東浩紀のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
人間への諦念を前提とした内容ながらも、これをポジティブ、いやニュートラルに捉えられる読後感だった。人間とは、決して合理的で強い存在ではなく、情念に振り回され他者を傷つける弱い存在である。これを、だからといって単純に人間を排除する思想に走るのではなく、それでも過ちを訂正し続けていくからこそ持続可能であると結論付けている。それは、悲観主義ではなく、かといって理想主義でもない、とてもプラグマティックな考え方に思えた。
カール・ポパーが提唱したように、一見すると絶対的だと思われる科学でさえも、その正しさは常に暫定的なものでしかなく、それは反証可能性に開かれている。同様に、正しさの基準も時代や文化によっ -
Posted by ブクログ
ネタバレ哲学書ながら読みやすい一冊だった。グローバリゼーションとナショナリズムの狭間でどう生きるのか。経済的に結び付きゆく世界の中で、自分と他者の壁をどこに設定するのか。難しい問題について考えさせられた。
ゆるく生きる、というのとは少し異なる気がするが、概ね筆者の意見には納得した。ナショナリズムに限らず、例えば会社をとっても、多様な働き方があるいまの時代、一つの組織や集団への帰属意識は不安定なものになりつつある。そこで大切なのが観光客としてのコミュニケーション、つまりすべてが繋がっていることを許容しながらも、自己と他者の境目をなんとなく意識すること。そして他者の認識は100%そのものを理解していると認 -
Posted by ブクログ
ネタバレ「観光客の哲学」初版は既に購入して読んでいたのだけれど、今回の増補版で再読して
新たな発見がいくつもあったので、備忘録として記しておくことにした。
まず第4章の「二層構造」。カント、ヘーゲルの時代から哲学者が考えてきた国家と市民社会のことがものすごくわかりやすく述べられている。21世紀はネーションの統合性が壊れただけの状態であり、2つの秩序が独立して存在する「二層構造の時代」であると。
もはや普遍的な正義が存在しない、リベラリズムの根幹が揺らいでいる現代には、上半身(理性、政治)と下半身(欲望、経済)は別々の秩序で動く。これは、コロナ禍を経験した我々には実感を伴って感じられる。医療者である -
Posted by ブクログ
読み始めて数ページは「なんだ週刊誌のコラムのまとめか」と思ったが、読み進めていくうちに引き込まれた。
毎日の日常を当たり前に生きていると漠然と変化を感じることはあるけどその正体はよくわからない、しかも日常だから深く考えずに過ぎてしまう。でも冷静に去年の今頃とか3年前とかを思い返すと、だいぶ変わってきたんだなと感じることがある。そういうことが週刊誌のコラムであるからこそ小刻みの等間隔で振り返れて、世の中がじわじわと確実に変わってきたこと、または結局変わってないことなどをリアルに実感できた。自分が生きている時代(2017年1月〜2022年4月)を見つめ直す有意義な機会をもらえた。
そのような大局 -
Posted by ブクログ
【はじめに】
本書は、2017年1月から2022年4月までの約五年の間週刊『AERA』に掲載された巻頭コラム131回分を収めたものである。ざっとこの100回を超えるコラムを読むと、この五年間でそれなりのことが起こったのだなと改めて思い返される。
【五年間のこと、特に政治について】
その五年間のコラム掲載期間の後半は、日本中がコロナに翻弄された。著者も何度も言及し、なし崩し的に権利の制限が行われたことが後世に与える影響を懸念している。
また、アメリカでのトランプ大統領の誕生も驚きではあったが、政治的出来事としてある意味ではとてもこの五年間までの政治の変化を象徴する出来事であった。一方でこの五年 -
Posted by ブクログ
この本の中では東浩紀さんがずっと展開してきた「誤配」という言葉について何度も語られている。まさに私も東浩紀、そしてゲンロンに出会ったこと自体が「誤配」の結果であり、そこから多くの影響を受けているということを読みながら改めて実感した。震災後の福島について、人文知的アプローチをしているところを探していたらゲンロンに出会い、よく分からないままゲンロンカフェに行って小松理虔さんの出版イベントに参加した。東さんや飛び込みで津田さんなどがいて熱く語り、観客もまた熱心に聞く、物凄い熱量の空間であった。まさに私もあの場で「知の観客」となっていた。しかし、ゲンロンがそこに至るまで、そしてそれ以降、裏では大変なこ
-
Posted by ブクログ
ルソーによると、一般意志とは国人の意思の集合体である共同体意思のことを指す。したがって市民はこの一般意志に従わなければならない。ただし政府は一般意志を執行するための"代理機関"にすぎないため、市民は政府に服従しなければならないわけではなく、むしろ革命権を肯定している点はホッブズと異なる考え方。
現代社会において一般意志とは何か考えてみるとまず思いつくのは世論あたりになるが、これとは全く性質が異なる。なぜならルソーは一般意志について「一般意志はつねに正しく、つねに公共の利益に向かう」と述べているからだ。世論は、みんなの意思だがしばしば誤ることがある全体意志に該当することにな -
Posted by ブクログ
ゲンロンの経営者としての東浩紀の試行錯誤を記した本。あとがきで東はもともと「とてもややこしい現代思想の世界を専門としていた」が「専門書ではなにも伝わらないし、なにも変わらないと感じるようにもなっている。哲学は生きられねばならない。」と書いている。うーんそうなんすかね、まあそうなんだろうな。ただ別のなにかのインタビューで、専門書を読めば俺は専門書を読めるし実際すでにほとんど読んだぞと自信に繋がって、その手のコンプレックスを抱かなくなると答えていた。亀の甲より年の功てきなことかもしれないけど、それでも専門書を読む意味が消えることはないんだろう。
仲間を集めたいという動機で始めたゲンロンだったけど -
Posted by ブクログ
めちゃめちゃ面白かったし、勉強になった。会社経営としても、哲学としても。
…もっとも重要なのは、「なにか新しいことを実現するためには、いっけん本質的でないことこそ本質的で、本質的なことばかりを追求するとむしろ新しいことは実現できなくなる」というこの逆説的なメッセージかもしれません。
…ついに意識改革が訪れました。「人間はやはり地道に生きねばならん」と。いやいや、笑わないでください。冗談ではなく、本気でそう思ったのです。会社経営とはなにかと。最後の最後にやらなければいけないのは、領収書の打ち込みではないかと。ぼくはようやく心を入れ替えました。そして、ゲンロンを続けるとはそういう覚悟を持