司馬遼太郎のレビュー一覧
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ネタバレ秦の始皇帝の死後、宦官の趙高の謀によって蒙恬や始皇帝の長子扶蘇、李斯が死に、始皇帝の末子胡亥が二代皇帝となった。初めて統一された中国は秦の法家思想に馴染まず、陳勝・呉広の乱を皮切りに各地で流民が反乱を起こす。多くの流民の食を確保し、楚の懐王を奉じて力をつけた項梁は、秦の章邯によって定陶で敗死するが、甥の項羽は章邯の先鋒を破り、章邯を降伏させる。しかし秦の降兵20万の反乱を危惧した項羽は、20万の兵をパニックに陥らせ穴に落として虐殺する。
クールな章邯が項羽に尊敬されていると告げられて泣く場面が印象的。劉邦は別働隊として関中に向かっていて、先に関中に入ってしまうのではないかと項羽がヤキモキして -
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「日本とはどういう国なのか」と司馬さんが、23歳の自分自身に手紙を書くようなエッセイ。
それにはわけが、、、
召集されて軍隊を経験した23歳の司馬さんは、戦争に負け終戦の放送をきいたあと「なんとおろかな国に生れたことか」と思ったのだそう。
「昔はそうではなかったのではないか」鎌倉・室町期や江戸・明治期のころのことをである。
それを小説に書いてきたのでもあった。
そして、昭和の軍人たちが国家そのものを賭けにしたようなことは、昔にはなかったと確信する。
「それではいったいこの国は、どうであったのか」と歴史を紐解きながら「この国のかたち」を探る。
まるで司馬さんの頭の中の引き出しが開かれて -
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ネタバレ上巻ではいけ好かない頭でっかち野郎だった河井継之助だけど、中巻になるとちょっと趣が変わる。
「幕府なんてもはや不要。
長岡藩は自立してやっていけるような経済力を身につけねばならない。」
と言っていたかと思うと、
「殿には、忠臣であるという筋を通させてやりたい」(つまり幕府のために忠義を尽くさせたい)
と言い、さらには
「殿がまず死んで見せなければ、藩の意見は一つにならない」
とまで言い出す。
どうしたいのだ、河井継之助。
幕府をあてにせず経済立国を目指すのだったら、さっさと薩長に付けばよかったのだ。
殿の心情を汲んで幕府に忠義を立てるというのなら、もっと早くから薩長の主張の矛盾を突いて論破し -
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ネタバレ私、この人嫌いです。
まだ上巻しか読んでいないので、もしかしたらこの先好きになることがあるかもしれないけれど、今現在の正直な気持ちを言うと、嫌い。
まず、この人は他人を尊重することがない。
他人の才を見切っては、多くは見下して切り捨てる。
傲岸不遜とはこのことか。
そして、武芸を習うにあたっても、基礎も奥義も興味ない。
ただ、本質だけを教えろと言い、あげく師匠から破門されるので、どれもどれも未熟なままで終わっている。
なのに本人だけが、自分は大きなことを成し遂げる男だと思っている。
佐久間象山の塾に通ったこともあるが、その人となりが気にくわなくてやめているけれど、私からしたら鼻持ちなら -
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ネタバレ第一章 ブロードウエイの行進
遣米使節(1860年2月~11月)は、正使・新見豊前守正興、副使・村垣淡路守範正、目付・小栗豊後守忠順をはじめ、総勢77人。
当時のアメリカ人は、日本人の挙手動作、品の良さ、毅然とした態度の未知の民族に、大変上質なものを感じたという。「明治は多くの欠点をもちつつ、偉大としかいいようがない」。透き通った格調の高い精神で支えられたリアリズムであった。それに対して昭和―昭和20年まで―はリアリズムがなかった、と評する。
第二章 徳川国家からの遺産
小栗忠順(ただまさ)は外国奉行にあり、金がない中で日本で最初の横須賀造船所(現、在日米軍横須賀海軍施設)を造った。施工監督を -
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新選組の評価や隊士のイメージなどは、様々な作家や伝記などから総合的に作られてきたものなのだろう。2021年において、司馬さんという超有名作家の1962年の作品がこのイメージ作りにどの程度関与したのかは正直分からない。沖田の天真爛漫イメージなどはもっと昔からあったっぽいが。
自分は特に三谷大河史観に毒されているので、どうしても大河ベースで読んでしまうのだが、それはそれとして、新選組という集団の中の様々な面々を魅力的に(井上あたりは大河史観から見るとアレだが)描いたのは、画期的なことなのだと思う。三谷大河史観とのズレに若干苦しみつつも、楽しく読めた。自分のお気に入りは「沖田総司の恋」。