに対して「郵便」は存在し得ないものは端的に存在しないが、現実世界のさまざまな失敗の効果で存在しているように見えるし、またそのかぎりで存在するかのような効果を及ぼすという、現実的な観察を示す言葉である。
158 郵便的とはここでは、あるものをある場所にきちんととどけるシステムを指すのではなく、むしろ、誤配すなわち配達の失敗や予期しないコミュニケーションの可能性を含むという意味で使われている。
160 デモには敵がいるが、観光には敵がいない。ラディカル・デモクラシーは友敵理論の内側にあるが、観光はその外部にある。
161 ネットワーク理論
世界の多くの事象は、多数の「実体」があり、その上でそれら実体を結びつける「関係」があるという、広義のネットワークの構造を備えていると見なす考え方
171 スケールフリー性とは
友達が多い人のところへますます友達が増えるという不平等性を表したネットワーク理論のモデル
177 人間社会がネットワーク理論でモデル化でき、そしてそこにスケールフリーの特徴が現れるというバラバシたちの発見が、19世紀の史的唯物論や20世紀の構造主義に続き、「人間社会の構造をあたかも自然現象であるかのように説明する言説の可能性」を開いた
187 神話とは、ある洞察の論理的な展開を、あたかも歴史的な展開であるかのように見做して、再構成する、物語風の記述形式を意味している。
189 論理と物語の違い
共時的な論理を、通時的な歴史として再構成すると、目の前の世界の構造になにが欠けているのか、きわめて語りやすくなることも確かだ。論理は、物語のかたちで語られるとはるかに理解と操作が容易くなる。
197 個人単位での、きわめて具体的な、そして偶然的な「細部」への感情移入に、連帯の基礎をおくべきではない。むしろ、「われわれ」の感覚は、その細部への共感のあと、事後的かつ遡行的に生み出される。
198 観光客の哲学=誤配の哲学、「連帯」とあわれみ
218 死の絶対性と運命の必然性が生み出すハイデガーの哲学に対置される、出生の相対性と家族の偶然性が生み出す新たな哲学=家族の哲学
223 国民の拡張には原理が必要だが、家族の拡張には原理がない。これがウィトゲンシュタインの指摘したことだった。
237 つまりアメリカにおいては、アメリカを愛することと現在の権力を批判すること、祖国への誇りと権力への怒りは矛盾なくむすびつく -
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気になった、自分に刺さった内容をピックアップして感想を記述(本の内容が重厚なので)
・リベラル村
リベラルを追求している結果、結果的にリベラルを許容する意識の高い人だけを集めることとなってしまい、皮肉にもリベラル的な思想から外れてしまっている。これは私も常日頃から感じていた。新の多様性とは、受け入れにくい人すらも受け入れる(というか否定せず、無関心)必要があると感じている。
・誤配=訂正可能性
あらゆることはいずれ訂正される可能性がある。まずはそれを許容する必要がある。共同体とは開かれてもいて、閉じられてもいる。それを誤配によってつなぎかえを行っている。再帰的な保守主義という言葉が素晴らしく、守るべき自分たちの枠組みを少しずつ変化させているというニュアンスが良い。
ルソーの話にページを割き、そこから一般意思の話に広げながら、ビックデータがその一般意思をくみ取るという話につなげていた。この「人工知能民主主義」の危険性について話していた。自分がどんな人間でも、統計的集団にカテゴライズされ、リスク人材としてみなされる可能性がある。統計的に正しいとされることで、訂正可能性がまさに失われてしまう。
内容を完全に把握しきれていないが「あいまいな状態」を許容しながら自分たちは足を進めなくてはいけないと感じた。そして何かを正しいと定義しても、それは訂正される可能性がある。訂正可能性があることを許容しなくてはいけない。
基本的に物ごとの大半は黒か白で分けることができないだろうと考えていて、今回の本は自分の考えを後押ししてくれるような本だった。 -
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ゲンロン、シラスの取り組み、そしてこの取り組みを本にまとめたことについては、本当に尊敬している……ホモソーシャルから抜け出たようには見えないけど……
「ゲンロンはたしかにぼくがつくった。
でもぼくのためのものではない。
「ぼくみたいなやつ」のためのものでもない」
p222引用
「特定のトピックに焦点をあてて、無理に「最先端」のシーンを演出するようなことをしていません。
ぼくがその場その場で関心をもった方々、関心をもった主題を集めている」
「言い換えれば、ぼくは自分の関心が自分だけのものであること、自分が孤独であることを受け入れたわけです」
p223引用
「「ぼくみたいなやつ」はぼくしかいないし、そもそもすでにぼくがいるのだから、これ以上は必要ない。
