司馬遼太郎のレビュー一覧
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「日本とはどういう国なのか」と司馬さんが、23歳の自分自身に手紙を書くようなエッセイ。
それにはわけが、、、
召集されて軍隊を経験した23歳の司馬さんは、戦争に負け終戦の放送をきいたあと「なんとおろかな国に生れたことか」と思ったのだそう。
「昔はそうではなかったのではないか」鎌倉・室町期や江戸・明治期のころのことをである。
それを小説に書いてきたのでもあった。
そして、昭和の軍人たちが国家そのものを賭けにしたようなことは、昔にはなかったと確信する。
「それではいったいこの国は、どうであったのか」と歴史を紐解きながら「この国のかたち」を探る。
まるで司馬さんの頭の中の引き出しが開かれて -
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ネタバレ上巻ではいけ好かない頭でっかち野郎だった河井継之助だけど、中巻になるとちょっと趣が変わる。
「幕府なんてもはや不要。
長岡藩は自立してやっていけるような経済力を身につけねばならない。」
と言っていたかと思うと、
「殿には、忠臣であるという筋を通させてやりたい」(つまり幕府のために忠義を尽くさせたい)
と言い、さらには
「殿がまず死んで見せなければ、藩の意見は一つにならない」
とまで言い出す。
どうしたいのだ、河井継之助。
幕府をあてにせず経済立国を目指すのだったら、さっさと薩長に付けばよかったのだ。
殿の心情を汲んで幕府に忠義を立てるというのなら、もっと早くから薩長の主張の矛盾を突いて論破し -
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ネタバレ私、この人嫌いです。
まだ上巻しか読んでいないので、もしかしたらこの先好きになることがあるかもしれないけれど、今現在の正直な気持ちを言うと、嫌い。
まず、この人は他人を尊重することがない。
他人の才を見切っては、多くは見下して切り捨てる。
傲岸不遜とはこのことか。
そして、武芸を習うにあたっても、基礎も奥義も興味ない。
ただ、本質だけを教えろと言い、あげく師匠から破門されるので、どれもどれも未熟なままで終わっている。
なのに本人だけが、自分は大きなことを成し遂げる男だと思っている。
佐久間象山の塾に通ったこともあるが、その人となりが気にくわなくてやめているけれど、私からしたら鼻持ちなら -
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ネタバレ第一章 ブロードウエイの行進
遣米使節(1860年2月~11月)は、正使・新見豊前守正興、副使・村垣淡路守範正、目付・小栗豊後守忠順をはじめ、総勢77人。
当時のアメリカ人は、日本人の挙手動作、品の良さ、毅然とした態度の未知の民族に、大変上質なものを感じたという。「明治は多くの欠点をもちつつ、偉大としかいいようがない」。透き通った格調の高い精神で支えられたリアリズムであった。それに対して昭和―昭和20年まで―はリアリズムがなかった、と評する。
第二章 徳川国家からの遺産
小栗忠順(ただまさ)は外国奉行にあり、金がない中で日本で最初の横須賀造船所(現、在日米軍横須賀海軍施設)を造った。施工監督を -
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新選組の評価や隊士のイメージなどは、様々な作家や伝記などから総合的に作られてきたものなのだろう。2021年において、司馬さんという超有名作家の1962年の作品がこのイメージ作りにどの程度関与したのかは正直分からない。沖田の天真爛漫イメージなどはもっと昔からあったっぽいが。
自分は特に三谷大河史観に毒されているので、どうしても大河ベースで読んでしまうのだが、それはそれとして、新選組という集団の中の様々な面々を魅力的に(井上あたりは大河史観から見るとアレだが)描いたのは、画期的なことなのだと思う。三谷大河史観とのズレに若干苦しみつつも、楽しく読めた。自分のお気に入りは「沖田総司の恋」。 -
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四巻で織田信長がついに京都に登ります!
その一助を担ったのが明智光秀。
越前の朝倉家に見切りをつけてついに光秀が信長の臣下になり、将軍との橋渡しをする。
そして信長が京都に登ってからも、ほんと苦難につぐ苦難!
もう今度こそダメだという場面が何度もありながらも、信長は思いもよらぬ作戦や行動をとったり、運にも恵まれピンチを脱する。
逆境のときこそ行動して、運を引き寄せチャンスを掴む
そして天下布武の理想を現実にしていく。
一方で、信長と光秀の間には埋められない溝がどんどん出てくる。
お互いに能力を認め合い、必要としつつも、どうしてもそりが合わない。
どうしようもないこともある。
そして本能寺 -
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二巻では、いよいよ斎藤道三の国盗り。
そして、ライバルと言える織田信秀とその子織田信長も出てきます。
美濃の執事と言える地位まで登り詰めた斎藤道三が次に目指すは、国主、つまり美濃の大名になること。そのためには国主の地位に据えた土岐頼芸からの信頼を固めつつ、時期を見て自分が国主になる。
この過程はかなりすさまじく、一難あってまた一難のことばかり。
やはり何か新しいことをしようと思うと逆風は吹くもの。
一時は、美濃内の豪族からの妬み、恨みを買いすぎて、城を囲まれ自害するしかないとまで追い込まれたりもする。
そのときに斎藤道三がとったのが、出家をして頭を丸めるということ(斎藤道三という名もこのと