あらすじ
インターネットによるグローバル化によって、「国家」を超えたつながりをもてるようになった現代。境界のない世界において、国家はどうなるのか。国と国、個人と個人、国と個人の「境界」の問題について考えていく。
■執筆者
《第一部 なめらかな世界への夢》
序章 開かれた国家
東 浩紀(思想家、ゲンロン代表)
第1章 なめらかな社会の政治システム
鈴木 健(東京大学特任研究員、スマートニュース株式会社代表取締役会長共同CEO)
第2章 創発する民主主義
伊藤穰一(MIT(米マサチューセッツ工科大学)メディアラボ所長、角川アスキー総合研究所主席研究員)
《第二部 溶解する境界》
第3章 サイバー・スペースと民主主義
五野井郁夫(高千穂大学経営学部准教授、国際基督教大学社会科学研究所研究員)
第4章 データ駆動型政治
西田亮介(立命館大学大学院先端総合学術研究科特別招聘准教授)
《第三部 リバタリアニズムと国家》
第5章 グローバル経済の隠された中心
橘 玲(作家)
第6章 情報社会とハクティビズム
塚越健司(学習院大学非常勤講師)
第7章 情報時代の憲法
白田秀彰(法政大学准教授)
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Posted by ブクログ
寄稿でもなく、論考の収録。つまり、各著者による著作を抜粋してテーマに沿って寄せ集めたものだから、読んだ事のある内容も多い。鈴木健、伊藤穰一、西田亮介、橘玲、五野井郁雄ほか、錚々たる面々。自分には重複も多いがそれはそれで。復習半分、発見半分。
経済は全てをつなぐ。政治は境界を作る。情報技術は境界を壊し、つながりを加速する。テクノロジーの進化は、境界をいかに変容させ、その目指す形はいかようか。面白いテーマである。
インターネットの黎明期には盛んに世界市民の誕生が謳われた。しかし一向に実現しない。現代はむしろ、リバタリアンの世界とコミュニタリアンの世界が分裂したまま共存している。国境が無くなるかと期待したインターネットの存在は、政治的障壁の壁は崩せず、数少ない民間レベルの世俗的インパクトで、これと言えるのは、個人輸入などの消費行動や、最大はポルノのグローバル化のみではないか。崩れぬ壁に開いた穴から覗くのは、結局、欲望に生きるのが大衆行動であった。
知的財産と言う考え方が、その範囲を広げ続ける中で、もともとは共通の知識だったものの多くが企業の財産になりつつある。コミュニケーションのインフラがアイディアの自由な普及よりも財産の保護を目指すようになる中で、批判的なディベートの可能性は、ますます制約されつつある。本来発明は自然の中において、財産権の対象とはなり得ない。それは元来、火の発見のようなものであったはずだ。
格納した情報の蓄積をAIにより処理される時代が来ている。しかし、情報は企業固有のものとして囲い込まなければ、実業の隔壁が築けず、会社の存在意義が生産設備などの現物資本に左右されぬ以外では、保持出来なくなりそうだ。
ならば境界とは、肉体の限界、現物資本の制約であり、利害の一致する範囲で同質性を保つという指向性こそが、集団の生命線となる、という気がしている。