ぼくは「ぼくみたいじゃないやつ」と一緒に行動することによって、はじめてゲンロンを強くすることができるし、多様で開かれた場にすることができるのです」
p224引用
「10年後には、ゲンロンがひとつの中心になって、ホモソーシャルな従来の論壇とはかなり異なった、多様な言論のネットワークが形成できるかもしれません」
「それはもしかしたら、従来の「批評」の読者には満足できないものかもしれません
そこには「最先端」もなく、「シーン」もなく、ゆるやかにつながる話し手と聞き手しかいないからです」
P225引用
「多様性が大切だとひとは簡単に言います。
けれども、その大切さを、自らの人生に引きつけて実感するのはそれほど簡単ではありません」
「自分のなかには「ぼくみたいなやつ」を集めたいという強いホモソーシャルな欲望がくっている。
それこそがリスクであり限界なので、意識的に対峙していかないとどうしようもない」
p226引用 -
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かなり面白い論考だった。
「民主主義とは本来熟議が必要なものであり、現代の民主主義には熟議が足りてないんだ!」というステレオタイプの思い込みをひっくり返された。実装面は置いといて、大衆の無意識を直接反映できるようになれば、「民意を反映してない」みたいな批判は一定避けられるようになるだろう。
一方で、現役世代の一般意志に従うだけでは、環境問題や伝統の継承など、未来・過去の世代を考慮した判断は難しいように思える。特に、環境問題のような、現役世代の欲望を抑えて将来世代の負担を軽減するような問題については、熟議の方が解決に導ける気もする…。難しい。 -
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人間は環境に規定されてしまう。
そんな人間が「かけがえのない自分」として生きていくためのヒントとして、環境にノイズを忍び込ませること、記号では捉えきれない「モノ」があると認識すること、無責任・軽薄に生きる側面を持つこと、すなわち「観光客」として生きてみることが提案されている。
最近、法律の勉強に時間を割かれ、記号の世界に閉じ込められていた。お金も時間もないし、友人が海外旅行する様をInstagramで見て、俺は日常の中に小さい幸せを見つけられるんだ、なんて小さい捻くれた世界に閉じこもっていた。
旅に出たいと本気で思う本だった。今の僕の人生には明らかにノイズが足りていない。脳みそも心もどんどん痩せ細っていってるのが分かる。旅に出よう。 -
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(2014/10/11)
ネットは弱いようで強いつながりだという。
固定した仲間としかつるまない。
新しい環境に触れるには、
弱いリアルを求めるのが一番。
そのためには旅をしようという。
ネットでストリートビューをすれば現地の様子はわかる、
でもそれは旅ではない。
その違いは移動時間にあるという。
その場に行くまで、帰るとき、
体を一定時間その場に拘束すること、そして欲望することに
意味があるという。
深い。
だから著者はダークツーリズム、チェルノブイリ観光を実施し、
さらに福島原発を観光地化しようとする。
平野啓一郎氏の分人化にも触れている。
ただ、平野氏がそれぞれの村人であれ、というのには反対し、観光客でいい、という。
日本人は村人になりたがる。正社員もそれ、と。
従来の仲間ではなく、パーティであっただけの人の言葉をきっかけに転職する、
なんて話もあった。
弱いつながりがきっかけになると。
同感できる。
気楽に、でも新しい刺激を求めたい。
ネットをやるなら日本語以外で検索を。そうだよなあ。。。
目次
0 はじめに――強いネットと弱いリアル
1 旅に出る 台湾/インド
2 観光客になる 福島
3 モノに触れる アウシュヴィッツ
4 欲望を作る チェルノブイリ
5 憐れみを感じる 韓国
6 コピーを怖れない バンコク
7 老いに抵抗する 東京
8 ボーナストラック 観光客の五つの心得
9 おわりに――旅とイメージ -
Posted by ブクログ
普通は敢えて考えないようにしている難しい問題。歪んでいても日常生活は支障ない(もしくは支障ないものとして打ち捨てておける)。
自分自身で考えられない私のような人間は、このような本を読むとなるほどなぁと大いに感心し、勉強になる。
立派な先生方のおっしゃることをある程度は理解したり共感したりすることで、自分は我が国の抱える問題について無関心ではない、どちらかというと意識高い系の人間であるかのように思ってそれだけで満足感を得ている部分もあるが。
歪みを持ってるのは日本だけじゃないと思うし、歪みについて偉い先生方が鼎談したところで解決するものでもないだろう。しかし、ちょっと立ち止まって考えるのは意味があると思いたい。
この本が多くの人に読まれるといいと思う。
個人的には3人の中では養老先生が好きだ。